>>605
動物の身体がある以上、罪人の状態にあるとは言えます。
しかし、キリストを主と呼ぶということは、動物の身体と悪を否定するということです。
すなわち、人は自ら自信を完全な善とすることはできなくとも、
キリストという善を選ぶことはできます。
>>606
二人の人の意見が一致するからといいて、そこに一人の人がいることにはなりませんよね?
>>626
食べ物が禁じられたのは、旧約(人間が自らの力で法を成就できれば命に至る)です。
なぜ旧約が与えられたかというと、人間の罪があらわれるためです。
そして、キリストがすべてを変えることを約束されたことにより、旧約は廃棄されました。
すなわち、「人間では動物の身体を含む罪を解決できない」ということが証明されるためです。
>>637
>>640
キリストに罪はありません。そして、神の権威即ち王の権威は、ひとつの国家に一つだけであり、
神の場合は、全世界に対する王権であるため、唯一です。故に、その相続者であるキリストも唯一です。

一方、信者は恵みによって「神の子」と表現されますが、
あくまでキリストの救いにあずかるものであって、罪びとです。

与える側のキリストと、罪びとは決定的に違います。

例えるなら、人間の社会において、王様が国民のことを、「私の子供たち」と呼ぶようなものです。