キリスト教@質問箱
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聖書に関する質問をこの俺が神様に祈って直観で答えるスレッド。 >>637
イエスを神としたグノーシス派福音書のヨハネ書をエイレナイオスが
トルコからフランスのリヨンに持っていてグノーシスではないとロンダリングして
四福音書説を提唱してロマが採用し、アフリカのアレクサンドリア学派が
キリスト教神学のトリニティ神学を作ってそれが正統とされたからや 簡単に言えば、イエスを神としてヨハネ福音書をエイレナイオスの詐欺をして
ロマを騙して採用させて、キリスト教神学となつた。
このせいで正統派のエルサレム教会はエビオン派という異端として排斥された
イエスをキリストと信仰するが神としないとして >>637
ヨハネ福音書1章に、
ロゴス(イエス・キリスト)は神とありますが、
信者としての神の子とイエス・キリストは神の子の差は、
いま現在の自分には分かりません。
新約聖書には、
キリストは教会の頭、信者はキリストの肢体とあります。
キリストは神であり人であるのですが、信者は人です。 >>638
>>639
複雑なんやね(´・ω・`)
>>640
そっかー(´・ω・`) >>605
動物の身体がある以上、罪人の状態にあるとは言えます。
しかし、キリストを主と呼ぶということは、動物の身体と悪を否定するということです。
すなわち、人は自ら自信を完全な善とすることはできなくとも、
キリストという善を選ぶことはできます。
>>606
二人の人の意見が一致するからといいて、そこに一人の人がいることにはなりませんよね?
>>626
食べ物が禁じられたのは、旧約(人間が自らの力で法を成就できれば命に至る)です。
なぜ旧約が与えられたかというと、人間の罪があらわれるためです。
そして、キリストがすべてを変えることを約束されたことにより、旧約は廃棄されました。
すなわち、「人間では動物の身体を含む罪を解決できない」ということが証明されるためです。
>>637
>>640
キリストに罪はありません。そして、神の権威即ち王の権威は、ひとつの国家に一つだけであり、
神の場合は、全世界に対する王権であるため、唯一です。故に、その相続者であるキリストも唯一です。
一方、信者は恵みによって「神の子」と表現されますが、
あくまでキリストの救いにあずかるものであって、罪びとです。
与える側のキリストと、罪びとは決定的に違います。
例えるなら、人間の社会において、王様が国民のことを、「私の子供たち」と呼ぶようなものです。 イエスに罪はあると思うよ
罪ばかり犯すダビデを完全肯定したり
様々な奇行とか
あと新約聖書変な解釈いっぱいあるよね
3:マタイによる福音書/ 02章 15節
ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「私は、エジプトから私の子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった。
これモーセの出エジプトの事だよね? やはり、ただ信仰のみ、ということか(´・ω・`)
>>642
了解(´・ω・`)ゞ しつもーん
「辻褄が合わないこと」「矛盾したこと」
これらも神の創造ですか(´・ω・`)? >>646
有名なとこでは、神は自分で持ち上げられない石を創造できるか?
みたいな(´・ω・`) >>647
例えば全てが科学によって解明して自分も「ああそうか!聖書ゴミじゃん!」って思う日が来るかも知れない
そして完全に棄教したときに天罰が下ったりするのかも知れない
でもそれまでは聖書を読み続けるのでしょうな >>650
https://www.tbsradio.jp/144738
そういう歴史もある
2:レビ記/ 13章 02節
「皮膚に腫れか吹き出物、あるいは斑点があって、規定の病になるなら、その人は祭司アロンか、祭司であるその子らの一人のもとに連れて行かれる。
3:レビ記/ 13章 03節
祭司がその皮膚の患部を調べて、その患部の毛が白く変わり、皮膚の下まで及んでいるなら、それは規定の病である。祭司はそれを確認したら、その人を汚れていると言い渡す。
4:レビ記/ 13章 04節
皮膚に白い斑点があっても、皮膚の下までは及んでおらず、その毛も白く変わっていなければ、祭司は患者を七日間隔離する。
5:レビ記/ 13章 05節
七日目に祭司が調べて、患部はそのままで皮膚に広がっていなければ、祭司はその人をさらに七日間隔離する。
この頃はこれが全てだったし、今もってここまでできてない医療の例もあるだろう
俺は自分が正しいと思った方を選ぶかもしれんが
それが完全に間違ってたりすることもまたあるだろうな
エホバの証人の配ってる本読んだことない?
科学の事ばっかり書いてる アインシュタインはそれこそ熱心なキリスト教徒だったそうな >>653
ミッシングリンクって知ってる?
自分学が無いのであれだが、
納得いく答えがない限りアダムとエヴァは土くれから作られたと思うな
なぜならミッシングリンクを聖書が予言していたから >>654
そっかー
ワシは神化論を提唱しとんのや
人間はいつか神になると信じとる(´・ω・`) なら、正教か異端カルトやな
神化という教義があるからねー
プロテスタントだと聖化だけだしな 脳細胞は自我は認識しない。
そして脳細胞は自我の肢体である。 >>650
>>651
「(自称)キリスト教徒」なのか、「キリスト教」なのかは区別する必要があるかと存じます。
「キリスト教」の話であれば、自然法則などを否定するものではありません。
また、モーセの律法における決まりは、むしろ儀式としてのものであり、
医療行為が本旨ではありません。
また、奇跡などについては、「通常の自然のありようそのものを変えること」であって、
「科学(通常の自然のありよう)に合致するかどうか」というのとは、また別の問題かと存じます。
つまり、別に「通常の自然のありようがどうであるか」というのは、誰においても、否定されるものではないかと存じます。 >>653
自然には、
言語性によって、新しく事物が何であるかを決定する作用も、
倫理性によって、新しく事物の法則を定める作用もありません。
人間は倫理性によって、自然の性質を服と法の下に否定しています。
このような人間存在を、自然は決して生み出しませんし、
そもそも自然には新しく何かを定める作用はありません。
自然はあくまで、定められた決まりのなかで作用しています。
また、動物の認識は、あくまで物的事象、物の順序や作用の大小といった「物」に対して働き、
新たに「それが何であるか」を定めて事物を認識する言語性への発展性は観察されません。
そして、動物の欲求は、倫理性に反しています。
少なくとも、ただの動物の活動の延長線上には、言語性も倫理性もあり得ません。 >>657
先越されとったか(´・ω・`)
>>659
そっかー(´・ω・`)
>>661
動物と違って人だけは特別なんやね
神に似せとるだけに(´・ω・`)y━・~~ >>655
確かに、人間には言語性も倫理性もあります。
言語性によっては「事物が何であるか」を認識でき、自由に定めることができます。
倫理性によっては、目的を自由と尊厳によって定め、
世界の目的を神と共有することさえ、人間は許されています。
もちろん、世界の目的とは別の目的を定めれば、
相反する目的(=善悪の基準)は互いに悪となるため、世界の善悪さえ、その人のうちでは定めることができます。
しかし、人間には「事物を現実に在らしめる権能」がありません。
人間が何らかの目的を世界の目的だと勝手に定めたとしても、
それが現実にはなりません。
まさに「事物を現実に在らしめる権能」こそが、神とひととの決定的な違いかと存じますが、
あなたは、人間が、「あれ」と言えばそこに事物を無から存在させることができる存在になるとおっしゃるのですか。
しかし、「事物を現実に在らしめる権能」は、世界に唯一しかあり得ません。
というのも、世界はひとつしかないからです。
まさにこの「事物を現実に在らしめる権能」によって、神は唯一であり、全知であり、全能なのです。 >>663
この箇所知ってます?
18:コヘレトの言葉/ 03章 18節
私は人の子らについて心の中で言った。「神は彼らを吟味し、動物にすぎないことを見極めようとする。」
19:コヘレトの言葉/ 03章 19節
人の子らの運命と動物の運命は同じであり、これが死ねば、あれも死ぬ。両者にあるのは同じ息である。人が動物にまさるところはない。すべては空である。
20:コヘレトの言葉/ 03章 20節
すべては同じ場所に行く。/すべては塵から成り/すべては塵に帰る。
動物だってすべて馬鹿なわけでも無力なわけでもない
人は人としてなすべきことがあると考えている
人間だってつらいわけです >>665
ボケーと聖書検索したら普通に出て来たわ
1:イザヤ書/ 34章 14節
ハイエナはジャッカルに会い/山羊の魔神はその友を呼び/夜の魔女はそこで休息し/自分の憩う場を見つける。 >>667
それこそ自分で考えるべきだね
ただそんな破壊するやつは必ず淘汰されて紋所突きつけられるのが聖書ではある >>668
そっかー
間男にも注意やな(´・ω・`) 神が殺せと命令したら、人を殺しますか(´・ω・)? >>672
1:創世記/ 22章 01節
これらのことの後、神はアブラハムを試みられた。神が、「アブラハムよ」と呼びかけると、彼は、「はい、ここにおります」と答えた。
2:創世記/ 22章 02節
神は言われた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして私が示す一つの山で、彼を焼き尽くすいけにえとして献げなさい。」
12:創世記/ 22章 12節
主の使いは言った。「その子に手を下してはならない。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが今、分かった。あなたは自分の息子、自分の独り子を私のために惜しまなかった。」
未遂で終わったり、実際殺したり、断った人はあんまりいないけども
まあそれこそ自分で考えろっつーの >>666
ご発言の意図がわかりかねます。
私は、「動物には人間と同じ言語能力がない」ということ、
つまり、「事物が『何であるか』そのものを人間と同じように認識する能力がない」ということに言及しています。
事実、動物に人間の言語を教える実験はすべて失敗しています。
実験の結果わかったのは、
動物にとっての人間の言語は、物としてのかたちや音波や動きでしかなく、
ただの物の順序を示す、物的合図としか認識していない、ということでした。 >>674
そりゃバベルの塔の話とおんなじだw
外人が何言ってるのかわかんないのと同じだし
逆に動物のサインの出し方あれこれ解析する人もいるでしょ
じゃあこのコヘレトの言葉は間違ってると? >>665
魔女と自称する人や、魔女と呼ばれる人たちはいるでしょうけれど、
少なくとも聖書においては、所謂魔術は禁止されています。
ヨハネの黙示録22:15
「犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、
また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。」
ただし、これはむしろ、「魔術が実際にあるから」ではなく、
「魔術がそもそも事実に反するものだから」です。
占いもそうですが、所謂まじないや魔術と呼ばれるものが何か、
一般的また事実としてどうか、という点で、
手相がどうだから未来はこうなる、とか、
こういう動作をしたら未来はこうなる、とかいうものです。
つまり、何の因果関係もなく、あるいは言葉遊びのこじつけなどを因果関係とするものです。
つまり、実際の因果関係と事実に反するものです。
それは、創造者への侮辱でもあります。
つまり、そもそも何の因果関係もないところに、本当の因果関係など発生しないのですから、
占いや魔術は、そもそも現実に存在などできないし、
聖書の中においても否定されている、ということになります。 >>675
外人はそもそも人間の言語を語っているではないですか。
動物には、人間の言語を理解する能力がそもそもありません。
動物の言語は、あくまで「ただの鳴き声」などであり、
記号や音声により名づけを行い、あらゆる事物を定義し、あらゆる概念を自由に組み合わせ、
事物そのもののあり様を理解する人間の言語ではありません。
そもそも、あなたが引用された「コヘレトの言葉」の箇所は、
人間と動物が同じように死ぬ点について「大差ない」言及しているのであって、
言語能力の有無になど言及していないではないですか >>677
つまり、魔女狩りってのは、キリスト教的にはむしろ当然だと(´・ω・`) >>667
神も破壊していますよ。
創造とは変化であり両極があって初めて調和、継続が可能なのです。
創造だけして破壊を行わない神は無理があります。 なんで魔女かって言うと、ちょうどAmazonプライムで映画「デビルクエスト」見てたから
ちょっと気になってな(´・ω・`) >>680
「ノア」って洪水の映画あったなー(´・ω・`) >>667
神が定められたことを、人間が壊せるはずもないのですから、そもそも対象が同列になることはないかと存じます。
神の定めのなかで、人間は敵を愛して死ぬ方を主と呼ぶ場合も、神に敵対してキリストに裁かれることを選ぶ場合もあるかと存じます。
>672
十字架に掛けられても罪びとを愛されたキリストが生きておられ、
「敵を愛せ」とキリストに命じられている今このときに、「人を殺せ」と神に命じられるということがまずあり得ません。
ましてや、キリストが捨てられた血縁や民族や領土や今ある国家のためになど、どうしてキリスト者が人殺しをできるでしょうか。
再臨の時であったとしても、裁きを下す方はキリストであって、
罪を赦された罪びとではありません。 なんか外典の他宗教の偶像をあがめてる人たちが自傷するとこが出てこないな
確か外典だったと思うんだが >>679
いいえ。逆です。
そもそも、本物の魔女などいるはずがないのですから、
魔女狩りを行った自称キリスト教徒たちは、魔術の存在を信じていたのであれば、
魔術が本当に存在すると信じていた点で、聖書に反していたのではないかと思います。
また、魔女とされた人々が実際にわけのわからない因果関係をよしとしていたとしても、
キリスト者は、十字架に掛けられても敵を愛する義務があります。
どうして人殺しなどしてよいでしょうか。 >>683
神に敵対する人を裁け、つまり殺せと命じられたら、貴方は殺しますか(´・ω・)? >>684
明らかに他の文書と矛盾するような偽書をもって、キリスト教の教えだとされるのは、ご勘弁くださいませ。 しつもーん
そもそも神の裁きとは?
ぶっちゃけ、殺すんですよね(((´・ω・`)))ガクガク しつこいようで、すいません
「敵を愛せ」
この敵とは、人間の敵のこと?
それとも神の敵のこと?(´・ω・`) >>690
人間の敵→✖
自分の敵→◯
あ、「汝」の敵を愛せだったな(´・ω・`)汗 敵とは迫害者。
いじめて来る人 嫌な事をする人 妨害する人
邪魔な人 自己解決
自分の敵は愛さないといけない
しかし、神の敵は愛さなくていい
つまり、キリスト教の敵は裁いていい
裁くとは、殺しても良いということか(´・ω・`)?
>>692
つまり迫害者とは、異教徒のことですか?
神に敵対する人を愛せなのかー
あれ?
神に敵対する人を裁くんじゃないの(´・ω・`)? 裁くのは神。
その人の行為が、その人を裁く。
それを横から裁いたら、越権行為で重罪
汝の敵と自己解決したのでは?
だいたい迫害者は、自分は正義だと思った上で
こちらが悪だ、と迫害してくるんだよ
ロマ皇帝を神と信じてない奴は、神に対する不敬罪であるとか
そういう感じ >>686
キリストは、以下を命じられました。
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5:43-48)
「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。 しかし、
もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」(マタイ6:14-15)
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」 (マタイ7:1-2)
もし、誰かに「神の言葉だから人殺しをしろ」と言われたら謹んでお断りします。
神に命じられるということは、あり得ないことだからです。 >>694
せや!
迫害者を愛すことでキリスト者に変えるんやな?
なるほどなー(´・ω・`) 1:マタイによる福音書/ 07章 01節
「人を裁くな。裁かれないためである。
2:マタイによる福音書/ 07章 02節
あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量られる。 >>695
なるほど
んー大いなる疑問が湧きました
敵を愛すのが神の命令ですよね
ならば神に敵対する人間って存在しなくなるよね
そしたら全人類は無条件で全員救われるという理屈ですよね
なら最後の審判っていらなくね?
全人類が神に愛されるんだから(´・ω・`) >>689
キリストの裁きは、すべての人をよみがえらせたうえで行われます。
その裁きの結果は、その時にわかるものかと存じます。
>>693
「汝の敵」の「汝」は、前提として、キリストの教えを神の教えとして受け入れている人を指します。
つまり、神の側の人を指します。
つまり、「神の敵は愛さなくていい」のではなく、当然に愛するべきですし、
「キリスト教の敵は裁いていい」ことにはなりません。
むしろ、キリストのしもべは、人を裁いてはいけません。 >>698
敵対する人間がいなくなる事はないのでは?
なんぼ言ってもわからん人入ると思うよ >>699
裁きとは永遠の死を与えるんだから、やっぱ殺すんじゃ?
カクカク(((´・ω・`)))プルプル >>698
「敵を愛する」からといって、「神に敵対する人間がいなくなる」わけではないかと存じます。
むしろ、神が敵を愛しておられる結果が、今現在の状況です。
すなわち、反キリストの自称キリスト教徒たちが何十億といて、
勝手につくった国家や領土のために戦争をしていて、
その他、自らに命と存在を与える神に反抗することをよしとするような人々もいます。
日本の場合、「表面上の平和があるなら、真実なんてどうでもいいから、空想でもいいから神道や仏教を信仰しよう」なんて人もいますね。
これは、人間に自由がなければ、愛に価値がないし、そもそも愛を選べないからですが、
自由な精神を前提とする以上、いくらキリストが全世界に宣べ伝えられているとしても、ひとつのありうべきかたちかと存じます。
だからこそ、キリストによる裁きがなければ、世界は救われないのです。
キリストの再臨をもって、救いは完成します。 >>702
捕捉しますと、救い自体はすでにキリストとともに来ています。
ただし、キリストの裁きによって、世界はキリストの支配に移る、ということです。 >>700
でも、結局、最期は神は全人類を愛して救うんでしょ?
なら布教する意味、無くね?
そもそもキリスト教いらなくね?(´・ω・`) >>704
出来るだけ多くの人を救いたい、そういう意味ではないだろうか
でも救えない人はやっぱり地獄に落ちちゃうよ、と >>701
存在が消えるとは明記されておりません。
ただ、存在の継続是非はどうあれ、
「『キリストを否定したもの』としてのキリストの支配下での永遠」という永遠の火は変わらないかと存じます。
一方、キリストの「隣人を愛せ」という命令も変わりはありません。
その命令自体が人によっては永遠の刑罰になるかどうかも、わかりかねます。 >>702
でも、キリストは、そーゆー反キリストや神道や仏教徒も、最後は全員「愛す」んでしょ?
しかし裁くってことは、愛さない奴もいると
どーもキリストは言ってることが矛盾してるよーなんですが
神のみぞ知るなんかな(´・ω・`)? >>704
今の時代は、「キリストを信じるかどうか」を人に問う時代です。
キリストを信じる人は救われますが、そうでない人は救われず、永遠の刑罰に入るとあります。
すべての人が救われるわけではありません。
ある人々は、刑罰を受けることで、神とキリストに栄光を帰します。
そのため、キリストが定められた人々に宣べ伝えられることは必要です。 >>705
うーん(´・ω・`)そーゆーもんなんか
>>706
やっぱ神のみぞ知る、か(´・ω・) >>708
せや!
救われる人間と救われない人間は、最初から決まっとるんやったな
救われない人間をいくら愛しても、無駄
救われる人間の証明は、ただ信仰のみなんや
やっと理解した
あんがと(´・ω・`) >>707
25:ルカによる福音書/ 04章 25節
確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、全地に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたのに、
26:ルカによる福音書/ 04章 26節
エリヤはその中の誰のもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタにいるやもめのもとにだけ遣わされた。
27:ルカによる福音書/ 04章 27節
また、預言者エリシャの時には、イスラエルには規定の病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンだけが清められた。」
救いとはそう生やさしい物ではない
現実的に救えない奴は見捨ててしまおう、とここに明記されている
お前も蝋人形にしてやろうか >>707
裁かれるのは、「愛されること」や「裁きを免れて赦されること」を拒否した人たちです。
神は報いを受けさせない方ではありません。
神に愛されながら、神から受けた自由を神に反する事に費やした人々は、
必ず、その人たちの選んだ道のままに、報いを受けます。 報いっつーか、自由意志で神の拒絶を選んどるんだから単なる結果だろw
自分で撒いた種を自分でせっせと育てて、収穫時期に刈り取られるだけ >>711
>>712
理解した!
ありがとう!(´・ω・`)ゞビシッ >>710
お役に立てましたら、よかったです。
ただ、目の前にいる人が救われない人と定められているかどうか、私たち人間にはわかりません。
また、「神を愛せ、隣人を愛せ」と命じられています。 >>715
ちょっと、まったー!!!!
安心させたとこでスマン
重大な疑問が閃いた
キリスト教を全人類に仮に布教したとするじゃん
信じる者は救われる
全人類が神を信じたら、神は裁く対象が居なくなるじゃん?
神の裁きは、無かったことになるの!?
ムムムムム、矛盾〜(´・ω・`)y━・~~ >>716
とりあえず過去に罪を犯して神の裁きを受けた人はいる
今現在はどうだろう
やっぱり罪を犯してるっぽい人はいる
そうは思わんかね 全人類が神を信じたら裁く対象がなくなるのは必然だわ
その時は神の裁きは無かったことになるんじゃなくて、裁く対象がいないから、裁きはなくなるだけだわ
その時に、では「信じる」とは何か、だけが疑問として残るわな 裁きの日がいつかは明記されてない
五秒後かも知れないし2万年後かも知れない
具体的に何が起こるかもよくわからない
みんなが救われるかも知れないし
誰も救われないかも知れない
そんな事はどうでもいいのです >>716
時系列として、確かに旧約時代にモーセの律法などで裁きを受けた人たちはいました。
キリストの再臨のときのキリストの裁きは、これから来るものであり、
今の命についての裁きではあっても、下される報いとは、キリストの裁き以降のことになります。
神の裁きは今から行わることであるため、無かったことになるもなにもありません。 >>720
捕捉しますと、
「裁き」が過去のことを指すならば、それは動物の身体にある命についてのことです。
「裁き」がキリストの裁きのことを指すならば、それは今からのことです。 また、事実、キリストを否定して今の命を終えた人たちはいるので、
その人たちは確かに、よみがえらされてキリストの裁きを受けます。
裁きはそもそも、必ず行われるのです。
仮定として、「もし人類がはじまってこのかた、初めから神に敵対するものがいなかったら」とするなら、
その世界にはそもそも救い自体がいらないため、その世界にも救いを設定する時点で、仮定自体が破綻しています。 >>717
うん(´・ω・`)
>>718
あ!
恐ろしいこと思いついた
信じることに疑問を持った時点でアウトなんや
疑問を持ったら神に敵対することなんや!
ワシら、アカンやん(´・ω・)
>>719
そっかー(´・ω・`) >>723
そーでもないんだな
無学でなんの教養もなくて何も知らないけど神を信じてる人は世の中に沢山いるんだ
そういう人は時間の経過の中で色んな罪を犯すけど、それでも神である灯台、向かう先を知ってるから聖霊やキリストに助けてもらいながら、歩み続けることが可能なんだな
疑問を持っても、何度転んでも神を見上げて歩み続ける
それが信じる、信仰ってものでつ
それさえあれば、後はゴールに辿り着くのは時間の問題なの >>723
信仰をよく理解しようとし、あらゆる問いを投げかけることは、大事だと思います。
しかし、まず信じるということも大事です。
信じる理由は、「キリストによらなければ、聖なる神の前に生きられない自分がいること」かと存じます。
あなたが存在していること自体が、キリストの証明であり、キリストの愛なのです。
キリストを前提としなければ、キリストを否定するための話が構築されますが、
キリストを前提とするならば、キリストを前提とした理解が組みあがります。
その時、キリストを前提とする理解が、この世界のあらゆる事実に合致することが見出されます。 キリストとは、罪びとのために十字架で死なれ、三日後に神によって蘇られた方、神の御子です。 >>720
>>721
>>722
ありがとうございます
疑問が解消しました
簡単な問題でしたね(´・ω・`)汗 キリストは、キリストを主と呼び、悔い改める者に、罪の赦しと新しい命を与えられます。
キリストを主とすることによってのみ、
人は罪ある身体を離れ、新しい命と、律法の成就に与ることがきます。
人の為すあらゆる法は、人間の罪を解決できません。
神の権威の相続者であるキリストの愛の完全によってのみ、
人は罪の赦しを得ることができます。
キリストの愛だけが、人を生かします。 すいませーん
よく戦争映画とかでたまに従軍牧師を見るんですが
戦場で敵を殺すのは、敵を愛すというイエスの教えに反するのでは?
従軍牧師は「殺しちゃダメよ!」って説かないの?
何の為に居るんだろう(´・ω・`)? >>730
みんなが安全に生きて帰るように祈ってるんでそ(´・ω・`) よく、「人には自らの悪い心に打ち勝つこともできるんだ」とおっしゃる方がいらっしゃいます。
しかし、完全なる存在の前に、不完全なものは価値がありません。
人間が完全に与ることができるのは、自らの不完全を認め、完全な方を是とするときだけです。
そして、人間が生きるための完全とは、愛の完全だけなのです。
そして、そのような人間が、私たちがこの世界に存在しているということこそが、
私たちがキリストのために存在していることの証明であり、
即ち、キリストの証明なのです。
人間は、自らの不完全を受け入れ、愛の完全を受け入れることで、
人間自身では決して得られない、神の目的と完全に与ります。
神の目的は、キリストです。
神は、あらゆる可能性のうちから、愛の完全を、世界の目的に選ばれたのです。 >>732
いや、でもおまいも不完全じゃん?
ならなんでそんな偉そうなこと語れるの? >>730
彼らの理屈では、戦場の敵は異教徒じゃから殺してもええんじゃ
従軍牧師は死んだ味方の兵隊が天国へ行けるよう祈るのが役目じゃ 神は、もう1人の神を創造できるの?
出来ないのは唯一神と矛盾するから?
その出来損ないが人間(´・ω・`)? >>735
暇だった、なんらかの不確定性が欲しかった
自分と同じ力を持った敵や友達が欲しかった、と考えている >>731
>>734
そっかー
やっぱ異教徒は愛さなくてえーんや(´・ω・`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています