現職の三人の主教(監督)による按手(アクシオスの儀式)で
新しい主教を誕生させる使徒の教会である東方正教会では、
750年頃の西方教会の使徒信条を用いない。
381年ニカイア・コンスタンチノポリス信経を用いる。

使徒信条(シンボリウム・アポストロルム)の現在型は、いつ出来たか?
700年代の南ガリア(アルル、プロバンス)で。
800年はシャルル・マーニュ戴冠のフランク王国の時代。


原典 古代キリスト教思想史 3 ラテン教父
 小高毅 編  教文館
p182
13 古ローマ信条と使徒信条
・・・、一四八三年のフェラーラ・フィレンツェ公会議において、
この信条が東方圏では伝えられてこなかったことが明らかになった。・・・

エフェソス司教マルコス・エウゲニオスが、
使徒行伝のエルサレム会議の描写に織り込まれていないので、
(東方教会の伝承としては)
知りもしないし、信条として宣言していない。と語ったと言う。

・・・。現在の形で、最初にこの信条が文献に登場するのは、
八世紀前半のコンスタンス湖近くのベネディクト会修道院の
創立者ピルミニンの著作においてである。
・・・様々な変形が現れており、・・・
しかしながら、
ローマで現在の形の信条が用いられ始めるのは八世紀以降のことである。
・・・使徒信条の起源はローマにはなく、
シャルルマーニュの時代の典礼統一の動きに伴い
ローマに導入されたものと考えられている。
諸文献を比較すると、現在の使徒信条に最も近い形が現れるのは、
七世紀の南ガリア、ピレネー山脈からローヌ川までの地域である。
それがまずガリア、ドイツでその権威が確立され、
更にローマのものとして確立されることになったと考えられている。