唯識哲学について
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心所とは心王に付随する心作用のことである。
これは遍行・別境・善・煩悩・随煩悩・不定の六つのカテゴリに分類され、全部で51ある。
感情や意志、判断、記憶等、心の状態や機能をまとめたものと言える。
例えば遍行の心所の「受」は感受作用を表し、「想」は感性の多様をまとめる知性、あるいは表象作用を表す。
また同じく遍行の心所の「思」は意思を表し、この思の如何によって心が善になったり悪になったりするとされる。
具体的には善の心所を伴えば心全体の状態が善となり、煩悩・随煩悩の心所が起これば悪となる。
ただし、阿頼耶識と末那識は常に無記であり、これらそのものが善悪に色づけされる事は無い。
もっと細かく言えば、阿頼耶識は「無覆無記」(むぶくむき)で、末那識は「有覆無記」(うぶくむき)である。
(無覆無記とは無記でありかつ悟りを妨げる心所も伴わないこと。
有覆無記とは無記であるが、悟りを妨げる「我癡・我見・我慢・我愛」という四つの心所を伴うこと。
我癡とは無我の道理に無知であること。我見とは常住の自我を想定すること。
我慢とは想定された自我を誇り驕る事。我愛とは自我に執着すること。
これら四つは心全体を善悪に規定する程強力ではないが、悟りを妨げる作用を及ぼすとされる。)