【仏教】悟りを開いた人のスレ470【天空寺】
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悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もすること。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。
※前スレ
【仏教】悟りを開いた人のスレ469【天空寺】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1575138079/ >>608
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ
>是諸法空想 不生不滅〜
>煩わせるものが何もない世界
般若心経は何故最後真言にしたんだろうね? >>550 実践在るのみなのじゃ。
>>562 全ての社会はただ環境汚染だけを生み出して消えていく定めなのじゃ。
無畏を起こす教えだけが人の役に立ってきたのじゃ。 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。
先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
息を吐く時に、頭の中で一と数える。
又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。
初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。
例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
例えば花なら花という言葉を使わず、
「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
などと観察していくのじゃ。
出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
連想や記憶は雑念なのじゃ。
そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
そうすれば雑念は自然に消えていく。
このような時に止の行は役立つのじゃ。
やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。 鼻の頭よりも眉間や額の当たりの方が集中が続く気がする >>609
それが結論だからだよ
世界の成り立ちを種明かしして その世界へ行くためにこの大神呪 無上呪 等しいもののない呪を唱えなさいとね
昭和の在家に百万遍写経で悟ったと言われる人もいるから 丸っきりの嘘という訳でもなさそうだよ
真言だけなら百日百万遍も可能
ナンミョーもだけど 急激大量にやると凡人は頭を壊すから そこは自分の器次第
出家得度は一応の免罪符 伝授されてようやく若葉マークって所だろうね
自宗の若葉坊主を何人も泣かせた不良在家の俺 笑 インチキ鬼さん登場〜♪
何時だって忘れない
肺炎はマッサージ
そんなの〜 インチキ〜♪ >>610
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ真言宗たんが来てから気になる様になりました
ご存じですか? >>617
大正時代まで日本に伝わらなかった大本般若心経にはこう有るよ
すあんわちは即ちの入力ミスとして読んでね
http://dharma-winds.net/%E7%B5%8C%E5%85%B8%E3%83%BB%E7%A5%96%E9%8C%B2/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C/
智慧の完成の中で、真言が{次のように}説かれた。
すあんわち、オーン 行けるものよ、行けるものよ、彼岸に行けるものよ。彼岸に完全に行けるものよ。
悟りよ、幸あれ。シャーリプトラよ、菩薩はこのように深遠な智慧の完成という実践を学ばなければならないのです。」と。
そのとき、世尊はその三昧から立ち上がって、菩薩にして偉大なる人である聖なる観自在に{次のように}
賛意を表された。
「善いかな、善いかな、善男子よ。まさにその通りである。善男子よ、まさにその通りである。 >>617
玄奘が梵語の音を漢字に当てただけで訳してないのがなぜなのか気になるね
五種不翻が理由なら真実は秘密だからか無量無辺の多くの真実を含んでいるからか
最上大明無上神呪だからか弘法大師の説明の通りなのか気になる
また鳩摩羅什や他の三蔵も訳してないのか気になる >>618
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ法隆寺にある般若心経より古いお経ですか? >>620
それよりも古い大般若経に該当箇所が有るかどうかじゃない? >>619
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ気になり出すと気になりますw >>621
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ玄奘も般若心経原本に載っていない文を付け加えたりしているようですからね
膨大な大般若経も翻訳で手が加えられているなんて事もあるかもですよね? >>623
だから殆ど直輸入のチベット経蔵が重要になるんだよ→般若心経大本→以後無限ループ >>624
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ法隆寺にサンスクリット語の般若心経があるそうですよね?? >>625
法隆寺は凄いね、謎が多い
中国では11種翻訳があったそうだけど唐時代だから検閲されたと思う >>625
サンスクリット語写本だけでも二系統有るらしいからね うーん
瞑想意識が広がって透明な光が世界に浸透してるみたいなん
と
そういうのもイメージで空なんだからってゆーので、実相のままであるなら無我と気づくみたいなん
と
違うんだろうけど、なんか、この辺で迷う
なんか関連しとんのっちゃうかな完全別個の話じゃない気がするんだけど、なんか、まだ、わからん >>611
あなたは僧侶じゃないんですよね?
なんで嘘をつくの? >>609
般若心経は空を説くお経と云われてますが、その空は欠いているもの、つまりそれそのものは理解の外にあるものとされますから、構成上、敢えて翻訳せず呪のままにしたのではありませんか。 大山は修行する気がない外道。
かような芝居じみた俗物は処刑すべし。
まったく仏門に近寄らせてはならない。 元来、神呪としてのマントラはヴェーダ時代の祭祀に使用されたものであるから、極く初期の般若経典の造経者は、ブラーフマナ時代の伝統語を使用することに躊躇したらしい。
けど、
玄奘が印度を訪れた当時、上記の場合とことなる環境に直面したのであるが、後期般若経典の造経者達は、ヒンドウー教祭司者の使用する秘呪の魔法力を積極的に拒否するため、特に般若波羅蜜の内観の行力の偉大さを主張するに至ったと言う。
その一表現として、「般若の智」(明=ヴィデヤー)に「マントラ=呪文」を付した合成語「明呪」を使用したのであるという。かくすることによって、仏教の解脱への第一歩となる智慧(無明に対する明=ヴィデヤー)こそが、無明(アヴィデヤー)を打ち破る究極の力倆をもち、
という背景があるそうです。 あくまでも顕教的な視座からの見解ですけど、言語により構築された世界を虚妄と見做すのが仏教的な視座でもあるので、その虚妄性からの解脱の実践(≒言語により構築された世界の破壊)に、呪、即ち無意味性の言語(非言語の言語)を用いるのは有効な手段という事でしょう。
かかる意味に於いて、真言も称名も題目も公案も類似性があると思います。
また、言語により構築された世界の破壊ですから、そこに過剰に依止してる方にはW刺激的なW事になりかねないという事です。 >>626
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ法隆寺って謎が多いのも知りませんでした
修学旅行で行って印象に残っているのは六角堂と五重塔ダケです(^^;) >>627
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ原本が二系統あったんですね >>609般若心経は何故最後真言にしたんだろうね?
☝ ア ホ ヤ 低 能 /イ: : : : :/: : : : : : : : : : : /{: : : : : : : 、: : ‘。 \ \ '. \
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その辺は詳しく調べて無いけどね
ただこの経を最初に説いた人は本当にその世界を観たんだと思う
これだけ凄い経典がブッダの直説で無いとすれば 大乗の時代にも隠れたブッダがいたのではないかとなるから 誰も悟れないなんて末法論が俄然 嘘臭くなるんだよね / /^ヽ ト、 ,. '"| / _,. `ヽ ヽ
ノ |/`ヽ`、 、_____,. ,. '"`ヽ | / ,. '"´ \ ヽ
! 〈 i! `ー---‐≦二三-、 \ !// __ r`ヽ、 ヽ
、 ヽ ! '´ ̄ ̄`ヾ ヽ、 / ∠ニ= 、_ / | ! /\ ヽ
`ヽ ` ̄ ̄ ̄ ̄^7 〈ー―――-- ´ |/ ,' `ー'
\ ヽ ヽ ; | / ! 諸法無我 = 諸法実相
、 、 ,.- 、 _, ; | / /
ヽ--イ'. 、 {;;;;;```、、 / i! 小ハ _,.';;;;ヽ /"´
j从リ `、 ヽ !;; n ー、 ,. ' };;! /
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| 、 、 ヾ ヽT┬、_--、__,. -‐_/〃 ,〃 /
| 、 ヽ` ヽヽ |_ | `T ー┬ 1´レ/ / /
fj ヽ '. ヽ\Tー┼‐┼┼ァ' / / /
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C:::::ヽ. \'. `ー───一'" 〃
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>>634
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ詳しくありがとうございます
最後が梵文だと意味はなんだろ?って当初調べたと思います
最後幸あれが印象的に残っていまして
欠いている空の表現としてあえて梵文としても
彼岸ヘ行く者に幸あれにしても原本をより解りやすくと付け足したり翻訳された方の気持ちが入っている様に思いました https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/06/post-10337.php
古代のインドで使われていた言語「サンスクリット語」でマントラ(日本語では真言とも言われ、神秘的な力を持つとされる語句)を記憶して暗誦すると、脳の灰白質が増加する――そんな調査結果がこのほど明らかになった。… .: : : : : : :.| : : : : : : :/::::::::::::::::::::<⌒ヽ〉/::| /::::::::::::::::::::∨: : : : : : : : : : : : : : : :
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.: : : : : : :.| : : |/:::::::´ ̄:.___ ̄` :::::::::::| | \{  ̄ ̄`ノ::∨: : : : : : : : : : : : え、 釈 迦 よ り 上 ?
.: : : : : : :.| : : |::::/ ̄ ̄ __ノ::::::::::::| | \:::∨: : : : : : : : : : :
.: : : : : : :.| : : |:::{ /::::::::::::::::::| | \|: :|: :l: : : : : : : :
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: : : : : :l: :| : : |/{:::::::::::::::::::-―::::::::ゝ'^~j:::::i;;;;;lノ ー-- ___ノ|:|: :|: :l: : : : : : : :
: : : : : :l: :| : : l|:::\::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/´ /::::|:|: :|: :l: : : : : : : :
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: : : l: : l: :| : : l|::l」」777辷x..,二ニニ=-〈_/::レ-=ニ二二,...斗vvv':: /.:|: :|: :l: : : : : : : :
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ズン し' |__//ハ/  ̄_ ヽヾ川|\..|/ | |
( |Y | ''' ( .ノ '''' |ノi | ) _ノ( | | ズン
ト|l | |o___ ' .{;;;リ 川 |ノ て
| | .iY|.| ト二 -‐'YY | (
| | ヽ、 ヽ、ノノノン ノ ゲゲゲゲッ・・ゲッキョーーーーッ!!
`へ、___,,,.-‐' ヘ/Y >>641
∞ノノハ∞
川^〇^ハレその世界を見たからこそだと感じます
答えを教えてくださっていますね >>647
世界の本質が空だと知って その事を真に理解出来れば 他者もまた空として嫌な事しか言わない人もアボンして見れるから便利だよね? 笑
たまに解除しても案の定録な事を言ってないし(爆) >>649
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ大乗仏教から中途半端に空を理解すればとんでもない事が起きますね
てか起きていますね
麦は三毒にあまり囚われませんけどwww >>650
有る行者さんの師僧様の護摩行の写真で下半身が透けて写ってるの見て 空だ!と思ったよ
見せてくれた人も俺に言われる迄気付いてなくて 気付いたら大騒ぎしてたね アホはリアルを超えてしまうのじゃwww
それで元の木阿弥になるのじゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www いつもこのパターンじゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>651
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ答えを示してくださっているので
後は実体験でそれに気付くって感じだと麦は思うんですけど
縁起ってホント妙で分からないです この役に立たない事しか書かない連中は何でこのスレに固執するんだろう?
悟る処か求めてすらいないのに 他人の邪魔をするのがそんなに楽しいのだろうか? >>651
オカルトじゃ。
知識あってもオカルトではパー。 >>654
物質が空性だから手足の消えた写真が撮れたり 一見何もない所に何かが写ったりするんじゃないのかな?
色即是空 空即是色 として >>657
∞ノノハ∞
川^〇^ハレコップも隙間が無いように見えて水もこぼれなくても
実際は隙間があると聞いた事あります
龍を見たと言う人もわりといますよね
日蓮宗の知り合いも見ているそうですけど
見ている人は時空が違っていたとか聞いた事ありますし
神秘的ですよね 空とは何のことか、それは、だれも、わかりませんw
わかりませんが悟りではないと思うけど、空とはなんじゃとゆーても、人によって回答が違う
色即是空空即是色
受即是空空即是受
想即是空空即是想
行即是空空即是行
識即是空空即是識
一切悉くは、これ、五蘊であり、それ以外はない
そして、一切の五蘊、これは、また皆空である
空であると言っても、それは、色、現象のことであり、それ以外のことではない
現象の他に、空なるものはない
感受がそのまま、その性質が空と呼ばれている
なぜなら、それは、無常であり、苦であり、無我であるからである
それだから、それは、実体、固定的な永続するものとしての、存在としては、存在しておらず、縁によって、生じておるものであるからである
これらに、執着する心が、煩悩を、迷いを生み出し
その脳裏の闇、無明によって、苦しみが付き纏う
これを解消するには、囚われから解放されなくてはならん
つまり、現世から、解脱せねはならん
方法としては、様々にあるが、その方法は、方便である
イカダである
イカダは真実へ導く、乗り物であるが、それは、つまり、イカダは真実ではない
彼岸へ着いたら、イカダはもう、いらぬ
いつまでも、イカダに乗っていては、彼岸へ着いておるのに、降り立って、歩むことができぬ >>659
麦もあかんなあ。
長い間、進歩せんな。
麻原に付け込まれたタイプみたい。 >>661
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ身近な信頼出来る人が幽霊見えたり龍を見たりしているからね
半信半疑になりますよ 廓然無聖とか空とかって
実は、だれでも、味わってるものちゃうんかなあ
カラリと晴れ渡った空のように何もない
そこには、悟りや、真理なんてものすらない
とかネットで説明読んだけど
そーゆーのって、空があるとか、無心であるとか、なんちゅーか言葉ってゆーより、心の様の話で
そのような得るところなき悟りって
別に難しいことでもなんでもなくて、そのような境地にいることが難しいだけちゃうんやろか 前から思ってたんだけど
そーゆーふうな目線で受け取ると
悟りってものを、大袈裟にしすぎた、仏教界のせいで、悟りを開く人が、全人類で、ひもりもいないってゆーのは、
これは、やりすぎでしょう笑
囚われのない真っ直ぐな心っていうのが、それのことなんなら、それ自体は難しいことではないやん
そのように生きる事が難しいんであって、それ自体が、お前には無理とか絶対ありえやん
だれでも、悟ってる
笑 >>663
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ禅師はよく指し示してくださっていますよね
茶に逢うては茶を喫し 飯に逢うては飯を喫すですとか
諸法の仏法なる時節すなはち迷悟あり修行あり生あり死あり諸仏あり衆生あり。
万法ともにわれにあらざる時節まどひなくさとりなく諸仏なく衆生なく生なく滅なし。
諸法の仏法なる時節すなはち迷悟あり修行あり生あり死あり諸仏あり衆生あり。 >>659
龍そのものじゃないけど立里荒神社で龍神雲が渓谷の反対側の山から足下迄雲海を引っ張って来て 一面真っ白になったのは見たよ
色々経験して色身の元になる透明な身体が有るんじゃないかと考えてるね 囚われのない心って事自体は、難しい話しじゃないけど
囚われのない心でいる事は、非常に難しいから
怒ったり、不安になったりして、苦しんでいるハジ
じゃあ、これから、離れるにはどうしたらいいんだろう
良い方法はないんかなってなった時に
たとえば透明な光によってとか
たとえばあるがままにあることによってとか
たとえばマントラを唱えることによってとか
たとえば無念無相となることによってとか
方法として様々にあるけど、それが、例えば
無念無相が悟りですとか
透明な光りと繋がってんのが悟りですとか
マントラを唱えるのが、あるがままにあることが
って、方法=悟りにしちゃうから
分裂してしまう >>668
マントラに何かの念を込めたりとかは普通出来ないよ 最初は読みながら 憶えたら 間違えない様にするだけ 後は回数重ねる程に空っぽだから
般若心経で言うと 和文の心経奉讃文→漢文の般若心経→マントラの三ヶ国語で頭が空っぽになってく構成だしね >>669
ハジが思ったのは、そーゆーのが、目的地は一緒で、方法が違うだけなのに
南無阿弥陀仏の、救いだけがいいとか
坐禅で、あるがままにあるのだけが真理とか
マントラで空っぽになるのが悟りだとか
通り道のことを悟りってやりだすから
その方法が、残ってて
カラリとして何もない
悟りも真理も、そこにはない
事じゃなくなってしまうとゆー
つまり、方法が、役に立つことは、道としてであって
それ自体が、真理ではないから、その方法が、真理で、他のやり方は真理ではないとかやってることが
おんなじ仏教なのに、対立してることの原因ってこと >>670
生前に成仏出来るかどうかでしかない
結果的に覚者を一人でも出せたら有効 出せんかったら無効
法界は完成された如来しか入れない
どうしても二系統が漏れる そう考えてみると、念仏すること、坐禅すること、マントラ復唱することなどなど、ハジの透明な光瞑想とかも含めて、そーゆーのが、効果があるか
自分にあってるか、あってないかってことの、違いになってくるだけになるやん
ある人は、阿弥陀仏に全てを投げ出すことで、囚われから解放されるわけやし
他の人は、あるがまま、そのまんまで、手をつけないことで、囚われから解放されとるんやろーし
マントラの復唱で瞑想状態へ移行することによって、囚われから解放される人もいれば
あらゆるものの空性を観ずることにより囚われが消えてしまう人もいるでしょう
って話 >>672
確証の無いものは悟りでは無いよ
生前にしか悟りは得られない
死後成仏は幻想やから 確証のないものは悟りではないというんなら
悟ってるんでしょ
と思ってしまいますやんか?
そーなると、なんの問題もありませんやん
おわりw >>674
念仏と題目で悟った人は居てない言うてんねん >>675
俺が言うたんちゃうで
お釈迦さんの言葉や
この世で出来ん人があの世で出来るなんちゅう事はないて言い切ったはるからな
幾らアジアの片隅で これだけで悟れますよ言うても無理やねん
戒定慧の内 定までは行かんならんのに 戒から護ってないねんから よしんば解脱したとしても邪解脱にしかならんのよ >>662
半信半疑ならいい。
信じ込むとキチガイと変わらん。
人の脳は、幽霊を登場させ、金縛りを実現し、後光を招く。
脳の作用、恐るべし。 経験してない奴は何とでも否定出来る
だが内心の否定を見抜かれて これでもかと物を動かして見せられ 更に火に当たってない植物が目の前でいきなり焦げてグニャリと曲がったら もうギブアップ
何かがいると受け入れるしかない 人の話をちゃんと考えてみるとか
自分できちんと体験してみるとか
そーゆーことから、学びなさいwwwww
ハジのゆーてることは、簡単なサトリの話じゃ
お主らは、一緒、悟らなければよかろうにwwww 680.方法論なしで悟るバカ恥じ、である。
大爆笑である。 カボチャと日本酒飲んでるwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www 猫ちゃんが隣にいるwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www しかし、おめーら暇なんだなwww
さてと、炬燵で寝るかwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www 685.閑が文化を生む。
学者とか釈迦とかは閑だから学問をした。
学問は貴族の趣味から発生した。 >>680
それをブッダに対してしなさい言うてんねん
君とブッダは公園の砂山とエベレストぐらい違うのに尺度になる訳ないやろ? まずセーシューやめないとな。
まぁ ムリだろうけど。 セーシュームwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www >>637
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ法隆寺ググっていましたら八角堂でした
訂正させていただきますスマソ >>687
衆生近きを知らずして
遠く求むるはかなさよ
譬えば水の中に居て
渇を叫ぶが如くなり
卑下しちゃあかん。 >>693
七不思議やら爬虫類系の顔の塑像やら色々あるけど聖徳太子自体が最大の謎だね >>695
あの絵自体が敦皇の壁画だったり 厩戸皇子はキリストと似すぎてたり キリスト教の影響が指摘されてる法華経推しだったりと 景教が伝説化したものと混ざったんじゃないかな? >>694
君がそういう次元になったら聞いてやるから それまで話しかけて来ないでね
言葉が上滑りして全く入って来ないよ 知識バカが一匹出て来とる。
本人だけ盲目で気づいとらん。 >>696
景教の影響らしいものって色々あるみたいだね、いろは歌とか
空海や親鸞は実際に触れたようだね >>699
空海は景教に付いては何も記述してないんじゃないかな?
朝廷に提出した御請来目録にも噂の漢訳聖書は載って無かったみたいだし 密教が最上という信念を強めて帰って来ただけだよ 基礎知識も無いアホが騙るなよ
相乗効果も知らんのは要らん >>700
空海は長安で景教だけでなくあらゆる宗派の寺院を訪れてるし、
空海が入唐前から語学が出来た理由の一つは渡来人系との繋がりいわれるから
秦氏との関係からも当時の長安で景教に触れないことはあり得ないのでは? >>702
触れて結局持ち帰らなかった所を見るとキリスト教の評価はそれほど高くなかったんじゃないかな?
祈りの言葉は何処となく似てるけど対象が大日如来ー菩薩ー明王部ー天部の順で 神の地位は低いんだよね
日本古来の神々だけは如来と同格にしてるけど 其処にキリスト教重視の姿勢は全く見られない
核心部に創造神がいないというのも凄く仏教的だし 密教至上主義だと思うよ
どちらかと言えば親鸞や日蓮の方がキリスト教的だと思う >>614 そのような者は額や眉間に意識を向けて善いのじゃ。
自分がやり易い方法で実践するとよいのじゃ。
それがおぬしの道になるのじゃ。 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。
先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
息を吐く時に、頭の中で一と数える。
又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。
初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。
例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
例えば花なら花という言葉を使わず、
「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
などと観察していくのじゃ。
出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
連想や記憶は雑念なのじゃ。
そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
そうすれば雑念は自然に消えていく。
このような時に止の行は役立つのじゃ。
やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています