キリスト教を知った最初は、ミッション・スクールの高校に入学舌のがきっかけ。

高校時代は、学校礼拝・聖書科目の授業・学内YMCAの勉強会の知識しかなかった。
教理で用語を覚えていたのって、
旧約は、トーラー・ナービーム・ケスビーム、バビロン捕囚。
新約は、イエス・パウロ・受肉・復活・神であり人・・・ぐらいだった。

困った事に、三位一体を、主日に教会の日曜学校でも教わった記憶が無い。
春の復活祭に色とりどりのイースター・エッグを見たり食べたり、
夏の修養会のキャンプ・ファイヤーでサラスポンダを歌ったくらい。

キリスト教の祈りの形式に興味関心があって、正教会に通うようになった。
正教会に使徒信条は無く、どんなに頭が良く無くても最低限、
主の祈りとニカイア・コンスタアンチノポリス信経を覚えなさい、であった。
それでも頭が良くない場合?税吏の祈り(我、罪人を憐れみたまえ)を覚えよだった。
まあ、ロシアの農奴が文字が読めると思えないし、
農奴の子が、教会に憐れまれて、修道士になったら文字が分かるレベルと考えれば、
現代のような学校教育の無い時代だから、仕方のない事だと思った。

正教の学びの後に、ごミサに初めて行った。
カトリック書店での買い物は阿含宗時代からしていた。

キリスト教勉強の成果と言えば、
カトリックの現在のごミサ(16〜20世紀)は、
正教会の金口イオアン聖体礼儀(4〜15世紀)より、ずっと後世に作られた物と、
ネットで勉強して知った事だ。

>>278 『キリスト教礼拝と祈りの歴史』松山與志雄
>>379 聖書の章節区分の成立
>>380 三位一体は誤訳 三重の性質の神 正教会は聖三者と翻訳。