八正道や十二因縁が後代の創作だとすると釈迦入滅直後の第一結集の時に創作されたとは思えないから
一説によると根本分裂があったという第二結集の時に創作されたのだろうか?

でも四諦八正道は古層の経典と呼ばれるダンマパダにも出てくるので或いは第一結集の時には認められてた?
…ってダンマパダとかの所謂小部経典って結集の時に漏れたから四阿含に入れられてなかったと思ったから経集以外の外伝みたいな位置づけだったような気もするし…
いずれにせよ決定的なことはなさそうだな
ただ説だけがあると