> 西ローマ帝国
> 476年、ゲルマン人の傭兵隊長が皇帝を退位させたことによって形式的にも滅亡

キリスト教@質問箱
264ふぃりぽ ◆7dBIFY.Wqw 2020/04/30(木) 08:47:35.55ID:OAwi+vWf
カトリック教会はローマ教会と正教会から呼ばれている。

そのローマ教会は、800年フランク王国のカール大帝の即位の時から
俗世政権の庇護を受ける事になったろう。

テオドシウス帝死去でローマ帝国の東西分裂からフランク王国の成立
ようは395から800年までの間、
ローマ教会がキリスト教で少数派で、しかも世俗のゲルマン政権の庇護がほぼ無く、
弱かった時代があった事も、考えないといけないと思う。

それまでは昔の西ローマ帝国の地のゲルマン諸国はアリウス派教会に仕えていた。

地中海沿岸は東ローマ帝国ようはビザンチン帝国の保護下にあった。
地中海は東方正教会の教区の範囲にあった。

だからローマ・カトリック教会が
キリスト教が国教になったテオドシウス帝からずっと世俗政権に守られていたし、
ローマ教皇の教えを強要して庶民が苦しんでいた、というのは当たってない。

しかも、俗世政権のフランク王国すら、後に西・中・東と分裂した。

西はフランスに、
東は神聖ローマ帝国というドイツとチェコと後に北イタリアを吸収する国に、分裂した。

また
中フランクは、ブルグント王国だが、
北イタリアと、現在のスイス・エルザスとロートリンゲンのライン川沿い・
ライン川河口域のベルギーやオランダのフランドルを支配下に置いた国であったが、
結局のところ、
スイス、ベネルクス三国以外、ほぼ東西に吸収されてしまった。

そういった経緯を考えつつ、頭っからカトリックが全て悪い的に、
また、自分たちの教会が全て正しいと決めつけるのではなくて、
こまめに教会の歴史を公平に、読み解く必要があると思う。