【仏教】悟りを開いた人のスレ455【天空寺】
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お気軽に質問等をどうぞ。
罵倒、批判だけのレスはスルー。
悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
修行もする事。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願いする
※前スレ
【仏教】悟りを開いた人のスレ454【天空寺】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1570700092/ >>235
今日ちょっと試してみたけど結構よかったよ!
頭の認めたことを用いないやつ
めちゃ流れてくわ
ホントはズレてないのかあ
そのズレてるズレてないの話はよーわからんが
こことズレてるズレてないかな? 元オーム先生の遺伝子の話は
あれやなあ
まあ自己防衛反応というものかなあ
これは強烈やな、、、
生命欲は断固ゆるさんとかになったら
ハジには困難ではあるが、
しかし、まあ自己防衛反応から、怒りがきてるんはあるね、間違えない 頭の認めたことを用いない瞑想、使える!
これは、使えるぞ
なんか外界の事象にしろ、内面の事象にしろ、それを頭がストッピングして、パコンと嵌めてるわけで
その止めてスタンプしたとこが、なんか引っかかってる感じがあって、あ、認めてるやつやと気がついたらパッと離してやればスルスルーっと流れてくわけで
これは、まだわからんけども、恐怖とか怒りとかも、その場のはなくならんけど
後引きせんようになれるかも?
上手くなればの話やけど、、、 >>269
> >>267
> 意味不明w で、根拠は? 』
オマイの無脳、無用だろ、ムチ(-_-)/~~~ピシーピシー!無恥にして さらに加えて 無知蒙昧である。 まあ、こーやって書くと
後引きも何も、跡なんて元々、残ってないとか
ゆーよーな奴が、現れるかもしれんが
個人の感想なんで、勘弁 >>268
∞ノノハ∞
川^〇^ハレご教授ありがとうございます
>二にして一、一にして二
天むすの見解になっていましたけど
渠(仏)は今
色即是空の空だと思いました
思いが入った時点で我
我は今
空即是色の色に戻ったと思いました >>270
ズレるわけがない。
そんなはずないのにいつの間にか理屈先行でしか物が見れなくなる。
そうすると自覚出来なくなる。
分かることと自覚することは全く別のことだから。
自覚さえ生まれればズレてない事も知るし、
先達たちが何を言ってるのか分かるようになる。
分かることが大事じゃないって事も分かる。
まぁお見受けしたところ、正師と呼べる人をご存知のようなのでその方に直に教わって下さい。
一番はこれです。これに直に教わるのが一番。 空っていうのは
空の雲が風でフワフワと形を変えてくようなんで
それが六根に反映した世界が、次々、やってくる様に似てるってことなんかなあ
縁に触れて、っていうのは、相互が触れ合ってみたいなんで
それが右向いたら右あるしみたいなんで
個人を中心として見るなら、世界は縁、相互の出会いが、この身体の機能によって次々展開してるわけで
無常やねと
だから、この身体が対象と次々、縁起空やってんのが
空のフワフワ風に流れる雲の形を変える様のよう、幻の様だなあと言ったとかさ >>276
!!!!
正師って、そーゆーことなん!?
マジでビビった
マジか!
マジっすかあ
いや近年稀に見る大発見!
ありがとうございます >>277
色→目に見えるもの→物質
空→目に見えないもの→空間
何かが有る(有)という見方と何も無い(無)という見方を邪見とした場合 有も無も仮にそう有るだけで状態の変化に過ぎない
絶えず変化する物事の移り変わりの中で変化しないのが空
どれほど高密度の物質の中にも空間は有るし 仮にあらゆる物質が消滅しても空そのものは無くならない 増える事も減る事も無い 生まれる事も死ぬ事も無い 汚れる事も無ければ 浄まる事も無い
有も無も一時的な状態で有ると観た時に現れる物事の本質が空 >>279
え?
ちょと待って
それが自性空とかいう場合って
その空がわたしってこと?
いや、わたしは空なのかなあ
え、じゃあ色即是空って、この目に見えるものたちは、目に見えないものであるっていうかさ
うーーーーーーーん
えーっと、その空ってやつは
あの
父母未出生以前の本来面目とかと一緒かなあ
そーなると、、、
あの、盤珪さんの、不生の私みたいなんと一緒なん??
そこ肝心なんやけど えーっと、これ、ここさ
わたしは空である
っていうと、それこそ、認められないものだから
体験とか、実感とか、全くないし
そのことと、ここで、ここしてるんが、繋がってくもんなのかなあ
いやあ、これは、謎
謎すぎ いや、つまりね
その物事の本質である空というものは
あるものでもないものでもない
存在するものでもなく、存在しないものでもない
それは
わたしなのか
それにしても、いや、これ、ここ、ここ肝心
でも、空が、存在するものでも、しないものでもないんなら
それって本質足りうるのかなあ
いやあ、分からなさすぎる >>280
>いや、わたしは空なのかなあ
「わたし」はいつか消える幻想 わたしだと思い込んでる肉体の本質が空
>え、じゃあ色即是空って、この目に見えるものたちは、目に見えないものであるっていうかさ
目に見えるものも目に見えないものも一切は空だって言う事
精選版 日本国語大辞典の解説
ほんらい【本来】 の 面目(めんもく)
仏語。衆生が本来持っている、人為をまったく加えない心性。禅の極致という。
※正法眼蔵(1231‐53)弁道話「本来面目現ずるとき」
用語を知らないからググったけど これだと理性や社会性を無くさない?
>あの、盤珪さんの、不生の私みたいなんと一緒なん?
不生不滅の状態に入ったらおそらく「私」は全体としての「空」に溶けるからただの空性
コップの水を川や海に溢したら元の水と見分けが付かない様に物質の中の空も物質が消滅したら一見無に見える空と見分けが付かない ハジの場合、色は空であると聞いて
例えば、近くにある扇風機をみてこう思う
空ってことは、この扇風機は、その本質としては、存在することがなく、それでいて、存在しないこともない
?????
さらに、存在することと存在しないことが同時にあるわけでもない
さらに存在しないものであるものが存在しないという感じのでもない
となると、もう、頭が無理wwwww
認識不能となる、つまり、ハジとすれば、その線でいくと、空は認識不能のことで
認識不能が、扇風機として仮に現れてある
みたいな
アカン、こーゆーのは頭がパンクするwwwww >>282
私が空なんじゃなくて「わたし」という生き物の本質が空なんだよね
「わたし」は死ねば無くなる概念だから 死後は他の空と見分けが付かない
例えば転生しても そこに有るのは全く別の「わたし」で大抵は記憶からも消えているでしょ?
過去世を思い出しても 今の自分とは別の「わたし」だから永続性は無い
一回こっきりの「わたし」を無限に繰り返すのが輪廻なのね >>283
> いや、つまりね
>
> その物事の本質である空というものは
>
> あるものでもないものでもない
>
> 存在するものでもなく、存在しないものでもない
>
> それは
>
> わたしなのか
>
「わたし」にこだわらないで
> それにしても、いや、これ、ここ、ここ肝心
>
>
> でも、空が、存在するものでも、しないものでもないんなら
>
> それって本質足りうるのかなあ
>
> いやあ、分からなさすぎる
存在するとしないを分けてるのは人間の見方でしかないのね
発生と消滅が空の中で起こってるだけで空そのものの性質は変わらないって事 >>286
うーーーーーーーん
これは、ハジの認められやんやつや、、、
空なるものは存在しないものでもなく、存在するものでもなく、存在しつつ、存在してないものでもなく、存在しないものが存在しないものでもなく
つまり、あらゆる断定というか、認識や、理解不能な言葉で
認識の停止のことで
つまり、空というもの、そのような本質的な何かを、あると見ていることになるように思ってしまうから
あの
なんなんかなあ
空という本質世界みたいなんはないと思う 消滅が消滅してるとかが近い?
と思ってわ、そーとらえるから、違ってくるわけで
だから、どうあがいても、人は空を知ることはなく
あらゆる否定でもなく
あー、だから、めんどくさいから
空なんて名前しかないとハジは思っておいてるが
それもまたホントは違うわけで、もう無理なやつが
空でしょ >>285
> ハジの場合、色は空であると聞いて
>
> 例えば、近くにある扇風機をみてこう思う
>
> 空ってことは、この扇風機は、その本質としては、存在することがなく、それでいて、存在しないこともない
>
> ?????
例えば人体の70%は水で有る→人体は水で有るというのは解るでしょ?
同じように扇風機という物質の中に原子があってその原子の中に膨大な空間が有るのね
原子の大半は空間で有る→原子は空で有る→原子で構成された物質は空で有る
> さらに、存在することと存在しないことが同時にあるわけでもない
>
> さらに存在しないものであるものが存在しないという感じのでもない
>
> となると、もう、頭が無理wwwww
>
眼で認識出来る物質にも何も無い空間にも同じように原子が有って その原子にも一見何もない空間が有ってね
つまり極小で見た場合と極大で見た場合に扇風機という存在は認められない 自分という仮の存在が扇風機という仮の存在を扇風機が有ると認知してるだけなんだよ
> 認識不能となる、つまり、ハジとすれば、その線でいくと、空は認識不能のことで
>
> 認識不能が、扇風機として仮に現れてある
>
> みたいな
>
> アカン、こーゆーのは頭がパンクするwwwww
ちょっと急過ぎたら御免ね >>288
じゃあもっと手前の所で「無」は存在しない事を現すのは解るよね?
所がこの無という概念が結構曲者でよくよく考えると「〜は無で有る」と言った場合「無」という概念が実体を伴う存在となって無が存在するという論理矛盾を引き起こすのね?
そこで「無」そのものは存在しないけど何もない様に見える状態は存在する
つまりこれは仮性で有って本性ではないとなっていく訳よ >>289
物が生まれて存在する状態を有とします そのものが破壊されて存在しなくなった状態を無とした場合 存在した物が存在しなくなる代わりに無が存在するという矛盾に気付いた人がいました
誰あろうゴータマ・ブッダです
同じ時代の西洋の哲人達も論理的に無が存在しない所迄は突き止めていましたが その状態を現す「空っぽ」の概念まではたどり着きませんでした
この「空っぽ」を現す空は性質的に有と無の両方に見られるので空が実で有無が虚で有るという結論に至りました >>292
おお、分かりやすい!
有でも無でも
有無でも
無無でもない
なんでもない
その空っぽが空だとして
つまり、それは、空っぽだけに、認識されることはないわけじゃないん?
空間と言った瞬間、もはや、それは、空間となってしまうやん >>293
間違えた、、、
なんでもないでもない
じゃないとあかんのかwwwww
めんどすぎる >>293
認識されないから直接表現出来ずに有でもない無でもないって色んな物事に「〜ではない 〜という事でもない」っていう論法で浮かび上がらせるしかないんだよ >>294
このめんどい所を理解しないで行だけに走るから論理性の無い所に迷うんじゃない?
原始仏典も論理から始まってるからね うーーーーーーー
ここは、ハジの思ってるは違ってるなあ
浮かび上がらせるというか
こっちの、それを認識したいというのを
破壊しにきてるwwww
〇〇ではない、それでもない、あれでもない
その上で浮かび上がってきたものがあれば
それでもないよと
つまり、全否定した上で
じゃあ全否定された、それ、現れざる、それ
みたいなのですら否定して
ありとあらゆる可能性のすべてを断ちにきてる
行き場をなくして
探してるこちら側をストップさせる
この探してるものが、もう行くとこなくなる >>297
(有)⇔ ( ) ⇔(無)で表記してみるね
この ( )が無いと見かけの有無も成立しないのね
で其れを現す代名詞として無との混同を避ける為に空が宛がわれたという事
実体化出来ないけど非存在にも出来ない微妙な事なんだよ >>296
確かに仏教知識薄っぺらいからなあ
ハジの感覚で書いてても、大間違いかもしれんし
基本的なことはもうちょっと勉強しまーす >>299
体験を論理化しようとすると自分の言葉で語るよりも遥か前に体験してた偉大な先師達の絶妙な表現が現れると思うよ
おお 言いたい事はこれだ!ってね 300.バカ大山には理解できない。
バカ大山も弟子になる、と良い。 お爺ちゃん
とうとう人の見分けが付かなくなったのかな?
それは悟りじゃなくてボケだよ 302.ボケ同志で仲良くする、ことが大事である。
バカ大山もバカ同志で満足している、よ。
大爆笑である。 珍しくムキになっちゃって 笑
まあ余生穏やかに過ごしてね 304.貴君も悟り、になっていない、よ。
いつか、わかる、ときが来る、かもね。
大爆笑である。 俺は自分が悟ってるなんて思ってないから 大丈夫だよ
本当に悟ってるなら誰かを中傷したり からかったりしないというのだけは理解しようね
それが有る内は皆お互いに未熟なんだよ キレる
呆ける
徘徊する
ポッタン師である、よ
大顰蹙である(笑) >>306
悟っていない者が、悟ったらどういうなるか分かっているって、
おかしいな。 >>306
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ勝義諦は平等ですよね?
>「三界唯一心、心外無別法、心仏及衆生、是三無差別」
心も仏も衆生も無差別から考えますと
喜怒哀楽も一如だと思いますけど? >>308
悟ったブッダが悟ったらどうなるのかを説いてるのだから 一掴みでも確認したなら 其処から先は信じるしかないでしょ?
どういうのが偽の悟りかも初期の仏典に有るんだから 変な言い方だけど自分はまだ悟っていない事を悟っている となる >>309
> >>306
> ∞ノノハ∞
> 川^〇^ハレ勝義諦は平等ですよね?
>
寧ろ世俗諦じゃない?
> >「三界唯一心、心外無別法、心仏及衆生、是三無差別」
>
> 心も仏も衆生も無差別から考えますと
> 喜怒哀楽も一如だと思いますけど?
その場合の心は人間に属する心かな?
三解唯一心だから全ての心の大元じゃない? >>313
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ一即多、多即一ですので喜怒哀楽は同じだと思います >>308
wwwwwwwwwwww
なら逆にだ、悟った者は悟ってない者がW分かるWのか? >>311
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ天むすおにぎりの見解ですと
>不異不同になるんですね
ありがとうございました >>314
ブッダが心を喜怒哀楽の中間に保ってるとしても? 315.当然である。バカ大山は悟っていない。
大爆笑である。 >>317
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ世俗諦ですと二元ですので差別になりますよね
勝儀諦は一元の平等
中道にお釈迦様がいらっしゃるのなら現量になると思いますので
ありのままだと思います 319.バカ麦が言う、ことである。
信用しない、が正解である。
大爆笑である。 >>319
勝義諦に至るには世俗諦を通らないとならないよね?
つまり十分に噛み砕かれた解りやすい教えから始めないと勝義諦には辿り着かない事になる >>321
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ龍樹の中論で
>「有・無・または有または無・有にあらず無にあらず」
当てはめますと
喜怒哀楽も有る
喜怒哀楽も無い
喜怒哀楽も有る喜怒哀楽も無い
喜怒哀楽も有るでなく 喜怒哀楽も無いでないことはない 中論
觀涅槃品第二十五 二十四偈
25・20
涅槃の実際と、世間の際と、
是の如き二際は、毫釐の差別なし。
毫釐(ごうり) ごくわずかなこと。ほんの少し。ごうりん。
觀邪見品第二十七 三十一偈
27・31
瞿曇大聖主 。
憐愍して是の法を説き、
悉く一切見 を断じたまえば、
我れ今稽首礼す。 >>319
>勝儀諦は一元の平等
麦さーん!
一元っていうと還元論的な常見になるぞー! >>324
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ勝義諦は一如の方が良いですか?
移動中で入力しづらくて下向いていると酔いそうwww
またです >>322
中論は色の有無を空で否定する理論だから感情の有無に当て嵌めるのは違うと思うよ
色と心がくっついたり離れたりするのは生き物の有り様で説明付くでしょ
色即是空≠色即是心
もし心と物が永遠に結び付いたままなら輪廻も無いし 火葬なんて出来ない事になるよ 私は真理を知りたいとか
悟りたいとかではなく
何であれ私が求めていることが
何であるかを知り続け
それを味わいたいのだなあ
今はたまに泊まって
瞑想できる場所があるって
とっても贅沢だなあと
今さら味わってるなあ
贅沢大好きだわ >>326
横から済みません。
般若経では、色即是空・受即是空・想即是空・行即是空・識即是空、即ち五蘊(=一切)の空を解いてますが、
>中論は色の有無を空で否定する理論
>感情の有無に当て嵌めるのは違うと思うよ
というのはというのは浅学にして初耳です。
感情も五蘊のうちなれば、空の理論にて否定の対象となるものではないのですか? >>328
私の理解と説明がおかしかったですね
すみません
色蘊を否定する論理がそのまま識蘊を否定するのに宛て填まるかどうかに違和感が有って先走りました
煩悩を滅し尽くした如来に衆生と同じ喜怒哀楽の作用が有るという考えが受け入れ難いのですよ
何か府に落ちる説は無いものでしょうか?
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
五蘊
ごうん
pa?ca-skandh?
仏教用語。五陰 (ごおん) ともいう。物質・精神より成る人間存在の5つの局面または構成要素。第1は色蘊。五根,五境など物質的なもののことで,人間についてみれば,身体ならびに環境にあたる。
第2は受蘊。対象に対して事物を感受する心の作用のこと。第3は想蘊。対象に対して事物の像をとる作用。第4は行蘊。対象に対する意志やその他の心の作用のこと。これら3つの心作用は,心王所有の法あるいは心所といわれる
。第5は識蘊。対象を了別識知する心そのもの。識蘊は心自体のことであるから,心王と呼ばれる。仏教では,あらゆる因縁に応じて五蘊がかりに集って,すべての事物が成立しているから,五蘊仮和合,五蘊皆空と説かれる。 (→五大 ) >>322
直接の説明にはならないけど 同じ中論の中で大覚と小智という言葉で仏と俗人の心の状態の違いを表されてるよ
https://zapo.exblog.jp/3917561/
仏の境地(大覚)は広く照らされた(曠照)ものであるが,小智のものは狭い心(隘心)が,まとわり(纏)ついていることを知るのである。
これ(隘心)を照らして,広げなければ,すなわち、存在が有るとか無いとか(有無)の偏見を退治して,出家者と在家者(道俗)を同一の見識にすることはできない。
これを知り尽くさなければ、すなわち、いまだ途中で悟りきれず、生死と涅槃の二つの状態(二際)をなくすことはできない。
道俗の偏見を無くし、二際なくすことができないということが、菩薩の憂いである。 >>329
>煩悩を滅し尽くした如来に衆生と同じ喜怒哀楽の作用が有るという考えが受け入れ難いのですよ
成る程ですねぇ。
ここら辺は天台教学に絡んでまいりますが、如来にも衆生の心を理解するために喜怒哀楽がありその作用を示されるって考えもあるそうです。 >>331
日蓮教学と五時八教説のイメージから天台教学に余り関心が向かないんですよね
漢訳阿含経よりもアーガマ 漢訳大乗経典よりもサンスクリット語からの原典訳が解りやすいのでそっちに意識が向いてるというのもあります
原語から漢語 漢語から古文の読み下しを経て現代語訳になった二次訳 三次訳でピンと来なくて 原典訳を探してやっとしっくり来る事もしばしばです >>330
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ
>存在が有るとか無いとか(有無)の偏見を退治して,
出家者と在家者(道俗)を同一の見識にすることはできない。
ここがポイントの様な気がしますwww
お話変わって
曼荼羅の世界にも如来・沢山の菩薩・五大明王がいると思うんですけど
詳しくは分かりませんが
沢山の菩薩様は衆生を救うんですよね?
五大明王様も衆生を救うんですよね?
五大明王様のイメージとして喜怒哀楽の怒る姿かなぁと
怒る仏様っていませんか?w
ウィキペディアより
>「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、
仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、
外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、
極めて積極的な介入を行う姿である。
不動明王は大日如来の教令輪身とされる。
煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。 不動明王・・・ヤンキーのボス格 実は元シバ神という噂も
降三世明王・・・シバ神ボコッたことのあるヤンキー
軍荼利明王・・・小物のヤンキー軍団を率いる愚連隊長
大威徳明王・・・狂暴なヤンキーで、死神もボコる
金剛夜叉明王・・・元人食いヤンキー >>336
∞ノノハ∞
川^〇^ハレワロタwww(≧m≦) >>334
「存在」についての話ね
内面の喜怒哀楽がどうかについてなら 例えば蓮華色比丘尼は凌辱された事を自ら長老達の前で何も感じなかったと告白して 長老達は禁じられた快楽を感じたのではないかと問うた訳だけど ブッダはそれを否定してるのね
快楽は特に苦痛の反対だから 同時に苦痛も感じないか又は小さかったのではないかな?
明王は通常悟りの度合いで如来や菩薩よりも下位で天部よりは上だから まだ仏ではないよ
憤怒尊が恐ろしい姿をしてるのは悪魔でさえ改心させる為にであって内面の怒りではないんだよね
恐がる心に問題が有るんだよ
で教令輪身の役目が所謂折伏と呼ばれる強制入信 ね
某宗教団体のは偽物
原則的に処罰は明王部や天部の行いだから 菩薩より上は処罰感情すら無いのね おめーら台風でバタバタ死んでるようだけど元気だなwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なりwww
笑っちゃ魚www >>339
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ菩薩様はお釈迦様のように如来ではありませんでしたね
では喜怒哀楽は仏では無いので有ると考えて良いと思いますけど?
菩薩より上は如来の他にもあるんですか?
喜怒哀楽なんですけど
悲しい場面見たダケで涙が出たり
逆に悲しい場面なのに意に反してお腹がなって誰かが笑うとつられて笑ったりw
種の貯蔵の阿頼耶識によるものか?なんて思った事あります
から >>340
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ千曲川氾濫して被害出たね
魚ちゃん家大丈夫?
麦っ家の方ちょっと停電になった おらはもうちょいで救われたのじゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なりwww
笑っちゃ魚www 間違えた、もうちょいで水に漬かるところだったwww
笑っちゃ魚ww >>345
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ麦っち方の川も氾濫寸前だったみたい
3個隣りの町内の5軒屋根飛んだ こじ君が心配だなwww
広島からレスキュー来てたぞ栄進www
山口も来てたwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なりwww
笑っちゃ魚www >>341
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ貴方も人格否定されるんですねwww
でおーたんの事言えないでございますよwww
オホホホホホwww ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ先輩っち川の傍で台風になると寝られないって言ってた
川の傍は怖そう >>342
如来より上は今のところ無いよ
一口に菩薩と言っても大乗には52の階位が有って一つ違えば天と地の差が有るとされてるよね
原始仏教では単に悟りを開く手前の状態だけど 苦を無くすには欲望と快楽を捨てるという手法で不死の境地を得た現世の如来が居るけど
始めから悟ってる法身の如来やゴータマよりも遥かな昔に涅槃入りした報身の如来とでは教えが違うというのが大乗だとして喜怒哀楽を持ったままどうやって苦を無くしましょう?という問いにはどう答えたら良いのかな?
大乗派生時には大欲得清浄は無いから どうやって議論巧者揃いのインドの仏教徒を説得出来たのかに鍵が有りそうだね? >>348
時にはね
尊格を冒涜したら仏教徒じゃ無くない? >>350
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ四諦ですもんね
当時はどう論破したんですか?
論破は出来ないかもですけど思い浮かんだのは
>喫茶喫飯
>空手把鋤頭歩行騎水牛 >>351
∞ノノハ∞
川^〇^ハレそうでございますねwww ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ2時間程席を外します失礼致します >>352
大乗派生後も三百年位は両方混在してたんだよね?
大衆部と別れた事で上座部はより専門化して言って在家は単なるスポンサー状態で教義もちんぷんかんぷんだったんじゃない?
其処にバラモン出身の龍樹登場
当時最大部派だった説一切有部と大論争の果てに それこそ破折屈伏させたのよ
相手の論法だとこうで自分の論法ではこうだと対比させて悉く粉砕
内容見ても高度過ぎて頭痛をこらえながら何度も読み返さなくちゃだから 確実な事は言えない 笑
ただ説一切有部の文章を読んでもそれなりの説得力は有ったから やっぱり龍樹が天才だったんだと思う
元々バラモンの法力が使えた上に当時有った仏典全てを九十日で読破したっていう有る意味モンスターだからね
ただその後のインド仏教の衰退を考えると良かったのかどうか…
先にスリランカに普及してた分別説部が東南アジアに布教したおかげで釈迦の時代の仏典も残ってて ある程度元々の仏教がどうだったのかをかろうじて知る事が出来てる
現在にまで至る上座部と大乗の議論は龍樹抜きには語れないだろうね >>355
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ貴殿はどのように論破出来ますか? >>358
∞ノノハ∞
川^〇^ハレカムイたん♪♪♪o(^o^ )oo( ^o^)o
朝出勤する時は呼吸に意識して歩いています
意識にあげるか意識にあげないかの差ダケって思う様になりました >>356
基本的に上座部とは論争にならないよ
彼等は未だに日本の大乗仏教全体が上座部を小乗と蔑視してるという認識だから「一部のカルトがすんません」っていうスタンス 笑
自分の宗派を学んでく過程で元はどうでどういう経緯で今に至ったのかに興味が湧いて来た所だし 基本からおさらいして初期大乗 中期大乗 後期大乗(密教を含む)と通って核心部分を掴まえたいんだよね
特定の部派宗派から見たら中途半端に映るだろうけど 全部を網羅するには時間が足りないから 核心部分を探しあてて其処だけに集中したいかな >>360
∞ノノハ∞
川^〇^ハレカムイたんに教えて貰って初めての時の方が今を感じました また誰でも朝鮮人に見える病人が湧いて来たか?
両親とも地方の武士の家系だから有り得んのだけどな
妄想には早期入院がお勧め
っていうか息するだけで日本の迷惑だから ウリスト教徒はさっさと半島に帰れば? >>364
そう、消えちゃうんだよ。
かと言って、過去の感覚を握りしめてもダメ
もう、今じゃないからね。
螺旋階段のようにくるくる回ってる気がするんだけど、少し上に上がってくる感じだよね。 >>361
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ麦はまだ大乗仏教さえおぼつきませんwww
龍樹の中論は空を説いていると思うのですけど?
如来は中道との事でしたが如来は喋ったり思考が出来ますか?? >>366
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ以前と違うのは妄想だって思う事ある >>367
中道って過去も未来でもなく今
もしくは、好き、嫌いの分別のない所
こんな所ですかね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています