ちなみに、「私はお前達に永遠の命を与えようと思っていた」という話になるはずだ、ということはあり得ません。

というのも、計画上、人間は動物の身体にある命を失い、新たに、キリストによる命を得るよう、定められていたからです。
そうでなければ、わざわざ人間の行動範囲に誘惑するものと善悪の知識を置いたりしません。

人間は、自らの心が完全でないこと、自らでは髪の毛ひとつ、法のひとつも保つことができないこと、
動物性が善性に反する事、罪があれば死ぬことを、事実として歴史に刻む必要があったのです。

それは、万物の目的が「人間の栄光」ではなく、「キリスト」であるためです。

キリストによってのみ、人は愛の完全と新しい命、罪の赦し、また律法の成就に与ります。
そのような罪びとの実在こそが、キリストの実在の証明です。