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「色即是空」解釈の誤り4

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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/24(水) 00:16:27.94ID:hRAxnRhW
心経は多様な解釈を許すところがありますが、
では市販本に書かれてるような解釈は 本当に正しいのでしょうか?

個人的には、ブッダの「世間は陽炎の如し」の ”世間”を五蘊(の一つである色蘊)と言い換えた
無常と無自性が融合したイメージを喚起する 出世間のことばと理解していましたが、
実は、空の意味として、他にⒶ無実体Ⓑ幻想・夢幻 等をはじめ、様々な表現が有り得ると判り、
又たとえば空をシンプルに 唯心と解釈したり、非我、人無我、法無我を表すとか、(一即)一切、全、自他平等無私の境地、虚空やエネルギー、時空の歪み、スーパーポジション、
(有無を超えた)妙有、中諦、凄まじい多面性のあるもの・貪欲や怒りを完全に鎮める方法、形而上的背景に支えられたもの、梵我一如、生死輪廻を超越する技法、
心の中心に具わっているゼロ点、真実在、理法、清浄、万物を包み込む母胎、無所有、浄化力、迷妄を消す方便、仏菩薩の内証の一側面、
現象の三世に亘る全相貌、空無辺処定により生じる智、無垢、透明化、妄執を滅する神通力を秘めたシニフィエ、一瞬で無明を消し去る力を有するキーワード、
三界の自在な往来法、六神通の素、如実知見法、浄真如、
無明のまよいをクリアするワイパー、誤解錯覚を覆し喝破し覚醒させる智慧の働き、理性を呼び覚ます内なる声、誤った認識を断つパワー、滅諦の実性、
法則、宇宙の最上位階層に位置する「情報」、思想、一境性、三昧境、無分別な把握法、無執着、一切に囚われない心境、完全に執着を離した状態の実現、
仏智による世界の直観的認識術、高度な透視能力、全てを見通す性質、煩悩の滅尽、寂滅、一心縁起、宇宙、仏がいる処、仏そのもの
 等々  幾らでも出てきます。(また全て、ブッダの心にある、言葉で表現される以前の無分別な究極のシニフィエとして
の真諦=仏教の真理に目覚めた人だけが知っている実相を指します)
0348神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 10:10:12.27ID:O14HbNSX
心経は、「五蘊皆空 度一切苦厄」というわけだが、そもそも五蘊が空で、苦も存在しないというならば、度一切苦厄という言い方は変であろう。存在しない苦厄から涅槃へ渡ったというのか?
0349神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 10:11:38.21ID:r4knv2md
>>348

ま、解らない関心がないのだから、無理するな笑。
0351神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 10:29:25.05ID:79B/p0VV
wikiにも変な解釈が時々載ってるが、五蘊盛苦については、まあ合格点あげましょう
ただソースに不完全な解釈や文章が紛れ込んでる場合も多く、変な見解が書かれてる可能性があるなら示しずらいね。
>日本仏教においては五蘊盛苦を漢訳の訳語から解説する場合が多いが、
漢訳の五蘊盛苦では「ウパーダーナ」、つまり「執着する」という意味が入っておらず、原文のニュアンスが伝わりにくい訳となっている。
0352エロ和尚改め11 ◆prhou1KALY
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2020/06/30(火) 10:33:58.15ID:y5dvX963
>>347
>>アナートマンと輪廻の折り合いをつけたのは、一つには犢子部 を参照

輪廻の主体として人格的主体 (補特伽羅) を想定

・・・・って、アートマンを認めているような感じですが?


犢子部
https://kotobank.jp/word/%E7%8A%A2%E5%AD%90%E9%83%A8-104730
この派の特徴は,輪廻の主体として人格的主体 (補特伽羅) を想定したことである。
0353神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 10:34:30.39ID:79B/p0VV
つまり五蘊皆空とは五蘊盛苦をクリアして涅槃に導くもの
という正解に至りましたね。おめでとうございます。
0354神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 10:39:13.28ID:79B/p0VV
そこでアートマンという言葉を出すから話が変になる。誰が教えたんです?
本来のアートマンは
梵我一如とかそっちの話
自性
0355神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 10:45:01.74ID:79B/p0VV
不完全な漢訳を基にした解釈は全て間違い。
デララメな英語訳に執着して、しかも変わったこと書けば本が売れるとかの
悪い輩のもインチキ
0356神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 11:08:27.33ID:79B/p0VV
wikiなんて誰でも書けるんだよ
カルトが工作して改ざんした例も知ってるが
まだまだ議論半ばの項目が
多いね
0357エロ和尚改め11 ◆prhou1KALY
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2020/06/30(火) 11:09:47.60ID:y5dvX963
>>353-355
あなたの書き込みよりも、
「悪い輩のもインチキ」の本の方が、不思議な魅力があります。

思考回路にかなりの隔たりがあるようなので、あなたからは、逃げます。
0359鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF
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2020/06/30(火) 12:25:50.98ID:aVsZxTHG
対象物そのものに成り切れば、そこに構築される我は無いから新たな業を作る事はない。
その理屈で、輪廻そのものに成り切れば輪廻から解脱するって理屈でしょ。

また、煩悩と菩提は不二、この不二は空のシノニムなんだけど、どちらも空性であるから不二って事でしょ。
或いは、如来蔵縁起でも法界縁起でも、全てはその真如の顕れという視座において、煩悩も菩提も相即って意味でしょ。
0360鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF
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2020/06/30(火) 12:31:57.13ID:aVsZxTHG
>>336
家出の理由は不明です。

一説には国が滅ぼされるのを予見していたからというのもあるようです。
0362神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 12:36:32.94ID:79B/p0VV
日々是好日さん2019/9/1321:35:53
何が輪廻転生するかといえば、魂ということになろうかと思います。
ただ、おそらく魂の中心部たるアートマンについては、大宇宙大生命と一体化したものであり、輪廻転生をしないと言えるのではないかと思います。
なぜなら、おそらく、アートマンは輪廻を超越し、魂の輪廻の様子を照覧するものだからです。
このアートマンが真我、つまり、我々がハイヤーセルフと呼んだりしているところの、究極的な「我」なのではないかと思うのです
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12213500432
0365エロ和尚改め11 ◆prhou1KALY
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2020/06/30(火) 12:51:51.84ID:y5dvX963
>>364
私の妄想では、釈迦は「政治家としての血が騒いで、世論誘導活動をした」

と、分析しています。

釈迦は、カースト制度のような身分差別を嫌っていて、

平等な民主主義的な社会にしたいと願った。

「思うがままにならない世の中」を変えたい・・・・という発想です。


しかし、民衆が一定の教養を持たねば民主主義が正常に機能しない。

そこで、民主主義が成立する程度にまで、教化しようとした。
0366鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF
垢版 |
2020/06/30(火) 13:05:57.46ID:aVsZxTHG
>>365
であれば、6年に及ぶ苦行とか菩提樹下での瞑想、梵天の勧請をどう捉えるかって事になるでしょうね。
0368神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 13:22:32.23ID:79B/p0VV
政治家のブレ−ンの扱いだった可能性はあるかも
でもあんまし言うこと聞かれなかった・・
ダライラマとブッシュみたいなものかな
0369エロ和尚改め11 ◆prhou1KALY
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2020/06/30(火) 13:30:43.72ID:y5dvX963
>>366
「6年に及ぶ苦行とか菩提樹下での瞑想」は、

世論誘導活動の作戦を練った期間でしょう。

「梵天の勧請」は、直感的に、嘘臭いと思います。根拠もソースもありません。

私の独断と偏見です。
0370神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 13:39:50.94ID:79B/p0VV
911後の戦争開始前にブッシュに電話して戦争しないように助言したとか
しかし、ブッシュはネオコンの操り人形だったし
全ての筋書きは出来上がってた。
聞く訳ナイ
0371神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 13:48:25.08ID:h+WXkbyg
>>325

無住居涅槃というのはおそらく涅槃を外側ではなく内面に見つけた状態の事だと思います

即身成仏思想に連なる活きた仏を体現させようという偉大な試みだったのでしょう

https://blog.goo.ne.jp/smgrh1992/e/2b02a556e0a8decba14d50f6800a1eb1

 しかし、大乗以前の仏教の修行者たちは、肉体があるかぎり性欲や食欲といった欲望はなくならない、欲望を完全になくするには肉体そのものがなくなるほかない、と考えたようです。
 そういう肉体がなくなり欲望もなくなった状態のことを、「無余依涅槃(むよえねはん)」といいます。
 「依りどころである余計な肉体が無くなって煩悩の炎が完全に消えてしまった状態」というふうな意味でしょう。
 それに対して大乗仏教の人々は、そういう考え方は自分ひとりが苦しみの生存の世界から逃れようというちっぽけな考え方、自分しか乗れない小さな乗り物だ、として批判をしました。
 確かに体がなくなれば煩悩もなくなり、自分は楽になるかもしれませんが、煩悩に苦しんでいる他の人々を救うことはできません。

 他の生きているもの=衆生とおなじ体があって初めて、慈悲・救いの実践をすることができます。
 「この体があるままで完全な涅槃に入れる」というのが大乗仏教の特徴的な教えです。
 私たちの体・生命そのものが、煩悩と迷いの生存の主体であることから解放されて、覚りと慈悲の主体に変容することが可能だ、というのです。
 
0372神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 13:56:08.29ID:79B/p0VV
世界を変えたいのですが、あからさまだと拒絶反応が起こるので、こっそりやる訳です
@問題を作り出す  般若心経は偽経だ! 
A嘘の情報に対する大衆の反応を収集して堂々と自説を騙ります。  →そんなの信じてもしょーがねえぞ
B偽りの解決策を提示  → テーラワーダ過激派は正しい、分別説部を信じよ! サーゾーの本を買え
0373神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 14:11:37.94ID:O14HbNSX
私の周囲にも、いくらか霊能力者が居るけど、その力を見せられると、死後の世界がありそうに思えるのだよ。
釈迦の輪廻話も、ありそうだと思える。
しかし、霊能力のない普通の人には、輪廻なんて空想だろうと思うのが普通だね。
0374神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 14:13:22.67ID:h+WXkbyg
>>326

だから先ず原始経典から涅槃の意味をしっかり読み取った方が良いよと言ったんだけどね

御釈迦様も五百羅漢も転生してないでしょ?

大乗の菩薩にしても観音菩薩や地蔵菩薩の様に後一回の転生で解脱すると言われてる境地は有るけど 仏教本来の解脱は永遠に続く輪廻からの解脱で そうする事で生老病死が無くなるという意味だから

限りある生物として生まれて来るから苦しむ訳だからね

その身その体に生死が有っても それが最期なら既に心の苦悩は消え去ってる訳だよ

輪廻と解脱が両立するなんていう人は悟っていないんだと思うよ

輪廻してる内は解脱ではないし 解脱した者は因縁が解消されてるから不生不滅となって転生しない

この共通認識が有るから自分は釈迦の生まれ変わりだ等と抜かす大馬鹿者の見分けがつくんだよ
0376神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 14:37:56.00ID:79B/p0VV
インチョキカルトの霊能力なんて催眠術みたいなもの
よいこは知ってますよねw
0377鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF
垢版 |
2020/06/30(火) 14:38:21.92ID:QgR2iLbC
輪廻と解脱というジレンマ。

その問題を超越や止揚(アウフヘーベン)という方法で W解決W するのか、それとも問題そのものを指向性と解体して W解消W するのかという事について考えるのも面白いかもしれません。

仏教は基本的に後者の立場にあると思うんです。
0378神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 14:41:10.10ID:h+WXkbyg
>>362

宇宙が終わる時に何も無くなり 宇宙が始まる時にも何も無い

恒常的な我即ちアートマン等というものは本当の意味では存在しない
0379神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 14:41:32.22ID:S8KgnIlY
>>362
バガヴァッド・ギーターの一節
「古い着物を捨て新しい着物を着るように、アートマンは死んだ身体から去り、新しい身体に移り住む」
0380神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 14:44:20.58ID:79B/p0VV
>>371

ありがとうございます
0381神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 14:53:27.97ID:h+WXkbyg
>>373

仏教は霊能力を重視していない

悟りとは無関係だからだ

霊能力等無くても因果の道理が理解出来れば輪廻はあると理解出来る

原因には必ず結果があるという法則がある時に 果報を受けずに死んだとしても必ず何らかの形で報いを受けるからだ

宇宙空間に向けて銃弾を放ったとしても障害物が無ければ 気の遠くなる様な時間を経て 元の発射位置に戻ってくる

輪廻も同様に何らかの行為に対する結果だから行為が尽きる迄は際限なく果報を受け続ける
0383神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 15:19:54.09ID:ie9efiGG
黙するといったが、ちょいと書きたいことができましたw

無為と有為について、
洞山のこれ、
類して等しからず
混ずる時んばところを知る

これに有為と無為をあてはめると、
有為と無為、
類して等しからず
混ずる時んばところを知るとなる。

混ずると時んば、といっている。

こうなってくると、心経での即是は
混ずる時をいっているのでないのでしょうか?

最初から実相を語っているとみてもよろしのではないでしょうか。

つまり、真言とみてもかまわい。
(。・_・。)ノ
0384神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 15:29:55.14ID:h+WXkbyg
>>383

物質には空性があり 空性は物質が根源であるから両者は即是である

真言というのは真実の言葉という以外にサンスクリット語で構成されてるという前提が有るから
サンスクリット語に変換出来ない言葉 や変換出来てもバラバラで文章としての意味を為さないものは含まれないよ
0385神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 16:09:43.41ID:ie9efiGG
ものごとは、心にもとづき
心を主として心によってつくり出される
ダンマパタ

>>384
方便として世俗の文字・言語を借りてそれに教えを盛り込み、これを観想しこれに心を統一することで、その教えに触れ得るようにしたものが、密教における真言であるとされる。
ウィキペディアより、

また、
実相は、真実の特徴と中村氏は訳してます

真言宗氏は前提と言っていますが
世間の人には、わかりません。
即是とはブッタそのもだと思います。
(。・_・。)ノ
0386神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 16:33:57.42ID:Qxef/J1a
「三密加持すれば速疾に顕わる」コロナ感染症
0387神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 16:39:35.73ID:h+WXkbyg
>>385

梵語も梵字も世俗のものでは無いからブッダは経典の文字化や梵語による編纂に反対したんだよ

代わりに世俗化されたプラークリット語が採用された中の一つがパーリ語聖典だった訳ね

中村氏は優秀な学者だけど優秀な仏教僧だった訳ではないから そこらへんは見極める必要があるだろうね
0388神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 17:58:55.95ID:79B/p0VV
霊能力を売り物にするカルトはマインドコントロールが凄いので有名です。
911後の米国民もメディアによるマインドコントロールで 仕組まれたペテン劇に乗せられたとも

同調圧力というか洗脳について、興味深い動画がありました
https://youtu.be/RMyqHiBZQhY?t=522
0390神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 18:31:53.93ID:eB1zOGMI
仏教は霊能力を重視していない?
それは大乗仏教かい?釈迦仏教か?
悟りとは関係ない?
それは大乗仏教のことか?釈迦仏教のことか?
釈迦仏教では、六神通が身に備わらない限り、悟りは得られない。阿含経で確認してよ。
0391神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 18:39:36.00ID:eB1zOGMI
私は心経を約50年、読誦してきて、解説書を何冊も読んだが、わけ分からない解説が多かった。心経は釈迦仏教をベースにしている。
だから、小乗仏教を理解しないと、心経はなおさら理解出来ない。その他に、霊能力ということもある。
0392神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 18:45:29.38ID:h+WXkbyg
>>390

原始経典では神通はあくまでも悟りの証という位置付けでしかない

釈迦は証得の無かった舎利子を阿羅漢と認めている

また修行僧達に神通を見世物にする事を禁じている

最終的には六神通の中でも漏神通のみを重要としている

悟った者には神通が現れる事が多いが神通力者が必ずしも覚者という訳ではない

程度の低い神通による当て物や火遊びで私服を肥やす行者や僧侶も少なくないのだから覚者たるブッダがそれを予見しない訳が無い

阿含経だけじゃなく もっと色々読むべきだね
0393神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 18:55:26.03ID:h+WXkbyg
>>391

ただ読誦するだけなら子供にも出来ます

一つ一つをどういう事かと論理的に考察しない限りは何十年経っても訳が分からないままですよ

般若心経には説かれてないけど 何故そうなのかを考え続けなければ どんなに優れた解説書でもちんぷんかんぷんなままでしょうね
0394神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 19:00:14.27ID:79B/p0VV
だからカルトの霊能力なんてのは六神通とは全く別物
ただ組織に貢がせ奴隷にするための洗脳暗示。
見てていかにヤバイかわかる 太ったキツネみたいな婆さん一家を仏として
崇拝させられる
0395神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 19:37:17.78ID:79B/p0VV
霊言とかいうのもおみくじみたいなもので
誰にでも当てはまるようなことを言うから低確率で
どうでもよいことが該当したりはするでしょ それにしても確率低すぎで
普通の人でもずっと鋭い人はいる
0396神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 19:57:31.23ID:79B/p0VV
カルトではないけれども
たとえば松原テル子さんという人が6〜7年前、東京五輪についての話の時に
思わず「ナイ」と言い、今年の中止を予知してしまったのは、無分別智の発現の一種ですかね?
そういうのは、外れた場合のリスクとかもあるのに、あえて、というか
どうしようもない切羽詰まった、苦しいような思いが自然に沸き起こるのだそうですが、その種の感受を
いちいち数学的な厳密さで分別する姿勢を追及していたら、何かを掴んでも何も言えないだろうし
それはそれで立派な態度ですから、どうぞ気がすむまで御自分だけで極めてね というしかなくて
分別説部が布教する行為に金儲け以外の目的が何かあるのかな、という疑問は残りますね
0397神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 20:10:38.35ID:c9rOZNRk
>>393

それが逆なんだよ。

仏教学者を似てみ。

知識が増すほど、我が強く成っとる。

このスレにもいないかな?
0399神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 20:59:54.95ID:S8KgnIlY
>>309
>生死の中に佛あれば、生死なし。
生き死にする迷いの生存の中に佛の悟りがあれば、生き死にする迷いの生存はなくなる。→理解できる

>生死の中に佛なければ、生死にまどはず。
生き死にする迷いの生存の中に佛の悟りがなければ、生き死にする迷いの生存に惑わず→??(理解できない)

下段は元は宋の夾山和尚の「生死の中に佛あれば生死に迷わず」で、師の法常禅師にダメ出しされた論のようですが、
http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/soroku/genzou01.htm
でも夾山和尚の「生死の中に佛あれば生死に迷わず」の方が道元が改めた「生死の中に佛なければ、生死にまどはず。」よりは理解できます(苦笑)。
「生死の中に佛なければ、生死にまどはず。」とはどういう意味なのでしょうか?
0400神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 21:00:26.59ID:S8KgnIlY
>>399 続き
さて、この生死ですが、江戸時代に永平寺の宝蔵から出てきて付加されたものだそうですが(>>315)、テーマとしてはオリジナルの正法眼蔵七十五巻の1.現成公案と同じく身心脱落にあると思います。
生死の章の最後の方の

「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。」

がまさにその脱落を説いている部分で核となると思うのですが、しかしこの思想は一遍上人の念仏の思想によく似てると改めて思うのです。
聖道門の禅宗と浄土門の念仏宗と対照的なのですが、一遍の念仏とともに心身を阿弥陀仏に放下して自我を手放して後は阿弥陀仏(それは念仏を唱えている間の自己でもあるのですが)に委ねるという念仏観と道元の身心脱落は似ています。
一遍「我体を捨て南無阿弥陀仏と独一なるを一心不乱といふなり。されば念々の称名は念仏が念仏を申すなり。」と
「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。」は同じ、
あと道元の坐仏(坐禅する姿がそのまま仏)なども同じことを言っている、対象となる仏こそ違いますが、と思います。

なにはともあれ、生死の章の最後にある
「佛となるにいとやすきみちあり。 もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のためにあはれみ、ふかくし て、かみをうやまひ、しもをあはれみ、よろづをいとうこころなく、ねがふこころなくて、心に おもうことなく、うれうることなき、これを佛となづく。またほかにたづぬることなかれ。」
を常に念じていなければいけないですね、本来は(私はすぐ忘れるのですが(苦笑
0401くろ
垢版 |
2020/06/30(火) 21:17:57.74ID:b5g+cAYi
>>399
>「生死の中に佛なければ、生死にまどはず。」とはどういう意味なのでしょうか?

これは、その下の文、
>生死のほかにほとけをもとむれば、
ながえをきたにして越にむかひおもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。

によって説明されているのではないでしょうか?
生死そのものが仏、ということでしょう。

今、の他に仏教とか悟りとか仏とかを思う、求める、ことがなければ、惑うことはない、
今という法に従ってゆくのみ、ということかと思います。
0403くろ
垢版 |
2020/06/30(火) 21:23:20.63ID:b5g+cAYi
>>401
仏仏を知らず、知らぬが仏みたいなもんかな?w

>>400
現成公案は、いろんなテーマがあると思いますよ。。
理を説いている部分、が大きいような。。
0404神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/06/30(火) 21:25:50.78ID:S8KgnIlY
>>383 有為と無為について参考までに

復た次ぎに、 『有為法と、無為法とが空である!』とは、『行者』は、こう観るからである、――
『有為法、無為法の実相』は、『作者が無く!』、『因緣の和合する!』が故に、『有るだけであり!』、
皆、『虚妄であって!』、『憶想し、分別するにより!』、『生じるのである!』。
『法』は、『内にも、外にも、内外の中間にも!』、『存在しない!』のに、『凡夫』は、『顛倒する!』が故に、『有る!』と、『見る!』が、
『智者』は、『有為法』に於いて、『相』を、『得ないで!』、但だの、『仮名である!』と、『知るので!』、此の、『仮名を用いて!』、『凡夫』を、『導引しても!』、其れが、『虚誑、無実、無生、無作である!』と、『知るので!』、『心』には、『著する所』が、『無いのである!』、と。

復た次ぎに、 『諸の賢聖の人』が、『有為法を縁じなくても!』、『道果』を、『得ることができる!』のは、
『有為法』を、『空である!』と、『観る!』が故に、『有為法』には、『心』が、『繋著しないからである!』。

復た次ぎに、 『有為を離れれば!』、『無為も!』、『無いことになる!』。
何故ならば、『有為法』の、『実相』が、『無為だからである!』。
『有為法』が、『無為の相ならば!』、『有為ではないことになる!』が、但だ、『衆生の顛倒』の故に、『有為法と、無為法を分別して!』、こう説くのである、――
『有為の相は生、滅、住、異である!』が、『無為の相』は、『不生、不滅、不住、不異であり!』、是れが、『仏法に入る!』、『初門である!』、と。(以下略)

大智度論 巻三一

ということで、魔訶般若波羅蜜多経の注釈書である大智度論の作者の龍樹によれば
「有為と無為は空であり、また不二であるので有為法の実相が無為であり、ただ分別によってその名が生じるだけでその名ゆえに有為の相と無為の相が虚妄ではあるが存在する」、そうです。


七 心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである。
八 「一切はそのように【真実で】ある」、また「一切はそのように【真実で】ない」。「一切はそのように【真実で】あり、またそのように【真実】ではない」。「一切はそのように【真実で】あるのではないし、またそのように【真実】ではないのではない」―――これがもろもろのブッダの教えである。
九 他のものによって知られるのではなく、寂静で戯論によって戯論されることなく、分別を離れ、異なったものではない―――これが真理の特質(実相)である。
(中論第一八章)
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1214406&;id=9529993
0405くろ
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2020/06/30(火) 21:28:20.91ID:b5g+cAYi
禅宗というのは、洞山大師が言ったような、人はもともと迷っていない、誰も迷っていない、というのが根本にあると思う。。

本覚思想とも言われるのだろうけれど、悟らなきゃしょうがない、という面もあるので、本覚思想と言えるかどうか。。

ただ、業によって輪廻する、で、輪廻しつつも、法そのもの、無我というか、誰も迷っていない、というのが根本。。

しかし、混乱、昏沈の中にあるうちはわからない、ということかな〜?

だから、修証を仮る、ということも実際は必要になる。。
0407鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF
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2020/06/30(火) 21:36:35.87ID:QgR2iLbC
はにゃはにゃふにゃふにゃほにゃほにゃ。

つまらない。
0408くろ
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2020/06/30(火) 21:36:57.80ID:b5g+cAYi
>>404
だから、迷いとか輪廻とか有為って、実体視=迷いから見た時だけに存在する。。

もともと有為も無為もない、ということは、迷いも悟りもなく、ということになる。。

で、それを敢えて言うと、悟りとかニルヴァーナ、ということになる。

もちろん、そこには、そういう概念はないけれど・・・ということじゃないかな〜?
0409鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF
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2020/06/30(火) 22:05:57.89ID:QgR2iLbC
智慧によって問題を解決するか、問題そのものを言語による分節として解消してしまうかって事でしょ。

何がいい加減に飽きてきた。
0410鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF
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2020/06/30(火) 22:06:55.05ID:QgR2iLbC
訂正


智慧によって問題を解決するか、問題そのものを言語による分節として解消してしまうかって事でしょ。

なんかいい加減に飽きてきた。
0411神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 22:52:00.90ID:S8KgnIlY
>>408
名字をつけないことによって実体視を避け執着を手放すのが般若波羅蜜、そしてそれこそが無分別智による、名を付ければ悟りであり涅槃であり、それはこの世界で実現される、ということですね。
http://s.kota2.net/1593524078.jpg

道元は更に進んでいて?、悟り・涅槃を実体視して追い求めることなく、悟りの世界・涅槃であるこの世界(生死)に身心を脱落させる、というのは分かる気がしますが・・

正法眼蔵の生死の

生死の中に佛あれば、生死なし。またいはく、生死の中に佛なければ、生死にまどはず。(略)
生死をはなれんとおもはむ人、まさにこの旨 をあきらむべしもし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひおもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。

やはりここは今ひとつピンときませんw

生死の中に佛なければ、生死にまどはず。
→生死の中に佛がなければ生死に惑うことがない

生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひおもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。
→生死の中以外に佛を求めれば生死に惑う

結局、生死の中に佛がなければ惑わないのか、生死の中に佛があれば(佛を求めれば)惑わないのか、今の自分にはまだ理解できていません・・

「またいはく、生死の中に佛なければ、生死にまどう。」になっていたら全体がすんなりと理解できるような気がするんですけどね(苦笑
0412鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF
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2020/06/30(火) 23:03:57.92ID:QgR2iLbC
いやそれ、大梅法常禅師が W一は親、一は疎W ってズバリ言ってるじゃないですか。
0413神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 23:07:39.53ID:h+WXkbyg
>>397

経典内容の論理的考察と仏教学は全く違うから 両者の違いが判る様になってからレスしてね

次々現れる君みたいなのに一々時間割いて一から説明してられないから
0414神も仏も名無しさん
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2020/06/30(火) 23:11:26.79ID:S8KgnIlY
>>412
定山和尚は「生死の中に佛なければ即ち生死なし」と論じ、夾山和尚は「生死の中に佛あれば生死に迷わず」と論じた。

さて
「生死の中に佛あれば生死に迷わず」
が何故「疎」とダメ出しされたのでしょうか?

また、「親」とされた
「生死の中に佛なければ即ち生死なし」
にしても道元は「生死の中に佛あれば、生死なし」に変えていますが、「親」とされた論を何故変えたのでしょう?
0415鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF
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2020/06/30(火) 23:37:59.59ID:QgR2iLbC
>>414
理を親とすれば事が疎となり、事を親とすれば理が疎となるのは当たり前で、梅常禅師はそのどちらかにも捉われないところでこの一件を W一親一疎W って捌いたと思いますけどね。
0416神も仏も名無しさん
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2020/07/01(水) 00:27:57.73ID:G7ULqT95
>>415
ありがとうございます。

 定山和尚は「生死の中に佛なければ即ち生死なし」と論じ、夾山和尚は「生死の中に佛あれば生死に迷わず」と論じ、お互いに自説を譲りませんでした。
 そこで夾山和尚は師の法常禅師に、その親、疎【(しん、そ)道に合うかあわぬか】 の判断をお願いしました。
すると、法常禅師は、
 「一は親(しん)、一は疎(そ)」といわれた。
そこで夾山和尚はさらに、いずれが親で、いずれが疎ですかとお尋ねした。
すると師は
 「今日は帰って、明朝来るがよい」といわれた。
夾山和尚は翌朝再び上参し見解を求めた。すると禅師は、
 「親しき者は問わず、問う者は親しからず」と答えられました。
後に夾山和尚は大いに反省し会得されたのであります。
http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/soroku/genzou01.htm

「親しき者は問わず、問う者は親しからず」の法常禅師の答えから、問うた夾山和尚の「生死の中に佛あれば生死に迷わず」の方が親しからず、つまり疎の方だと思っていましたが、
喧嘩両成敗みたいな感じで2人に対して2人の論はどちらも「一は親(しん)、一は疎(そ)」である、という意味で言われたということでしょうか?

ちなみについ今検索したら
禅語 生死中無佛則無生死
http://rinnou.net/cont_04/zengo/1711_zengo.html
にもこのこのエピソードが途中まで(法常禅師の感想はなし)書いてありましたが、決定的なことは書いてない、というか仰るようにどちらも一長一短あるという風にも読めました。
0417神も仏も名無しさん
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2020/07/01(水) 03:03:16.70ID:ga+M17Sp
生死の中に佛なければ、生死にまどはず  とは、
五蘊の中に我非ざれば、諸法に惑わず

と解釈しても良いでしょうか?
0418神も仏も名無しさん
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2020/07/01(水) 03:21:10.55ID:ga+M17Sp
五蘊(色)の中に我非ずと照見するなら、即ち真理が会得され、是により生死の迷いも空じられる(消滅する)
0419鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF
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2020/07/01(水) 04:27:35.56ID:LWrOUbz4
>>416
禅宗って揀択を嫌うっていうから、発生した問題に対してAかBかを選択(分別)するよりも、問題そのもの解消させてしまう(無分別)手法がよく使われると思うんです。

確かどっかの寺の坊さん二人が出会い頭に互いに喝して、誰かがその寺の禅師に主客を問うたら W主客歴然W って捌いたそうですよね。

無字だってそうですよね。
有に非ず無に非ず、ムーって。

このムーが一親一疎で、また主客歴然って事なのではありませんか。
無親疎の親疎、無主客の主客って事です。
0420神も仏も名無しさん
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2020/07/01(水) 07:05:06.85ID:04umkVko
心経を50年年読誦してきて、常に考え方は変化してきたが、最近思うのは、心経以降、悟りの定義が曖昧になってしまった、ということだね。知恵波羅蜜だけで、簡単に悟りが得られるかのような、誤解を与えてしまった。釈迦仏教では六神通が生じない限り、悟りはないのだ。
0421神も仏も名無しさん
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2020/07/01(水) 07:11:11.17ID:04umkVko
心経を10年程読誦した頃、書店に原始仏教の本が並ぶようになった。で、原始仏教(釈迦仏教)の勉強も始めた。結論を言うと、釈迦仏教の悟りと大乗仏教の悟りは、まるきり意味内容が違う、ということだ。
0422神も仏も名無しさん
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2020/07/01(水) 07:20:17.12ID:04umkVko
釈迦仏教では、悟りの確認を三明でする。釈迦仏教で三明とは神通のことだ。が、例えば「仏教三明」とかで検索すると、半分以上がデタラメ解説でヒットする。仏教とは、まことに、デタラメに発展したかが、分かろうということだな。
0424ポッタン師
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2020/07/01(水) 08:05:07.11ID:M96fgCaf
419.ムーでは悟り、とならない、よ。
大爆笑である。
0425神も仏も名無しさん
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2020/07/01(水) 09:36:29.18ID:ga+M17Sp
知恵波羅蜜だけで、簡単に悟りが得られる
なんて幼稚で勝手な解釈だね。
六波羅蜜ぜんぶでしょ? 大乗批判の前に大乗解釈が間違ってるし、釈迦仏教解釈も
あやしいねw
0426承狂 ◆r8ruhNH5tmq7
垢版 |
2020/07/01(水) 10:40:02.40ID:vLRFB+Xk
大智度論では般若を伴わないと他の五波羅密を幾ら修めようが駄目だとしてるが、
これは中観派の法流では、このような解釈という話。
禅宗は別系統と言えるから、また別の考えだろうし、
上座は勿論、また別の考えだろう。
何処の法門が正しいかなんて話は時間の無駄でしょ。
其々の法を専修すればいいだけだよ。
あれこれゴッチャにして、出来るという考えなら、それは個人の自由だしね。(笑)

(^。^)只し、何一つ行じる事なく知識だけ捏ねくりまわして「俺が正しい」とか言ってる奴等は単なるアホ。(笑)
0427神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/07/01(水) 11:13:10.78ID:ga+M17Sp
唯識の資糧位・加行位・通達位・修習位・究竟位を前提に説かれてる。
修習位以上から通達位以下への説法ととるなら、無苦集滅道も全く自然である
また六波羅蜜は十波羅蜜を簡略化したもの
十波羅蜜(じっぱらみつ)は、六波羅蜜に、方便・願・力・智の四波羅蜜(六波羅蜜の般若波羅蜜より派生した4つの波羅蜜)を加えたもの。
唯識論ではこの十波羅蜜を立てて十勝行と称す。華厳教学などでは、菩薩の五十二位の中
の十行のことともいわれる。また菩薩は十地において正しくこの十波羅蜜を順次に習得するという。[要出典]
方便波羅蜜 - 烏波野(Up?ya ウパーヤ、うはや、日本語訳:方便)は、巧みな手段で衆生を教導し、益すること。
六波羅蜜の行によって集めたる善根を有情に廻向せしめて彼と共に無上菩提を求むる廻向方便善巧、一切有情を済度する抜済方便善巧の2種類を修行する。
願波羅蜜 - 波羅尼陀那(Pra?id?na プラニダーナ、はらにだな、日本語訳:願)は、(彼岸すなわち仏の理想世界に到達せんと立願すること。
今日ではこれらすべての修行を完成せんと願う希望をいう。求菩提願・利他楽願の2つを修行する。
力波羅蜜 - 波羅(Bala バラ、はら、日本語訳:力)は、二義あり、一義に一切の異論及び諸魔衆の壊すことなきをいい、また一義に十力の行のうち、思擇力・修習力の2つを修行する。
智波羅蜜 - 智(Jñ?na ジュニャーナ、日本語訳:智)は、万法の実相を如実に了知する智慧は生死の此岸を渡りて、涅槃の彼岸に到る船筏の如く、受用法楽智・成熟有情智の2つを修行する。
0428神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/07/01(水) 11:38:08.17ID:ga+M17Sp
無苦集滅道あたりは、対象者は阿羅漢(通達位)だけかも知れない
つまりまだ低い段階の悟りで自己満してる者が気付くべきこと

またパーリ仏典の仏種姓経では十波羅蜜が挙げられ、
布施、持戒、出離、智慧、精進、忍辱、真諦、決意、慈、捨  となる。

はっきり言うと上座〜分別説部の歴史は虚妄であると分別説部のものも認めており、
ブッダの教えを正しく理解するには、大衆部〜大乗の流れにまで散らばる真仏説を
慧眼と択法覚支によって、正しく選び取る必要がある。
正しい理解なくして正しい体得は無い。妄分別された虚妄のニカーヤには要注意。
0430神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/07/01(水) 12:09:21.45ID:ga+M17Sp
|1159 もろもろのつくられた事物は、実に無常である。
| 生じ滅びる性質のものである。それらは生じては滅びるからである。
| それらの静まるのが安楽である。

|1160 五種の構成要素(五蘊)を、
| [アートマンとは異なった]他のものであると見て、
| アートマンであるとは見ない人々は、微妙なる真理に通達する。
| ――毛の尖端を矢で射るように。

|1161 またもろもろの形成されたもの(諸行)を
| [アートマンとは異なった]他のものとして見て、
| アートマンであるとは見ない人々は、精妙なる真理に通達した。」

| (「テーラガーター 仏弟子の告白」中村元訳 岩波文庫)


|「もろもろの原因から生じ、壊滅するものである
| もろもろの形成されたもの(諸行)を
| (自分とは異なった)他のもの(わがものではないもの)であると見なして、
| わたくしは、あらゆる煩悩を捨てました。
| わたくしは清涼にしてやすらかなものとなりました。」

|(「テーリガーター 尼僧の告白」中村元訳 岩波文庫)
0431くろ
垢版 |
2020/07/01(水) 12:18:37.65ID:S1n8fxT4
>>411
確かに、迷悟が別にあると考えていると、「生死の中に佛なければ、生死にまどはず」はわかりにくいかもしれない。。

だけど、基本禅宗は、迷悟が別にある、という教えじゃないんだと思います。。

生死と言ったら、まあ、現実人生でもいいですが、実相は不生不滅ですから、生死なし、が本当。。
そこからすると、生死は迷いですね。。
だから、生死の中に仏あれば、生死なし、はわかりやすい。。

しかし、生死が迷いだとしても、そう言う迷いと言うものは、誰かが迷い、とみなさなければ迷いじゃないですよね。。
あるいは、仏教なんてのが無ければ、迷いなんてのはない。惑いもないわけです。。

業と言うものがありますから、あんまりこういうことを、大声で言いたくもないですが、
禅宗は、即心是仏とか、もとっから解決しています、そのままで解決している、と言うのが根本にあるんだと思います。

だから、どんな状態にあっても、他を求めなければ、仏なんて観念が無ければ、惑うことはない。。
もともと、惑わないようにできている、ということじゃないですか?

人間の見方、仏道とかも、外して見れば、皆、縁起によって、そうなっているだけ。。
是非善悪とか迷悟とかはない。
だから、生死のまま、迷いのまま、で他を求めなければ、惑わない、惑わされない、
ということじゃないでしょうか?
0432神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/07/01(水) 12:19:57.78ID:e0p7fv4q
>>389
ダンマパタは標題としてだしました。
検索したのは真言です。
ここには、本家本元の真言宗氏がいらっしゃるので、見解が違うかも知れませんが。
中村氏の実相は、金剛般若経における、彼の日本語訳です。
狸より
狸、検索するのが大変w
ガラケー使いと一緒にするなw
0433ポッタン師
垢版 |
2020/07/01(水) 12:36:00.20ID:Mnr21Qk6
431.他を求めるのが迷い、か。
他を求めるのが悟り、である。
他を求める、は選択の問題である。
そこに複数がある、からである。
そこに複数がない、ことにして安心する、か。
それは悪平等である。
それは盲目である。
盲目であれば、区別が省略されて、安心である、か。否。
0434神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/07/01(水) 12:40:27.12ID:e0p7fv4q
>>404
大智度論 巻三一
ソースありがとうございます。

とりあえず、私の書き込みは
中論頌の流れにのっかったものです。
たしか、止観に関する記述も
中論頌にあったと思います。
もろもろの事情で検索して探し出すのが大変なのでソースは<(_ _)>
0435神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/07/01(水) 12:46:03.52ID:e0p7fv4q
>>387
真言って、唱えたことがないのでよく分かりません。
謝意
(。・_・。)ノ
0436神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/07/01(水) 12:55:08.61ID:e0p7fv4q
>>426
珍しい人がいる
他スレで、おじゃるさんをおんだしたでしょう。
かれは、若年性アルツハイマーなんだよ。
すこし、考えろや。
アホいっているんじゃない。
0437くろ
垢版 |
2020/07/01(水) 12:56:04.53ID:S1n8fxT4
>>419
臨済禅師が言ったのは、「賓主歴然」じゃないですか?w
0438鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF
垢版 |
2020/07/01(水) 13:07:16.63ID:LWrOUbz4
>>437
それ言うなよw
つまらないなぁw

あれが復帰してる感じがしたからわざとはぐらかして書いてたんだけどなぁ。
0440ポッタン師
垢版 |
2020/07/01(水) 13:13:48.67ID:Mnr21Qk6
悟れない馬鹿野園が言うことである。大爆笑である。
0446神も仏も名無しさん
垢版 |
2020/07/01(水) 14:39:38.00ID:0E9Iw5qu
やれやれ瞬殺とか
仏教では勝ち負けに囚われている者こそが敗者だということを忘れているようじゃのう
しょうがない人たちじゃ
0447鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO
垢版 |
2020/07/01(水) 14:55:43.22ID:scd+1S09
勝ち負けも何も相手が馬鹿担だから勝手に自爆してるだけ。
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