>>325

無住居涅槃というのはおそらく涅槃を外側ではなく内面に見つけた状態の事だと思います

即身成仏思想に連なる活きた仏を体現させようという偉大な試みだったのでしょう

https://blog.goo.ne.jp/smgrh1992/e/2b02a556e0a8decba14d50f6800a1eb1

 しかし、大乗以前の仏教の修行者たちは、肉体があるかぎり性欲や食欲といった欲望はなくならない、欲望を完全になくするには肉体そのものがなくなるほかない、と考えたようです。
 そういう肉体がなくなり欲望もなくなった状態のことを、「無余依涅槃(むよえねはん)」といいます。
 「依りどころである余計な肉体が無くなって煩悩の炎が完全に消えてしまった状態」というふうな意味でしょう。
 それに対して大乗仏教の人々は、そういう考え方は自分ひとりが苦しみの生存の世界から逃れようというちっぽけな考え方、自分しか乗れない小さな乗り物だ、として批判をしました。
 確かに体がなくなれば煩悩もなくなり、自分は楽になるかもしれませんが、煩悩に苦しんでいる他の人々を救うことはできません。

 他の生きているもの=衆生とおなじ体があって初めて、慈悲・救いの実践をすることができます。
 「この体があるままで完全な涅槃に入れる」というのが大乗仏教の特徴的な教えです。
 私たちの体・生命そのものが、煩悩と迷いの生存の主体であることから解放されて、覚りと慈悲の主体に変容することが可能だ、というのです。