我を捨てて、坐禅に成る。

ネルケ無方禅師
「畢竟、本当に死ぬつもりで、坐禅のママで死んでもよいという気持ちで坐禅をしなければ、坐禅の道は開かれないのです。たとえ自分の命でさえ、手放せないものがひとつでも残ってしまえば、坐禅しているつもりでも時間を無駄にしているだけです。
ただ、『私』が坐禅して一生懸命がんばるのではなく、坐禅の姿勢に任せるだけでよいのです。『私』が坐禅しているうちは、本当は坐禅していないのです。
坐禅の姿勢に任せきったときにはじめて坐禅が自ずから行われ、現成します。坐禅は『私』のためにある手段ではなく、逆に坐禅のために『私』を投げ捨てていかなければなりません。
そのとき、自分ではなく、坐禅が坐禅をします。と同時に、自分が始めて本当に自分になり、『自分』をします。」