【仏教】悟りを開いた人のスレ465【天空寺】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
修行もすること。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願い。
前スレ【仏教】悟りを開いた人のスレ466【天空寺】
https://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1573514116/ >>11
佐々井師の一団はアウト・カーストからの改宗・出家が殆どだから難しいでしょうね
仏教徒人口が一億に迄膨れ上がって 政府側も焦ってるだろうし 仏教ってのは、灯台元暗しで、インドの
地元民にはいまいち、有り難みが分からなかったんだが
遠方の中国、日本の方が、それを大切にした訳だ
インド現地で、仏について調査しても無駄だよ
ヒンドゥー教徒に破壊されてるから、資料も残ってない
これを仏は末法と、ちゃんと経文に後世に残している >>22
いいんです!大雑把で!
男は豪快に生きるべし!
こまけーこたー気にしない!(´・ω・`)笑 >>20
うーん、でも仏教ってゴータマが開祖として悟った結果できた宗教だよね?
悟りという発想自体はバラモン経典のウパニシャッドやヒンドゥー経典のバガヴァットギーターにもある概念だけど
日本仏教でサンクリット語の意味が伝わらず音だけをなぞって読経してる日本仏教を信仰した悟りってそれはゴータマの悟りとはかけ離れたものだと思うんだけど
それを踏まえた上で自分は悟ったと自覚してるの? >>25
まぁ、唯大綱を存する時は余は綱目を事とせず。
と、日蓮大聖人もいいますし、いいのかもな >>24
その通りですわ
釈尊が悟りを開いた場所を取り戻したいだと?
テメーの四畳半のアパートで悟りを開くのが先だろボケ!
と言い返してやりましょう(´・ω・`)笑 >>24
仏教はアショーカ王に保護されてインド中に広まったからインド人も仏教の有難みを理解してたはずだよ
だから北伝であれ南伝であれ仏教がアジア中に伝わったわけだし >>29
昔はな、しかし時代が下るにつれて疎かにされた
だから、正・像・末っていう時代区分があって
後になるほど、無茶苦茶になるという >>26
てゆーかさあ?
議論に入る前に、オタクは悟りをどう定義しとるのかね?
悟りとは何かをお互いに整理しとかんと支離滅裂になるぞ
俺の悟り?
「わかりません」→「努力と根性」→「愛」
かな(´・ω・`)笑 >>16
一億人はいるんじゃないんですか?
貧困問題とその背景にあるカースト制度からの解放問題も絡み、インド内でも看過出来ない問題になりつつあるようですよ。
インドの最高裁で審議されてるそうですが。 だから、まだ仏教がインドで保護されてた時代に
翻訳された漢訳経典ってのは、今更、インド現地に行って
発掘調査する考古学よりも、よっぽど生きてる仏説なわけ >>19
そーら、
天才って、誤魔化しをまた刷り込む。 >>32
インド人に大乗仏教が流行ってるんですか?
じゃないと意味無いような(´・ω・`)笑 文献は元より、仏教遺跡の考古学的な復元から当時の仏教思想を知ることは可能だし大事な事だと思いますよ。 >>36
鎌倉時代にすでに「インドでは仏教は廃れた」
というのは一般論化してたし、無理な気はする >>19
漢訳からの日本語訳とサンスクリット語からの原語訳で全く違うのもしばしばだから どうかんがえても適切じゃない >>31
その悟りの基準が仏教の中でさえ曖昧なのに悟ったと自覚してる人は自分の悟りが正しいのか疑問に思わないのか不思議なんですよ
非想非非想天に到達するという非常に厳しいものを悟りというのか
般若心境のように一切が空であると自覚するのを悟りというのか
縁起を知り、六処を理解することを悟りというのか
色んな原始仏典を読んだけどあなたの言う悟りに触れたことはないんでそれはブッダの言う悟りではないと私は思いますね >>35
教義内容は存じません。
佐々井師は真言宗智山派の出だったかと思います。 >>40
全然的外れです
釈尊の悟りとは「無記」です
原始仏典でも十無記としてキチンと書いてます
しかしアホ仏教学者は、それをスルー
わからないモノは、わからない!この開き直る姿勢こそが悟りです
まあ悟りの一歩やけどね(´・ω・`)笑 >>38
霊鷲山の環境が改善される事には反対しないでしょ? >>41
やっぱり真言宗か!
やたら、他国にちょっかい出して紛争を起こすクズばかり
真言亡国ですわ(´・ω・`)笑 >>42
もちろん無記に関して読んだことあるけど
無記の思想を下敷きにした場合、「わかりません」→「努力と根性」→「愛」という発想には猶更至らないのでは? >>44
とりあえず、悟ったというのなら悪口雑言はやめましょうよ
十悪業の一つに数えられているのにとても悟った人間の言動とは思えませんよ >>39
その原語訳が間違ってると思うけどな
幼少期から訓練されたバイリンガルが訳したわけじゃないでしょ? >>45
わからないことを、わかれ!
その為には努力と根性です
八正道とも言いますがね
それを極めれば真の自由と平和と平等の世界が実現する
人類は真の「愛」に目覚めるのです(´・ω・`) >>17
上座部の暗誦確認のやり方自体が仏滅直後と同じ大勢の面前で合ってるかどうかを誰かが暗誦して全員の承認が無いと認められないやり方だから 原始経典にはある程度の信憑性は有ると考えてるよ
地域や言語に依って差が大きいのが文語主体の北伝仏教
特にサンスクリット語にしか原典の無い大乗経典は同じ経典でも訳者に依って選ぶ単語も数も違ってたりするから 一度原典に当たらないと実体が見えて来ない事もしばしば
例として南伝仏教では釈迦の直弟子は1250人と有るのに対して漢訳大乗経典では12500人
弥勒下生が南伝で5憶6700万年後と有るのに対して 漢訳大乗では56憶7000万年後等の様に 随所に表現の誇張が見られる
これは漢民族が物事を大袈裟に伝える民族性に由来するものと考えられる
相応部経典にもブッダ自らが大乗を語る経典が有る事からも 大乗という言葉自体は大乗経典以前の上座部経典に由来するもので有ることは疑いようが無いと思われる >>47
言葉のニュアンスではなくて明らかに異種の思想が混雑してるからそういう問題ではないよ >>48
悪口雑言を喚き散らしている間には真の自由と平和と平等の世界が実現しなさそうっすね 妙楽大師の云く「豈中国に法を失いて之を四維に求むるに非ずや」等云云、
天竺に仏法無き証文なり(顕仏未来記)
これが、鎌倉時代にすでに、日本の仏教界では
「インドの仏教はオワタ」と認知されていたという文証になる >>51
具体的にどこが?
考古学的な妄想にすぎんと思うけどな >>52
腐れ外道の糞凡愚は、絶対に容赦せん
悪口なんて生温い
徹底的に攻撃して潰す
これは戦争なんや
仁義なき戦いや!(´・ω・`) >>24
少なくとも仏滅後五百年はインドに原始経典を護持する教団は有ったし 一時はバラモン教を壊滅寸前迄追いやる勢いが有った事はインドの宗教学者も否定していない
不勉強な思い込みの披露は止めとけ >>33
翻訳原本が紛失されてる以上は信憑性50% 他国で発見された原典と比較した時に見られる表現の誇張や改竄も入れたら更に下がる
何事も信仰する前に確認するのが釈迦直々の教え
確認する前に信ぜよなんてファンタジー経典とは真逆 >>37
サンスクリット語が解る人間にだけ妙法蓮華経の真意が解る様に歴史的な細工をしたという点では天才だな
それを最初に気付いた空海もまた天才だが >>60
空海は法華経を大日経の下に置く
という致命的な間違いを犯した 悟りなんてもんは、出発点にすぎん
単なるスタートライン
そして悟ってから本格的な修行が始まる
だから南無妙法蓮華経なんや
まずは題目を一発唱えて悟りなさいと
貴方は悟ったので完全に自由です
これから世の中を自分の思い通りに変えて行きなさい
これこそが釈尊の本意であり唯一日蓮だけが気づいた真理なんや
わかったか!この腐れ外道の糞凡愚どもが(´・ω・`)笑笑笑笑笑笑 >>47
そういう問題じゃない
サンスクリット語は本来祭祀用語で一語に何通りもの意味を含む上に日常言語としてサンスクリット語を話せるのは当時からバラモン階級だけだったから龍樹みたいなバラモン出身でも無い限り バイリンガル自体が存在しないんだよ
生活言語はあくまでもパーリ語に代表されるプラークリット語で サンスクリット語を完璧に理解出来るのはごく少数だけだったんだから >>57
虚しい後付け
>仏教ってのは、灯台元暗しで、インドの
地元民にはいまいち、有り難みが分からなかったんだが
遠方の中国、日本の方が、それを大切にした訳だ >>61
末法思想は中国製
インドに有った法滅尽思想の誇張 >>66
翻訳して大切にしてたのは中国、日本の方で
インドじゃ原本が宗教対立でめちゃくちゃにされて
残りカスみたいなのしか残ってないのは事実だろ? >>67
大集経(マハーサンニパータ・スートラ)にある >>62
現代仏教学の解き明かした経典成立順から言っても順位に間違いは無い
それに難癖付ける方が解ってない上に致命的に狂ってる
お前らが狂気の相続を繰り返すのもその為だ >>65
何が?笑
サンスクリット語と漢語のバイリンガルなんて当時から居なかったと言ってるんだが? >>70
大事なものから先に訳しただけ
後発組は天台宗が栄えるのを見て、超過の心を起こして
大日経を渡して、これが法華経よりも優れると、のたまっただけ
成立順で序列つけてるようじゃ、内容を全く読んでないのと同じ >>68
仏教はインドと中国だけに伝わった訳じゃないぞ?
特に最初から文語前提のサンスクリット語原典はシルクロードを経て色んな国で出土してるのに 何を知ってて適当な事を言ってる? >>69
既に説明した様にサンスクリット語から漢訳される時には数字等十倍程度の誇張が見られる
話し半分処か九割引で読むのが正確 >>74
正確に伝わったのは漢語圏だろうなと思うよ
語彙力の問題とかあるし 晃!ええぞ!その調子や
その勢いで腐れ外道の糞凡愚の真言宗を破折屈伏せい!
頼んだぞ!では(´・ω・`)チャオ >>72
時代考証の技術の無い時代に内容だけで経典成立順を読みといた空海は大天才 間違えた日蓮は本人が言う通りの凡夫 >>75
それは賛嘆の意の修飾だと思うけど
だから間違ってると言い切るのは、ナンセンスだな
仏教ってのは心象世界の話なんだから
ちょっと大袈裟にした方が盛り上がるし仏もそういう手法は取ったと思うが >>78
大日経の翻訳が後なんて誰でも知ってるが?
なんなら日蓮も言ってる >>73
羅什は今でいうウイグル自治区の出身でサンスクリット語話者ではない
翻訳達者だったのはその通りだが インド人僧侶と完璧なサンスクリット語で対話して驚かせた等の文献記録が有るなら出しても良いぞ?笑 >>81
父親の鳩摩羅炎がエリートだったこと知らないんだな >>76
当時の他の国々が語彙力に於いて中国より劣っていたという証拠は何か? >>79
ブッダが少しでも嘘や誇張を用いる性格の持ち主だったなら 悟りは嘘だとしてインドの民衆に受けなかっただろうな >>80
それなのに大日経は爾前の経等と虚偽の誹謗をしたのか?
言えば言うほど日蓮患者の姑息で下劣な共通性格が如実になるな? 五時八教説の問題は面白いね
現代の知識による科学的な考証から言えばお話にならないと言えばその通りなんだけど
宗教的真理の立場から見ると、単に過去の盲信と切って捨てられないものがある >>84
インド人嘘つかない、だぞ
仏はむしろ方便に巧みだったから、
インドで出世したんだと思うんだけど >>85
いや、大日経の“訳"が後だと言ってる
大事じゃないから後回しにされたと日蓮は説いてる >>82
羅什がインド人と完璧なサンスクリット語で会話出来たという文献が有るのかを聞いている
想像は良いから事実だけを提示しろ >>86
考古学ってほとんどが権威のある学者の妄想で成り立ってるし
それを科学的だというのも末法の白法隠没ですな…としか言いようがない >>90
だから鳩摩羅什の親父がネイティブだって言ってるんだけど
鳩摩羅什はハーフだから >>86
どういう事でしょう?
教相判惹なら他の宗派もそれぞれ立てていますが 何故智ギだけを評価するのか根拠がわかりません >>87
ギリシャはもっと発展してたぞ?
ギリシャ人仏教徒がいたのも知らんのか? >>88
お前何時かはインド人が嘘つきだから中国仏教の方が信用出来ると言ったよな?
両舌使いは消えろよ >>94
でも仏教の勢力なかったよギリシャは
法華経もアジア以外を嫌うって文言がある >>89
> >>85
> いや、大日経の“訳"が後だと言ってる
> 大事じゃないから後回しにされたと日蓮は説いてる
法華経二世紀 大日経七世紀と成立年代も特定されてる
莫伽が何を言おうと科学には勝てない 「生きる」
作.手ぶらの乞食
男はある観念に苛まれていた。
「私は何故生きているのか?」という疑問である。
寝ても覚めてもその事ばかり考え続けた。
受験、就職、結婚、昇進、そればかりか毎日の食事の時でさえもその疑問が頭から離れることはなかった。
そんなある日、男は体調を崩し、病院へ足を運んだ。
「私は体調を崩してまでも何故生きているのか」と疑問に思いながら。
医師は検査後、神妙な面持ちで男に告げた。
「あなたは…末期癌です。余命3週間です」
「ちょっ…ちょっと待って下さい先生!私は、何故生きているのか、も知らずに死ぬんですか?」
医師は男の目を見つめて言った。
「いまに知りますよ…あなたが、何故生きているのか、も知らずに死んだ、ということも知らない、という事を」
男の頭は真っ白になり診察室を出た。
何処をどう歩いたのか、おぼろげなまま男は病院の喫煙所のベンチに腰掛けタバコをくわえた。
ポケットをまさぐりながら男は空を眺め呟いた。
「なんて…青いんだ」
そこへ、先程の医師がやって来てジッポに火を点け男に手をやった。
「何故…青いんでしょうね?…空って」
男はちょっとだけ笑った
「知らないよ…そんな事」
医師は白衣を翻し、男に背を向け方腕を挙げて叫んだ。
「メリークリスマス!!」
「ミスター癌…」
医師の名は釈迦本龍一である。
完
https://youtu.be/Fo23KT4mxug >>95
仏を信じるけど、その言葉は
中国の文献の方が信憑性がある、と言ったけど
インド人は、ヒンドゥー教に流されて、嘘八百の歴史しか
残してないから >>93
真言宗だと十住心論で
境地の段階をそれぞれの教えに当てはめて語られてますね 華厳経も般若経典も、法華経も涅槃経も
昔は全てお釈迦様一代で説かれたものとして受け取られていたそうで
科学的な見方からすれば、「お釈迦様」という個我としての存在としてすれば
あり得ない妄想、迷信の類いってことでしょう >>96
>法華経もアジア以外を嫌うって文言がある
横レスですけど、どの箇所でしょうか >>82
宰相の家系だからといってサンスクリット語話者だという証明にはならん
一発で証明になるのはバラモン階級だけだ 「いはゆる諸仏とは、釈迦牟尼仏なり。釈迦牟尼仏、これ即心是仏なり。過去・現在・.未来の諸仏、ともに仏となるときは、かならず釈迦牟尼仏となるなり。」(正法限蔵即心是仏) >>103
凡人でも一日中5chのレスバしてたら
それくらいの量ならゆうに超えてしまうだろうに
まして釈迦仏ほどの歴史上の偉人なら
よっぽど口達者だったと見るし、その経典群は
膨大で然るべきと思いますよ 科学的な見方こそ正しいものだと思ってる現代人からすれば
「(歴史的実在としての)お釈迦様の直説はどれなのか?」って疑問は非常に重要になるのでしょう >>104
法華経の第八に云く
「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く
流布せしめて断絶せざらしめん」等云云
内の字は三洲を嫌う文なり(顕仏未来記)
https://i.imgur.com/jcyLZnT.jpg
仏教の世界観として、四洲という四つの区分があって
その内の三洲を法華経は嫌う、という解釈がある >>96
ギリシャ人支配者が中国人よりも仏教を理解していたから原始経典が残ったんだよ
http://agora-web.jp/archives/2023163.html
よく考えて見ると、ギリシャ文明あってこその仏教なのです。
「137億年の物語―宇宙が始まってから今日までの全歴史」」(クリストファー ロイド ,講談社)という人気のある世界史の本では、世界史上の重大事件のひとつとして、アショーカ王による仏教の国教化を上げています。
ブッダによる悟りや布教よりこちらを選んだのが面白いところです。
仏教もブッダ自身は新たな宗教を開いたと思っていなかったでしょう。
そして、やはりブッダの時代から二世紀ほど後のアショーカ王が仏教に帰依し、インドを統一してその国教としたことで世界的な影響までもつきっかけになりました。その意味で、アショーカ王の改宗にこそ意味があるという見方は説得力があります。
インドに侵入してきたアーリア人たちの宗教はバラモン教でした。厳格なカースト制度を敷き、社会的停滞の原因になりましたが、階級同士の連帯が強いことが、民族同士で対立を激化させないメリットもありました。
ところが、前5世紀ごろになると中産階級を中心に不満が高まり、そのなかで生まれてきたのが仏教なのです。 >>99
それならインド人嘘つかないじゃないだろうが?両舌日蓮患者 笑
> >>95
> 仏を信じるけど、その言葉は
> 中国の文献の方が信憑性がある、と言ったけど
> インド人は、ヒンドゥー教に流されて、嘘八百の歴史しか
> 残してないから
88(1):晃 ◆HOKKEvxAGE [南無妙法蓮華經] 2019/11/15(金) 23:22:14.62 2q0Npo9O(30/40)引1NG
>>84
インド人嘘つかない、だぞ
仏はむしろ方便に巧みだったから、
インドで出世したんだと思うんだけど >>111
西洋史中心にしてアジア史軽視する人がほんと多いよな >>100
そちらではなく 当時中国に有った複数の宗派が自宗優位な教相判惹を立てていて どれも正確な経典成立順とは関係が無かったという事を言っています >>112
もはや何が言いたいのか分からんし寝るわ >>101
どうやっても五百年後に成立した大日経を法華経よりも前に翻訳するのは不可能だからな
当然なから大日経を編纂した者は法華経も華厳経も知っていたと考えられる
だから空海はそこまで読み込めたし 空海よりもずっと劣る日蓮は法華経が大日経よりも後から生まれた上位の経典だと嘘又は間違いを弘めた
お前らはその犠牲者だ >>1 ご苦労さんなのじゃ。
>>17 智慧が生じるから悟ったとわかるのじゃ。
経典とは例えば医者のカルテのようなものじゃ。
仏陀が苦に悩む衆生のために説いたものじゃ。
同じ医者ならば他の医者のカルテが理解できるように、悟った者もその智慧によってお釈迦様が何を説いたのか正確にわかるのじゃ。
そのように智慧と経典の理解によって他人にもわかるのじゃ。
わしが説くとおりに実践すれば確かに苦が無くなり、お釈迦様の説いた法が今も実効力があると知れるじやろう。
そしてわしがお釈迦様の経典を正確に理解する智慧を持っているとわかり、わしが真の大悟徹底した者とわかるのじゃ。
数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。
先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
息を吐く時に、頭の中で一と数える。
又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。
初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。
例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
例えば花なら花という言葉を使わず、
「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
などと観察していくのじゃ。
出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
連想や記憶は雑念なのじゃ。
そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
そうすれば雑念は自然に消えていく。
このような時に止の行は役立つのじゃ。
やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています