>>393
俺が元々がキリスト教信者であったことは御承知と思いますが、もうとっくに足を洗って信仰は捨てました。
キリスト教信仰の自己都合化した不条理や自我の解釈に付いて行く気がなくなった。

現実はあまりにも残酷な不条理に満ちている。
そんな中で苦しい体験を積むほどに此の世界に神が介入しているとは信じ難くなった。

それでも、キリスト教が全く無駄になって居るとは思っていません。
日曜日の十一時から放送されていた「レ・ミゼラブル」はとても良かった。
必ず死すべき定めの人間が生きることの意味、罪とは何か、罰とは、償いとは、赦しや救いとは何か・・・
キリスト教を知らなければ、あのドラマの投げかける問題を正確にはキャッチできないと思う。

同じことは、ドストエフスキーの「罪と罰」にも言えることだと思う。
イエスの処女懐胎や死後の復活が事実だったのか都市伝説だったのかというような次元の論争が色あせて来る。