>>669
ハジが思ったのは、そーゆーのが、目的地は一緒で、方法が違うだけなのに

南無阿弥陀仏の、救いだけがいいとか
坐禅で、あるがままにあるのだけが真理とか
マントラで空っぽになるのが悟りだとか

通り道のことを悟りってやりだすから

その方法が、残ってて

カラリとして何もない
悟りも真理も、そこにはない

事じゃなくなってしまうとゆー

つまり、方法が、役に立つことは、道としてであって

それ自体が、真理ではないから、その方法が、真理で、他のやり方は真理ではないとかやってることが

おんなじ仏教なのに、対立してることの原因ってこと