「悟りを得たはずの僧侶」は、なぜ凶悪なテロ事件を起こしたのか?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200209-00605281-shincho-soci


 また、悟り体験によって獲得される叡智は、そもそも道徳性と結びついておらず、テロリズムを否定するに至らなかったせいと考えることもできる。
じつは、著書において紹介した悟り体験者の中にも、戦時中に好戦的な発言をした人が複数おり、そのことは叡智と道徳性との間に本質的な結びつきがないことを示唆するように思われる。

 叡智だけでは道徳性を欠くし、道徳性だけでは叡智を欠く。
それゆえに、大乗仏教においては、伝統的に、精進(しょうじん・努力)、静慮(じょうりょ・瞑想)、般若(はんにゃ・叡智)のみならず、
施(せ・施与)、戒(かい・道徳性)、忍辱(にんにく・忍耐)をも完成する、六波羅蜜多(ろくはらみた・六つの完成)を修習することが勧められてきたのであろう。

 いくら悟り体験を得たとしても、それだけでは仏教者として完成したとは言えないのである。