文殊は男で、マンシュシュリーという名前だ。これはインドでは男で男の名前だ。
ところが中国あたりで女性となってしまっている。歴史的にある間違いだ。
だから女性の文殊は存在しない。しかし、日本人の大多数は文殊を女性と思っている。
つまり、存在しない者があり、そこにつけこんで名を名乗るから巧妙なのだ。
これを見抜ける人は神しかいないということだ。

きょう子の魂はは、ユダでもあるが、伊邪那美であり、これは天照大神の母であった。
また、さらななる前の過去是はセトであり、これはオフェアリス神の弟で、オフェアリス神は弟に二度も殺され、復活している。

そうした縁でカルマがあることはある。
しかし、エル・カンターレは殺されることなくうまくやっていることで、神々の神であるとこ証明している。