大昔に書いたんだけど、大乗までの仏教は山に寺を作るよな
聖なる場所で世間と隔離して修行をするわけだ

大乗は人が住むところに寺を作る
菩薩道の大乗なる所以だが

キリスト教は発祥から民の中に入り込んで活動するわけよ
ヨーロッパの昔の街は教会の鐘の音が聞こえる範囲で作られていた

仏教は修行色が強く自己の変革によってるから、菩薩になって民を救うことを強調するが

キリスト教は菩薩になる前に今のおまいのまま隣人愛で神のアガペーを隣人に与えろと教える
だから社会に仏教よりコミットするのよ

にわか仏教徒の言い分は、走れるようになるまで走らない、と言ってるのと似てる

そんなんじゃいつまで経っても走れるようにならんで
菩薩道を志すなら今、隣人のために活動せいや、となるのは必然なんですー