神慈秀明会の考え方をベースに、
会の人間が好む、都合の良い聖句を持ち出すのも問題です。

キリスト教的には、
神慈秀明会は人間の解釈で成り立っている、偶像崇拝の宗教団体だからです。

カトリックであれプロテスタントであれ、
使徒パウロや使徒教父や古代ギリシャ教父の聖伝から、
現在の教会は発展してきているのです。

使徒の教会でない、異教の神慈秀明会の知識で聖書を読むのは、
あきらかに人間の解釈です。

キリスト教的には、同じ人間でも、預言者の言葉は、神の言葉ですから。