時の権力者が鎮護国家の祭祀を行うっていう思想があって、鎌倉時代には朝廷に代わる武家流の方法が考案されていたとか聞きましたけどね。
その流れから見れば、昭和の権力者である軍部がその思想を援用していても不思議はないでしょう。