趙州和尚が師の南泉禅師に「如何是道」(道とはどんなものでしょうか)とたずねた。
その答えが「平常心是道」(ふだんの心こそが道である)であった。
ここでいうところの道とは仏道ということである。
 趙州が「その心はどのようにしてつかむことができるのでしょうか」と重ねて問うた、
南泉禅師は「つかもうとすれども、つかむことができない」と答えた。
 趙州和尚は「つかむことができないのであれば、それは道とはいえないのではないでしょうか」とさらに問うた。
 これに対して南泉禅師は「道は考えてわかるようなものではない、しかし、わからないといってしまうこともできない。考えてわかるというものであれば妄想になってしまう、わからないとすれば意味のないことになってしまう。」と答えた。
 さらに、「理解できるとか、理解できないとかという分別を離れてみると、自ずからそこに道が現れる。あたかも晴れて澄みわたっている秋空のようなもので、分別を入れる余地がまったくない」と答えたので、趙州はその答えを聞いて悟った。

曹洞宗大本山総持寺を開かれた瑩山禅師が二十七歳のとき、師匠の義介禅師(永平寺三祖)から平常心の意義を問われたとき、
「黒漆の崑崙・夜裏に走る」
(こくしつのこんろん・やりにわしる:真黒な玉が暗闇を走る)
と答えた。そのように見分けがつかない、つまり思量分別を超えた境地であると答えた。
 しかし、義介禅師は、
「不充分、さらに一句を言え」
と迫った。すると瑩山和尚、
「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯に喫す」
と答え、この語によって印可(悟りの証明)を受けられた。
 これでわかるように、思量分別を超えた清清しく爽やかな境地がそのまま日常生活に活かされ、一挙手一投足がすべて仏道にかなってこそ、平常心是れ道なのである。その姿はお茶をいただく時は余念雑念を交えず、喫茶三昧に徹し、食事の時は食事の一行三昧になりきることである。