多くの人が勘違いしてるかも知れないけど、霊の世界のコミュニケーションの本質は思念ですから。

だから生前の言語に関係なくコミュニケーションが取れます。

物質的な体もないので本来思念に境界線はなく、自と他の区別もなく究極的にはすべてが一体と感じることができます。

ただし、自分がこの世に生きていた時の肉体的思考性からなかなか抜け出せない人は、それに近い形で存在し、コミュニケーション手段が思念ということにも気づかないかもしれません。

最近流行りのワンネスはこの世界の真の姿に近づいているんじゃないかと思っています。

神と私 ではなく 神でもあり私でもありその他でもある

みたいな。

神と自分を分けて考える方便の時代はそろそろ役目が終わり始めてる感がありますね。

天罰とか地獄とかもう人間には必要ない思想でしょう。

信仰や地獄がないと人間は悪いことをするという人間の神性の全否定に基づいた思想も必要ありません。