「色即是空」解釈の誤り6
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心経は多様な解釈を許すところがありますが、
では市販本に書かれてるような解釈は 本当に正しいのでしょうか?
個人的には、ブッダの「世間は陽炎の如し」の ”世間”を五蘊(色蘊)と言い換えた
無常と無自性が融合したイメージを喚起する 出世間の言葉と思ってましたが、
実際、空の意味として、{陽炎の如しの言い換えともとれるⒶ無実体Ⓑ幻想・夢幻・虚妄 だけでなく、様々な表現があり
たとえば空をシンプルに 唯心と解釈したり、非我、人無我、法無我を表すとか、(一即)一切、全、不二一元、虚空、エネルギー、スーパーポジション、不定形
般若の浅略釈、本体、中諦へ導く方便、言語的に説明困難な真理を説く為のメタフォリカルな表現、苦の因を滅し安楽(涅槃)に変える智慧、
五蘊盛苦から執着を除き涅槃に導く無為法の慧、微妙なる真理、縁起する諸法、無所住、妄分別の滅、解脱の因、正体は見掛け通りの物でない事、総和は零、、
固定観念を無にする事、法如、雲のように重ね合わされた複数の現実、それらから一つの現実への確率的縁起、無戯論、プラクリティ、意識原理、戯論を滅する呪
名付けられる前の世界、心の中心に具わるゼロ点、真実在、理法、清浄、無所有、平等性智、彼岸に渡り切った菩薩の心身のあり方、一切の顛倒夢想を遠離した菩薩の境涯(五蘊の状態)
現象の三世に亘る全相貌、空無辺処定により生じる智、六神通の素、如実知見法、浄真如、諸法実相、非相、般若を世間法即涅槃と悟る為の方便、無所依、
無いに等しい事、零、無明をクリアするワイパー、理性と智慧の働きを促す引金、菩薩乗(菩薩の生き方)、左脳の初期化・右脳へのロック解除、究極的な物のあり方、
誤った認識を断つ力、滅諦の実性 法則、宇宙の最上位階層に位置する「情報」、一境性、無色定で感得する微細な意識、主客無分別な現量、妄分別・固定観念の破壊、
無執着、一切に囚われない心境、完全に執着を離した状態の実現、 心解脱、如来の智慧が遍在している処、
仏智による世界の直観的認識術、高度な透視能力、全てを見通す性質、煩悩の滅尽、寂滅、一心縁起、宇宙全体、仏がいる処、仏そのもの
等々 幾らでも出てきます。(また全て、ブッダの心にある、言葉で表現される以前の無分別な究極のシニフィエとしての真諦=仏教の真理に目覚めた人だけが
知っている実相を指します) >>394
釈迦が無分別智を説いたというのは、お前の主張なのに、お前がソースの提示を求めてるんだ?
所詮は事務員。議論のルールを知らないなあwww。
ソースを提示できないんだから、お前の主張は誤りと判断される。 >>394
釈迦が無分別智を説いたというのは、お前の主張なのに、お前がソースの提示を求めてるんだ?
所詮は事務員。議論のルールを知らないなあwww。
ソースを提示できないんだから、お前の主張は誤りと判断される。 >>395
だから、お前が引用した本をちゃんと読んで理解しろよ。
頭の悪過ぎるやつだあ。 >>395
だから、お前が引用した本をちゃんと読んで理解しろよ。
頭の悪過ぎるやつだあ。 南伝とは、タイやスリランカに伝わる分別説部(異説あり)な。 >>400
だから、パーリ経典のことだろ。
お前はなんでそんな理解力低いんだ? >>397
www
スッタニパータの該当部分を例示したから。
それについて反証がなければ、それが無分別智を説いてるという事で最終確定だなあ。 >>402
馬鹿野園は論破されたことを繰り返すだけになっちまったなあw。
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
そして、「釈迦」が無分別智を説いたというソースを求められてるのに、「龍樹」を持ち出すなよ。 >>401
www
ふーんw
南伝は複数のブッダを認めてるんだぁw
であれば、その部分に関わる大乗仏教の複数のブッダは否定しないんだねー
w >>404
アスペだなあ。
悟りを得た釈迦の弟子もブッダと呼ばれていたことは、お前が引用した本にも書かれているだろ。
お前はほんと頭悪いなあ。 >>404
アスペだなあ。
悟りを得た釈迦の弟子もブッダと呼ばれていたことは、お前が引用した本にも書かれているだろ。
お前はほんと頭悪いなあ。 >>403
ソースはスッタニパータって何十回も言わせるな、猿。 >>407
だから、お前が提示したのは妄想分別を否定したものだろ。
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
何度同じこと言われりゃ理解できるんだ? >>407
だから、お前が提示したのは妄想分別を否定したものだろ。
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
何度同じこと言われりゃ理解できるんだ? >>407
だから、お前が提示したのは妄想分別を否定したものだろ。
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
何度同じこと言われりゃ理解できるんだ? >>340
智慧は無知を破壊する手段です。
これは心が正しく準備されている場合
正しい生活を送っている場合のみ適切に機能します。
基本的に身につくと考えられているものは副産物です。
それを獲得するという考え、魅力を感じる傾向がある限り
それを獲得し、完成、自由になる自分というアイディアの支配下にあります。 >>405
あのさぁw
書いてあるにも関わらず、南伝ではブッダと阿羅漢を峻別し、時間的に平行関係にあるそれは認めてないだろ?
アホかw >>408
>だから、お前が提示したのは妄想分別を否定したものだろ。
否定の先に無分別智があるんだろ?
アホw >>412
馬鹿野園は小難しい言葉を使うことに知力をまわしてばかりで、まともな文章も書けないし、理解力も低いw。
> 時間的に平行関係にある「それ」は認めてない
の「それ」ってなんだよ?
他者のとの会話で「それ」を多用するのが頭の悪い証拠。 >>412
馬鹿野園は小難しい言葉を使うことに知力をまわしてばかりで、まともな文章も書けないし、理解力も低いw。
> 時間的に平行関係にある「それ」は認めてない
の「それ」ってなんだよ?
他者のとの会話で「それ」を多用するのが頭の悪い証拠。 >>413
で、
「釈迦」が無分別智を説いたというソースを提示しろよ。
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
これ何度目? >>413
で、
「釈迦」が無分別智を説いたというソースを提示しろよ。
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
これ何度目? >>413
馬鹿野園のレベルに落として説明しないと理解できねえか?
お前が提示したソースは「妄想」分別がいけないと言ってる。
しかし、「妄想」分別がいけないことと、無分別智を説くことは違うこと。
釈迦が無分別智を説いたというソースにはなってねえぞ。 虚妄分別の否定とは、対治として無分別智が設定されてる事の証左だろうに。
書いてないから説かれてないとか、余りにも程度か低すぎて話にはならないんだけど。 >>419
程度が低いのはお前だよ。まったく呆れるほど知能が低い。
「妄想」分別の否定 ≠ 分別の否定
むしろ、五蘊を説いているのだから、分別を肯定している。
釈迦が無分別智を説いたというソースになるはずがない。 我々は、存在という幻が消えるところまできめ細かく分析するのです。
物事をそのまま、全体的に、大乗が言うように「すべては」とか「一切は」などとまとめて説明することはしません。そんな大雑把でいい加減な説明は、始めからどうせ間違っていますから。
例えばテーラワーダ・ヴィバッジャワーダの人に「ご飯はおいしいですか?」と聞いても、答えません。まず分析してみないと分かりませんから。真理はそんなものです。
ご飯は東洋人には馴染んでいるからおいしく感じられ、西洋人にはやはりパンの方がおいしく感じられるとか、立場によってもころころ変わるものです。
大雑把に「ご飯はおいしい」などと言えないのです。
ご飯がおいしいと感じる人でも、いつでもおいしいと感じるわけでもありません。午後三時の疲れているときには、ご飯よりは甘いケーキの方がおいしく感じるでしょう。時期によってもその人の体調によっても、判断はころころ変わります。
いろいろ分析して考えると、何も確かには言えないのです。
真実を知るためには、分析するしか方法がありません。総体的に大雑把にまとめてみても、いい加減なだけで、何も分かりません。テーラワーダ仏教の特色は、本当に、とことん分析してみるということです。その特色だけは守りましょうということで、「Vibhajjavādī Bhagavā.世尊は分析論者だ」と言います。分析しないでまとめて、「すべては梵我一如」などと言えば、それは邪見・邪教です、と簡単に捨ててしまいます。
森羅万象の中で同じ一つのものはないかと探すのも、またちょっとした心の間違いです。もし真剣に調べて、分析して、同じ・不変の一つのものを探そうとしたら、見つかるのは「無常」ばかりです。あるいは今説明した、積集、相続、老性、無常性の四つの共通項目しか、最終的には見つかりません。
物質をどんなに探しても梵・ブラフマンも我・アートマンも、神も見つかりません。
スマナサーラ長老 >>415
ブッダだろw
つまりだ、原始経典で複数形のブッダが説かれてるという事は、後々大乗仏教で説かれてる諸仏の存在の根拠たり得るって話をしてるんですよ。 >>421
だから、龍樹の二諦の概念を持ち出して分かり易く説明したんだけどなぁ。
それでも分からないのか。
www >>422
ブラフマンって物質を探求して見つけられるものではないから
その方は勉強不足では? >>422
大乗も唯識が五位百法を説き、さらには極微までその考察を深めていって法空って結論付けてるんだけどなぁ。
スマ長老も駒大の院を出てるのなら、そのくらいご存知だと思うんだけど。 >>166
>諸々の汚れと執著のよりどころとを断ち、智に達した人は、母胎に赴くことがない。
>三種の想いと汚泥とを除き断って、妄想分別に赴かない、かれを〈すぐれた人〉と呼ぶ。
これいわゆる無分別智じゃないよね
無分別智(nirvikalpa-jJAna)というのは
「捉えるもの」(grAhaka)=「主体」
と
「捉えられるもの」(grAhya)=「客体」
のない智慧のことだから
>妄想分別に赴かない
ここで妄想分別と訳されてるのはkappa
https://accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/Sn_utf8.html#pts.099
注釈書:欲愛等の破壊するものが、「三種の想い」である。〔そしてさらに〕感官の喜びという名の「汚泥」を除いて、
〔三種の想いと汚泥を〕除いた〔者〕は渇愛・見解・思考のどれか一つ〔について〕でさえも「妄想分別に赴かない」。
(kAmAdibhedaJca saJJaM tividhaM. KAmaguNasaGkhAtaJca paGkaM panujja panuditvA taGhAdiTThikappAnaM aJJatarampi kappaM na eti)
まとめると:
無分別智にないのは二つ(能取と所取)
妄想分別を構成するのは三つ(渇愛・見解・思考)
結論:スッタニパータには無分別智は説かれていない >>421
>むしろ、五蘊を説いているのだから、分別を肯定している。
だからそれは、世俗諦を説かないと勝義諦が説かれ得ないからでしょ?
そしてその分別(世俗諦)は、勝義諦に於いて虚妄分別として否定されるものでしょ?
だから龍樹は言葉を引用したんですがね。 >>427
>妄想分別に赴かない
それ、無分別智を説いてるでしょ?
分別か無分別しかないのだからw >>429
パーリ仏典:
渇愛・見解・思考が「妄想分別」
大乗仏教:
能取(主体)と所取(客体)で物事を見ることが「分別」(その逆が無分別智) たぶんね、大山氏には「分別」=「主客に二分して考える」っていう先入観があるから理解できないんだと思うわ
分別(kalpa, kappa)って考えることだからね
無分別智は現代語訳すれば「考えない智慧」 パーリ仏典では渇愛・見解・思考について考えないことが良しとされる
大乗仏教では主客に二分して考えないことが良しとされる
前者と後者では「考えないこと」の内容が違う >>434
「考えない智慧」は道元禅師の言う「非思量底」に相当するでしょ
禅宗一般でいう「無」 435.理解していない、ことを言う。大爆笑である。 >>329
後得智というのは根本無分別智を得た後に得られる智慧
お釈迦様は分別智によって十二支縁起(十支縁起)を悟ったわけで根本無分別智は関係ないのでこの場合後得智を用いるのは不適切と思われる
経典によってバラツキがあるのは後得智によって十二支縁起が形成・加上された説よりも
単に口伝しているうちに増広・整備されて十二に数がまとまっただけと個人的には思っているが
実際がどうなのかはもちろん分からないし知らない >>333
>WそのいずれもWって、他にも諸説ありでしょw
その諸説は阿含経を根拠にしているの? >>433
前者は無我によって最終的に目撃者としての識別が終わるので
主客を超越すると思いますし
後者は主客を否定することで一元的且つ世界を否定するので
溺愛、見解、思考を却下できると思います。
どちらでも好きなほうをやればいいのでは? >>425
分別説部のスマナサラ信者のたわけたスパムだよ
駒大も昔は馬鹿が行くとこと差別されてたよ >>440
>前者は無我によって最終的に目撃者としての識別が終わるので
>主客を超越すると思いますし
最初から無我だから
悟ってなくても「目撃者」という補特伽羅(puggala)はそもそも存在しない
識(grAhaka)と境(grAhya)という構図は消えないよ 上座部系は法無我を主張しないからね
消えるのは無想定か滅尽定に入った時と涅槃に入った時だけ
初期仏教・部派仏教の教理に疎いのにむやみに大乗の萌芽がパーリ仏典に見られるとやるのは勉強不足じゃ
>主客を否定することで一元的且つ世界を否定するので
>溺愛、見解、思考を却下できると思います。
これはそうかもしれないけど
前者と後者では人無我と法無我についての考えに大きな違いがある >>441
およそ日本であれチベットであれ上座部であれブラフマンを肯定する仏教はないのでは?
中村元先生はもともとヴェーダーンタの研究者だからはっきり言ってバイアスかかりまくりだし
最近の研究では彼の仏教理解は批判されてるよ(cf. 宮崎哲也、佐々木閑『ごまかさない仏教』) スマナサラ信者であるのは確かなトンマべっちょ も
「釈迦は縁起を説いてません」と断言してたが、それは正しい。というのも
スッタニパータには全然説かれてないからだ
その点だけは可。 実際の話、ヴァイローチャナをブラフマン化させたのが華厳と密教の本尊だよ >>432
www
低次元の頭で適当な判断しないでねーw
無分別智は直観智でしょ?
分別を支縁起に求めれば、無明はともかく、識→名に求められるというのが自論ですから。 446.無分別智も直観智も存在しない。
西田哲学の勉強をせよ。 >>442
法無我は自由意志や行為者問題に繋がるので
確かに釈迦は説かないかもしれませんね。 >>438
>経典によってバラツキがあるのは後得智によって十二支縁起が形成・加上された説よりも
>単に口伝しているうちに増広・整備されて十二に数がまとまっただけと個人的には思っているが
であれば、貴殿の云う十二支縁起の思索の中での成道説は後退し、支縁起の思索の中での成道ってなるね。
さらには、十二支縁起がオリジナルという確証はない事にもなる。 >>423
悟りを得た釈迦の弟子もブッダと呼ばれていただけなのに、
それがどうして大乗に関係するんだ?
バカの妄想は意味不明。 >>424
まーた、それ。
「釈迦」が無分別智を説いたというソースを求められてるのに、「龍樹」を持ち出すなよ。
何度同じこと言われりゃ理解できるんだ? >>426
アビダルマぱくっただけでイキルなよ。
大乗はそんなことばっかりしてるなあ。 >>426
アビダルマぱくっただけでイキルなよ。
大乗はそんなことばっかりしてるなあ。 >>438
>単に口伝しているうちに増広・整備されて十二に数がまとまっただけと個人的には思っているが
つまり、口伝から編集された経典をもってオリジナルとは断定できないと。
まぁ、当たり前だけど。 >>428
世俗諦やら勝義諦やら、釈迦の教えを復元するのに、大乗を持ち出すなよ。
常識も知らないのか、このバカは。
>>429
妄想分別 ≠ 分別
お前はバカなことしか言わないなあ。
お前ほどのバカになると、己の愚かさを自覚できないのな。 >>445
横からだけど、ブラフマン的なところはあるけど、華厳も密教も基体を認めてはないよね。 大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の中論を持ち出すのは、頭の悪い証拠。
馬鹿野園は学術的常識を何も理解してない大馬鹿者である。 大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の中論を持ち出すのは、頭の悪い証拠。
馬鹿野園は学術的常識を何も理解してない大馬鹿者である。 要するに
十二支縁起というのは釈尊のさとりではなくて
後代の教義学者とかのつくった話であった
という事。常識でしょ >>451
www
あなた、本当に物分かりが悪いねぇ?
私は貴方の仏教便利帳じゃありませんよ?
オリジナルではそうであったと仮定されても、南伝はブッダと阿羅漢は峻別し、過去仏は除いて、お釈迦さま以外のブッダは認めなかったでしょ?
で、後に大乗思想が起きてきると、お釈迦さま以外のブッダを説くようになったでしょ?
その源流をブッダの複数形に見ようと云う事なんですよ。 >>459
はいはい、馬鹿は鸚鵡返ししてなさい。
もう何十回もスッタニパータの引用部分がそれに該当すると言ってるんです。
それに対して反証もないし。
この件は確定しました。 >>462
阿羅漢とか言い出したのは後になってからだ。
最初は釈迦以外もブッダと呼ばれていた。
そして、それはお前自身が引用した本に書かれているだろ。
馬鹿野園は頭悪過ぎる。 >>462
阿羅漢とか言い出したのは後になってからだ。
最初は釈迦以外もブッダと呼ばれていた。
そして、それはお前自身が引用した本に書かれているだろ。
馬鹿野園は頭悪過ぎる。 >>463
バカはこれだから。
大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の中論を持ち出すのは、頭の悪い証拠。
こんな当然ことすら、バカなお前には理解できないのだなあ。 >>463
これも捏造だな。
>もう何十回もスッタニパータの引用部分がそれに該当すると言ってるんです。
>それに対して反証もないし。
何度も反論してる。
「妄想」分別の否定 ≠ 分別の否定
むしろ、五蘊を説いているのだから、分別を肯定している。
釈迦が無分別智を説いたというソースになるはずがない。
大乗一派は嘘しか言わない。 >>463
これも捏造だな。
>もう何十回もスッタニパータの引用部分がそれに該当すると言ってるんです。
>それに対して反証もないし。
何度も反論してる。
「妄想」分別の否定 ≠ 分別の否定
むしろ、五蘊を説いているのだから、分別を肯定している。
釈迦が無分別智を説いたというソースになるはずがない。
大乗一派は嘘しか言わない。 >>167で「大乗仏教が、いわゆる釈迦仏教のオリジナルそのものでない事は、一切否定してない」と言ってるくせに
なんで、釈迦が無分別智を説いたとか言っちゃうんだろ?
言ってることが支離滅裂。
「シノニムって意味知ってる? 」とか反論してきたけど、
シノニムの意味を知らないのは自分だとそこは自覚できた様で、
その後、あれほどしつこく連呼していたシノニムは言わなくなったなw。 >>466
>>459
はいはい、馬鹿は鸚鵡返ししてなさい。
もう何十回もスッタニパータの引用部分がそれに該当すると言ってるんです。
それに対して反証もないし。
この件は確定しました。 >>466
>そのソースとして大乗の中論を持ち出すのは、頭の悪い証拠。
キチガイw
理解の一助として引用したった言ってるだろ?
壊れたなw >>462
>過去仏は除いて、お釈迦さま以外のブッダは認めなかったでしょ?
過去仏は除いてないし認めてたけど?
有名な四門出遊の例えは長部経典「大譬喩経」でヴィパッシン仏の話として語られてるんだけど
https://komyojikyozo.web.fc2.com/dnmv/dn14/dn14c00.html
「比丘たちよ、阿羅漢にして正等覚者たるヴィパッシン世尊として世に現れたその者、彼は今から九十一劫〔前〕に生まれました。」
(ito so, bhikkhave, ekanavutikappe yaM [ekanavuto kappo (syA. kaM. pI.)] vipassI bhagavA arahaM sammAsambuddho loke udapAdi. )
「比丘たちよ、かの阿羅漢にして正等覚者たるシキン世尊として世に現れたその者、彼は今から三十一劫〔前〕に生まれました。」
(ito so, bhikkhave, ekatiMse kappe [ekatiM sakappo (sI.) ekatiM so kappo (syA. kaM. pI.)] yaM sikhI bhagavA arahaM sammAsambuddho loke udapAdi).
「比丘たちよ、まさしく〔シキンと同じ〕その三十一劫〔前〕に、阿羅漢にして正等覚者たるヴェッサブー世尊が世に現れました。 」
(tasmiJJeva kho, bhikkhave, ekatiMse kappe vessabhU bhagavA arahaM sammAsambuddho loke udapAdi. )
「比丘たちよ、まさしくこの賢劫のうちに、阿羅漢にして正等覚者たるカクサンダ世尊が世に現れました。」
(imasmiJJeva [imasmiM (katthacI)] kho, bhikkhave, bhaddakappe kakusandho bhagavA arahaM sammAsambuddho loke udapAdi. )
「比丘たちよ、まさしくこの賢劫のうちに、阿羅漢にして正等覚者たるコーナーガマナ世尊が世に現れました。」
(imasmiJJeva kho, bhikkhave, bhaddakappe koNAgamano bhagavA arahaM sammAsambuddho loke udapAdi. )
「比丘たちよ、まさしくこの賢劫のうちに、阿羅漢にして正等覚者たるカッサパ世尊が世に現れました。」
(imasmiJJeva kho, bhikkhave, bhaddakappe kassapo bhagavA arahaM sammAsambuddho loke udapAdi. ) >>467
それも二諦の件で説明済w
精神病院二行きなさいw >>469
はいはい、大乗思想はオリジナルの延長線上にあるのよw
じゃなければ仏教じゃないからね。
だからそのくらい継ながりを説明してるのw >>470
論破されるといつもそうやって逃げるよなあ。 >>470
論破されるといつもそうやって逃げるよなあ。 >>471
同じことを何度言われても馬鹿野園が理解できないから繰り返してるんだ。
反省しとけ。
そして、まーた捏造。
何度も反論してる。
「妄想」分別の否定 ≠ 分別の否定
むしろ、五蘊を説いているのだから、分別を肯定している。
釈迦が無分別智を説いたというソースになるはずがない。
大乗一派は嘘しか言わない。 >>472
理解の一助??
まーた意味不明なこと言って逃げる。
論破されるといつもそうやって逃げるよなあ。 >>474
大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の主張を持ち出すのは、頭の悪い証拠。
同じことを何度言われても理解できない馬鹿野園。 >>473
過去仏を除いて、お釈迦様以外の仏陀は認めてなかった
は過去仏はお釈迦様以外の仏陀として認めていたの意味と思われ
ともかくその長部の経典も縁起成道説の経典の一つだね >>475
うんうん。釈迦の教えとは違うからなあ。
つまり、釈迦の教えにないことを主張するのが大乗。
馬鹿野園もようやく理解できたようだ。 >>462
「じつに比丘たちよ、庭園の地へ出発したヴィパッシン童子は、垂木の〔ごとく〕歪んで曲がり、杖に寄りかかって震えながら行く、病んで青年期を過ぎた老人を見ました。」
(addasA kho, bhikkhave, vipassI kumAro uyyAnabhUmiM niyyanto purisaM jiNNaM gopAnasivaGkaM bhoggaM [bhaggaM (syA.)]
daNDaparAyanaM pavedhamAnaM gacchantaM AturaM gatayobbanaM. )
「じつに比丘たちよ、庭園の地へ出発したヴィパッシン童子は、苦しみ、激しく病んだ、自分の糞尿にまみれて伏し、他の人々に起こされ、他の人々に寝かされる病人を見ました。」
(addasA kho, bhikkhave, vipassI kumAro uyyAnabhUmiM niyyanto purisaM AbAdhikaM dukkhitaM bALhagilAnaM sake muttakarIse
palipannaM semAnaM [sayamAnaM (syA. ka.)] aJJehi vuTThApiyamAnaM aJJehi saMvesiyamAnaM. )
「じつに比丘たちよ、庭園の地へ出発したヴィパッシン童子は、集められた多くの人々の身体を、また種々に染められた布で作られた駕籠を見ました。」
(addasA kho, bhikkhave, vipassI kumAro uyyAnabhUmiM niyyanto mahAjanakAyaM sannipatitaM nAnArattAnaJca dussAnaM vilAtaM kayiramAnaM. )
「じつに比丘たちよ、庭園の地へ出発したヴィパッシン童子は、剃髪して袈裟衣をまとった出家者を見ました。」
(addasA kho, bhikkhave, vipassI kumAro uyyAnabhUmiM niyyanto purisaM bhaNDuM pabbajitaM kAsAyavasanaM. ) >>473
日本語は分かりますか?
私は
>過去仏は除いて、お釈迦さま以外のブッダは認めなかったでしょ?
って書いてるんですが、これは W過去仏は認めてるW って意味の日本語なんですよ。 >>477
W南伝に於いてWって断りを入れて、それを前提に南伝との差異を視座に話をしてるのは理解出来ますか?
お猿さんw 馬鹿野園が自分で貼った
i.imgur.com/K3SFkhd.jpg
に、
仏弟子たちもブッダと呼ばれていた
と書かれているのに、馬鹿野園は何をごちゃごちゃ言い訳してるんだ? >>479
理解の一助って意味も分からないのですね?
教えましょうか? だから
>原始経典で複数形のブッダが説かれてるという事は、後々大乗仏教で説かれてる諸仏の存在の根拠たり得るって話をしてるんですよ。
というのは過去仏の話だね >>480
だから、理解出来ないのなら一助って言ってるでしょ?
理解の一助という意味が分からないのですね?
教えましょうか? >>488
なぜ仏滅後数百年に大乗仏教者として現れた人物の著作が「理解の一助」になると思うのか >>487
反論できないほど明確に論破されると、いつもそれだなww。 >>482
お猿さんは W延長線上W って言葉は分かるかな?
教えましょうか? >>490
大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の主張を持ち出すなよwww。
そんなものが理解の一助になると勘違いしてるのが馬鹿。 >>490
大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の主張を持ち出すなよwww。
そんなものが理解の一助になると勘違いしてるのが馬鹿。
>>491
ほんとこれ。
釈迦の教えの話をしてるのに、どうして釈迦の死後500年も経ってから創作されたものが参考になると勘違いしてるのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています