目、耳、鼻、舌、体、想いの活動に、気をつけている
ということを、今にいるとか、いまここに生きるという風に言ってるんじゃないん?

静かに整えられた心で、六根と対象の次々と移り変わる様

つまり自己の全活動を観る

頭で認めたことには用はない、か

この、心を落ち着けて、止めて、が肝心で
それから、現れてきた目線で、己の活動を見る

それに釈迦は、過去現在未来の何れにも、心を留めないみたいなことを言ってたような

過去にあったものを枯渇せしめよ
未来には何もないようにせよ
現在においても取ることのないならば