>>882の続き
=上述のAに特化させて=

>>880-881の中で指摘されている通りで、
「怒りの相を現しているイエス像」と「優しい平和の象徴としてのイエス像」との乖離。

前者が、おそらく聖書原本から導き出されるイエスの本当の姿で、
後者が、後世のキリスト教会が作りたかったイエス像なのでしょう。

もちろん、前者の方が正しい。
私がそう考えるのは、聖書の記載はただ一点にのみ、集約されているからですね。
「主の日」と、それに備えさせる目的での福音書(聖書)です。
そうであるならば、とてもじゃないが、
最新の翻訳となる日本語聖書の新改訳2017と、聖書協会共同訳聖書の2つは、
本来の聖書メッセージを、あまりしっかりとは伝えていない事になります。

そして、そのような惨状を作り出してしまった大きな原因が、Aに有るとするならば、
これは由々しき事態ですよ。