律法の全体は、
「デウテラ デ ホモイア アウテ、
 アガペーセイス トン ペレーシオン スー オース セアウトン」(ギリシャ語)
「δευτερα δε "оμοια αυτη"
 αγαπησειζ τον πλησιον σου
 ωζ σεαυτον.」(ΚΑΤΑ ΜΑΘΘΑΙΟΝ22:39)
「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」という、
この一句に尽きるからである。
気をつけるがよい。
もし互いにかみ合い、食い合っているなら、
あなたがたは互いに滅ぼされてしまうだろう。
(ガラテア5:14〜15,マタイ22:39,マルコ12:31,ルカ10:27,レビ19:18)
なぜなら律法をことごとく守ったとしても、
その一つの点に落ち度があれば、
全体を犯したことになるからである。
たとえば「姦淫(かんいん)するな」と言われた方は、
また「殺すな」とも仰せになった。
そこで、たとい姦淫はしなくても人殺しをすれば、
律法の違反者になったことになる。
だから自由の律法によって裁かれるべき者らしく語り、
かつ行いなさい。
(ヤコブ2:10-3:12)
互いに愛し合う事の外は何人にも借りがあってはならない。
人を愛する者は律法を全うするのである。
「姦淫するな、殺すな、盗むな、貪(むさぼ)るな」
など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局、
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」
と言う、この言葉に帰する。
愛は隣り人に害を加えることはない。
だから愛は律法を完成するものである。
(ローマ13:8〜10,レビ19:18)