>>408
名字をつけないことによって実体視を避け執着を手放すのが般若波羅蜜、そしてそれこそが無分別智による、名を付ければ悟りであり涅槃であり、それはこの世界で実現される、ということですね。
http://s.kota2.net/1593524078.jpg

道元は更に進んでいて?、悟り・涅槃を実体視して追い求めることなく、悟りの世界・涅槃であるこの世界(生死)に身心を脱落させる、というのは分かる気がしますが・・

正法眼蔵の生死の

生死の中に佛あれば、生死なし。またいはく、生死の中に佛なければ、生死にまどはず。(略)
生死をはなれんとおもはむ人、まさにこの旨 をあきらむべしもし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひおもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。

やはりここは今ひとつピンときませんw

生死の中に佛なければ、生死にまどはず。
→生死の中に佛がなければ生死に惑うことがない

生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひおもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。
→生死の中以外に佛を求めれば生死に惑う

結局、生死の中に佛がなければ惑わないのか、生死の中に佛があれば(佛を求めれば)惑わないのか、今の自分にはまだ理解できていません・・

「またいはく、生死の中に佛なければ、生死にまどう。」になっていたら全体がすんなりと理解できるような気がするんですけどね(苦笑