>>625
自分の言ってるのはだいたいそんなところです
その心、つまり「ありのまま評価せず」のマインドフルネス観察者は
決して怒りに囚われることはないです

その観察は誰もが断続的、無自覚には得られてます
つまり誰もが不随意に不苦の観察者として慈悲を働かせています
だから悟らずとも気が狂わずに生きていけるわけです

何故なら、人間は元々その観察者だからです
つまり涅槃です