従容録(しょうようろく)  第51則?法眼航陸
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本則
法眼 が覚上座に問う、「航来か陸来か?」。
覚云く、「航来」。

眼云く、「航は甚麼の処にか在る?」。
覚云く、「航は河裏(か り)に在り」。

覚 退(しりぞ)いて後(のち)、眼 却(かえ)って傍僧(かたわらのそう)に問いて云(いわ)く、「汝道(い)え 適来(さきほど)の這(こ)の僧、眼を具するや眼を具せざるや?」。
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注:
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法眼:法眼文益禅師(885〜958)。法眼宗の始祖。

法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑  →雪峯義荘カ→玄沙師備→覧�ソ桂チン→法滑癜カ益 

覚上座:汾陽の慈覚禅師とも趙州の弟子の覚鉄シだとも言われるがはっきりしない。
航来:船で来る。
陸来:陸上を来る。

いんも【恁麼・什麼・甚麼】 かくの如(ごと)く。どんな。いかに。

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本則の現代語訳

法眼禅師が覚上座に聞いた、 「船で来たのか、陸上を来たのか?」。
覚上座は云った、 「船で来ました」。

法眼禅師は云った、 「航はどこに在るのか?」。
覚上座は云った、 「航は河に在ります」。

覚上座が退いた後、法眼禅師は傍らの僧に聞いた、「お前さん、さきほどの僧は、 悟りの眼を持っていると見るか、持っていないと見るか?」。


問う者も 問われる者も なんのてらいもない、淡々とした会話である。
だが問いは、二者択一を問うた。
陸から来たのか、河から船で来たのか、と。
だが、なんのはからいも無く船で来ました、と、普通に答えた。

わたくしであれば、あれかこれか、と問われれば、飛来す、と答えてもいいのではないか。

そこで 多少の心得を持つかたわらの僧にたずねた、どうだ、さとっているか、さとっていないか、要ってみよ。

さて、答えを出せ、と胸倉をつかみあげられてしまったわれら、いかに、答えるか。どうだ。