>>823
例えば
親が概ね正しくて子が間違ってた場合、あるいは親が概ね間違ってて子が正しかった場合があるとしましょう。

前者は絶縁状態までこじれたとしても、いつの日か子が自分の間違いに気づき、親の気持ちがわかり大いに反省する時が来るかもしれません。ただし時が経ち今さらながらの関係の修復は困難でしょう。

一方後者は、時が経った後もやはり親が間違ってて自分が正しかったと再認識することでしょう。ここに関係の修復はありません。

あなたの言ってることは前者の話であって後者に当てはまるものではありません。ここは重要な所です。

さらに重要な話をします。

結局、バチバチの殴り合いの争いは間違いなく両者の溝を生みます。時には修復不能なほど人間関係が壊れてしまいます。

初めの例えに戻りますが、親が子を深い愛情で包み、「正しいか間違ってるかは置いといたとしてもいつでもお前を愛してる。いつでも話をするし相談にも乗る。また戻ってくることをずっと待ってるよ」と愛を
込めてメッセージを送ったら子はどういう反応をするでしょうか。

少なくとも敵意剥き出しの殴り合いよりは態度が柔らかくなるはずです。反省する心も出てくることでしょう。親の愛が圧倒的ならば子がそれに抗うことは難しいものです。

これを読んでるそれぞれの方々に想像してみて欲しい。自分の親が圧倒的な愛で自分に接してくれた時に恨めますか。

人と人との争いにおけるキーワードは愛です。