真理という言葉はあるが、言葉に真理はない
真理は人がたどり着く存在ではない
キリスト教は神そのものが真理と扱う
見えない経験しない事に納得はない
信心が支えるのみ
無神論でも真理にはたどり着かないし真理は無いとなるのが当たり前

現世を生きるなら真理を求める理屈はない
世の中は移ろい変化する
科学的な見方でも現世は、多次元で捉えれば消えては表れる泡である
不変は存在しない
ゼロがあるなら無限がある
どこでも同じように時を刻む三次元ユークリッド空間的な見方に始まりと終わりは無い
時刻に始まりと終わりの定義が無いからだ

因果を見つめ移ろい変化する事を受け入れる事により心は水の如く平穏になる
これでイイのだ!となるのが苦悩が無い状態
つまり悟り

人は、現世におけるそれぞれ時間が限られた存在であり一時的な環境の一つに過ぎない
届かない真理を求めたって無駄な事