「色即是空」解釈の誤り4
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
心経は多様な解釈を許すところがありますが、
では市販本に書かれてるような解釈は 本当に正しいのでしょうか?
個人的には、ブッダの「世間は陽炎の如し」の ”世間”を五蘊(の一つである色蘊)と言い換えた
無常と無自性が融合したイメージを喚起する 出世間のことばと理解していましたが、
実は、空の意味として、他にⒶ無実体Ⓑ幻想・夢幻 等をはじめ、様々な表現が有り得ると判り、
又たとえば空をシンプルに 唯心と解釈したり、非我、人無我、法無我を表すとか、(一即)一切、全、自他平等無私の境地、虚空やエネルギー、時空の歪み、スーパーポジション、
(有無を超えた)妙有、中諦、凄まじい多面性のあるもの・貪欲や怒りを完全に鎮める方法、形而上的背景に支えられたもの、梵我一如、生死輪廻を超越する技法、
心の中心に具わっているゼロ点、真実在、理法、清浄、万物を包み込む母胎、無所有、浄化力、迷妄を消す方便、仏菩薩の内証の一側面、
現象の三世に亘る全相貌、空無辺処定により生じる智、無垢、透明化、妄執を滅する神通力を秘めたシニフィエ、一瞬で無明を消し去る力を有するキーワード、
三界の自在な往来法、六神通の素、如実知見法、浄真如、
無明のまよいをクリアするワイパー、誤解錯覚を覆し喝破し覚醒させる智慧の働き、理性を呼び覚ます内なる声、誤った認識を断つパワー、滅諦の実性、
法則、宇宙の最上位階層に位置する「情報」、思想、一境性、三昧境、無分別な把握法、無執着、一切に囚われない心境、完全に執着を離した状態の実現、
仏智による世界の直観的認識術、高度な透視能力、全てを見通す性質、煩悩の滅尽、寂滅、一心縁起、宇宙、仏がいる処、仏そのもの
等々 幾らでも出てきます。(また全て、ブッダの心にある、言葉で表現される以前の無分別な究極のシニフィエとして
の真諦=仏教の真理に目覚めた人だけが知っている実相を指します) >>850
サンスクリット語の空と無を調べてどっちがゼロかを俺に教えてみ >>851
シューニャ(サンスクリット語: शून्य, śūnya)は、śū (= śvA, śvi、成長・繁栄を意味する動詞)からつくられた śūna から発展し、「…を欠いていること」という意味である。また、「膨れ上がった」、「うつろな」を意味する。転じて、膨れ上がったものは中空であるの意味もあり、初期の仏典にもその意味で登場することがある。
シューニャはインドの数学における 0 (ゼロ)の名称でもある。
以上ウィキペディアより引用
空も無=0も同じ意味やんけ(´・ω・`) コマネチ
___ (´・ω・`)__
| ___ ___ |
| | | | | |
( つ\| | とノ
\ \ / /
ミ \ \ / /彡
/ \つとノ \
( く ,.ゝ )
\ \ / /
(____| |____) 「空」とは総和が零であるが、1−1にも∞ー∞にも成り得るもの
では? >>854
フム
それは斬新なアイデアやな(´・ω・`) >>854
真空では、ある瞬間に粒子と反粒子(もとの粒子と電荷などの正負が反対で、質量などのほかの性質が同じである粒子)のペアが生じて(対生成)、すぐに消える(対消滅)ということが、絶えず起きている
別冊ニュートンより(´・ω・`) 宇宙のエネルギーの総和はゼロですから
この宇宙自体、自発的対象性の破れから始まり
物質(色)とエネルギー(空)の間を行き来しながら
膨れ上がった「空」なんです。 あと真空にはヒッグス場が満たされている
素粒子はヒッグス場から「抵抗」を受けることで動きを遅くさせられる
抵抗を受けやすい素粒ほど動かしにくくなる
この動かしにくさが質量の正体
別冊ニュートンより(´・ω・`) >>857
俺もそれを気になって調べたんやけどな
宇宙のエネルギーの総和が0になるというソースが出てこんねん
困った(´・ω・`) 人間が死ぬと、その肉体は自然現象のなかに解消していくがが、不死なるアートマンはそこから抜け出て、あたかも草の葉の先端に達した青虫が次の葉に移っていくように、次の肉体へと移っていく。
(「ブ リハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド」4:4:2)
これは神がこの世を作ったと同じような迷信だな >>859
以下の文言で検索してみてください
宇宙の全ての重力の位置エネルギーを合計するとマイナスになるため、
宇宙に存在する物質の質量とあわせれば、宇宙の全エネルギーはゼロになる
万有引力による位置エネルギーがマイナスになる理由が分かる! >>863
質量とエネルギーの等価性は「宇宙に始まりがあるのなら、どうやって無から有が生じたのか?」という、ある意味哲学的な問題にも、ひとつの解答を与える事となった。
宇宙の全ての重力の位置エネルギーを合計するとマイナスになるため、宇宙に存在する物質の質量とあわせれば、宇宙の全エネルギーはゼロになるというのが、解答である
以上ウィキペディアより引用
うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!
これや!!!!ワシの探し求めてた答えは!
アインシュタイン、すげえええええ
サンキュー(´・ω・`) >>852
さよか?
ほな 無我を表すサンスクリット語をちょっと調べて其処に空が含まれてるかどうかを教えてくれ >>861
エネルギー不滅の法則で説明がつくだろ?
生命を形作るエネルギーそのものは滅びない訳だから死後他の物質と結びつく事は容易に想像出来る >>866
無我 Anattā(アナッター)は、パーリ語で an (否定の接頭辞) + attā (アートマン)を意味する
ウィキペディアより引用
アートマンの否定なんやから基体そのものの否定
つまり完全なる無=0=空のことと解釈できるわな(´・ω・`) >>868
サンスクリット語は知らん
わしゃ知らん
任せた(´・ω・`) 医療大麻CBDオイルユーザーレビュー特集
・味は、�Sーヤーの苦味+雨の時の森の匂いみたいな感じで、想像より苦かったが嫌ではないです�Rーヒー飲みすぎる時に使うと早く落ち着けました
大麻が買える?え?医療大麻?
買ってる人が沢山います
レビューだらけの医療大麻CBDオイルユーザーレビュー特集↓
http://v.cafeblog.jp/archives/6406884.html
仏教の国タイでも既に医療で使われてます >>868
シューニャ入ってないから数の内に入ってないよな それ? >>869
無我は我の否定形でゼロを表すもんやないねん 笑 >>867
エントロピー増大の法則により人を形作るエネルギーも自然現象の中に解消していくので次の肉体へ移るとしてもそのまま移るわけではないよ
次の一つの肉体へ移るエネルギーはあったとしてもごく一部だよ
アートマンの喩えとして出てきた青虫が草から草へと姿を保ったまま移動するのとはわけが違うね >>871
おいおい、普通、物事の存在を否定するときに「0」って付けるか?
「リンゴはミカンではない」
「リンゴはミカンの要素が0である」
どっちが自然だよ(´・ω・`)? >>872
「リンゴはミカンではない」
この意味は
「リンゴはミカンの要素が0である」
だろ(´・ω・`)? 確かに釈迦は一切知者を自称したけどあくまでインド哲学としての真理を極めインド哲学において一切知者になったのであって
物理学とか量子力学はおろか天文気象学、地学、数学などで釈迦の時代にその概念すらなかったものについてまで知者であったわけではないんだよね >>876
いいえ、それは甚だしく違うと思います
物理学、量子力学、気象学、天文学、地学、建築工学、航空力学・・・・
それら科学が基礎としてるのは釈尊の数学的な悟りである「無=0」を土台にしてます
ちなみに数学は科学ではありません
数学は数学者の脳内妄想、つまり形而上学です
数学は宗教と同じです
釈尊の悟りとは、形而下学の科学と宗教を止揚させたものです(´・ω・`) >>873
寧ろエネルギーの状態を保ったままで滞留する方が稀
でないと人口増加の説明が付かないから >>874
空はゼロ 無はゼロすらも無い完全断滅と位置付けたら違いが判るやろ?
釈迦と同時代のギリシャの哲学者質が無はそれ自体が存在しないと気付いたのに釈迦が気付かん訳がない
無は無無で打ち消されてしまう訳やけど無空とも有空とも言わんよな?
従って無と空の同一視は成り立たんっちゅう訳や >>875
リンゴもミカンもそれを表す言語も存在しない
けれど識別はされる→空 識別さえも存在しない→無
従って識別の中に無は確認出来ない >>879
おいおい、ちょっと待て
無という無いもんが、どーやって無いもんと打ち消しあえるんだ?
もともと無いもんだろ(´・ω・`)
>>880
おいおい、ちょっと待て
リンゴとミカンは、言語そのものだろ
リンゴの要素は素粒子だろ
素粒子は大きさ0だろ
つまり素粒子の要素は「無」やん
ミカンも同様(´・ω・`) >>881
> >>879
> おいおい、ちょっと待て
>
> 無という無いもんが、どーやって無いもんと打ち消しあえるんだ?
>
> もともと無いもんだろ(´・ω・`)
その元々無いを誰も確認出来ない訳やから我々の識別に於ける「無は無い」となる訳や
> >>880
> おいおい、ちょっと待て
>
> リンゴとミカンは、言語そのものだろ
>
> リンゴの要素は素粒子だろ
>
> 素粒子は大きさ0だろ
>
> つまり素粒子の要素は「無」やん
>
> ミカンも同様(´・ω・`) >>881
> >>879
> おいおい、ちょっと待て
>
> 無という無いもんが、どーやって無いもんと打ち消しあえるんだ?
>
> もともと無いもんだろ(´・ω・`)
元々無いもんを確認出来ないから「無は無い」となる訳や
> >>880
> おいおい、ちょっと待て
>
> リンゴとミカンは、言語そのものだろ
>
> リンゴの要素は素粒子だろ
>
> 素粒子は大きさ0だろ
>
> つまり素粒子の要素は「無」やん
>
> ミカンも同様(´・ω・`)
クォークには大きさあるみたいやから無は我々の識別では確認出来んて
https://www.gw.hep.osaka-cu.ac.jp/vuniv/2004-physics/lecture1.html
原子核を構成する陽子や中性子は、クォークとよばれるものでできていますが、これらは今のところさらに小さい構造が みつかっておらず、すなわち「点状」とみなされています。
究極的な微細スケールとして、基本的な物理定数を組み合わせてプランク長さというものが考えられますが、これは1.6×10(-35) mです >>882
無いもんは確認できんのは当たり前やん(´・ω・`)
>>883
大きさの無い点って「0」点であり、存在しないという意味やん(´・ω・`) >>833
う〜ん、たいへんまじめな修行者なのですねー。。
確か在家の方ですよね?
よくそんなにお経を読む時間がありますね。。w
普通に働いている方、ではないのでしょうか?w
身心脱落とか没我とか、あまり拘らない方が楽になると思いますよ。。
僕は、休みにならないと、基本坐る時間とかあまりないですし、坐りません。。w
でも、別にそれで困ることはないですね。 >>885
クロちゃ〜ん、相手してー(´・ω・`)ニャー >>886
猫に仏性ありやなしや?
答えねば斬る! >>887
絶対に有るであります!!!
断言するであります!!!(´・ω・`)ゞ >>891
「ムー」のみが唯一の真実在
「ムー」以外はすべて虚妄
「ムー」こそがアートマン
仏性とはアートマンそのものである(´・ω・`) >>835
そのアートマンですが、
アートマンとはこのようなものである。それはこの私の心臓の内部にある。それは、米粒、麦粒、芥子(けし)粒、黍(きび)粒、そして、黍粒の核よりもさらに小さく・・・、大地、天空、そして、これら諸世界よりも大きい。
(シャーンディリヤ)
アートマンとは認識から成り、諸機能の中に在って、心臓の内部において光明を発するこの人我(プルシャ)である。
(ヤージニャヴァルキヤ)
シャーンディリヤは仏教でいう色法的な性質も有するものとしてアートマンをとらえているようですが、そのサイズについては心臓の内部にあって黍粒の核よりも更に小さく、しかもブラフマンでもあるためか天空よりも大きいとして具体的に掴めませんw
一方、ヤージニャヴァルキヤのアートマンの方は認識ですから仏教でいう受想行識に当たりそうですが、やはり心臓の内部にあり光明を発している、と。
2人のウパニシャッド哲学者のアートマンはCT検査でも人体解剖でも見つかったという話はないですから、少なくともその相については空想の産物ということになりそうです。
あと、釈尊は無我としてキッパリと我は完全に無いとしている、はネタで書かれたのかもしれませんが、
ブッタはアートマンは無いと断定的に言ってはいませんので(もちろん有るとも言ってない)、念のため。 >>892
なんか観念的、というか、言葉の遊び的と言うか…w >>885
こんばんは。
働いている人が夕食を終えて自由になる時間が夜の8時からだとして、それから2時間をテレビを観ることに費やす人がいる傍らで、
私は家族の相手をしたり、線香が燃えている20〜30分の間に読経をしたり、楽器の練習をしたり、こうしてネットをしたりしているわけですよ(^。^)
聞いた話ですと、線香が燃えている20〜30分が『修証義』の第一章〜第五章を通して読経するのに適した長さだそうですが、
私は読むのが速いようで、その時間に三帰礼文、懺悔文、三帰戒文、摩訶般若波羅密多心経(般若心経)、修証義、観音経普門品偈、舎利礼文、回向、四弘誓願文、全て読めてしまいますw
いや、全く褒められたことではありませんが、、。
さて、それらのお経の中には脱落も没我もその語句は全く出てこないですよ、ただ読んでると自然と雑念に対して客観的になっていくということです。
料理も楽曲もそうですね。
また、陶芸家曰く「邪念が入ると陶器が曲がりますよ」とのことで、自分の経験から然もありなんと理解できた気がしました。
坐禅は以前はしてたんですけど、最近は全くサボり気味ですね(^_^;)
一応坐布まで買って、していた時は毎日10分以上はしてたんですけどね。
そうか、こうして5ちゃんねるをする時間があるのだったら坐禅すればいいんですね(笑)。 >>893
数学の図形の「点」の定義ってあるじゃん
点は位置は存在するけど大きさは0
「・」←これは点と言うけど大きさが0じゃ無いから数学的には大間違いやろ?
つまり点はあくまでも数学者の脳内妄想で実在はしない
アートマンも同じやん
心臓の「位置」にあるけど大きさが0なんだから絶対に見つかる訳が無い
しかし点の集合が人間を世界を宇宙を作っているように、アートマンが依り集まって人間を世界を宇宙を作っている
数学の点もアートマンも大きさが0で実在しないのに、現実は点・アートマンが依り集まってこの存在、実存を作ってる
釈尊の無我とは、あくまでも大きさ0のアートマンだから絶対に捉えられないと言ってるだけ
悟りとは、アートマンを捉えることに他ならないでしょ
つまり存在しない大きさ0=無を捉えることが悟りそのものですよね(´・ω・`)? >>894
あのう・・・・
そーゆーこと言われると元の子も無くね?
返す言葉すら見つからんのやけど(´・ω・`)=3 >>895
テレビを見てても、坐禅をしてても、読経をしてても同じじゃないでしょうか?w
同じにならなけりゃいけないと思いますよ。。w
雑念なんてものは、生じないし、滅しないし、観察することもホントはできませんよ。。w
5ちゃんの時間を坐禅に回すより、読経の時間を回した方がいいような気がします。。w
10分はちょっと短いかな〜?w >>897
だから、もともと、仏性なんてものが、観念に過ぎない、と気づかせるための公案なんでないのか? >>899
ちょっと、待て
仏性が観念であるとする根拠は?
仏性こそが真実在するモノだとしたら?
つまり存在しないアートマンこそが真に実在するもの
我々が認識してる猫だの車だの世界だの宇宙だのは、すべて「観念」であり虚妄とも言えるやん?
ドヤ?(`・ω・´) >>895
あー、それから、曹洞宗の方なら、宝鏡三昧、参同契を読んだ方がいいのではないでしょうか?
僕は、黙読ですが、時々読み返します。。
事を執するも元これ迷い、理に契うも亦悟りにあらず。。 >>900
人間には、真実在があるかどうかはわからんだろ。。
眼に見えるものが、ホントにあるのかどうかわからんわけだから。。
でも、頭の中にある観念が、外の世界にない、ということはわかるんじゃないのか?
仏性なんてあるなら、出してみろ!w >>902
おー!やったろーやんけ!
野良猫1匹捕まえて来いや
そして猫をバラバラに切り刻んで「猫」の実存を実在たらしめる基体を見つけてみろや
・・・・あくまでも思考実験やぞ?
そんなもん「無い」よなー?
この「無い」がアートマンそのものであり、仏性やないかい!(`・ω・´) >>903
そう言う基体とか中心がない、ということは、仏性とかアートマンじゃなくて、無我、ということじゃないの? >>904
アートマンとは我のこと
アートマンは無い
これが無我だろーが
言葉遊びしてるのは、クロちゃんじゃん(´・ω・`)? >>905
アートマンは、けっきょく有るのか無いのか?w >>906
説明しただろ
点は大きさが無いけど位置はある
アートマンも大きさが無いけど位置がある
「点」は無いけど有るだろ?
アートマンも無いけど有るだろ?
つまり仏性は真に実在します
仏性以外は実在しません(´・ω・`) >>884
> >>882
> 無いもんは確認できんのは当たり前やん(´・ω・`)
科学では確認出来ないものは存在しないものとして扱うのは常識やん?
つまり確認出来ない事を以て無は存在しないとなる訳や
> >>883
> 大きさの無い点って「0」点であり、存在しないという意味やん(´・ω・`)
0はあくまでも±0という基準に過ぎん >>908
仏教の「無」に科学が追いついてないだけやん(´・ω・`) てゆーか、とっくに科学は仏教に追いついてると言えなくね?
「点」である素粒子を「アートマン:仏性」と定義すればいいだけ
腐れ外道の物理学者のプライドが許さんやろうけど(´・ω・`)笑 >色即是空とは、ブッダが何をさとったか、その一つの側面を説くことばのように思えます。
つまり物体の本性を知る最高の智慧なんです。
一例を挙げますと、たとえば凡夫が異性に魅力を感じるのは、まず何といっても「形」=色だと思います。
生物学的に誘因因子とか言ってフェロモンとか説明する方もいますが実はそれも広い意味で心経で説かれる内容に含まれています。
人が形に幻を見、惑わされる卑近な例として、冬でも水着姿の女子の写真を表紙に印刷した出版物が飛ぶように売れたり、
また女子も年頃になると御金をはたいて衣料や化粧で魅力的に化けることを工夫し始めることでも判り、
確かにそれらは時代的文化的経済的社会生物学的に仕組まれた罠ともいえ幻想なのだと智慧ある者は気付き、
執着するに値せぬものだとわかったのです。修行の妨げとなるだけでなく、そもそも人生における苦の最大原因であるかもしれないと。
勿論、幸福な状態にある在家信者にそんなことを言っても理解しませんが、しかし誰しも生老病死苦はあるものです。 >>911
無記とは、仏性そのものやん
無いもんは記せないんだから(´・ω・`)
>>912
「素粒子は仏性では無い」(´・ω・`) 形あるものは何かの犠牲の上に存立しているものである→何ものも孤立した物は無い
依他起性(縁起によって生じている相)
円成実性(主客の実在視をはなれた真実のすがた) すべての形あるもの(五蘊・諸法)は何ものかからつくられたものである
必ず元がある その物自体として最初からあった訳ではない
(と認識する主体=真我は、つくられたものでない)
他によって生じる我ならざるもの 色即是空の反対語
我即是梵(
(実相を照見・認識する主体=真我は、つくられたものでない) 空を「名前がつけられたに過ぎぬもの」と解釈した時、
仏教における名とは人間の心理的な要素を表す言葉だったので
色即是空は
物質的なもの は精神的なものに支えられて存在している
空即是色は
心理的な要因から物理的結果が生み出される といった風にも言えるかな、と。 「古代の創造神話や伝説に共通しているのは、
この物質世界が
或る精神的な中心から作られたという事で、
物質的なものは最後には再び精神的な世界に帰ってゆく」
これはヴェーダの世界観で
科学者たちが「精神が物質を作った」と語っています
https://www.youtube.com/watch?v=1t3R9OvlIgI&feature=youtu.be&t=5095
https://www.youtube.com/watch?v=1t3R9OvlIgI&feature=youtu.be&t=3812
https://www.youtube.com/watch?v=1t3R9OvlIgI&feature=youtu.be&t=1128 改竄した馬鹿のせいでばかばかしいスレになってしまったな。 経典捏造する大乗カルトは恥を知れ。
嘘をつくことを釈迦は禁じた。
経典改竄したカルトは外道。 ニカーヤにも見るからにわざとらしい
インチキくさいのが
沢山ありますよ
w >>926
で?
大乗が創作した経典であることは明白なんだが。
ニカーヤを批判するくせに、明らかな捏造経典を擁護。
それが大乗カルトwww。 大乗カルトは
阿含経を贋作だと批判しつつ
幸福の科学の経典をマンセーしちゃってる印象www。 アメリカ人というのは 心理的なものをトリガーとして
良くも悪くも(たとえそれがフェイクであったとしても)実現さえてしまう性質があって
例をあげるときりがないけど ノースウッズ作戦 → 911
これも名→色 空→色の例 >>928
幸福の科学の経典をマンセー って誰?
興味あるな
ww >>930
大乗カルトの連中のことだよ。
釈迦が死んでから5世紀くらい経過してから創作された経典なんて
幸福の科学の経典と同レベルだろwww。 大乗カルト「幸福の科学は創作経典」
幸福の科学「お前らに言われる筋合いはない」
大乗カルト「え?」幸福の科学「お前らに言われる筋合いはない」
幸福の科学「いや、お前らの経典も創作じゃん」
大乗カルト「あ、いや…」
幸福の科学「お前らに言われる筋合いはねえわ〜」
大乗カルト「はい…」 経典? んなのあんの? 新興宗教・真如苑 vol.125 のスレ主は幸福の科学らしい(一説には創価、また反社会的勢力という人も)
カルトを操ってるのはカクバンという悪魔だとか言うのは大川だけw
だがそんな大した団体じゃないし高野山とは無関係だ、どうせ言うなら
真言立川流だろ >>933
黄金の法は世界創造について語ってるんだから経典だろ。
大乗の創作物を経典と呼ぶなら黄金の法は当然経典。 そんなの知らんし
経典とは認められませんw
いやに詳しいねフツーの人はそんなの
知らんよ >>935
お前勝手に妄想しててキモイなあ。
んで、
大乗カルト「黄金の法が経典とは認められませんw 」
幸福の科学「お前らの経典と変わらんだろ」
大乗カルト「え?」
幸福の科学「いや、お前らの創作経典と何が違うんだ?」
大乗カルト「あ、いや…」
幸福の科学「お前らに言われる筋合いはねえわ〜」
大乗カルト「はい…」
で、何が違うの?
wwwwww GLAのパクリだというのは知ってるよ
また科学者たちは幸福大川の信者じゃないし
そうはならない。ダライラマならまだしもカルトは馬鹿げてる
同感だ >>937
大乗は仏教のパクリ。
ヒンズーから呪文や神様やらを取り込むのは交付の課科学の手口。 ヒンズーから呪文や神様やらを取り込むのは幸福の科学と同じ手口。 マントラとか言っちゃうのはヒンズーの思想。
マントラと言い出す外道は仏教にあらず。 ウィレンケンという物理学者は「無」についてユニークな説を唱えてましたよ >>896
なるほど、ですね。
アートマンの大きさは取り敢えず置いといて(シャーンディリヤとヤージュナヴァルキヤ以外にも個々の哲人によってアートマンの大きさ含む定義が違ってそうですし)、ゼロの力学的な作用に着目してみると、
有名なゼノンのパラドックスから
「飛んでいる矢は止まっている。」
なぜなら,時間の一瞬には,矢は位置を変えない。
時間が一瞬の集まりなら,どの一瞬にも静止している矢は,その時間全体においても静止しているからである。
従って,飛んでいる矢は止まっている。
このパラドックスをもっともシンプルかつ古典的に論破するなら、「時間が一瞬の集まりなら」が間違えで、一瞬(瞬間)はゼロですからゼロをいくら集めて足してもゼロであり、従って「時間が一瞬の集まりなら」という前提が間違っているということになります。
つまり、ゼロをいくら集めてもゼロはゼロであるので、集まっても三次元に時間軸を加えた四次元で影響することはないはずです。
が、量子力学となると別ですかね。
素粒子論で現在有力視されている点粒子の仮説が正しければゼロ次元(点)から質量を持った物質が誕生するということになりますかね。
あなたのレスも点粒子を前提としたものかなと思っていますが。
ちなみに説一切有部の極微はこれ以上分割できない最小単位と定義されていますから、大きさを持たないゼロ次元(点)であるとされていたと思いました。
奇しくもその部分では点粒子に似ていますね。 >>946
納得していただき光栄です
私は今、これ以上のことは言えません
まだまだ精進中です
何かあれば、また突っ込みお願いします(´・ω・`) >>898
こんばんは。
「行住坐臥全てが坐禅」の中にあるいはテレビを入れても良いのかもしれませんが、私にとっては、テレビはつまらない番組が多いのであまり見ない、ただそれだけなのでした。
>雑念なんてものは、生じないし、滅しないし、観察することもホントはできませんよ。。w
それには観自在菩薩のように深淵なる般若波羅蜜を完成させて五蘊皆空と照見して一切の苦厄を度して悟りの世界に入らないと、ですねw
凡夫にとっては、雑念のような苦(思い通りにならないもの)は
一 苦しみは<(苦しみ)自らによってつくられたものである>(自作・じさ)、<他によってつくられたものである>(他作・たさ) 、<両者によってつくられたものである>(共作・ぐうさ)、 <無因である>(無因作)と、ある人々は【それぞれ】主張する。しかるにそ【の苦しみ】は結果として成立するというのは正しくない。
(「中論」第一二章 苦しみの考察)
これは相応部経典12、17でブッダが説いたことを中論でまた論じているわけですが、私も苦は因つまり縁起によって生じるもので、勝手に湧き上がってくる雑念も何かの因があって生じているものと思っています。
法然
「経典にはさまざまな教えが説かれているが、詮ずるところ、戒・定・慧の三つの修行法に集約される。小乗と大乗、顕教と密教、それぞれにこの三つの修行方法がある。
ところが私自身は、戒(不殺、不盗などの仏教の戒め)に関しては一つの戒すら守ることができない。定(精神集中の修行)についても一つも体得できなかった。
ある高僧が言うには、「戒(インドの言葉でシーラ)が清らかに守られていないと、心の集中状態は現れてこない」とのことだ。
また私たち凡夫の心は、ものごとに引きずられて移ろいやすい。それはまるで、猿が枝から枝へと動いているようなもの。まことに散乱して落ち着きが無く、一処に静まりがたい。
このような状態で、煩悩に汚れぬ正しい智慧が、どうして起こり得るだろうか。
もし汚れなき智慧の剣がなければ、どうして悪業や煩悩の絆を断つことが叶おうか。悪業煩悩の絆を断たずして、どうして迷い苦しみの輪廻世界から解脱することができようか。
ああ、まことに悲しき哉、一体どうしたらよいのだろうか。」
比叡山一の智慧者と言われた法然をしてこうですからね。
もっとも私はそこまで自身を追い込んだりは全くしていませんので、「ああ、まことに悲しき哉、一体どうしたらよいのだろうか。」とまではならないですけどね。所詮は一在家ですから…。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。