【仏教】悟りを開いた人のスレ486【天空寺】
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悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もすること。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。
※前スレ
https://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1583072301/ >>676
諸法無我なのに、それがわからんから、苦しむ、ということだろ?
無我がわからんから、苦しむんであって、個我があるから苦しむのではない。。
ホントはないのに、あるように思ってしまうから苦しむ、ということだ。。
だから、無いものを無くそう、というのはおかしい。。
本来ないのに、あるように思ってしまうのはなぜかを突き止める、ということではないのか? >>684
その状態をキープできますか?
24時間365日死ぬまでですよ?
仕事できますか?
勉強できますか?
遊べますか?
彼女とデートできますか?
無我であり個我を無くした状態で生きていけるか?
お答え下さい(´・ω・`) >>685
クロちゃん、ええこと言うた!
ひょっとして答え知ってる?
もう答えてるようなもんやけど
俺のお株奪わんといてやー(´・ω・`)笑 >>683
個我という幻想の内容を知り、自覚することですね。
自覚したところで架空は架空、幻想は幻想のような気もしますが。
ありがとうございます。 個我があるから苦しむのでは、無い
クロ氏のこの発言は非常に核心を突いておーる
では、なぜ、苦しむのか?
さあ、みんなで考えよー(´・ω・`)笑 お前ら!考えすぎやろが!
スレがストップしとるやん
思ったこと書け
消灯時間が近いんや(´・ω・`)笑 >>691
元はなくても、あるときはある。だから困る。 >>692
それを知ってる個我があるでしょ?
いい加減降参しろよー
答え言うぞ
個我なんて絶対に無くせません
一時的に無くなった気がするだけです
釈尊ですら入滅の寸前まで個我があり苦しみました
では、個我を保ったまま、どうやって苦しみを無くすか?
わかりますかな?
(´・ω・`) >>696
それは勘違いじゃよ
我はないと釈迦がゆーとるから、自我はないのじゃ
肉体活動や思いはあるよ、当然w >>697
嘘つけ
針千本飲ますぞ(´・ω・`)ハゲ >>687
うん、後は任せた。。
今おでんを作ってる最中なのだ。。w
>>688
うん、妄想あった方が楽しいかもよ。。 まさか、無我の人と、自我のある人がおるとか言い出すのか?w >>702
個我なんて妄想ですと言っとるだけやろが
でも個我という妄想が無いと人間は生きていけんのや
死ぬまでな(´・ω・`)笑 >>704
そんなことないやろ
なんもしてないのに生きとるやないかw ハジ君が来たから面倒くさくなってきた
寝るかもしれん
後はハジが説法してくれるんで、任せるわ
(´・ω・`)チャオ >>706
ワシが無職なのを皮肉っとるのか
コラ(´・ω・`)💢 1・12
自性の無い諸の存在には、
有性は存在しないから、
この
「これが有るときにかれが有る」
ということは(増上縁)は、
どうしても成り立たない。
逆縁から見た順縁は成り立たない?
不生不滅から見た生滅はどうなるか?
(`_´)ゞ >>708
おっと、すまんww
そーゆー意味ではないぞお
個我とゆー思いがなくても、生きとるやん >>709
因果関係そのものを否定しとるだけやないか
深く考えすぎ(´・ω・`)笑 >>710
うーん、近いのか?
ヒント
「なぜ、苦しむのか?」
この疑問そのものが答え(´・ω・`) >>638
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ十如是の一念三千でしょうお >>711
お前は、今こうして「おっと、すまん」と俺に対して謝っとるやないか
すまない!と感じとるのは誰や?
ハジという個我やろが?
ああん?(´・ω・`)笑 >>714
すまん、後で調べる
専門用語は苦手や(´・ω・`) >>715
ちゃうよ
そーゆー思いが、脳髄の中を駆け巡ったが
それはハジのものではない >>720
それが個我やないか!
アホか、おまえ(´・ω・`)笑 >>722
個我が無い?
お前は植物人間か?
脳死状態なんか?
さっさと逝けよ(´・ω・`)笑 中国で新たに建てられたコロナウイルス対策の病院名が火神山医院っていうらしい。
五行説、つまりコロナウイルスは金の属性だから、火の名前がつけられたとか。 >>699
我がなかったら思いもないんじゃないの? >>714
麦はなんでそんなに仏教知識が深いんだい? >>727
思いはあるでしょう
体もあるやんか
我がないだけでしょ >>713
自分で疑問視しているから苦しむ?問わないこと?苦しむ必要がない? 風があったら風がある
思いがあったら思いがある
○○があったら○○がある
そやけど、そこに、お前はいない
それだから、お前はいないのだ
とか、ゆーてんやん、釈迦 >>728
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ知識もそんなにないですし深くないです
法華経も物語みたいに読んで2回目で考えながら解説書読んだり晃たん教えてもらったりですお >>731
わたしがあったらわたしがある
そこにわたしはいない
それだからわたしはいないのだ
\(^o^)/ >>737
ちゃうんやって
悟っても悟ってなくてもそーなのwwww >>732
ありがとさん、またそのうち質問させてね >>741
自意識かあ
難しいことになってきたなあ
自意識って、自分がいると感じている意識のことかなあ
ちょと考えてみる この自意識ってのが、張り付いてんのよね
そんで、それが、取れるといいんとちゃうかな
でも、その自意識も、ほんとは、自然にあるもので、自分のものではないんやに、たぶん
ちょと、自信ないけど、ここんとこは >>743
無とゆーのは表現不能でしょ
無なんだからw >>745
それゆーたら自分の全てが自然のもんやん >>742
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ分かりませんになったらごめんなさいおwww >>736
見るを止める。
聞くを止める。
で、よろしいかとおもわれます。
(`_´)ゞ >>752
すばらしいことです
すばらしいことです!
そのことは極めて甚深なる経に説かれていると、チベットの聖典に書かれておりました先生 以上、わたしのIDは、ほしがお送りしました。\(^o^)/ >>754
18・12
心の作用領域(対象)が止滅するときには、
言語の作用領域対象は止滅する。
まさに、法性(真理)は、
不生不滅であり、
ニルヴァーナのようである。
法性(真理)は諸法実相のことだと思われます。
(`_´)ゞ 無位の真人は、体を出たり入ったり、どこにも留まることはない。。
捕まえることも、呼び止めることもできない。。
さあ、さあ、看よ看よ。。 >>376 おぬしの名前は法進なのじゃ。
法を実践して進むのじゃ。
法進よ精進あるのみなのじゃ。
>>378 すでに私も無いからなのじゃ。
気付きでさえ悟りへの道具に過ぎないのじゃ。
悟ったら捨てて善いのじゃ。 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。
先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
息を吐く時に、頭の中で一と数える。
又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。
初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。
例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
例えば花なら花という言葉を使わず、
「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
などと観察していくのじゃ。
出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
連想や記憶は雑念なのじゃ。
そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
そうすれば雑念は自然に消えていく。
このような時に止の行は役立つのじゃ。
やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。 >>678
因果の無い縁起だけがお前の悟りなんやろ?
つまり因縁は有るけど果報は受けないから 悟ろうと発心すれど悟れない‥発心そのものを以て悟りとなす
という事はお前の悟りは存在しない
存在しない 悟っていないのに悟ったと偽ってる事になる
仏教では大妄語罪や
けれどお前は仏教徒や無いからな
ブッダの生まれ変わりを標榜する大川隆法同類の新興宗教の一人教祖やな?
しかも誰も信じないからどんなカルトよりも劣ってる(´・ω・`) >>698
寝てる時に個我は無いやろが? アホ 笑 >>709
宇宙が有るから星が有る
其処に自性は無い
恒星も惑星もどれ一つとして自らの性を有していない しかし存在する >>729
有るという事もなければ 無いという事も無い 即ち空性や 無我や自我や個我をぐちゃぐちゃ考えている貴方は何?
生まれてから毎日ご飯食べて排泄してる糞尿袋の貴方は何? これは仮の姿だ、本当の俺はもっと凄いんだ
ってなると厨ニ病だけどスピや宗教のいう仮がわからん、今ここにいる存在が仮なのか?
釈尊は仮に向かって修行しろと言ってたのか?
わからん 自分とは何かという問いには、答えはいくらでもあるが、考えて出した答えでは、十分ではない。。
だから、禅がある、ということだわ。。
わからん、不識、というのも答えだけど、本来の自己、面目を見よ、ということだから。。
自分が納得してそこに落着できなければ意味がない。。 仮の存在だとしても苦痛や悩みは実在してんじゃん
痛いもんは痛いし、腹も減る
それを無とか仮とか私はいないで解決できてるのかなぁ?? とにかく坐らないと、わからないだろう。。
考えの中にはない、思いの外に出るほかはない。。 考えとか理屈で、誤った考え、勘違いを破る、というのある。。
法を学ぶとかね。。
だけど、それだけじゃ不十分なんだよ。。 いいもわるいも、人からの評価ってやだなー
いい評価は邪推しちゃうし、わるい評価はムカッと来るしで
さらに、その評価をしているオメー自身はどうなんだよと…
わたしがそうなっちゃってるのは、わたしのトラウマや統失、わたしに憑いてる霊が関係してるように思います。
わたしの苦しみはトラウマ、統失、霊による幻想ということと理解しています。 理屈や言葉で表現する事自体が無理だよね
何かを求めて坐るのも違うよね
ただ坐るしかない 求めて坐ってもいいと思うけどな〜。。w
ただと言えば、ただが残るかもだし。。
ひたすら坐る、というのが、本来の只管打坐の意味らしい。。 >>774
アドラーの嫌われる勇気を紹介する
読む読まない共感するしないはあなたの自由 >>768
仮に生まれて仮に消えるだけの有るとも無いとも言えない不確かな存在
本物は見付からん >要素の存在をまず立ててその後にこれから離れる、という考え方は、恒常的な自我を主張する非仏教者が誤っているのと同じように誤りである。
梶山雄一;上山春平.仏教の思想3空の論理<中観>(角川ソフィア文庫)(Kindleの位置No.2142-2148).株式会社角川学芸出版.Kindle版.
という事でしょ。
発疹を掻くと楽になるけど、だったら最初から発疹が無い方が勝ってるって事に気付く事と同じ。
仏教的な解決って落処は、とどのつまりそこに至るんじゃないのかな? >>769
真我など存在しない
全て幻の様なものだ >>776
求めず坐るのは思考と行動の矛盾になるから本来は有り得ない行為なんだよね >>771
悩みも苦痛も永遠じゃない
それを感じる自分でさえ永遠じゃないんだから 気にするな 誤りとか正しいとか言っても、どっちも考えに過ぎないわけだ。。
だから自己を忘ずる、というのことが自ずから起こる、という坐に依るしかないのではないか? >>781
だから、けっきょく悟りを求めて坐る、でいいんじゃないかと思うよ。。w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています