この記述は現在の日本語各聖書どころか、英語・ギリシャ語及び各時代・各宗派の写本に至るまで
無数の異文があるんですが、上記の内容だったことが証明され
各宗派の教義に合わせてコアとして採用されています。(宗派毎の追加がトンデモだらけで笑いますが)

っでもっともトンデモなのは、かなり最近までほぼ全ての聖書で20節まで追加され、
無意味で無駄で変な節が、十数世紀間書かれていたワケですが、
要は、マルコ伝は「弟子も女もみんなビビって逃げた」で終わりだったのです。

これはマルコは何が言いたかったのか?
「イエスの弟子も取り巻きもイエスの嫁ピー・・(検閲入りましたぁ!)全員がイエスを理解していなかった」
ですよね。しかもマルコ伝のトリで。
これを理解出来ない教会は、辻褄を合わせるため早期にマルコ伝に加筆した。

要は、マルコは「弟子全員がイエスを理解してないんだぜ?字ヅラだけで判断するなよ」って警告している。
しかも、唯一リアルイエスを見ていた弟子ペテロの書紀としてこれを書いており、
マタイ・ルカ・ヨハネの福音書は、すべて「マルコ」を元ネタに書いているのは御存知の通り。
よって、メイン本文の改ざんは不可能。
だからマルコは確実に、後世の改ざん防止に「誰もイエスを理解せず、ビビって逃げた」というヤバい
内容で「終わり」にしている。

みんな、聖書の字ヅラだけ読まず「イエス」を読んでください。
経典の字ヅラだけ読まず「釈迦」を読んでください。
生まれていきなり「俺ほどスゲェ奴は天上界にも居ねぇ!」って叫ぶガキなんか居ません。