この状況じゃ非公開が正解でしょう。しかし今回のことでプロテスタントの対応の遅さが浮き彫りになり、その結果わかったのが
カトリックーーーフレキシブル
プロテスタントーーーフローズン


バチカンですら棕櫚のお参りも灰の水曜日のお参りも復活祭のお参りも・・・です。
人が一杯あふれているお堂で高僧たちの大名行列が壮観なのですが。
長い歴史の中こういう年もあるさということなんでしょうか。静かすぎるお参りはキリスト教の歴史に記されることになるでしょう。
(しかし灰の水曜日に誰も灰をつけてもらえないなんて。メメントモリを観想する日ですのに)