前レスで「マルコ本文」の改ざん抑止力の一部は「マタイ・ルカ・ヨハネ伝」と書きましたが
実際には教会圧力で未だに復権していないのが「怒り」です。

この件は4福音書の関連性を悪用して、イエスの平和的イメージを演出するため、
ルカの「哀れみ」にすり替え、「皆が見たのは「哀れみのイエス」なのだ」という
手法で行われており、「イエスが終始憤慨するハズが無い」というエホ証を含む「各宗派」の
今更「怒り」に戻せないキリスト教の根本概念によるバイアスによるモノです。

実際にマルコ内の「哀れみ」の記述が「怒り」であった論拠は、かなりの確度で証明されていますが
抵抗が無ければ皆さんが自らの手で調べて見て下さい。

ここでは「俯瞰して読む」手法として、試しにマルコ内の「哀れんで」を「怒って」と
読み替えてみて下さいっとだけ言っておきます。異様に読みやすくなる。
その上で、では「なぜイエスが怒ったのか」というステップに進み、イエスの気持ちを考えてみる。
答えは明言しませんが、素晴らしく力強い「神の子」の証明が見えてくる結論に必ずたどり着きます。

「聖書を引き継いできた者達」にとって「怒るイエスは不都合この上ない」ので
安易に書き換えてしまい、今更「マルコ伝」を「怒りのイエス」に戻せないんでしょう・・。

>>853
>>879
それは核心部分じゃありません。私はまだコロされたく無いwので、書けないのです。
(既にかなりマズい事書いてるので、しばらくホームの前には立ちませんが)
その件に関しては「聖書に明記されていないのは、当時の風習上わざわざ書くことでは無かったから」
可能性はかなり高いっとだけ言っておきますね。