【仏教】悟りを開いた人のスレ455【天空寺】
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※前スレ
【仏教】悟りを開いた人のスレ454【天空寺】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1570700092/ 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
聖宝
しょうぼう
(832―909)
平安時代の真言(しんごん)宗の僧。醍醐寺(だいごじ)の開祖。京都の人。空海の高弟真雅(しんが)の下で出家し、諸寺に三論(さんろん)宗、法相(ほっそう)宗、華厳(けごん)宗を学び、ふたたび真雅の室(むろ)に戻って真言宗を学ぶ。
880年(元慶4)高野山(こうやさん)の真然(しんぜん)(804/812―891)に学び、887年(仁和3)には東寺(とうじ)の源仁(げんにん)(818―887)につき阿闍梨(あじゃり)となる。
役小角(えんのおづぬ)の故事を慕って、日ごろ山に登り川を渡り山野に苦行修練して、修験道(しゅげんどう)の基礎を築いたので、「修験道の醍醐寺」といわれる。
真言宗の法流には大きく分けて小野(おの)流と広沢(ひろさわ)流があるが、小野流は、彼の弟子観賢(かんげん)から広まったので、聖宝はその祖師と仰がれる。
のちに理源大師(りげんだいし)の号を賜る。[平井宥慶] 世界大百科事典 第2版の解説
しょうぼう【聖宝】
832‐909(天長9‐延喜9)
平安前期の僧。天智天皇6世の孫。恒蔭王といったが,16歳で東大寺に入り,空海の実弟の真雅を師として出家し,願暁,円宗に三論を,平仁に法相を,玄栄に華厳を学んだ。
869年(貞観11)に興福寺維摩会の竪義(りゆうぎ)に出て,三論宗の立場で論を立ててその名を知られるようになった。
その間真言の修学に励んでいたが,
860年ころから山林修行に心を傾け,各地の霊山を巡るうち,874年に京都の東南の笠取山頂に道場を開き,それが醍醐寺の起源となった。 >>845
>君はわたしが役小角から霊異秘訣を相承したと主張しても信じないだろ
>私は醍醐寺と違ってそんな馬鹿な主張をせんが
でおーから聞いたけど、どっかのスレで精霊のスペルマンだかなんだか知らねーが、それを受けたとか自称してるキチガイがいるらしいねw
あんた、知ってる?
wwww >>850
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
で? https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/220280/9
神仏習合思潮のなかで誕生した日本独自の尊格である蔵王権現(ざおうごんげん)の彫像。修験道(しゅげんどう)の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が感得したと伝承されるが、
文献上では、京都・醍醐寺(だいごじ)の開山である聖宝(しょうぼう)(832−909)が金峯山(きんぷせん)において造立した三?(く)の像のなかに「金剛蔵王菩薩」が含まれているのが注意され、史実としてはこの頃に成立を求めるのが穏当だろう。
本像は岩座まで同材から彫り出す一木彫像(いちぼくちょうぞう)。忿怒(ふんぬ)の相のなかにも平安後期風の典雅さが感じられる。失われた右腕は上方に振り上げ、金剛杵(こんごうしょ)を握っていたものか。 >>848
だいおうはただの荒らしなので、反論を期待できない。
>>849
つまりあなたは権威づけにはころりと騙されるということですね
醍醐寺は江戸幕府より真言系修験者の監督を命じられたので
本山派に対抗するための権威づけとして役小角と聖宝をアイドルとして利用している
だけですよ。証拠 当山派では
「南無遍照金剛、南無聖宝尊師、南無神変大菩薩」
空海さんと聖宝さんと役小角さんに南無しているわけです。
>>851
>役小角(えんのおづぬ)の故事を慕って、日ごろ山に登り川を渡り山野に苦行修練して、
>修験道(しゅげんどう)の基礎を築いたので、「修験道の醍醐寺」といわれる。
史実ではなくて、醍醐寺がイカサマしてでつたあげた伝承なので「いわれる」と書かれている
>>852
>860年ころから山林修行に心を傾け,各地の霊山を巡るうち,
これが伝承で史実ではない。
>874年に京都の東南の笠取山頂に道場を開き
史実では875年6月に笠取山で醍醐寺を開く >>857
>だいおうはただの荒らしなので、反論を期待できない。
反論が出来なければそりゃそれで、でおーの仮説が検証されないし、本人の信用が損なわれるだけですから。 >>856
HPでは、蔵王権現立像は平安時代12Cとされているが、
12Cの偶像を
10C初めの909年に死んだ聖宝がなぜ安置できるのか。
10C初めに死んだ聖宝が造立した「金剛蔵王菩薩」の中に
蔵王権現立像が含まれていたのであれば、
蔵王権現立像は、考古学的に9Cあるいは10Cものと証明されないと
整合性がないのではないか。
つまりよくて、10Cの「金剛蔵王菩薩」の12Cに作られたレプリカ。
しかし「金剛蔵王菩薩」三体の中に蔵王権現立像があったとは証明されていない
ので、実際は類似品だろ >>857
>つまりあなたは権威づけにはころりと騙されるということですね
違うわ 笑
自分の体験と多くの逸話から信じられると言ってるだけだ
0感のアンタには解らんよ
>>修験道(しゅげんどう)の基礎を築いたので、「修験道の醍醐寺」といわれる。
>史実ではなくて、醍醐寺がイカサマしてでつたあげた伝承なので「いわれる」と書かれている
国立博物館でさえ聖宝の金峯山寺入山を史実として扱ってるのだから 専門の研究者が見て信憑性が有ると言うことだよ
もう一つは認めない >>859
その文章は蔵王権現という尊格の成立年代を言ってるんだよ
日本語の読み書き大丈夫かね? >>777
験者
・玄昭…846−917天台 奈良の勢範を論破し醍醐寺の聖宝に因明王とよばれた
・相応…821-918天台 千日回峰行の祖
・朗善…「聖者の奇異行者」 滝行者 那智滝の熊野那智大社 仙良院—弁義仙然〈朗善(和尚)〉か?
・勧修…945-1008天台
・勝算…939−1011天台
・深覚…955−1043真言宗 寛朝に灌頂をうけ,京都禅林寺にはいる。
東大寺別当,東寺長者をへて,石山寺にうつり,治安3年(1023)大僧正。
晩年,高野山に無量寿院をひらく
平安時代の真言の験者は、深覚だけ。
この系統は
寳壽院は、もとは無量壽院と称されていた。無量壽院は、1016年(長和5年)に
深覚僧正が開基となり創建された。
室町時代には、長覚尊師は不二門教学、寳性院の宥快法印は而二門教学を確立した。
このことが南山教学がさらに発展していく契機となり、無量壽院と寳性院は高野山山
内の塔頭寺院の中では、高い格式が与えられた。ともに門主寺と呼ばれて、江戸時代
に全盛を迎えた。
1913年(大正2年)6月、高野山内に大師教会本部を設立するために、大師教会本部が
建設される土地にあった寳性院を無量壽院に合併し、寺号を寳壽院とした。高岡隆心
大僧正が初代の門主に就任した。
1839年(天保10年)に本堂は焼失してからは再建されなかったが、1970年(昭和4
5年)には本堂が新築された。
1973年(昭和48年)、大本山に昇格。
今は高野山専修学院が置かれているそうで、修験道とはかかりはない >>860
おやさま教さんですね。
ちなみに、モラロジー研究所の廣池千九郎はご存知ですか? http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index227.htm
平安時代になりますと最澄・空海の山籠修行の提唱もあり、両宗の密教僧たちの山岳信仰が興隆します。同じ山林修行であっても最澄は山林寂居といわれ、空海は山林苦行といわれます。
この違いは空海が山林優婆塞としての生活を、入唐まで続けていたことにあるといいます。(井上光貞著『日本古代の国家と仏教』一〇七頁)。
比叡山では回峯行をはじめた相応、真言宗では金峯山で修行した小野流の聖宝、大峰山の道賢(日蔵)、浄蔵は有名です。
このような山岳で修行し験力を身につけた者を修験者と呼ぶようになったのです。
また、行基や道鏡も同じように山林・山岳修行者であり、多数の修行者はそれぞれ記憶力を増進するために「如意輪求聞持法」、罪障消滅の「如意輪観自在菩薩念誦法」、「如意輪陀羅尼法」などを修したといいます。
修験者はそれぞれが信仰する仏典に依拠して山林修行をしますが、とくに、宗派に偏せずに自己の身心を鍛えるために修行をすることが多いのが特徴です。
ゆえに、修験宗とはいわずに修験道といわれました。
教義としては修験者の衣体・法具・修法に関するものが大半で、その多くは密教理論をもって意味づけられています。 >>861
>国立博物館でさえ聖宝の金峯山寺入山を史実として扱ってる
「醍醐根本僧正略伝」の「金峯山に堂を建て、並びに居高六尺の金色如意輪観音、
並びに彩色一丈の多門天王、金剛蔵王菩薩像を造る。・・・・金峯山の要路、
吉野河の辺に船を設け、渡子(とし)、傜丁(ようてい)六人を申し置けり」は史実。
但し聖宝が金峯山に堂舎を建て、仏像を造り、金峯山への要路である吉野川の渡船の
設置と船頭・人夫を配備したのは、若き日の南都修学時代ではなく、
彼の宗教的活動がかなり熟していた時期のこと。
なので、聖宝は単なる尊格ではなくて像としての
「金剛蔵王菩薩像」を10C造立して安置している。
ところが奈良国立博の蔵王権現立像は12Cのものだがら
聖宝のものとは別物
>>862
10C初めに死んだ聖宝は「金剛蔵王菩薩」を造立したんです。 >>864
知らないですねー。
私はなに教てのは無いですねー。
無宗教でもないです。 >簡単な理屈として死後、自分の死は見届けらんないよね。
>産まれたわ!オレ!て、自覚あった?
>結論、我が人生において私の生死は無いw
觀本際品第十一
11・4
若し先に生有らしめ、
後に老死有らしめば、
老死なざる生有り、
生ならざる老死有らん。
たいしたもんだ。
安穏あれ >>866
像名に蔵王権現立像と書いて 年代も後
文中には金剛蔵王菩薩と有るんだから別物は当たり前
最初から像を証明にしてるんじゃなくて文章なんだけど意味判らない?
仏像の製作年代じゃなくて蔵王権現の成立年代が聖宝の頃じゃないかと筆者は言ってるのね
日本語は通じてるみたいだけど話が通じない人なのかな? >>867
私の家は、代々、浄土真宗なので、私は浄土真宗を勉強していますが、
親鸞聖人の教えとは、違った経典解釈をしています。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/3665/1560853114/1-14
↑
突き詰めて行くと、別に無宗教でもいいんじゃね?
・・・と言ってる私の妄想なんですが、
これと似た感じですかね? http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-walk/cat50/post-218.html
聖宝の大峯再開は、入峯修行の復興のみならず、修験道に明確な「密教化」をもたらした。例えば、昌泰二年(八九九)四月、大和鳥栖真言院鳳閣寺において「秘密灌頂」の法儀が盛大に行われている。
大祇師は聖宝、中祇師は観賢、小祇師は貞崇で、「結縁灌頂」も開壇され、皇族・公家・庶人三百四十余人が受者となったと記録されている。
そしてまた、昌泰三年(九〇〇)の鳥羽上皇の大峯行幸の際に、
聖宝の弟子である助憲が大峯の検校職に任ぜられたことを機に、聖宝の法嫡が代々の検校職を務めるようになり、やがて三宝院門跡となると、代々の門主が検校職を兼ねるようになり、大峯と當山派修験の関係が堅固なものとなっていく。
平安中期から後期にかけて、大峯には當山派修験の継承者だけでなく、全国から衆徒が入峯し隆盛する。その衆徒の指導にあたった先達は、三十六ケ所に三十六人が定められていたようである。三十六所とは、
大和国金剛山・安部・三輪・釜口・菩提山・鳴川・桃尾・信貴・高天・茅原・松尾・矢田・法隆寺・中ノ川・西小田原・超昇寺・多武峯・吉野桜本・内山・初瀬、摂津国霊山寺
・丹生寺、近江国飯道寺、伊勢国世儀寺、紀伊国高野・根来西・寺東・粉河寺、和泉国槇尾・神尾・高蔵・和田・中川牛瀧、山城国伏見・海重山などである。
今日の真言宗総大本山と重なることに注目しておきたい。
(三)鎌倉期〜室町期
源義経が頼朝の邪推と勘気を受け、奥州平泉に落ち行く際に、関所にて役人の査問を受け、弁慶が山伏姿にて勧進帳を読み上げて嫌疑を晴らす「安宅の関」の物語がある。
これは、山伏という階級が社会的信用を得ていたことの証左といえるが、この当時、三宝院門主が大峯の入峯修行者に大宿・二ノ宿・三ノ宿・正大先達などの官位を与えていたこととも関係しているようである。
またこの時代には、大峯に入峯して柴燈護摩供を修して天下泰平を祈念するということが、国主(守)・城主に至るまで行われていた。 >>866
本文の意味が解ってないみたいだから Wikipediaチェックしてね
それと文章読みこなす力も無いのに挑まないでください
凄く邪魔
役小角自体が伝説的な人物であり、蔵王権現像の製作が実際にいつ頃から始まったのかは判然としない。滋賀・石山寺には、本尊・如意輪観音の両脇侍として「金剛蔵王像」と「執金剛神像」が安置されていた。
これらの像は、正倉院文書によれば天平宝字6年(762年)制作されたものであるが、正倉院文書には両脇侍の名称を「神王」としており、「金剛蔵王」の名称は平安時代の記録に初めて現れる。
これらの像のオリジナルは現存していないが、「金剛蔵王像」の塑像の心木が現存しており、右手と右脚を高く上げた姿は、後世の蔵王権現像と似ている。 >>869
奈良博は、蔵王権現は役小角が作ったと伝承されているが信用できん。
文献的に遡れるのはせいぜい聖宝の「金剛蔵王菩薩像」までだ。
としているわけだが、
修験道の11c「蔵王権現立像」と、聖宝の9c末の「金剛蔵王菩薩像」とは
「蔵王」という名称は同じだが、「権現」と「菩薩」という違いがある上、
聖宝は「金色如意輪観音・多門天王・金剛蔵王菩薩像」をワンセットで造立したが
修験道の蔵王権現像は「本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、
弥勒菩薩(未来世)が三体が権化されている」と見るが、見た目は三体とも一緒の像だ
つまりまつたくの別物だ。聖宝は修験とは無関係だが、
後代が関係づけたがっているだけ >>870
むきになっていないか?
彼に師がいるのかいないのか知らないが、
わたし大したもんだと思う。
己を中々許せないものです。 >>865
どこを読んでいるのだ そのHPには
聖宝を派祖とし醍醐寺三宝院門跡を頂点とする真言宗当山派に分かれます。
聖宝(八三二〜九〇九年)は諡号を理源大師といい醍醐寺の開祖で、真言宗小野流の祖、
のちに、当山派修験道の祖とされます。俗名は恒蔭王といいます。
天智天皇の六世孫にあたり、父は葛声王(かどなおう)です。
一三世紀後半頃から、聖宝を山伏の祖とする信仰が醍醐寺内に起こり、
熊野長床衆にも受容されていたようです(「醍醐寺新要録」「山伏帳」)。
醍醐寺座主義演(1558‐1626)の『醍醐寺新要録』など信頼のできない資料でも
平安時代の聖宝を修験道の祖とする信仰は鎌倉末の13C後半から起こったそうだ。
実際は早くて14Cの南北朝時代に聖宝をゴロツキの当山衆が担いだのだが
醍醐寺座主義演が擁護しても13C後半だ >>871
そのHPですら、明確に
伝説では「聖宝尊師が五十八歳の時、(宇多天皇の)勅を奉じて金峯山の毒蛇を退治し、
入峯の道を開き、退廃していた修行の道を再興し修験道を復興させた。金峯山を踏破
しつつ大法螺を吹くと、忽然と役行者が現われた。歓喜の表情の役行者は聖宝を道場
に導き、親しく龍樹から直授された秘奥の理智不二の秘密灌頂を受けさせた」とある。
別伝では「金峯山中で役行者の霊に導かれ、龍樹の浄土にて恵印の法流を伝承された」
としている。
伝説とわかっているようだよ。史実と混同しないでね >>876
ミスはしてません。
解釈の相違があったのかもしれませね。
今朝、ハジさんと名無しさんのやり取り見て
そう思っただけす。
エロ和尚殿の突っ込みが今一わからないです。
余計なことをして、申し訳ない。 >>878
そうですか。
下記のレスを見て、私を釣っているように見えたので、レスしてみました。
どうやら、別の人を釣ってるみたいですね。
799 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2019/10/18(金) 01:26:21.51 ID:8Xlyts0b [2/13]
>>796
別に点検してるわけじゃないよ
最近見かけなくなった人が釣れるかとおもって言っただけだよw
815 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2019/10/18(金) 02:44:07.58 ID:8Xlyts0b [7/13]
>>814
あら? じゃあ南無阿弥陀仏唱えてたらいいじゃない。
それが嫌なのかな。確かにしんどいけどw
私からみて完全に行き切ってますよ親鸞。 >>868
簡単な理屈なんで、大したことではないですよ。
自分で実際に確かめるのが一番ですからね。
>>870
1ー14まで読んでみたけどどれのことですか?
まー、違うと言っておきます。
信ずる用も疑う用もないので無宗教でもないですね。
だからと言って信じることや疑うことを否定してるわけでもありません。 >>880
レス番号12番は、あなたと似たようなことが書いてある
・・・・と感じています。
要するに、宗教に対してどんなスタンスを取っても、救われる
・・・・という意味です。
あなたにとっての「救われる」の定義を確認したい
・・・と思って、レスしました。 >>881
あ〜じゃあ全然違いますね。
行き切るからおまかせするんです。
南無阿弥陀仏と言うのはおまかせすると言う意味だと思いますよ。
私は一切を対象化しなかった場合、どうですか?と、ハジさんに投げ掛けてます。
そう言う時間を設けてはどうですか?って投げかけてるんですけどねー。
もちろんここでの会話や普段の社会生活では対象化しまくりです。
そう言うことも出来る力をみんな持ってるんですねー。
私の思う、救われるは一般とは全く違うかもしれませんね〜。
救われるという定義がないことなんで。 なにも相手にしてないんちゃう?
なにも留めてないんなら
なにも心残りがないわけで
その結論から何かが出てくると
それもまたほったらかしみたいな?
これはハジの想像だから違うかもやけども >>875
あのな 修験の名称が後からだとしてもその元になった山林修行自体は奈良時代にはされてるのも文献に有るのを理解してからものを言おうね
元々の話は修験の本流が何処かだから 役小角−空海−聖宝と山林修行の流れは有ったんだよ
修験道という言葉の本流の話なんて此方は最初からしちゃいないし 本流というからには高僧の直接関与と その後の脈が無いとおかしいだろ?っていう話をしてるのに何を言ってるんだよ?
聖宝の弟子が検校を務めたという話も出てるんだから崩すならそっからだろ?
後代が関連付けたがってるんじゃなくて反対したがってる勢力が有るだけじゃんか?笑 対象にしない
普通は外と内がある
まあ世界と自己がある
自己の対象が、まあ、頭と体に現れる
ん?
まあ頭の中も対象だから、内外に対して自己なんか?
その世界と自己がひと連なりになってるってことかな?
いや、ハジの感じだと
内外と自己というか
内外の活動だけの世界になるわけで
それは、要するに眺めてないんでしょ、たぶん >>877
それって伝説は伝説 記録は記録として併記されてるって事だよな?
文頭に伝説では〜って敢えて着けてる文節に於いては この部分は伝説ですよって言ってるだけで全文が伝説ではないという意味で「伝説では〜」と文中で前置きしてるんだけど 文章の構造が理解出来ないのか?
読めてるフリするなよ >>882
>>私の思う、救われるは一般とは全く違うかもしれませんね〜。
>>救われるという定義がないことなんで。
https://www.bttp.info/pickup/penrose-ccc/
↑私の場合、こんな仮説を見ると、救われた感じになりますね。
だから、一般とは全く違うし、「仮説の段階」なので、定義でもない。
>>867
特定の宗派を信仰していないけれど、
宗教のことは かなり勉強したと自負している人。
・・・・という解釈でよろしいですか?
私も似たような人間だと自負しています。 対象にしてないってことは
相手にしてないってことやんね?
他人がいる
対象にしてるってことは
他人を相手にしているってことと同じ
相手にしてないってことは
その他人が、自己と同列の扱いになってると
でも、例えば、松の樹、とか、猫、とかなら、その存在の内面が静かだから1つになってやすいけど
人間は、元オーム先生の遺伝子支配からの、快楽と自己保存の法則から、知性的に、損得勘定で動いているから
ここで他人と同列になってる
上でも下でも右でも左でもなく、真ん中でもなく
同じになってるには、こりゃ、超絶ムズいとwwww >>883
だって何も留められることなんて無いじゃない。
理屈でも不可能て分かるじゃん。
何らかの結論は出るかもね。でもイカダのたとえじゃないけど乗り捨てなきゃいけないものだからね。
捨てるとこまで行かないとペケかなぁ。
まー私は導師ではないんでこれだと思う師匠を見つけて下さい。 >>884
したらいいじゃんw
相手がいない?じゃあエロサイトだ!w >>886
対象化しまくりだねw
まぁ対象化してない時を見つけてみて。楽だよホント。 >>892
対象化から逃れるには、私をスルーしたほうがいいですよ。 まあ、ハジさんの導師は、元オームさんかもね。
とにかく、師匠のマネをすることが肝心らしいよ?
独り言だから、このレスは、スルーしてください。
レスされても、返レスしませんので、お許しを (ー人ー) >>888
まぁ私のとは違いますねw
今、外に出てみたんだけど天気悪くてどんよりしてました。
でも所々空気が澄んでるところもあって幾重にも層を成してる感じですかね。
いくら言葉を尽くしてもあの感じは表現し尽くせないですね。ありきたりの風景ですが。
これが救いかな〜。
自負してませんよ私はw ここの方々の方がよっぽどお勉強されてるんじゃないですか。 >>896
>>いくら言葉を尽くしてもあの感じは表現し尽くせないですね。
お釈迦様も、悟った内容を、表現し尽くせなかったでしょうね。
ただし、私は、親鸞聖人とは、違った経典解釈をしています。
私からみて完全に変な解釈してますよ、親鸞。
・・・・なのですが、釣られて貰えます? 自然やものと1つになってる
彼らがハジに襲いかかってきても
無意志だから
だけど生物の場合、意志をもってる度合によって、お前の意志で被害受けたぞ妄想が発生ww
この辺りの問題
意志の度合によって、怒りの度合も増してくる
猫が魚を盗んだり、ライオンが人間を襲ったりしても
まあしゃーないかあ
となるが、人間だと、心底、あかんやつと怒るとか 空の風景に溶けてるのは、難しくないだろうけど
怒り散らしてる他人と同じになってるのは、これは、難しことやないかなあ
つまり、そこには対象化が起こりやすいというか
元々、自然に対して、心を開いてるのは、皆、そうであって
キリストや釈迦などの、凄いのは
人に対する愛や慈悲があるところじゃない?
まあ虎に食われた話とかも、皆が、マジかあとなる
まあ作り話の可能性もあるが
要するに他人との関係性でも一如でなければ、あらゆるものと一如ではないはず >>889
対象化しないって言葉が分かりづらいかもね。ごめんなさい。
えー、例えば実際にやってみて欲しいけど、
携帯電話にしようか。スマホかな?
それを見てスマホって頭で判断するのが対象化ですね。
でもスマホって分かる前に見えてるでしょ。
その見える原風景のまんまで居ることかな。
実は生活のほとんど対象化せずに生きてる。
頭にあることばかり気にしてるから気付かないのよ。
無視するわけじゃないよ。
ブーンて家の前を車が通る音がするけど、
ニャーて、鳴いて猫の声だって判断するじゃない。
ニャーだけのはずだよ。
対象化してない自分の様子を見つけてみたら?
意図して対象化しない!てのはペケだよ。それしちゃってるからw
要するにこっちにいる自分に用が無いのよ。 >>900
ああ、そっち系の人ですか。
じゃあ、私は「釣り」の対象じゃないよね。
では、このスレでごゆっくりお楽しみください。 >>897
あーそうなんだ?変な解釈してる?w
まぁなら、仕方ないですね〜。
私も別に門徒ではないですし、正直、浄土系の概念もほぼ知りません。
何を読んだか覚えてませんがなるほどこの方はお釈迦さまが見られた景色を見たんだなと感じただけですから。
>>898-899
なんか一つになるとか、同じになるとかしてない?w
そんなこと言ってないよ。
じゃあこれでどうだ! いちいちのことがらを頭に持ってきて判断しない。
または判断してない時を見つける。
実際にやってみてねー。実践第一だから。
右から左を見回してみて。
そこにあるものすべて一々判断した?
してないはずだよ。出来るわけがない。
ここにティッシュがある。ティッシュて判断する前にもうあるのが見える。
当たり前なはずなんだけどなw >>901
釣りってのは、なんか以前に来てた人がいない気がして、もしかして台風でやられたかなーて、気になって言っただけですよw 900.心理学をやっているバカである。
大爆笑である。 >>885
>元々の話は修験の本流が何処かだから
そんな話は知らん。俺は単に事実を指摘しているだけ。
すると元々の修験の本流は天台本山派であったことがわかる
9c-11cの験者15/16名が天台。1人いる真言の験者の深覚の系統は修験道としての
発展を見せず、学僧系統の而二門教学から南山教学を発展させ今は高野山専修学院
となっている。つまり平安期に遡る真言宗系修験の正系は絶えている。
>役小角−空海−聖宝と山林修行の流れは有ったんだよ
三人とも修験と無関係だ。後代になって、本流の天台本山派に対等に対抗するために
でっちあげたイカサマ。
・役小角は、聖者の奇行行者
・空海は、833年に天皇の病気平癒の加持祈祷をしただけ
・聖宝は十禅師
呪術的な加持祈祷をする能力があったとされるので後代の修験道が名前を利用しただけ
>本流というからには高僧の直接関与と その後の脈が無いとおかしいだろ?
本山派では、850年に天皇の病気平癒の加持祈祷しただけの円珍を祖として権威づけて
いるが実際この系統は9c後半から11cに15名が験者として世から評価されている。
法脈がちゃんと確認できる。
対して、空海の側は、1人深覚だけだが、深覚の系統は法統が学僧として続いて
いるが修験は絶えている。
平安期に真言系あるいは周辺の修験者がいなかったかというと、12cの蔵王権現像が
あるのでいたのであろうが、この人たちは独立自尊の気風があって、自治組織として
南北朝時代に当山衆を組織していた。江戸期になると正系の本山派の一派支配圧力に
対抗できなくなり、醍醐寺の塔頭の三宝院の義演を頼りその支配下にはいった。
かくしてメインラインの本山派の一派支配を脱し、本山派/当山派二派鼎立となった。
そしてその義演本人が『醍醐寺新要録』で、
「一三世紀後半頃から、聖宝を山伏の祖とする信仰が醍醐寺内に起こった」と記している >>906
>そんな話は知らん。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
吹いたw
暇人さん?
これ、でおーのW高野山修験道Wという仮説を巡っての論証が事の発端ですよ?
あなた、今までそれも知らないでずっと無駄レスしてたの? こじ君はなんか金目の物を拾って歩いているのかも知れんwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なりwww
笑っちゃ魚www >>906
>>役小角−空海−聖宝と山林修行の流れは有ったんだよ
>三人とも修験と無関係だ。後代になって、本流の天台本山派に対等に対抗するために
でっちあげたイカサマ。
>・役小角は、聖者の奇行行者
三論宗寺院で得度受戒した説も有るがな
・空海は、833年に天皇の病気平癒の加持祈祷をしただけ
入唐以前に山林修行をしている
四国修行も無視か?
>・聖宝は十禅師
呪術的な加持祈祷をする能力があったとされるので後代の修験道が名前を利用しただけ
加持祈祷の力は通常山林修行で身に付くものだろ?
街中だけで生活して大成した法力者なんて聞いた事が無い 4サル山流真言君の珍説アーカイブ、2019/10/13(日) 19:14:56.93ID:3ntWDiUR
サル山流真言君の珍説は結論ありきで、そういう話がないと決めつけるのが特徴笑。
呆れるのが先、次はバカで可愛いと思うのが来る笑。
272神も仏も名無しさん2019/10/11(金) 14:51:05.57ID:sQUieJD8
お前の認識だと修験=木喰行なのか?
だったら湯殿の即身仏もみんな修験という事になるな?( ̄∀ ̄)
285神も仏も名無しさん2019/10/11(金) 15:03:01.90ID:sQUieJD8
木喰応朞の略歴見ても木喰行以外に修験を示唆するものは無かったからな
それとも鈴掛着けて山行やってたとか具体的な記録でも有るのか?
610神も仏も名無しさん2019/10/12(土) 17:20:09.29ID:L4ngqjV2
>>583
確認したけど修験道との関係を示す内容は無いですね
普通に考えたら禅と修験は両立しないかと 790神も仏も名無しさん2019/10/18(金) 00:30:46.58ID:nysTmbgS
>>787
自分で醍醐寺に電話して話し合ってくれ
公式HPに書いてる事まで否定するならこそこそしないで 其処までやれよ
それで醍醐寺が表記を変えたら教えてくれ
ご苦労だった 暇人は冴えているなあ、修験道レスに関して、
昔の中国仏教汚名挽回できているな笑。 醍醐寺において修験の勢力が伸びたのは明治以降、
それ以前は、学問僧優位で、新義系真言を支配、教育機関の役目があったからね。
845ふさふさ2019/10/18(金) 08:06:09.65ID:dIXMmQ+R>>849>>854
醍醐寺は、面識のない昔の人である役小角から
神秘体験で相承を受けたと主張しているわけだが
ただのイカサマぢゃん。 大山、ちゃんぽんな修験道に、それを期待しちゃあ笑。
修験は基本「験を現わす」それをもって他人を救うのが狙いで、
中心に悟りの修行ではないんですけどね、
そういうちゃんぽんな流れを仏教辞典レベルで検索?
大山も鈴木大拙風、教義至上主義仏教世界観で、修験を見過ぎ、
サル山君も歴史的事実に無関心、
あきれる、の一言だ笑。 サル山君が醍醐寺で確認してという視点は、
高野山真言宗の奥の院で弘法大師が生きている状態の姿のままである、という事実が昔からあると否定しますか?
という質問してというレベルで、
教団上、教義上、否定できないのを真に受けて、
サル山君、て、ほんとバカですね笑。 一般に知れ渡っていない 一部の学説を事実認定しろと言う方がアホだろ?
どっちの説が有力か他の学識者の見解とかも全部出して偏りが無い様にするならまだしも
まあ別に高野山が修験本流だと証明された所で高野山信徒の俺に損は無いんだけど 証明するなら世間一般の誰もが判る様に奈良時代からの文献史料も添えてやってくれよって話だわ
役小角から真言密教成立迄の空白期間も有る事だし 円珍が復興させたでも 理源がでも空海との関わりは打ち消せないから 結局無限ループするだけ
高野山が修験本流というなら高僧の関与を裏付けるしかないけど そうなれば空海しか出せない 空海を出せば 真言宗は修験の支流かとどっかからツッコミ入るから無理だ
高僧のいない行人方が真言宗修験の本流だ〜言われても 看板にはならんし 何より山内に修験寺院も無ければ蔵王権現像も役行者像も無い状態で何をか況んやだわ… >>919
御流神道の成立とその時期、文献はきちんとある、サル山君には理解できないようだが、
聖宝の修験の教義の文献の成立は江戸期、
江戸期教義の聖宝の修験は大峰山オンリーなので、
当山派の「三十六正大先達」の多くは三井寺系修験の葛城修験を敢行。
サル並み過ぎて頭に入力できないのか? >>919
古文書研究の仏教民俗学以前の教団教義至上主義のサル山君
>一般に知れ渡っていない 一部の学説を事実認定しろと言う方がアホだろ?
そりゃ、教団教義至上主義しか関心がないサル山君にとって、一部の学説を事実認定のいう説ですよね。
まけたくない、サル山縄張り根性が、それを貫かせるのでしょうけどもね笑。 サル山君、君は修験道の歴史事実に無関心であることを謙虚に認めるべきだと思うぞ、まず笑。 >>920
空海の天照大日同体説は?
本地垂迹説のルーツは其処だし 当時釈迦族の祖先について情報を知ってる人物を他に想定出来るのか? 暇人はたまに横暴解釈が目に余るが。
まだ、サル山君よりも、暇人は、修験道の歴史事実認識に努めようとする姿勢があるのは評価できる。
暇人がニヒリストゆえに、そういう発見ができるんだろうけども笑。 >>923
御流神道は鎌倉期成立だし、
江戸時代の名所図絵には、奥の院に、仁和寺の親王が籠った寺院がある、
当然、御流神道、
高野山の宿坊には、そいう説の文献が翻訳されていないが、たくさんある。
同じく、御流神道分派の三輪神道、こちらは事相、教相の現在語訳文献を高野山で見つけたが、
その流派の開祖は霊の「覚鑁」から、色々伝授されたとある。 >>921
その説は有力なのか否か?
今後有力説となるのか?
ここ十年位で出てきた新説だし 仮に将来 学説全部塗り変わるにしても 現時点で断定的まだ時期尚早じゃないか?
高野山に修験の本流が有ったという説は 三井寺系のという意味でなら 真言修験は当初から実在しなかったとならないか?
だとすれば結局高野山に有った行人方の修験は真言宗のではなく本山派の修験という事になって 高野山に修験の本流が有ったではなく 本山派修験の支流が有ったとしかならんから 高野山に独自の修験体系は存在しなかったという事でよろしいか? あと、仁和寺に関していえば、明治以前に後に高野山の宿坊寺院となり、高野山真言宗傘下となる宿坊が一つある、
学僧、行人、聖に該当しない、客坊の門跡系、光台院
がある、
ということは、江戸期に領主化した高野山でも仁和寺の独立系寺院があり、江戸期には仁和寺は衰退していたが、
院政期、鎌倉期は、仁和寺は絶頂を誇る、仁和寺は天台密教を混ぜ始めて、
完全に混ぜた覚鑁、伝法院流ができる。
天台が混ざっているので、根来寺修験は(根来寺の学問僧も修験を行う)
江戸期成立の聖宝の醍醐寺中心の当山修験道と別物。 >>927
院政期、鎌倉期は、仁和寺は絶頂を誇る、仁和寺は天台密教を混ぜ始めて、
完全に混ぜた覚鑁、伝法院流ができる。
天台が混ざっているので、根来寺修験は(根来寺の学問僧も修験を行う)
江戸期成立の聖宝の醍醐寺中心の当山修験道と別物。 >>925
空海ルーツの本地垂迹説ではなく 覚鑁からの霊異相承なのね?
そういう説は面白いから興味涌くよ
密厳院発露懺悔文を初めて読んだ時には感動したな… >天台が混ざっているので、根来寺修験は(根来寺の学問僧も修験を行う)
江戸期成立の聖宝の醍醐寺中心の当山修験道と別物。
とはいっても、醍醐寺は、根来寺系豊山、智山、両派を学問研究で支配下に置いたらしいけどね、
当然、その当時の醍醐寺は根来寺系豊山、智山、両派を学問研究で支配下に置くので、
修験よりも学問僧の方が力がある。
明治期に、根来寺系豊山、智山、両派が醍醐寺から独立したので、
財政上困り、修験道の割合が高まり、修験禁止を解かれてから、醍醐寺は修験道の割合が増えた、
その醍醐寺が、聖宝昔からの修験道と主張するのは当たり前、
高野山真言宗が、明治以前、学問僧を支配していない奥の院を否定するぐらい、できないのは当たり前、 >>927
ああ 比叡山と高野山の僧侶同士の相互研鑽の時に修験も混ざったって事?
それなら有り得るね ちゃんと、智山勧学院の論文や、高野山大学の密教研究の論文を見て、主張しているからな、 >>928
覚鑁が命を狙われたのはその辺の事情も相まってって事?
それも有り得るね >>932
ああ それで自分で調べろと?
それは悪かった 自己愛性人格障害の朝鮮人は、他の団体を自分の思想心情と切り離して利用する。
だから、創価にも、大谷派にも、四国のお遍路にも、熊本の末社にも、アイヌにも、沖縄にも、彼等は入り込む。
入り込んだら、必ず乗っ取り工作を仕掛け成り済ます。
上手くいけば自分の道具に、失敗したらその団体をあしざまに言い、自分の身代わりにする。
そうして、自己愛性人格障害の特色のまま、自己正当化と他者からの収奪を始める。 >>931
比叡山よりも三井寺だろよ、葛城修験は。
鎌倉期の上皇の熊野参りブームがあるんだから、
あと、源平合戦で有名な、和歌山熊野水軍、当然、山伏修験だが、別当湛増は、
高野山の常喜院心覚の住居を建てる布施をした(五来重は別当湛増の別荘を常喜院心覚に与えたとある)
常喜院心覚自体が、元三井寺で興福寺僧、珍海?と議論して論破されて、真言宗に改修。
とはいえ、三井寺臭さは残るだろう。当然、聖宝とは無関係、
常喜院心覚が、別当湛増に作ってもらった、遍照光院(現存宿坊)は
高野参りの町石道を作り、滅罪清浄の修験行風の意味があるだろう。
高野山の手前の不動堂で身を清めるとか。
これは本流の学問僧と無関係だからな。
覚鑁系の影響大の分派の学問僧、無量寿院の道範は関係大だけど。 創価を盾にした統一が、日本人信者たてにした教祖が、日本人社員をたてに朝鮮人社員が
逃げおおせるぞ !
あ、在日含有率が100%に近い統一とウリスト教は別格だよ。 朝鮮人はテキ屋民族で日本人は農耕民族だから合わないよ、注意しなさい。
決して↓にみて油断する連中ではないということを 心に留めておいてください。 >>936
それだけの史料が殆ど公開もされずにまだ埋もれてるって事?
それで覚鑁系の修験は拠点を根来に移さなかったの?
確かに覚鑁の名前が有ったら高野山からは名前が出にくいし 出したら出したで何で今頃出すんだと既得権益からクレーム出そうだね まぁ、でおーの仮説である ”高野山修験道” というのは却下って結論でいいね。
反証がなかったし。 聖霊のバプテスマを求めて異言の霊(偽の異言を言わせている悪霊)に憑りつかれ、異言の霊が仲間の
嘘つきの霊、飲酒の霊、狂信の霊、病気の妄想の霊、姦淫の霊を呼び寄せてしまったのだ。 もうじき冬が来るね。
その寒さの中にあなたは居ない。
あれは何度目のクリスマスだったろうか。
私がまだ小学生だった頃、両親は共働きでね。
兄弟3人でポテトチップスを皿に盛りポッキーをグラスに飾った。
部屋の灯りを消してロウソクに火を灯すと妹の笑顔が浮かんだ。
もう何処にもない笑顔。
二度と見ることのない光景は今この瞬間の光景も同じことだ。
あなたは触れることが出来ない光景を目にしている。
今年のクリスマスもきっと懐かしいに違いない。
ちょっと早いが今は亡き私から諸君らへ
メリィィ〜〜〜クリスマァ〜ス!!!
モグワイ「クリスマスソング」パチン☆!!
https://youtu.be/DJpn4oLiwlE >>934
∞ノノハ∞
川^〇^ハレでおーたんが宿坊などで文献を読んだと言うのらな本当なんでしょうけど
でおーたんにも読む事の出来る文献を仏教学者さん達が読んでいない事ってあるんでしょうか? 量子コンピューターは「量子力学」という物理法則に従って動く。
従来のコンピューターは「0」か「1」で情報を表すが、量子力学の世界は「0であり、かつ1でもある」という特殊な状態が起こりえる。
この仕組みを利用した「量子ビット」と呼ぶ計算単位を使うことで、膨大な情報もまとめて処理できる。
計算の回数が大幅に減り、時間が劇的に短くなる。
グーグルは今回、53個の量子ビットを実現し、乱数をつくる計算でスパコン超えの性能を実証した。
〇 菊花賞の勝ち馬は?
答え、そりゃー 走って見ないと分かりませーん。要は 結果論で シッタカの 評論家と同じでーす。それはまた、悟ってwも居ないのに、さとりを語ってメシを喰う仏教僧や仏教学者と同じでーす。 >>943
高野山の閉鎖体質なら有り得なくは無いよ
山内寺院同士で対立し合ってたりとかも割りと耳にする話だったり無かったり
ただ客僧に其処まで見せるかどうかには?がつくけどね
何しろ山内相互不可侵体制だからね… >>945
∞ノノハ∞
川^〇^ハレそんなに確執があるんですか
ザ!密教ですねおwww >>946
政治的にも支那贔屓 チベット贔屓 朝鮮人僧侶の寺院とかもうぐちゃぐちゃ状態
宗務総長なんか寺社板で京大卒の赤ハゲ呼ばわりされてるし 笑
なもんで宗教法人としての高野山真言宗には帰依心無し
師はただ奥の院に有りってとこ >>947
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ空海さんは今も瞑想中ですね >>948
肉体はとっくに無いけど 気配だけは怖いぐらいビンビンだから
前に行った時なんか遥か手前の御所の交差点から大門までずっと 四方八方から得たいの知れない厳しい視線で大歓迎
でもまた行きたい >>949
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ霊感あるんですか?
以前山形のお寺さんの即身仏を調べていましたら空海さんに辿り着きました
入定される時のマニアルは空海さんの書だそうで
即身仏になるには過酷な修行と最後の方は木の皮や木の実そしてヒ素の入った温泉でしたか?
空海さんが入定された時も過酷な修行をされたのかなぁ?と
修験に近いというより想像を絶する過酷な修行かと >>949
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ霊感あるんですか?
以前山形のお寺さんの即身仏を調べていましたら空海さんに辿り着きました
入定される時のマニアルは空海さんの書だそうで
即身仏になるには過酷な修行と最後の方は木の皮や木の実そしてヒ素の入った温泉でしたか?
空海さんが入定された時も過酷な修行をされたのかなぁ?と
修験に近いというより想像を絶する過酷な修行かと レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。