こんばんは

>>コスモさん
感染症について中世のキリスト教国の教職者の中で問題になったことがあるようです

ペストが流行してまだ不治の病だった頃、修道院でクラスターが起こった時に問題になったのは「はたして神父や教職者は医者の診断を受けるべきなのか」ということです

神は善なる存在である
善なる存在が与えた物事は善なる事実である
ならばペストも悪ではなくて善なのだから受け入れなければならない

それに隣人を看病すべき教職者が、診断を受けて看病される側に立つことを神が望むのだろうか
そして、永遠の魂を日頃から説いている聖職者が死を恐れるなんて出来るのだろうか

熱心な神父の中にはむしろすすんでペストにかかろうと感染者によっていく者もいたそうです
信じるならトコトンいこう、みたいなかんじですかね

神が許したことしか起こらない
善なる神は善をなすのを信じている
というコスモさんの考え方について、実はぼくも個人的に同意しています

問題は、この事が現実として目に前に立ちはだかった時、それもまた「神に与えられた善なる運命である」と診断を拒否することができるのでしょうか
また、聖職者ならば診断を断るべきだと思いますか