ここ数日変なボウフラみたいのが湧いてますね。
阿含宗のこと何も知らないで、他の大乗仏教のこと批判して、阿含宗だけ批判するのはおかしいとイチャモンを付ける。
いえいえ、このスレは他の大乗仏教なんかどうでもいいから阿含宗だけ批判していれば必要かつ十分ですよ。
また批判側が大乗仏教なんか取り立てて批判する必要もない。
阿含宗批判の中には、これまでの日本伝統宗派の悪弊がそのまま継承されたり、増長されたりする部分もありますが、
それら含めて阿含宗の批判をすればそれで足りるのです。
それがこのスレの趣旨なんだから、これがわからないボウフラ氏は低脳です。
ボウフラ氏は自分がスレで相手をしてもらえると、キャッキャキャッキャ喜んではしゃいでいるが、
こちらにはどうでもよい鬼ゴッコのみそっかすに過ぎません。
ところでこのボウフラ氏でない擁護側の一人であるペテン大作氏も残念なことにボウフラ氏と変わらぬ
ボウフラ的書き込みをしている。
阿含経を説いた以降の仏教とか、もう阿含宗を捨ててしまった。
阿含経の存在意義から離れたら阿含宗の建て前とする存在価値はなくなってしまうのです。
霊の話をするにしても、桐山さんは阿含経を読んでそれを修行して、死者の霊を成仏させる成仏法は阿含経にしかないと
提唱したのだから、今さら阿含経を無視、捨てて、単なる霊の一般論めいた
話をしても
それはボウフラ氏となんら変わらぬ低脳な話にしかなりません。
だから不思議に思うのだが、阿含経が霊に対して無記であることを知りつつも、自分としては
阿含経の仏教なんかどうでもいいから、霊の問題にこだわりたいと言うのならば、それは各自の自由だが、
ならば仏教も阿含宗も捨てて我が道を進めばよいものをそれをしようともしない。
なぜか阿含宗のサイドにいる。
まあボウフラならではの蚊になって深山さんの血を吸いたいのはわかるが、阿含宗批判スレでその働きをしたかったら、
阿含経の問題を無視しないことです。
無視したかったら阿含宗ごと捨てるしかない。