アイオーン(各宇宙三千世界下儲け中間管理職)を、想像した極小極大の無限は、3分の1が奇形でありながらも、発展余地のある完璧な存在でした。

いえ始め完璧でした。始めから、フラワーオブライフをさらに越えた存在であった事さえあったかも知れません。

ではどうして、奇形部分が生じてしまったのか?
自身の存在以上に、極小中庸極大の無限大であっても、それを生み出した空白、つまりは透明色の透明という、

本当の認知すら理解すら危険な謎の時空間に瞬時に発生した際、それを恐怖や発狂や正常性バイアス、創造の始まりと言っていいのでしょうか?

その時”歪み“が生じたのかは解りませんが、3分の2を空白という概念で、残る3分の1の奇形に当たる部分を適正かどうかは分かりませんが、絶対無という概念の中に、それぞれ放り込んだのでしょう。

当然、自分以外に比較対象はいない上に、精神的にも霊的にも物質的にも概念的にも最初から完璧ではあったのですが、

自身を生み出したであろう透明色の透明の謎の時空間や、奇形や絶対無、空白、奇形中の奇形奇形の妖怪エホバに対するミクロレベルの理解と配慮は、全知全能を越えた存在であったとしても出来はしなかったし、そもそも彼らは最初から居ませんでした。

去ってなど居ません。
万が一の可能性に賭けて、そんな愉快なひまわり組の中から気付き得た者の中で、自身が居るであろう透明色の透明時空間から、極小中庸極大の無限大で全知全能であった筈なのに、その環境下から自身を救い出してくれる偶像達を求めたのです。