>>318
> この国内の節度使が、各地方で自立して、
> 科挙制による中央集権政治を行うようになった。

時の皇帝が、科挙試験で受かった役人に民政を任せた。
また、試験とは別の人事で、皇帝との個人関係で軍事長官を置いた。

>>319
> 明朝は北宋と同じく、中央集権。
> 清朝は、地方分権。

宋と明は有事の際、皇帝が科挙試験で受かった役人に、兵隊を預けて戦わせた。

軍事を個人的な師弟関係で縛るのではなく、試験で受かった人物に行政や軍事を任せた。
中央集権というのは、皇帝が思わしくない役人の首をすげ替える事が出来たから。

清は少数の満州人が多数の漢人を治めていたから、旗人という貴族を総督として、
地方分権で、軍事を任せた。

役所の仕事は、科挙試験で受かった官僚と、庶民の胥吏(しょり)に、
民政を任せていた。

役人は官と吏で構成されていて、官吏と呼ばれている。