嗜好による選択や逃避をしている者は自殺をしているのと同じだとクリシュナムルティはいうのじゃ。
老衰してからの自殺も全く同じ逃避の一つでしかないのじゃ。
そこには何の智慧もなく、ただ苦から逃れようとする反応だけしかないのじゃ。
苦から逃避する反応だけならば単細胞生物と同じなのじゃ。
苦から逃避せずに、対峙して観ることから真の智慧の行いが始まるのじゃ。