確かにお釈迦様は、浄土三部経にて
「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえど・ごんぐじょうど)と、お教え下さっており、
これは、“汚れた現世を厭い清浄なる場所を求める”という意味であって、
このあたりから、この世をネガティブ(悪い世界)に捉える仏教世界観が発生しています。

ところが、その一方で、華厳経では、
「たとえ一部に汚濁があったとしても、それでもなお、三千世界は清浄そのものである」
との深淵なる哲理に到達しており、

こういう部分が、
薄っぺらな神学論争に明け暮れているヤソ教の教師たちには、理解できない領域なのです。


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