【仏教】悟りを開いた人のスレ455【天空寺】
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罵倒、批判だけのレスはスルー。
悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
修行もする事。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願いする
※前スレ
【仏教】悟りを開いた人のスレ454【天空寺】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1570700092/ サル山流真言君の珍説は結論ありきで、そういう話がないと決めつけるのが特徴笑。
呆れるのが先、次はバカで可愛いと思うのが来る笑。
272神も仏も名無しさん2019/10/11(金) 14:51:05.57ID:sQUieJD8
お前の認識だと修験=木喰行なのか?
だったら湯殿の即身仏もみんな修験という事になるな?( ̄∀ ̄)
285神も仏も名無しさん2019/10/11(金) 15:03:01.90ID:sQUieJD8
木喰応朞の略歴見ても木喰行以外に修験を示唆するものは無かったからな
それとも鈴掛着けて山行やってたとか具体的な記録でも有るのか?
610神も仏も名無しさん2019/10/12(土) 17:20:09.29ID:L4ngqjV2
>>583
確認したけど修験道との関係を示す内容は無いですね
普通に考えたら禅と修験は両立しないかと ラグビーに一喜一憂する俗物たちが悟りなんて無理ですね
ラグビーと関係ないオッサンが他人のたまけりで興奮するっていう(笑)
天才はそんなことにはまったく心を動かされない。 これぞ「手ぶLOVE」の真骨頂だ。
実に美しい讃えあいだった。
誰もいない
それとも誰か
ふと気づけばラグビーボールだけが
風に揺れていた
完 結局君たちと仲良くするには、オレが君たちのレベルまで降りて
「ラグビー凄かったね」と話を合わせる演技をしなけりゃならないのだ
これが天才の苦労なんだね
わしに恋愛が無理なのも女にある程度共感する演技をしなけりゃならないのだ
そこまでの必要性は俺にはない。 >>1乙〜♪
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ>>11ワロタwww 女と仲良くするには、同じことをして同じ感覚になるっていう作業が必要。
女のつれションは小便の共同作業なんだね
女は何でも共同作業したいのじゃ。
私たち一緒にオシッコしたね。うふふ♪
これが女の喜びなのじゃ .: : : : : : :.| : : : : : : :/::::::::::::::::::::<⌒ヽ〉/::| /::::::::::::::::::::∨: : : : : : : : : : : : : : : :
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.: : : : : : :.| : : |: /__≫´ヒ赱少^` ..〉::::::l \:::::::ノ_ヒ赱少^` ∨: : : : : : : : : : : : :
.: : : : : : :.| : : |/:::::::´ ̄:.___ ̄` :::::::::::| | \{  ̄ ̄`ノ::∨: : : : : : : : : : : :ヴァンパイアも もうそろそろ限界だし
.: : : : : : :.| : : |::::/ ̄ ̄ __ノ::::::::::::| | \:::∨: : : : : : : : : : :
.: : : : : : :.| : : |:::{ /::::::::::::::::::| | \|: :|: :l: : : : : : : : ついでに日本仏教も どうだい ?
.: : : : : : :.| : : |::::\__/:::::::::::::::::/::::l_:: \ \ |: :|: :l: : : : : : : :
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: : : l: : l: :| : : l|::l」」777辷x..,二ニニ=-〈_/::レ-=ニ二二,...斗vvv':: /.:|: :|: :l: : : : : : : :
: : : l: : l: :| : : |∨:.、トトト「 「Y'v、__:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.l:.:.:.-vv^Y'「|」」]::/..: |: :|: :l: : : : : : : :
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ノ |/`ヽ`、 、_____,. ,. '"`ヽ | / ,. '"´ \
! 〈 i! `ー---‐≦二三-、 \ !// __ r`ヽ、
、 ヽ ! '´ ̄ ̄`ヾ ヽ、 / ∠ニ= 、_ / | ! /\
`ヽ ` ̄ ̄ ̄ ̄^7 〈ー―――-- ´ |/ ,' `ー'
\ ヽ ヽ ; | / !
、 、 ,.- 、 _, ; | / /
ヽ--イ'. 、 {;;;;;```、、 / i! 小ハ _,.';;;;ヽ /"´ 墓守にしては 高額すぎ
j从リ `、 ヽ !;; n ー、 ,. ' };;! /
|; 、 、 ! ヾ、 `ー‐'" ,.リ 〃 /
| 、 、 ヾ ヽT┬、_--、__,. -‐_/〃 ,〃 /
| 、 ヽ` ヽヽ |_ | `T ー┬ 1´レ/ / /
fj ヽ '. ヽ\Tー┼‐┼┼ァ' / / /
_ ∧ \ '. ヽ `ー―┴‐'" / //
C:::::ヽ. \'. `ー───一'" 〃
!:::::::::::\ \ ´ ̄ ̄` /
ヽ::::::::::::::\ \ ,.イ|ヽ` 天才は常に高みから現象を観察するのじゃ。
しかし天才は孤独じゃ。
他の凡人と演技して合わせないとならないから苦労も絶えない。
だからオレは君たち凡人の心理を一生懸命勉強してるのじゃ >>13
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ根性悪い糞ババアだよ つまり 巷にある仏教寺は すべて仏教では無いという事だ。
もしそれらの僧侶が何らかの法力をかけて来たとしても
そんなわけで 跳ね返すことも赦されるだろう。
ただしこれは 戒律を守ることができる椰子に限られる。 女はラグビーの選手の肉体を見て性欲をそそられるのかも
筋肉ムキムキだと獲物を捕ってきてくれるし、健康な子供が生まれる可能性が高い ラグビー、日本が勝ってうれしい。
自己保存本能に合うと愉快で楽しく、
自己保存本能に反すると不愉快で苦しく、
同じ紙の裏表。
一方だけで生きるは無理じゃよ。
悟っても覚醒しても無理。 ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ奇麗事言うババアのザマだよヤダヤダ 家庭不和 虐待死 いじめ 堕胎 爆発的に増加する精神病 自死 20年間全く成長しない経済
つまり これらは 日本仏教の破戒による。
チヲロイモンダゼ ,勹
__/ ̄)_
/::. し ' \
/ヽ:::::、_____.:::ト、
/==:::./⌒ヽ /⌒`V=:l,
/= r''|::. <>) (<>lヽ=:l,
,'==(:::::|:::::. | | .o o | | |::::|=:l,
,'===ヽ:::l::::: | |ノ===ヽ.| |ノ==:l ,諸法実相≒諸法無我
!三三三ヽ:::| |「!i~~|!゙i,| /三三:l,
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|=====|:::::.!,;:|u'! |::|=====l,
./|=====|:::::|',,|, u|,|::|=====l, オエエエーーーッ!!!!
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/:::::::|=====|:::::|;;| 0;i ii::|=====.ハ,
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/::::,!:::::::: ::':; Ui';; i U |! ..::::::|
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,,..-''''"゙゙| ̄ ̄ ̄ ̄≦/',;゚。o;,゚.,。ヾ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
::::::::::::::::| 。゚o /。・イハ 、、 ;、;゚;δ゚,;;'`ミ 。 ゚ | ,へ、 /^i
| \〉`ヽ-―ー--< 〈\ |
7 , /\ ヽ実相と如来蔵の解釈の
/ _/ \_ヽ 一如ですからねwww
| ,' \ ● 〈o ●/.i
i'^ヽ| / ̄. '、  ̄\ 〉 みゃぁみゃぁ
',( {|\ (c、,ィ) /
.`r‐| ,.へへ、 .イ
'リl\ 、_∠ィ'lエlュ.レ /
| \ ヽ\ェェン/ /
| \. `ー‐'´/
.|\ '、 . \____/| 覚醒してないから無理なんだけど(笑)
ラグビーは戦争ゴッコみたいなもんで
人間も土地や獲物を巡って争ったりしてたんで
勝てば物凄いドーパミンが分泌されて快感だった _,,,,,,_
,. -''",.==`ヽ、
,.'::..//ハi l || i L!l,,ゝ___,,,,,_
/::::://;.-‐ニヾヽヽヾヽヽ ヾヽ
{::/:::`ヾ:::::::::il |l || i | l|ト、 ヾヽ 二代目の得度経費 高級車 修繕費 海外旅行 犬の餌代‥‥etc
ハト、:::::::::::ヾ:::::ll || || | | || i| ヾ `、
〃i|:::::`ヽ::::::::ヾ:|| |l ||l il| |i リ ヾ ヽ
/ |::::::::::::`ヽノ::::ヾ. リ lリ ,,,.ゞ=j 二号さんの経費まで・・・
i li|::::::::::::::::::`i::::::::ヾ__,,.-===''''" i::`、
l il i::::::::::::::::::::l::::::::::::::::::::::::::::i | ',::`、
ll |i;;;;;;;;;;;;==j;::::::::::::::::::::: ',::`,
リ ll ̄i';::::::::::::',`ゝ;::::::::::::::. `i }
l リ lll';:::::::: ', li li`ヽ:::::::::. ヾ
' リl';:::::. ',ll ,リ ヾ;:::::... ... `ヽ
}:::.. } ,.-、i::::::::::::::::::.--‐' `、
_,i:::: i-'''""__j-j:::::;;;;;;;;;;;;;;,,.-‐ ,.ゝ
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ヽへ___ノ く____(( >、`ー--‐'''"ll:: `、
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`゙、;::: `ヽjl j
`゙ー、______人___ノ >>18
麦もよく喋るババァじゃん
性格悪そうなババァじゃん
奇麗事いうババァじゃん 坊主は餓鬼道で
キリスト神父や牧師は児童にイタズラする
そんなものじゃ 妻帯したり 世襲した段階で 本来の仏教からは破門の状態だ。
実際には それらは 仏教のエッセンスは皆無だ。
もちろん否定するだろうが ほら見ろ 精神病だ。 麦の性格だと旦那も逃げるかもな(笑)
怖すぎやろ。糞ババアとか平気で言う女は
俺は平気だけど、普通の男は引くだろな >>30
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ奇麗事何言った? 憲法20条 政教分離を改正して 十七条憲法第二項三宝を 復活させてください。
そうすれば このような偽善は 暫時 消滅します。 >>33
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ土地柄もあるんでしよわうねw 2ちゃんで悪口書いてる女って時点で
いい男は絶対に寄りつかないわな
そういうのって雰囲気にも出るし、益々イケメンから遠のく 俺は北海道の空知地方の炭坑町育ちで
オヤジも炭坑の石炭をダンプで運んでたから
「テメエバカヤロウコノヤロゥ!」とか普通に言ってたな(笑) 日本人の神性が 少しでも回復すると 特亜三国人は 居られなくなるからな。 >>37
∞ノノハ∞
川^〇^ハレサイトで遊んでるって友達に言ったダケで白い目で見られたwww
てか前の職場では同僚の男の子と職場で2ちゃんパソコンから見てたwww >>37
∞ノノハ∞
川^〇^ハレサイトで遊んでるって友達に言ったダケで白い目で見られたwww
てか前の職場では同僚の男の子と職場で2ちゃんパソコンから見てたwww 九州も炭坑町は柄悪いじゃん。
北海道も俺の出身地を言ったら昔の人は分かってた
今は「え?知らない」って言う人が大半。 無言でにらみつけて 追い払えるんだよ。
もう二度と近寄ってこないから。 最近キリスト教スレから出張に来るな
でおーが召喚したのかね?
坊主も大概だけど、アメリカのキリスト教聖職者の児童に対する性的虐待はもっとヤバイだろ / /^ヽ ト、 ,. '"| / _,. `ヽ
ノ |/`ヽ`、 、_____,. ,. '"`ヽ | / ,. '"´ \
! 〈 i! `ー---‐≦二三-、 \ !// __ r`ヽ、
、 ヽ ! '´ ̄ ̄`ヾ ヽ、 / ∠ニ= 、_ / | ! /\
`ヽ ` ̄ ̄ ̄ ̄^7 〈ー―――-- ´ |/ ,' `ー'いいぞ 僧侶さんたち もっとどんどん ヤレ。
\ ヽ ヽ ; | / !
、 、 ,.- 、 _, ; | / /
ヽ--イ'. 、 {;;;;;```、、 / i! 小ハ _,.';;;;ヽ /"´ 別に 真摯に真理を求めていく者たちにとっては 一切必要ないから。
j从リ `、 ヽ !;; n ー、 ,. ' };;! /
|; 、 、 ! ヾ、 `ー‐'" ,.リ 〃 /
| 、 、 ヾ ヽT┬、_--、__,. -‐_/〃 ,〃 /
| 、 ヽ` ヽヽ |_ | `T ー┬ 1´レ/ / /
fj ヽ '. ヽ\Tー┼‐┼┼ァ' / / /
_ ∧ \ '. ヽ `ー―┴‐'" / //
C:::::ヽ. \'. `ー───一'" 〃
!:::::::::::\ \ ´ ̄ ̄` /
ヽ::::::::::::::\ \ ,.イ|ヽ` >>45
ヴァチカンは 既に死んでいる。
とどめを刺さないだけ。 俺のオヤジは今思うと女に媚を売らなかったし
絶対に下手に出なかったし
普通にババアとか言ってて
実はモテるタイプだったんだよ。
ただ余りにも人に悪口言い過ぎだったな
しかもファーストコンタクトが睨みつけるだからな(笑) >>45
世界ヴァチカンと比べるなど ちゃんちゃらおかしい。 ここのカキコだけでも
いろんな感情があって、それに同調すると
自分の気持ちと思ってる領域も影響を受けてる
まあ眺めてる程度なら、そーでもなかろーが
それだけでなくて
まあ現実の影響の方がより強いわけだが
刺激が感情の領域に伝わってくることで、喜んだり、怖がったり色々と揺れてゆく
脳裏の世界の攻防と言うやつが、これが、霊的攻防の正体かもしれんな
刺激と闘争垂れ流しのdrama世界
これの世界に違う世界からの流れを呼び込んでくる人たちが現れるだろう
ハジの妄想だがw ハジ兄貴も事務員に「うるせー黙れババア」って平然と言えれば一目置かれる
「この男は強い」 凡人は自分を守るために他人の評価を気にする
しかし天才は自分自身に絶対的基準を置いていて
他人がどう思うと関係ない 女の言葉をまともに受け止めないのが大切
男に対して「ウザイ」「キモイ」「あっちいけ」など言う場合
まず絶対に好きなのじゃ・
これが俺には今まで分からんかった。
コジくんも似たようなレスしてたけど、本当にキモかったらそばに居ないからね。 >>53
>男に対して「ウザイ」「キモイ」「あっちいけ」など言う場合
本当だよw 俺の発言は何も間違っていない。
対する犬山大先生
「空とは欠けていること」
酷いですね(笑) 手ぶらのジェットストリ〜〜〜ム!!!
比較対照は惨めさの根であり、それは林となり、世界を覆い尽くす。
そうやって世界から孤立した人は
怖れでいっぱいだ。
「私VS世界」
勝ち目はない。
線引きをした途端、敗北は目に見えている。
生まれて死んで行くその人は悔いるだろう。
「世界とは私のことだったのか」と嘆きながら………
パチン☆!!see-you⌒☆
https://youtu.be/rXlX0bGSJJU そうやってディスってる
お前も比較しちゃってる。
非二元論者は結局非二元の振りしてもバリバリの二元だから笑える そんな奴のYouTubeなんて一度たりとも開かない。
まずセンスないのが分かる。
売れない音楽会社の社長か何だか知らんけど
絶対売れないから計画倒産しちゃいなよ 嘆いたり惨めなのは手ぶらの内心だろ(笑)
嘆いてシャブ、惨めでシャブ
シャブでジェットストリームってか?(笑) トムは天才側だよ。
ただ不安定なだけ・
言葉が明快で、意味が分かるレスしかしない・
犬山大先生も見習いなさい 手ぶらの言葉なんかラジニーシの真似で
中身ない
それらしく書いてるが読む価値なし 手ぶらやトム等、オナニーだけで他の方の役に立たない奴は要らない。
根拠を出せって言うのは聞法薫習を勧めたいから。
オナニスト多過ぎ。 アハサンパシル語のコピペも開かない
テレビやラジオは自分が聞きたくない音楽や情報も垂れ流す
それに近い。 誰も聞いてないのにブツクサ身の上話をする奴も不要w
要らねーわw 天才の言葉は世間話でも示唆に富む
うるせー黙れババアを言える男になれ 犬山大先生よ
お前の師匠にも
「この法事詐欺師の腐れ坊主」って言えるようになれたら最強だ 天才の強みは
言いたいことを恐れや遠慮なしに言えること
それを平気で言える時点でブッダに近い。
ブッダもバラモンに恐れや遠慮なしに言いたいことを言ってたわけだ
だって法事詐欺師に「法事詐欺師」と言えない時点で
ブッダのマインドではないんだよ犬山大先生 凡人は他人の評価を自分を守るために気にする
犬山大先生の場合は法事詐欺師の腐れ坊主に
嫌われたら嫌だなていう恐れから正直に言えない。
そういう人間は凡人のまま死ぬだけ
そんな人生送りたい? 大山も天才もどうでもいい。
どう生きるか?なんか論じたいなら「人生相談板」に逝け。
ここは「宗教板」であり、
「仏教」の「悟り」を語る場。
「スレ違い」どころか「板違い」だ。
かような現状を打破するため、
AA爆撃を近々敢行する。 / /⌒ ⌒\ \
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厶ノ ̄ /`ヽ、o_, 、_oイ └′
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! ヽ、 ’ / 〉
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ヽ 〈 ノ '´ 〉 ドタドタドタッ!!
`′ 〈_, -‐'′
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| / ヾ豈、 r豈ッ |
\ i ::::: ノ(、_,)、 ::::ヽ/
(6 トェェェェェイ |
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⌒ヽ \ ) ( _,/ /´
`、 `⌒ ⌒´ /
ヽ、,,_ )r--、,r─-、Y ノ
_r- 、 ( ...ノ ̄ ,rぅっ
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ヽ、,,_ )r--、,r─-、Y _ノ
_r- 、 ( ...ノ ̄ ,rぅっ
⌒ヽ \ ) ( _,/ /´
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ヽ、,,_ )r--、,r─-、Y _ノ
_r- 、 ( ...ノ ̄ ,rぅっ
⌒ヽ \ ) ( _,/ /´
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ヽ、,,_ )r--、,r─-、Y _ノ
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! ヽ / ノ
ヽ_/⌒';,/
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ヽ_) / ̄ ̄ ̄ ̄\
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| | / ヽ | | フフ〜 フフ〜
| |/ __\(\ | | フフ〜 フフ〜
(V / `ーーV) フフ〜 フフ〜
| ヽ●) (●ノ .|
人 ( ノ
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/__:. .`ー---─.''"´ ̄ ̄`` ー- 、
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ヽ ヽ ; j:! " __..:-‐'"´ ̄ ̄` __ノ
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`ヽ、 ヽ、 ノー;'"、二:.:'ー--ァ'"´
`ヽ、 >:).......ヽ、_∨:/` ̄i
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..:::::::::::::::::::::ヾ三三ノ ',', γ ⌒ ⌒ `ヘ
イ "" ⌒ ヾ ヾ rrr、
/( -=ニ=- -=ニ=-ヽ) ///イ
.rr、r、( / ー-' ヽ. ヾ) {ヽノ '/
「{{.|{|{|ゞ ( ::.| ト‐=‐ァ' |.:.ノ.ノ { _ ィ,
} ' ' ' {r、ゝ、、ゝ.\`二´'/ ノソ 〈 |
{ 、〈. `/ ヽ ヽ 、__ノ _,,..'"!ヽ_ ∨/ ヽ ぴゃぴゃぴゃ〜〜
ヽーノ\ /∧ー''''' :| | `∨/ |
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.... i !
ヽ } ハ
\ ′` 丶
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, -''" ̄⌒ヽ, ,´```又´``´``;;;;7''~´`丶、  ̄ ̄ ̄
( ,--一'' ~`〜〜〜〜〜'"~.ー-.、 . ) ___
| 〈 υ,, 。 . 〉 |  ̄ ̄ ̄
. . | } υ,, . { | 。 ──── ___
.. | | δ。。.| | 。。 。。 。  ̄ 。。__ ̄ ̄
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/ ̄ ̄ ̄\. -=ニ=- ' 人::... -=ニ=- ' 丿 \
/(●), 、(●)ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ̄, 、(●)ヽ
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│ ヽ:::..-=ニ=- ' 丿 (●), 、(●) |=ニ=- ' 丿
│ / ̄ ̄ ̄\ ,,ノ(、_, )ヽ、,, |  ̄ ̄\
│ /(●), 、(●)ヽ:::::: ヽ`-=ニ=- ' |),、(●) \ 定説!定説!定説!
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│ ヽ:::. .-=ニ=-/ ̄ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄\ニ=-' 丿
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( / ー-' ヽ. ヾ ) ぴゃぴゃぴゃ〜w
ゞ ( ::.| ト‐=‐ァ' |.:.ノ.ノ
ゝ、、ゝ.\`二´'/ ノソ
ヽ ヽ 、__ノ ,..'"
,,.、-┘、:. : :Y´'ー;、、 〔二二二二二二二二二〕
/ ll: : ,r∬='":tiiッ il ヽ {´ ,. ‐''´
/ ll〃:ノ: i: : ,、: :): '、 ', / ./´
/、\ ,;リリ;〈〉:〈〉;ゞriiチ、 :ヾコ / ,′
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/: : : 、/ ',:.:.:.:. : : : : : : : : :l:,': : :`~,!
',: : : : :ヽ. ヽ:.:. ;ゞifイ): : : : :l; : : : /
\: /,r':, 〉:.´フゞ' : :(Ж):',ー '′
` < \ /:.:..(; : : : : ;ノ: : : :',
`ヽ、 ``{:.:. : : `frて: : : : :ノ:',
゙! ヽ、 : : : ``i; : : :(、,イッ',
ヽ、、ヽゞ': : : :ハ): : : (バ):i
,!:,、`~´: : : ( : : : : : : : i : :!
i!卯ヘ',: : : (Yるラ: : : :、ノ :_;|
l!() li: : : ;ゞtハ): :r、()ち :|
l<ハ〉 .|l :`ソ : : : : : :fン゚i,): :|
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l |l : : :(`'h'ろ : ´(メゞ|
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\::.| ト‐=‐ァ' |: / 今夜もワシは 順調に発狂しておあるわいwwwウヘヘヘヘヘヘッw♪
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( 〃ヽヽ //ヾヽ )
ヽ `ヽ、 ⊂ニpikarrrニ⊃ ,r'' /
ヽ } ` ー-ヾヽ// ヽヽ〃ー‐''7 /
ヽ .{ ι' 三 ヽ) {. /
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(。m。ノ `ヽ、_nm 層醴醴醴醴醴醴醴嬲夢體醴靦gggji!;'..、..'` .. .(巳|jc'}i,.
、 j醴醴醴醴醴醴鬱゚゚^ 、 ゙゚゚『醴醴齟ggpu. ` '}II}カ^`|I
、|[醴醴醴醴醴鬱′ . ゙゚憫醴醴豐s,,. 、 I';゙..、}], お風呂でおしっこ
.:][醴醴醴醴鬱’ . ゙゚『嬲靈齔.,__、,,,,゜ ._〈[ させていただきたく
爼醴醴醴醴‡ . ‘『層醴醴匝 )llig$ . 存じます
爼醴門醴鬱` . _y444egj,... 、,,,ggg,,,_'『攜醴齔j,.,..']][l .
、{[醴jカ.層¶' . `~ヲ 、 !f~゚^``゙゚゚シ.. ‘層醴麈躍「 .
. ‘醴齔ll]][|、 _d-=・=-$ . -=・=-, 淺栩鬱¶’
層鬮.゚'';,}',. . ゙゚゚゚ . . ‘゚゚゚゙` .. ゙゙^ . .l}]ぽ
.']]醴$ .'l|_ i「゙゙I゜
、 ゙濁髟. |i ′$ . 芸術的才能がすばらしい。
こういう気違いAAは恐らく同一人物が造っている。 安堂ママさあ
俺ははっきり悟りについてはっきり断言した
「悟りは遺伝子の支配からの脱却」てな。
ここまで明快でに断言したのにそんなこと言う君はがオカシイ 安堂ママはチンチンAAが大好き
そしておれはチンチンサイズが
メガBIGBOYである。
俺たち相性いいかも♪ 遺伝子は「常に利己的に振る舞う」
遺伝子の支配から脱却する(悟る)には
その真逆の思考、行動をし、潜在意識(マインド)をブッダマインドにするしかない。
ここまで明確に自説を書いても、遺伝子に支配されている皆はまともに読まない・
遺伝子の心地よいことしか読まない。 戒律も遺伝子の嫌がることだから守れないんだ
ね
遺伝子は
殺生して肉を食いたいし
盗んででも食いたい・やりたいし
嘘や悪口言って自分を守りたい
薬物によって楽になりたいし
それを満たせないから戒律は嫌われる
法事詐欺師も戒律は率先して無視している
じゃなきゃ法事詐欺や霊感商法できないからね >>85
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ赤ちゃんが教えなくてもオッパイを飲む泣いて知らせる
笑うのも遺伝子に組み込まれてるんでしょうね
寝ていても音で目が覚めるのも身を守る為なんでしょう?
動物は産まれて直ぐ立ったりするのは身を守る為
人間は立つまで1年近く掛かるけどそれだけ危険が無いって事なんでしょうね しかし悟るには戒律は守るしかない
遺伝子がやりたいことの真逆の行動だから。
セッタン系が戒律必要ないと言っていたのも
遺伝子に支配されている=悟ってないから。
遺伝子は利己的に振る舞うから生き残った
利他的な民族は滅びる
シャカ族も滅びたしチベット族も滅びるだろう
反対に利他的な民族、チャイニーズやアメリカンは大発生する そうそう
人間の赤ちゃんは女手一つじゃ育てなれない
今は福祉が発達してるから可能だけど、原始時代には男がいないと死んでいた。
だから結婚して、女はセックスした相手を好きになり
男にヤリ捨てされないようにしたんだ 男はぶっちゃけやってもやらなくてもどっちでもいい
しかし女は子供が欲しい。つまり遺伝子を残したい
だからブッダも女をあまり積極的に受け入れなかった
遺伝子の支配が男より強力なんだよな多分 男は出したら賢者タイムと呼ばれるくらいに冷める。
しかし女はやると相手を好きになる。
好きにならなかった女は滅びた。
母子共に男に捨てられて死んだ
やったあと好きよ好きよとなった女は、男もその気になり獲物を捕ってきてくれるから生き残った 真女神転生 SFC と言うのは、ヒーローが 光にも闇にも属さないで、
悪魔も天使も両方全部倒して、最後に唯一絶対神まで倒して、
人間の時代をもたらすところに醍醐味があるの。
そのためには 出来る限り召喚法は使わず自分の力で戦うようにしないと、
支配神には 勝てないの。
第一作目は 悪い宗教からの解放でもあるんだよ。 一作目にあるヒロインは 永遠の生命を現しているのが、二作目の最後の彼女のセリフにでてくんの。 >>87
教えなくても麦の子は停学になるしな
遺伝子は恐ろしいね 道元『弁道話』に曰く
「それ修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。
仏法には、修証これ一等なり。」
「いまも証上の修なるゆえに、初心の弁道すなわち本証の全体なり。
かるがゆえに、修行の用心をさづくるにも、
修のほかに証を待つ思いなかれと教ふ、直指の本証なるがゆえなるべし。
すでに修の証なれば、証にきわなく、修にはじめなし。 」 自分の中の混乱も是正できないようでは 聞くだけヤボだわ。
Ψ(`∀´)Ψケケケ 形だけ僧を真似ることで精神病を発症した者どもの数百年に渡って蓄積された体系だった妄想。
精神病者の間だけで通じるコミュニケーション。
健常者には理解できねぇ。 自分の考えに固執して柔軟性がないということだけで、いい悪いとはべつに、
魂の次元がワンランク低いという事なの。
つまり 地獄に捕えられるということ。 神という言葉の定義のまちがいな あんた。
ハイ、論破。>>95 >>94
核心がおかしいという事は 全部おかしいという事だよ。
いちいち枝葉を言わないで 根本中心のうそを指摘してんの。 おまいら十戒まもらないだろ ?
まもらなければ 何時まで経っても無理。>>95 道元さんによると
修行して、その後に覚るという発想は佛教外の考え方だそうだ。
佛教では
「一切の修行はさとりの上にある」そうだ。
つまり「みんな佛である」からだ。
道元曰く
「妙修を放下すれば、本証手の中にみてり。
本証を出身すれば、妙修通身におこなわる」
本から具わりたるさとりを証し、
それによってさとりと一体となった優れた修行を行うということらしい。
「みんな佛である」と道元さんは覚っていたわけだ >>99
どこに神という言葉がありますか?
幻覚? 聖神中央で百人も強姦して ただの一度でも謝罪したか ?
もう十年以上になるな。 佛教では十戒ではなくて十重禁戒な
梵網経が根拠の菩薩戒 オマイラは人間の領域に出て来てはいけないよ。
自分の故郷にお帰り。
>>105 >>104
こういう事は 人間には出来ない事なんだ。
人間に出来ないことをするのは 人間でないからなの。
人間では無いから おまいらは来世永遠に もはや人間に生まれて来ることは無いんだよ。
自分の故郷にお帰り。 神は なぜ我々人類にこのような対処不能なものをお許しになったのか。
おそらく 少量であれば 我々の神性の回復の促進剤になったからである。
しかし 多すぎる場合は 世代が滅んでしまう。
つまり ザイニチ勢力は強くなりすぎ 数が多くなりすぎたんだよ。 神のせいにするか?(笑)
人間がやったことまで
だからクリスチャンは馬鹿みたいなんだよ
頭使えよお前ら(笑) あらゆる【真理】は 失われた人間の本来の本性を回復する 手段なの。
オマイたちは 皮袋が同じだけで人間では無いから どんなに大量に上層の力を受けても
人間に回復しようが無いの。
つまり、お前たちにとって宗教は 人間を騙し家畜化するための手段でしかない という事が解る。 復習するよ
我々は遺伝子の乗り物であり
遺伝子は「常に利己的に振る舞う」
そして遺伝子は「死にたくない」「できるだけ自分の遺伝子を後世に残したい」
利己的だから酷いこともやっちゃう
南アメリカのインディオはクリスチャンねスペイン人に絶滅寸前まで虐殺された >>109
語弊があるな。
それ以上 考えなくていいよ。 >>102
最後がちょっとズレてる。
本からそなわってるから別のものではないて言ってるんじゃない。 神聖あるはずのクリスチャンが
何で多民族の土地に侵略し虐殺するんだと
それは遺伝子の生存戦略としてそうなるんだな
「なんだこいつら真っ裸で。ワケワカランやっちまおう」となる。 薬師丸ひろ子が機関銃を乱射して
「カイ、カーン」と言ったやろ?人間はそんなもんじゃ
ただときに優しくするのは子育てとか恋愛をして遺伝子を残すのに都合がよかったから 暇じゃねーよ
また昼から1週間ぶっ通しで仕事だ。
1週間家に帰れない。 >>113
>本からそなわってるから別のものではない
覚りはみんなに元により備わっているから
修行は、元より備わっている覚りを明らかにするものだ
ということでしょ。
言い換えれば「みんなが覚者である」であるという自覚の上で
修行しなさいということでしょ
つまり
覚りをゴールとする修行ではいつまでも覚れず
「みんなが覚者である」であるのだから
元々ある覚りと一体となった修行をしなさいということだね やぁ、諸君らおはよう。
「ちょっと君コーヒーをひとつ頼むよ。微糖でね」と私が言う。
ガチャンと彼が応える。
カシャンカシャンカシャン
お釣りが70円私に手渡された。
「チップだ。取っておきたまえ」
私が言ったのか彼が言ったのか
定かではない。
辺りは広大なカフェテラスとなっていた。
「ありがとう」が音もなく響き渡る。
完 >>118
うん。ゴールにしちゃダメ。
途中もちょっとズレてるけど最後もズレてるんじゃない。
元々あるから何をしても1つなんだから。
自覚してもしなくても関係ないと言うことじゃない。
もっと言うと戒も別ならずなの。 修行しているのが悟りなんだから
他に悟りなんてどこにもないってことでしょ
坐禅してる姿が、すでに佛ですと
だから、これは求めるものがいらんってことを遠まわしで言ってるんであって
それを、皆が覚者である自覚の上で修行しないと悟れないとかやっちゃうと
ぜんぜん的外れ だからさあ修行はいいけど
遺伝子に支配されている限り仏なわけがない
遺伝子に支配されて法事詐欺師やりながら高級外車乗りながら子作りしながら
「坐った姿が仏」とか笑わせんなって 禅宗は仏教として終わっている
セッタン系とか恐山の婿養子坊主とか
あんなのは凡人以下の悪党 >>122
色んなのがいるからねー。
ごくわずかにまともにやってる人はいるよ。
どこに着眼点を置くかの問題じゃない。 浄土真宗もロン毛で袈裟とか気持ち悪いだけの念仏詐欺師。
他も似たようなもんだろ? 元オームは何を目指してるのか、知らないけど
必死に自分に言い聞かせてるんだろうな
悲しいやつだ。
来世(笑)に期待しろ どれだけ元オウムがモテたくても、コジに憧れても、無駄無駄無駄www
50人中49人の女はオマイじゃなくオレを選ぶ 俺の言動は何も間違っていない。
サーバントも逃げた・誰も論破できない
真実だから 君がモテるなんて何の興味ない
ステータスとか社会的地位とか経済力で
モテるのは単なる搾取対象であり
それらが無くなればもぬけの殻である
オレが求めるモテは、一文無しでもモテる力 >>129
オマイは不細工すぎて
どんなに求めても無駄無駄w アホラは最初から雑魚だって見抜いていた
ステータスとか国連の仕事してるとか慈善活動やってるとか
そんなこと直接アピールしなきゃならないほど
人間本体の価値が低いってこと
俺はそこまでちゃんと見抜いていたんだよアホラ君(笑) 身長180チンポがデカく体もムキムキ、顔は山中教授
これ以上の見た目はないよね(笑) その辺のメタボなオッサンをイメージしてるんだろうけど
ガチで強くてカッコイイ。昭和のオスって感じ。
マジで無敵。アホラ君みたいなパソコンで株式市況見てるひ弱なやつなんか目にもとまらないな多分 アホラ君も涙目で逃げたな(笑)
チョロ過ぎだろ君たち・
まあどうでもいいけどさ雑魚に勝っても。 >>85
>遺伝子の支配から脱却する(悟る)には
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
それって阿頼耶識縁起のデッドコピーかよw
であれば、その遺伝子の中に成仏の可能性も含まれてんじゃねーの? 元オーム先生は女にモテたくて堪らんのかなあ
まあハジもモテモテになりたいな妄想はたまにあるけどもw
ハジはモテたことないから何とも言えんのよね
見た目が悪くても強けりゃモテると言っても
見た目が普通で強くてもモテない人もいるわけだし
見た目がよくても弱いとモテないと言っても
見た目が普通で弱い人もモテる人もいるわけだし
そーゆーとことちゃうとこなんやろ、たぶん? >>102
>「みんな佛である」と道元さんは覚っていたわけだ
珍や?
その様に道元禅師が仰っしゃられている部分の根拠を出せや? >>118
>言い換えれば「みんなが覚者である」であるという自覚の上で修行しなさいということでしょ
>つまり覚りをゴールとする修行ではいつまでも覚れず「みんなが覚者である」であるのだから元々ある覚りと一体となった修行をしなさいということだね
wwwwwwwwwwwwwwww
関係のない事に勝手に言い換えるよw
道元禅師は「みんなが覚者である」なんて言ってねーよwwww
何をどう読めばそうなるんだ?
お前にはそう見えるのか?
心療内科を受診行きなさいwwww バカ大山が言う、ことである。
信用しない、が正解である。
大爆笑である。 。「悟り」は求めて得られるものではなく、「悟り」を求めている自己のほうを消滅させるのです。身心脱落させるのです。そして、悟りの世界に溶け込む。それがほかならぬ「悟り」です。道元は、如浄の下でその境地に達したのです。
「悟り」の中にいる人間を仏とすれば、仏になるための修行ではなく、仏だからこそ修行できる。それが道元の結論です。
■『NHK100分de名著 道元 正法眼蔵』より
http://textview.jp/post/culture/26993 >>118
デタラメの珍や?
そもそも「みんなが覚者ならなんで修行しなきゃならねーんだよ?」って感じで道元さんは疑問を持たれ、挙げ句の果てに渡宋までしちまったんだろ?
その結論が「みんなが覚者」な訳ねーだろw 凡夫が「儂は覚者ぢゃ〜」って修行するのが道元禅じゃねーんだよ、ばか珍w
凡夫だの覚者だの、そんなゴミを持ち込むな、ハゲ珍w >>140
違うと思う。
脱落の身心なんじゃない。 身体機能と意の働きが脱落した
これは我がものでは無いなのか
それとも身体機能と意の働きが消滅したなのか
消滅した身と心だ
まあ形なき名もなき身と心だ
それとも
我がものでは無い身と心だ
自然現象としての身と心だなのか
まあ消滅したの方が色即是空っぽい気もするが
消滅したものが、身と心だとは?? 道元が身心脱落した!!!!
師匠がわざわざ
いいや、脱落身心じゃと言うんわ
何なの?w 身心が脱落したのと
脱落した身心だあああああ
って、いうとこが話題になるってことは
ここが必要だったんじゃない?
まあ明確に覚えてないから間違えてたらすまんw それで道元は、そんな気づきみたいなのをゆーときながら
日本に帰って来たら空手にして帰ると
なあーんにも手に入れてないと抜かしとるwwww
わたかったのは、めはよこについとるやろ?
鼻は縦になっとるなあ
み、ん、な、
と
おいおい、何か悟ったんちゃうんかいと、笑笑 ここら辺は表現の微妙さから見解が分かれると思うけど、修証一等にも円環的な回帰の構成も予定されてると思う。
修証一等から入り一旦はそれが空じられて再び修証一等に還ってくる(落ち着く)という意味でね。
行持が空じられて同環になると思う。 ぇぇええええ
バカにしないでよぉお
まあ、ハジは、あんま、分かっとらんからな、、、
ただわが身をも心をも放ち忘れて
仏の家に投げ入れて
仏の方より行われて
これに随いもてゆく時
力をもいれず
心をも費やさずして
生死を離れ仏となる
って、ゆーとるやん
佛の家ってのが諸法のことか空のことか
諸法Equal空なのか
世は幻のよう、雲のようというのは
マトリックスみたいな意味なのか
うーーーーーん、分かっとらんけど、この辺はおもしろい 犬山大先生の「あらやだ☆識」
「空とは欠けていること」 縁起がイコール空だというところが
イマイチ、ハジは明確にわかってないんだな
って、書いてて思った 犬山大先生の「あらやだ☆識」
「首を吊れ!」「診療内科いけー!」 大山君・・・それ修証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。
仏法には、「みんなが覚者」なので、修証これ一等なり。 道元さんは、叡山が天台本覚思想が熟し腐り
「みんながもともと佛なんだから、修行なんてしなくてよい」という
風潮に危機感を抱き、外国留学し、覚り
「みんながもともと佛なんだから、修行をするのだ」と逆転させたんですよ。
「みんなが佛である」という点は道元において揺らいでない >>1
乙です!
>>119
銀魂の「オイルの雨」みたいな話ですね。。
精神がすべての根元とする考え
#MeToo
「天晴」(笑) 156.犬には仏性がない。
人間にも仏性がない。
なんでか。
無字の公案である。
バカ大山には理解できない。
大爆笑である。 >>121
いえ違います。
>修行しているのが悟りなんだから
>他に悟りなんてどこにもないってことでしょ
というのはありがちな間違い。
修行していなくても、もとより覚っている。
ただその覚りは、客塵煩悩によって汚されていしまっているので
修行しないと本人が自覚できない。 凡人が、その脳細胞によって、様々な観念や概念を作りだし、
この世を把握しようとする。
その最も正確なものが科学。
それでもいい加減な話。
ましてや、それを超えて、実験での裏付けのない、
輪廻とか空とか仏性とか色々な概念、観念を拙い脳細胞で生み出し、
空想妄想物語りを世に出し、
本人さえ分らんまま、ああでもない、こうでもない、ギャーつくギャーつく、
何年も続けるって?
5chに投稿し続ける暇があるということか?
羨ましい! CD買いに行こッと!
「日本にはHip Hopは根付かねぇ!」
「日本人がラップするとはイケスカねぇ!」
だと?(笑) サル山流真言君の珍説は結論ありきで、そういう話がないと決めつけるのが特徴笑。
呆れるのが先、次はバカで可愛いと思うのが来る笑。
272神も仏も名無しさん2019/10/11(金) 14:51:05.57ID:sQUieJD8
お前の認識だと修験=木喰行なのか?
だったら湯殿の即身仏もみんな修験という事になるな?( ̄∀ ̄)
285神も仏も名無しさん2019/10/11(金) 15:03:01.90ID:sQUieJD8
木喰応朞の略歴見ても木喰行以外に修験を示唆するものは無かったからな
それとも鈴掛着けて山行やってたとか具体的な記録でも有るのか?
610神も仏も名無しさん2019/10/12(土) 17:20:09.29ID:L4ngqjV2
>>583
確認したけど修験道との関係を示す内容は無いですね
普通に考えたら禅と修験は両立しないかと >>159
ふむふむ
つまりハジはブッダってことですよね? ゴータマ・シッダッタとハジは同じです!
同じくブッダです
ということでよろしいでしょうかw 163.お粗末なブッダである、よ。
大爆笑である。 暇人の珍説を超えたんで、暇人に関心薄い笑。
サル山我執流真言君の珍説レスの増殖に期待する笑。 >>165
何をゆー
ふさふささんもハジがブッダであることを、認めておられるのだぞ
ただ、ハジには自覚がないだけだったのだ
ついに目覚めた!
ハジはブッダだったのじゃあああ
なんもせんでも
ブッダだったのじゃあ
笑笑 167.ウンコをするブッダである、か。
大爆笑である。 >>148
大山は、
「高野山修験道」とかの言い回しは気になるが、
サル山我執流真言君の珍説の呆れる程の論外な致命的ミスは関心薄すぎ笑。 うーーーーーん
その通りです!
っていうレスを期待してるんだが、中々ないな、、、
ここで、その通りです!
ハジはブッダですとなればホンモノだったのだが、、、 >>150
分かんないなら全部ひっくるめて放置しときゃいいじゃない。
考え方とか思想にしたらつまらんよ。 >>156
だからそう言う頭で扱えることしないんじゃない
手を付けないていう >>171
身心脱落ってなんのことなの?
それすらわからんのやけども、、、
そして本来脱落身心って、今風というか、もっとわかりやすい表現ってできる?
身も心も放ち忘れては、なんとなーくイメージ沸くんだけど
脱落って、イマイチなあ
心と体が抜け落ちたみたいな感じかな 171.脱落身心でウンコができない、か。
大爆笑である。 176.ウンコができない、か。
それが修行である、か。
大爆笑である。 >>175
頭でわかるってことは違うってことですよ。
出来ますよ簡単に。
たとえ仏法でも簡単に理屈に出来る。
でも理屈じゃないつってんじゃない。
頭で認めることができる事には用はないんですよ。 >>171
す、すまぬ!
暇人と間違った笑。
ごめりんこ! >>155
ばか珍や?
「みんなが覚者」って道元禅師は言ってないし、「みんなが覚者なら何故修行するのか?」って疑問から渡宋し、修証一等、更には本証妙修に展開したんだろ?
修という用がなければ証という体は相として顕れないの。
言ってる意味分かりますか? 178.ウンコができない、か。
その修行は簡単である、よ。
ウンコを捨象すれば良い。
バカ大山には理解できない。
大爆笑である。 >>179
ほむう
理屈でわかる必要がないと、、、
そーゆーのはほっといて
修行するという感じなのかなあ
修行は、ここでここしてるみたいなんかなあ
なんとなくわかる >>156
>「みんながもともと佛なんだから、修行をするのだ」と逆転させたんですよ。
wwwwwwww
ならなんで、仏なのに修行するんだよ?
振り出しに戻るじゃねーか?
仏が「儂は仏ぢゃ〜」って修行するか?
そういう仏を超越したところ(妙)の仏行って事だろ? 185.修証一等ではない、と言うことである。
両者を結合させる、ことが誤り、である。
なんでか。
バカ大山には理解できない。
大爆笑である。
分離する、が正解である。 簡単いうと、
1.北宗の如来蔵的な禅、
2.それに対する南宗から唐代に渡る本覚的な禅、
3.それに対する宋代の始覚的な禅宗、
4.そして道元禅
って流れとなる。
道元禅は本覚的な禅と始覚的な禅の止揚ともいえる。
ざっくりいうと、
1.は本来仏だけど煩悩のチリに覆われてるから払え
2.はそれそのままに仏(諸法実相)
3.は、2.の反省から1.の要素取り入れ
4.は、2.3.の止揚
ってなる。
禅はドグマを嫌う。
その意味で無始無終的な本証妙修という在り方(理論ではなく)は優れてる。 >>185
外道の大山ちゃん
佛だから修行をするんですw
これがわからないと、仏教がわからないんです 188大山説は無理してんなあ・・・・と、
ぐらいにしておこう。 189.仏だから修行しない。
当然のことである。
バカ大山には理解できない。
大爆笑である。 暇人説は日光修験道なら通用するだろうけども・・・・・・・・・。 >>189
>佛だから修行をするんですw
だから、なんで仏なのに修行するんだよ?
んじゃ、修行してない時は仏じゃないだろ?
お前はただの受け売りだから、そのW何故Wが説明できないだろ?
仏は仏だから、作仏する必要がないから、そのままに仏行(修行)なんだよ。
それも分からないで、分かった振りをするから矛盾を突っ込まれんのw 193.仏行、は修行ではない、よ。
バカ大山には理解できない。
大爆笑である。 >>188
> 4.そして道元禅 』
(爆)
アンチってだけだろ、臨済に対する、存在価値が無い。
お坐りはイヌに命令しな。 196.定説を疑え。
バカ大山には理解できない。
大爆笑である。 臨済禅師の修行はひたむきで純一であった。
それを見ていた首座(しゅそ。第一座の僧)が「この人はまだ若いが、人と違ったところがある」と感心し、質問した。「そなたはここに来てどれ程になるのか」。
臨済「三年になります」。
首座「これまで黄檗和尚に参じたことがあるか」。
臨済「まだ参じたことはありません。何を聞いたらよいのかもわかりません」。
首座「どうして、仏法の根本は何ですかと問わないのだ」。
そこで黄檗和尚に参じて「仏法の根本」を質問したのだが、その声がまだ終わらないうちに打ちすえられた。
戻ってきた臨済禅師に首座が様子をきいた。「まだ言い終わらないうちに打ちすえられました。私には訳が分かりません」。
「ならばもう一度いって質問してこい」。
こうして、三たび質問して、三たび打たれた。
臨済禅師は首座に言った。「幸いに慈悲をこうむって和尚に質問することができましたが、三度問いを発して三度打たれました。残念ながら何かの障りがあって深い意味を悟ることができないようです。しばらく他の所で修行しようと思います」。
首座は答えた。「下山する時には、必ず和尚に挨拶してから行きなさい」。
首座は先に黄檗和尚に会って言った。「あの若者ははなはだ真面目です。やって来たら導いてやってください。将来かならず一株の大樹となり、人々のために涼しい木陰を作ることでしょう」。
臨済禅師が出立の挨拶に行くと、黄檗禅師は言った。「そなたは大愚(たいぐ)和尚の所に行きなさい。その他の所に行ってはならぬ。きっとそなたのために説いてくれるだろう」。
臨済禅師は大愚和尚のところに行った。
大愚「どこから来た」。
臨済「黄檗和尚のところから来ました」。
大愚「黄檗和尚はどのように教えているのか」。
臨済「私は三たび仏法の根本を聞いて、三たび打たれました。私に落ち度があったのかどうか、それすらも分かりません」。
大愚「なんと、黄檗和尚はまるで老婆のように親切だ。くたくたになるまで教えてくれたのに、更にわしの所までやって来て落ち度があったかどうかと聞くのか」。
臨済禅師は言下に大悟して言った。 「黄檗和尚の仏法は、根本そのものだったのだ」。
こうして臨済禅師は黄檗和尚のもとに帰り、その法を嗣いだのであった 補足しておくけど、仏は仏だから、作仏する必要(仏になる為の修行)がないから、そのままに仏行(修行)なんだよ。
だからといってWそのまま仏Wじゃねーから。 荒らしに対する姿勢が、大事
基本
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○自我の拡張、ヒッキーさんです。
|| ○背日性、嫌気性の特徴があります。
|| ○AAはAAスレ、youtubeはyoutube紹介スレと、品位が保てないのがクセです。
|| ○荒らしは放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています。
|| ○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを
|| 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン !
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い〜♪ 先生ぃ〜♪
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
φ(゚0゚*)ホォホォφ(。_。*)メモメモφ(゚o゚*)フムフムφ(。_。*)カキカキ 200.無我なのに、仏行、修行とかがある、かや。
byバカ大山である。
大爆笑である。 /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ⌒ヽ〜 ''-., わっちは一切であり
/ /i \ ヽ〜 `'-., 法、ダルマ、真理さとり
| | /////.∧ | | | | ∧ |\、〜 \ から成り立っている。
| | |-| |〔 ==・.〕--〔==・〕--ヽ〜 \
| .|| || ゛`ー'(、●^●,)ー'゛ ヽ〜\ ヽ 理解し記憶しなさい。
| | || * ノトェェイヽ ・ l〜 \,__ | 繰り返し繰り返し実践しなさい。
.| | ||:::: ノ ヽ`ー'ノ ヽ :::: /〜 / ノ
| i ゝ::::::::::: '⌒ヽ :::: ノ〜/ / 天才は努力する。
//∧| \__ '、__,ノ_/_/ / 努力する人を天才と呼ぶ。
/ ~~ ~~~ ~~~ ~ ~~ /
l 彡彡´〜
l | .彡〜〜
./ /. , ヽ /〜
l / ,o, o, ヽ /
./ /ヽ ,,,/ \ '..,, ' ,.ノ l
l / `''''' ~ ''''''  ̄ |
| / l
.l / __ ___ l
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| 〔 ------ .ヽ
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.〔ヽ ヘ. |
l / .... ___ ___ .. |
ヽ) ------ ./
| ノ
| ,,,,,,,,,,,,,,_,.. |
| `-_;;;;;;;;-'''〜 |
〕 Y〜〜 |
ヽ | 〜 | >>189
ばか珍や?前にも言っただろ?
お前は仏性顕在論を「みんなが覚者」ってのと勘違いしてるの。
道元禅師についても修証一等を分かってないし、勘違いしてるの。
お前は証が修してる一面だけ見て、修が証してるを見てないの。
つまり、分けて見てるの、一如でないの。 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
サムエ宗論
サムエしゅうろん
チベットに仏教が本格的に導入された直後,布教の主導権をめぐり,インド仏教と中国仏教の正統性を争った一連の論議。ティソン・デツェン王はインドからシャーンタラクシタを招いてタクマルにサムエ寺を建立し,僧伽を発足させた (779) 。
のち中国から 781年に2人の僧を招き,敦煌陥落の頃 (786) チベットに禅僧摩訶衍 (マハヤーナ) を呼んで布教させた。摩訶衍は無念,無想,無作意による悟得の教義を説いて 791年には皇后を出家させるまで成功した。
シャーンタラクシタ亡きあとのインド仏教系の僧は禅の教義に疑義を示し,文書による論争を重ね,禁教にいたらせたが,禅の信徒の抵抗で 794年禁教が解かれた。
そこで王はインドからカマラシーラを呼び,サムエのチャンチュプ院でその面前に摩訶衍を論破させ,妙観察智を捨てた無念の禅を退けたので摩訶衍は敦煌に去り,インド仏教の正統性が認められ,主導権が確立されたと伝えられる。 サル山君のレスの世界は、
不立文字の禅と、勝議諦と世俗諦を分け分析するイント仏教(ツォンカバに至る)の論争だな。 さらに遺伝子やDNAという言葉は、科学的・神秘的といったイメージが先行し、一般社会において生物学的定義から離れた用いられ方がされていることが多い。それらの大半は通俗的な遺伝観を言い換えたものに過ぎない。一般雑誌などでは疑似科学的な用法もしばしば見受けられる。
(ウィキ引用) ここは、このスレは、スレタイが 【仏教】悟りを開いた人のスレ454【天空寺】
さとって無いものが、悟った者をたたく、 これ、おかしいよね、順逆だ。まず、初関を透れ、である。
但し、初関を40回も透った、と虚言癖がある者が居るが、40回も初関を透ったら、それは 初関を透るじゃないな。誰にも分る事。
初関を透ってない者が どこでどう間違えて、いちゃもんつけられないのに、 審判して、あれこれ言う。是が地獄、暗黒世界だ。明るく元気に真理(さとり) を語りだせ。
悟前(ごぜん) 未悟(みご)の者は、お聞きなさい、色は空であることを。そこが 初関を透る、である。 >>212
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
自称すれば悟りか? >>213
> >>212
> wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>
> 自称すれば悟りか?
まず初関を透れ、わからず言うな。ぶおとこよ。 >>215
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
無我なのに誰が初関を通るんだよw >>216
大山自身、無我も分かってないくせによく言うよwwww ┏━━━━━━━━┓ ∧_∧ 10/20 京都11R 芝・右外 3000m
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┗━━━┷━━━━━━━━━━━━┷━┷━━━┷━━━━━┷━━━━┛ 216 返信:仏教棄民の大山 ◆JBP.OYid8g [] 投稿日:2019/10/14(月) 17:05:48.70 ID:YpqDvF+9
>>215
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww無我なのに誰が初関を通るんだよw(笑い) 』
空だよ、色は。 これが 真理(さとり)。
初関を透らない 悟前(ごぜん) 未悟(みご) の者は わからない、まず初関を透れ、ぶおとこ よ。 >>220
鈴w
自称ではなく、正師の元で初関を透ってから言えw >>222
別スレで、真面目にサル山君を論破してやったのに、また詭弁、論点ずらしをしにきたぞ笑。 >>220
>空だよ、色は。 これが 真理(さとり)。
いくらポタ公がキチガイとはいえ、未だこんな支離滅裂な事を言う奴がいるとかw >>223
他スレはあまり見ないので、何の事か分からんw >>223
野良さんのスレで「論破ゲーム」をすると、怒られるので、
ワシは元スレに避難するのじゃ。 空だよ、色は。 これが 真理(さとり)。初関を透らない 悟前(ごぜん) 未悟(みご) の者は わからない、まず初関を透れ、ぶおとこ よ。
221 返信:仏教棄民の大山 ◆JBP.OYid8g [] 投稿日:2019/10/14(月) 17:31:26.80 ID:YpqDvF+9 [2/5]
>>220
> 鈴w自称ではなく、正師の元で初関を透ってから言えw(笑い) 』
また、逃げを打ったか、
悟前(ごぜん) 未悟(みご)のオマイが なにを言おうが、空虚な響きだ。
なにを言われてるのか、それすら わからない。
師は修行者が居て、師。
つまり、相対の存在でしかない。
正邪を付けて右往左往する ぶおとこ、イヌヤマ。
真贋の眼を開け、ぶおとこ、イヌヤマ。
初関を透れ、ぶおとこ、イヌヤマ。
これを ぶおとこ、イヌヤマ。の3要素、と言う。 >>222
馬鹿!
大山の日頃の投稿が証拠じゃわい。
屁理屈書き込むだけは一人前。
>>226
あなたがあなたである為に根拠が必要だろうか?
あなたの存在。
その存在が何よりの証拠だ。
あなたと呼べるものは何ひとつない。
存在の感覚だけを頼りなさい!!(ビシッ)
ニッコリ(拈華微笑) >>227
話題にすれば見付けてやって来るのは自明ですよ >>228
何を言ってるのか分からないなぁ?
ともあれ、自称ではなく正師の元で初関を透ってから言え。 >>229
だから、それが何で分かってない事になるのか証明しろって言ってるんだよ。
どんだけ馬鹿なんだw >>230
>あなたと呼べるものは何ひとつない。
で、根拠は? >>183
理屈にするとズレていくんですよ。
本当はズレてませんけどね。
頭に持ってくるとズレるんです。
本当はズレてませんよ?
理解ばかり追いかけるのは、ずーっとズレていくってことです。
本当はズレてないけどw >>230
>存在の感覚だけを頼りなさい!!(ビシッ)
馬鹿かw
その感覚に併起して起こる意識が我知障や所知障になってるから、仏教で問題とされてるんだよ?
仏教を基本から学びなさい。
程度が低すぎて話にすらならない。
思いつきでデタラメをポエムしてるから根拠を出せって、要するに、ちゃんと仏教を勉強しなさいって励ましてるんだよ。 >>234
> で、根拠は? 』
ぶおとこ イヌヤマの定理である。外道は去れ。 >>237
》その感覚に併起して起こる意識が我知障や所知障になってるから
まさにそれがあなたの状態だ。
あなたの目は空の視座でもなく、無我でもなく肉体的視点だ。
あなたの本質は意識であり、肉体ではない。
あなたの目を内に向ける事だ。 >>239
意味不明、支離滅裂w
全く仏教が分かってない証拠。
先ず、根拠を示しなさい。
調べる事で仏教を学べるんだから。
先ず、あなたはそこから。 >>243
父親からの遺伝で、噂話が好きなのじゃ。
多分、病気なのじゃが、心療内科では治りそうもないので、
諦めているのじゃ。
ワシに関わると、エライ目に遭うので、要注意なのじゃ。 仏教の真理は 世襲にすると そのエッセンスを どうやら完全に失うようだ。
妻帯に関しては ただの女犯であれば 時間と共に回復する。
だから 未婚である場合と 妻帯している場合は世俗である場合(世俗に法がもれるということ)は エッセンスは失われない。
だが これらも 世襲になれば 完全に取り上げられる。
私見だが。。
日本仏教も 妻帯してから四代目に突入するから ほとんど壊滅寸前だろう。
もう言っていることは ただの観念論だから。
仏教の回復の為にも 憲法第20条は 変えるべきです。 死んだら必ずお寺に 埋まらなければならない というのは愚かな人の固定観念である。
生きている間に修業をきちんと摘むことが 肝要なのであって、埋葬は従属したものに過ぎない。
遺骨は 自宅の神聖な場所に締まって置き 祭壇を設けて 日々の読経などの供養を 怠らない事。
キーホルダーにして 常に携行しても良い。
紛失したらまた造れば良い。
それと きちんと戒律を保った エッセンスを所有する寺院とのつながりが まずならよりも第一に必要である。
戸籍や過去帳による記録や 先祖の特徴などの記録も 何か子孫にトラブルが起きた時に重要である。 犬山大先生「あらやだ☆識」
空とは欠けていること。
根拠は?
一切は空であり、空は欠けていることだから、根拠も欠けている・
これが犬山大先生の「あらやだ☆識」のカラクリ(笑) 意生身崇拝は 周囲の罪もない人々の不幸の原因になるから 出て行ってくれ。 ∞ノノハ∞
川^〇^ハレでおーたんは議論を放棄www
論証出来ないのは寺院観光とピクニック三昧していたのかなぁwww
でおーたんそろそろ消灯の時間 世 襲 と 言 え ば 、 キ ム 親 子 三 代 。
あの人類史上最大の殺戮者 毛沢東でさえ 世襲はさすがにしなかった。 >>236
ありゃりゃw、柿猫はそこに行ったかw
まぁ、その方がいいだろうね。
ついでに、手ぶらでやポタ公、ひふみや魚、こじ等、自称の似非覚者らはそこに移った方がいい。 >>247
根拠は
「この講堂には牛はいない、牛についていえば空(欠如)である。しかし比丘がおり、比丘についていえば空(欠如)ではない」 -- 『小空性経』(中部経典、中阿含経)
何度となく出してるけど? >>253
イヌヤマには 繰り返し 繰り返し いったが、
自分の言葉で話せ。
コピペを出してきても、それがそれがどうした!? 無礼者!、である。 >>254
wwwwwwwwwwwwwwww
なんだよ、自分の言葉ってw
そんなルール誰が決めたんだよw
お釈迦様がそう言ってたと言うのなら根拠を示せw
キチガイwwww W根拠を示せWって言うから経典内の根拠を示したのに、それがなんでW自分の言葉で話せWにすり替わるんだよwww
自分の言葉では話せばそれが根拠になるのか?
まるで手ぶら並みのキチガイだろ、それwww >>255
> >>254
> wwwwwwwwwwwwwwww なんだよ、自分の言葉ってw そんなルール誰が決めたんだよw お釈迦様がそう言ってたと言うのなら根拠を示せw キチガイwwww 』
バカアホのイヌヤマですら多分理解済みだとは思うが、
2500年前の人が存在していたのか誰にもわかる事ではなく、
何を教えていたのかも、誰もわからないのだよ。
文字であらわすことは 聖ではない、と考えられていた時代だからだ。
固定して、
ああ言った、こう言った、
あの本に書いてある、この本に書いてある、と言い立てても、本人は見た事も無い、代物だ。
何を伝えて来たのか、が大切で、
それを確かに受け取る、
それが さとり という 体験だ。初関を透る、である。
初関を透れば、祖佛祖師方と手を把って供に歩み行く、である。
むなしい教典を拠りどころとして議論するむなしい風景は、まさに 外道だ。
眼は 事故に向けよ、それが歩みだ。
わたしの教えは優しい、どこへ行っても必ず大歓迎される、
だから、この道を二人して行くな。
犀の一本角のように一人歩め。
これを聞けよ。
耳に口を当てて行ってくれている。
全く同じ心をヨシュアはこう言う。
わたしの教えは厳しい。
必ず弾圧を受ける、死が待つ。
一人ではとても耐えられない、
だから決して一人では行くな、二人して行け。
二人なら耐えられない苦痛にも耐えられるだろう。
二人は慈しみにあふれている。この心を受け取れ。
この槍は重い、つまり、重い槍である。而して 思いやり である。
思う、とは 自己ではなく相手を思う、である。
相手とは、つまり、一切である。
自己と一の如しである。
それが 真理(さとり)である。これを体得していくのである。
イヌには 至難である。吠え、噛み、それが故に 散歩歩めば こん棒で殴られる定説である。
無駄をしてコピペに走るな、自己を出せ。自己を出せとは、誰も言い出した事が無い 真理(さとり)を 発見せよ。
それが自己の言葉で語れ、という事である。
趙州従シン(じょうしゅうじゅうしん)禅師(ぜんじ)ちゃんも言う、三歳児に学ぶ、と。 >>257
www
だから、そんなルール誰が決めたんだよw
根拠出せよw
お前が勝手にそう妄想してるだけだろw >>257
訂正
イヌには 至難である。吠え、噛み、それが故に 散歩歩めば こん棒で殴られる定説である。
↓
イヌには 至難である。吠え、噛み、それが故に 三歩歩めば こん棒で殴られる定説である。 結局、禅関係の本に出てくる単語をつなげてるだけじゃないか、ポタ公はw >>258
公務員なのか、法律の根拠が泣けれな言えず、行動せずの、
ほもののクズだな、オマイ。 >>260
> 結局、禅関係の本に出てくる単語をつなげてるだけじゃないか、ポタ公はw 』
コピペマン が良く言うよ。あきれる。 >>200
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ
>>188
>その意味で無始無終的な本証妙修という在り方(理論ではなく)は優れてる。
洞山禅師の「過水の偈」も無始無終的な本証妙ではありませんか?
>「渠(かれ)は今、正に是れ我。我は今、渠に不是(あら)ず。」 > 洞山禅師の「過水の偈」 「渠(かれ)は今、正に是れ我。我は今、渠に不是(あら)ず。」
騒動衆か。
色即是空は、空即是色へ還(かえ)る、である。
単に
同行二人(どうあんふたり)」 である。 >>235
今日ちょっと試してみたけど結構よかったよ!
頭の認めたことを用いないやつ
めちゃ流れてくわ
ホントはズレてないのかあ
そのズレてるズレてないの話はよーわからんが
こことズレてるズレてないかな? 元オーム先生の遺伝子の話は
あれやなあ
まあ自己防衛反応というものかなあ
これは強烈やな、、、
生命欲は断固ゆるさんとかになったら
ハジには困難ではあるが、
しかし、まあ自己防衛反応から、怒りがきてるんはあるね、間違えない 頭の認めたことを用いない瞑想、使える!
これは、使えるぞ
なんか外界の事象にしろ、内面の事象にしろ、それを頭がストッピングして、パコンと嵌めてるわけで
その止めてスタンプしたとこが、なんか引っかかってる感じがあって、あ、認めてるやつやと気がついたらパッと離してやればスルスルーっと流れてくわけで
これは、まだわからんけども、恐怖とか怒りとかも、その場のはなくならんけど
後引きせんようになれるかも?
上手くなればの話やけど、、、 >>269
> >>267
> 意味不明w で、根拠は? 』
オマイの無脳、無用だろ、ムチ(-_-)/~~~ピシーピシー!無恥にして さらに加えて 無知蒙昧である。 まあ、こーやって書くと
後引きも何も、跡なんて元々、残ってないとか
ゆーよーな奴が、現れるかもしれんが
個人の感想なんで、勘弁 >>268
∞ノノハ∞
川^〇^ハレご教授ありがとうございます
>二にして一、一にして二
天むすの見解になっていましたけど
渠(仏)は今
色即是空の空だと思いました
思いが入った時点で我
我は今
空即是色の色に戻ったと思いました >>270
ズレるわけがない。
そんなはずないのにいつの間にか理屈先行でしか物が見れなくなる。
そうすると自覚出来なくなる。
分かることと自覚することは全く別のことだから。
自覚さえ生まれればズレてない事も知るし、
先達たちが何を言ってるのか分かるようになる。
分かることが大事じゃないって事も分かる。
まぁお見受けしたところ、正師と呼べる人をご存知のようなのでその方に直に教わって下さい。
一番はこれです。これに直に教わるのが一番。 空っていうのは
空の雲が風でフワフワと形を変えてくようなんで
それが六根に反映した世界が、次々、やってくる様に似てるってことなんかなあ
縁に触れて、っていうのは、相互が触れ合ってみたいなんで
それが右向いたら右あるしみたいなんで
個人を中心として見るなら、世界は縁、相互の出会いが、この身体の機能によって次々展開してるわけで
無常やねと
だから、この身体が対象と次々、縁起空やってんのが
空のフワフワ風に流れる雲の形を変える様のよう、幻の様だなあと言ったとかさ >>276
!!!!
正師って、そーゆーことなん!?
マジでビビった
マジか!
マジっすかあ
いや近年稀に見る大発見!
ありがとうございます >>277
色→目に見えるもの→物質
空→目に見えないもの→空間
何かが有る(有)という見方と何も無い(無)という見方を邪見とした場合 有も無も仮にそう有るだけで状態の変化に過ぎない
絶えず変化する物事の移り変わりの中で変化しないのが空
どれほど高密度の物質の中にも空間は有るし 仮にあらゆる物質が消滅しても空そのものは無くならない 増える事も減る事も無い 生まれる事も死ぬ事も無い 汚れる事も無ければ 浄まる事も無い
有も無も一時的な状態で有ると観た時に現れる物事の本質が空 >>279
え?
ちょと待って
それが自性空とかいう場合って
その空がわたしってこと?
いや、わたしは空なのかなあ
え、じゃあ色即是空って、この目に見えるものたちは、目に見えないものであるっていうかさ
うーーーーーーーん
えーっと、その空ってやつは
あの
父母未出生以前の本来面目とかと一緒かなあ
そーなると、、、
あの、盤珪さんの、不生の私みたいなんと一緒なん??
そこ肝心なんやけど えーっと、これ、ここさ
わたしは空である
っていうと、それこそ、認められないものだから
体験とか、実感とか、全くないし
そのことと、ここで、ここしてるんが、繋がってくもんなのかなあ
いやあ、これは、謎
謎すぎ いや、つまりね
その物事の本質である空というものは
あるものでもないものでもない
存在するものでもなく、存在しないものでもない
それは
わたしなのか
それにしても、いや、これ、ここ、ここ肝心
でも、空が、存在するものでも、しないものでもないんなら
それって本質足りうるのかなあ
いやあ、分からなさすぎる >>280
>いや、わたしは空なのかなあ
「わたし」はいつか消える幻想 わたしだと思い込んでる肉体の本質が空
>え、じゃあ色即是空って、この目に見えるものたちは、目に見えないものであるっていうかさ
目に見えるものも目に見えないものも一切は空だって言う事
精選版 日本国語大辞典の解説
ほんらい【本来】 の 面目(めんもく)
仏語。衆生が本来持っている、人為をまったく加えない心性。禅の極致という。
※正法眼蔵(1231‐53)弁道話「本来面目現ずるとき」
用語を知らないからググったけど これだと理性や社会性を無くさない?
>あの、盤珪さんの、不生の私みたいなんと一緒なん?
不生不滅の状態に入ったらおそらく「私」は全体としての「空」に溶けるからただの空性
コップの水を川や海に溢したら元の水と見分けが付かない様に物質の中の空も物質が消滅したら一見無に見える空と見分けが付かない ハジの場合、色は空であると聞いて
例えば、近くにある扇風機をみてこう思う
空ってことは、この扇風機は、その本質としては、存在することがなく、それでいて、存在しないこともない
?????
さらに、存在することと存在しないことが同時にあるわけでもない
さらに存在しないものであるものが存在しないという感じのでもない
となると、もう、頭が無理wwwww
認識不能となる、つまり、ハジとすれば、その線でいくと、空は認識不能のことで
認識不能が、扇風機として仮に現れてある
みたいな
アカン、こーゆーのは頭がパンクするwwwww >>282
私が空なんじゃなくて「わたし」という生き物の本質が空なんだよね
「わたし」は死ねば無くなる概念だから 死後は他の空と見分けが付かない
例えば転生しても そこに有るのは全く別の「わたし」で大抵は記憶からも消えているでしょ?
過去世を思い出しても 今の自分とは別の「わたし」だから永続性は無い
一回こっきりの「わたし」を無限に繰り返すのが輪廻なのね >>283
> いや、つまりね
>
> その物事の本質である空というものは
>
> あるものでもないものでもない
>
> 存在するものでもなく、存在しないものでもない
>
> それは
>
> わたしなのか
>
「わたし」にこだわらないで
> それにしても、いや、これ、ここ、ここ肝心
>
>
> でも、空が、存在するものでも、しないものでもないんなら
>
> それって本質足りうるのかなあ
>
> いやあ、分からなさすぎる
存在するとしないを分けてるのは人間の見方でしかないのね
発生と消滅が空の中で起こってるだけで空そのものの性質は変わらないって事 >>286
うーーーーーーーん
これは、ハジの認められやんやつや、、、
空なるものは存在しないものでもなく、存在するものでもなく、存在しつつ、存在してないものでもなく、存在しないものが存在しないものでもなく
つまり、あらゆる断定というか、認識や、理解不能な言葉で
認識の停止のことで
つまり、空というもの、そのような本質的な何かを、あると見ていることになるように思ってしまうから
あの
なんなんかなあ
空という本質世界みたいなんはないと思う 消滅が消滅してるとかが近い?
と思ってわ、そーとらえるから、違ってくるわけで
だから、どうあがいても、人は空を知ることはなく
あらゆる否定でもなく
あー、だから、めんどくさいから
空なんて名前しかないとハジは思っておいてるが
それもまたホントは違うわけで、もう無理なやつが
空でしょ >>285
> ハジの場合、色は空であると聞いて
>
> 例えば、近くにある扇風機をみてこう思う
>
> 空ってことは、この扇風機は、その本質としては、存在することがなく、それでいて、存在しないこともない
>
> ?????
例えば人体の70%は水で有る→人体は水で有るというのは解るでしょ?
同じように扇風機という物質の中に原子があってその原子の中に膨大な空間が有るのね
原子の大半は空間で有る→原子は空で有る→原子で構成された物質は空で有る
> さらに、存在することと存在しないことが同時にあるわけでもない
>
> さらに存在しないものであるものが存在しないという感じのでもない
>
> となると、もう、頭が無理wwwww
>
眼で認識出来る物質にも何も無い空間にも同じように原子が有って その原子にも一見何もない空間が有ってね
つまり極小で見た場合と極大で見た場合に扇風機という存在は認められない 自分という仮の存在が扇風機という仮の存在を扇風機が有ると認知してるだけなんだよ
> 認識不能となる、つまり、ハジとすれば、その線でいくと、空は認識不能のことで
>
> 認識不能が、扇風機として仮に現れてある
>
> みたいな
>
> アカン、こーゆーのは頭がパンクするwwwww
ちょっと急過ぎたら御免ね >>288
じゃあもっと手前の所で「無」は存在しない事を現すのは解るよね?
所がこの無という概念が結構曲者でよくよく考えると「〜は無で有る」と言った場合「無」という概念が実体を伴う存在となって無が存在するという論理矛盾を引き起こすのね?
そこで「無」そのものは存在しないけど何もない様に見える状態は存在する
つまりこれは仮性で有って本性ではないとなっていく訳よ >>289
物が生まれて存在する状態を有とします そのものが破壊されて存在しなくなった状態を無とした場合 存在した物が存在しなくなる代わりに無が存在するという矛盾に気付いた人がいました
誰あろうゴータマ・ブッダです
同じ時代の西洋の哲人達も論理的に無が存在しない所迄は突き止めていましたが その状態を現す「空っぽ」の概念まではたどり着きませんでした
この「空っぽ」を現す空は性質的に有と無の両方に見られるので空が実で有無が虚で有るという結論に至りました >>292
おお、分かりやすい!
有でも無でも
有無でも
無無でもない
なんでもない
その空っぽが空だとして
つまり、それは、空っぽだけに、認識されることはないわけじゃないん?
空間と言った瞬間、もはや、それは、空間となってしまうやん >>293
間違えた、、、
なんでもないでもない
じゃないとあかんのかwwwww
めんどすぎる >>293
認識されないから直接表現出来ずに有でもない無でもないって色んな物事に「〜ではない 〜という事でもない」っていう論法で浮かび上がらせるしかないんだよ >>294
このめんどい所を理解しないで行だけに走るから論理性の無い所に迷うんじゃない?
原始仏典も論理から始まってるからね うーーーーーーー
ここは、ハジの思ってるは違ってるなあ
浮かび上がらせるというか
こっちの、それを認識したいというのを
破壊しにきてるwwww
〇〇ではない、それでもない、あれでもない
その上で浮かび上がってきたものがあれば
それでもないよと
つまり、全否定した上で
じゃあ全否定された、それ、現れざる、それ
みたいなのですら否定して
ありとあらゆる可能性のすべてを断ちにきてる
行き場をなくして
探してるこちら側をストップさせる
この探してるものが、もう行くとこなくなる >>297
(有)⇔ ( ) ⇔(無)で表記してみるね
この ( )が無いと見かけの有無も成立しないのね
で其れを現す代名詞として無との混同を避ける為に空が宛がわれたという事
実体化出来ないけど非存在にも出来ない微妙な事なんだよ >>296
確かに仏教知識薄っぺらいからなあ
ハジの感覚で書いてても、大間違いかもしれんし
基本的なことはもうちょっと勉強しまーす >>299
体験を論理化しようとすると自分の言葉で語るよりも遥か前に体験してた偉大な先師達の絶妙な表現が現れると思うよ
おお 言いたい事はこれだ!ってね 300.バカ大山には理解できない。
バカ大山も弟子になる、と良い。 お爺ちゃん
とうとう人の見分けが付かなくなったのかな?
それは悟りじゃなくてボケだよ 302.ボケ同志で仲良くする、ことが大事である。
バカ大山もバカ同志で満足している、よ。
大爆笑である。 珍しくムキになっちゃって 笑
まあ余生穏やかに過ごしてね 304.貴君も悟り、になっていない、よ。
いつか、わかる、ときが来る、かもね。
大爆笑である。 俺は自分が悟ってるなんて思ってないから 大丈夫だよ
本当に悟ってるなら誰かを中傷したり からかったりしないというのだけは理解しようね
それが有る内は皆お互いに未熟なんだよ キレる
呆ける
徘徊する
ポッタン師である、よ
大顰蹙である(笑) >>306
悟っていない者が、悟ったらどういうなるか分かっているって、
おかしいな。 >>306
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ勝義諦は平等ですよね?
>「三界唯一心、心外無別法、心仏及衆生、是三無差別」
心も仏も衆生も無差別から考えますと
喜怒哀楽も一如だと思いますけど? >>308
悟ったブッダが悟ったらどうなるのかを説いてるのだから 一掴みでも確認したなら 其処から先は信じるしかないでしょ?
どういうのが偽の悟りかも初期の仏典に有るんだから 変な言い方だけど自分はまだ悟っていない事を悟っている となる >>309
> >>306
> ∞ノノハ∞
> 川^〇^ハレ勝義諦は平等ですよね?
>
寧ろ世俗諦じゃない?
> >「三界唯一心、心外無別法、心仏及衆生、是三無差別」
>
> 心も仏も衆生も無差別から考えますと
> 喜怒哀楽も一如だと思いますけど?
その場合の心は人間に属する心かな?
三解唯一心だから全ての心の大元じゃない? >>313
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ一即多、多即一ですので喜怒哀楽は同じだと思います >>308
wwwwwwwwwwww
なら逆にだ、悟った者は悟ってない者がW分かるWのか? >>311
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ天むすおにぎりの見解ですと
>不異不同になるんですね
ありがとうございました >>314
ブッダが心を喜怒哀楽の中間に保ってるとしても? 315.当然である。バカ大山は悟っていない。
大爆笑である。 >>317
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ世俗諦ですと二元ですので差別になりますよね
勝儀諦は一元の平等
中道にお釈迦様がいらっしゃるのなら現量になると思いますので
ありのままだと思います 319.バカ麦が言う、ことである。
信用しない、が正解である。
大爆笑である。 >>319
勝義諦に至るには世俗諦を通らないとならないよね?
つまり十分に噛み砕かれた解りやすい教えから始めないと勝義諦には辿り着かない事になる >>321
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ龍樹の中論で
>「有・無・または有または無・有にあらず無にあらず」
当てはめますと
喜怒哀楽も有る
喜怒哀楽も無い
喜怒哀楽も有る喜怒哀楽も無い
喜怒哀楽も有るでなく 喜怒哀楽も無いでないことはない 中論
觀涅槃品第二十五 二十四偈
25・20
涅槃の実際と、世間の際と、
是の如き二際は、毫釐の差別なし。
毫釐(ごうり) ごくわずかなこと。ほんの少し。ごうりん。
觀邪見品第二十七 三十一偈
27・31
瞿曇大聖主 。
憐愍して是の法を説き、
悉く一切見 を断じたまえば、
我れ今稽首礼す。 >>319
>勝儀諦は一元の平等
麦さーん!
一元っていうと還元論的な常見になるぞー! >>324
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ勝義諦は一如の方が良いですか?
移動中で入力しづらくて下向いていると酔いそうwww
またです >>322
中論は色の有無を空で否定する理論だから感情の有無に当て嵌めるのは違うと思うよ
色と心がくっついたり離れたりするのは生き物の有り様で説明付くでしょ
色即是空≠色即是心
もし心と物が永遠に結び付いたままなら輪廻も無いし 火葬なんて出来ない事になるよ 私は真理を知りたいとか
悟りたいとかではなく
何であれ私が求めていることが
何であるかを知り続け
それを味わいたいのだなあ
今はたまに泊まって
瞑想できる場所があるって
とっても贅沢だなあと
今さら味わってるなあ
贅沢大好きだわ >>326
横から済みません。
般若経では、色即是空・受即是空・想即是空・行即是空・識即是空、即ち五蘊(=一切)の空を解いてますが、
>中論は色の有無を空で否定する理論
>感情の有無に当て嵌めるのは違うと思うよ
というのはというのは浅学にして初耳です。
感情も五蘊のうちなれば、空の理論にて否定の対象となるものではないのですか? >>328
私の理解と説明がおかしかったですね
すみません
色蘊を否定する論理がそのまま識蘊を否定するのに宛て填まるかどうかに違和感が有って先走りました
煩悩を滅し尽くした如来に衆生と同じ喜怒哀楽の作用が有るという考えが受け入れ難いのですよ
何か府に落ちる説は無いものでしょうか?
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
五蘊
ごうん
pa?ca-skandh?
仏教用語。五陰 (ごおん) ともいう。物質・精神より成る人間存在の5つの局面または構成要素。第1は色蘊。五根,五境など物質的なもののことで,人間についてみれば,身体ならびに環境にあたる。
第2は受蘊。対象に対して事物を感受する心の作用のこと。第3は想蘊。対象に対して事物の像をとる作用。第4は行蘊。対象に対する意志やその他の心の作用のこと。これら3つの心作用は,心王所有の法あるいは心所といわれる
。第5は識蘊。対象を了別識知する心そのもの。識蘊は心自体のことであるから,心王と呼ばれる。仏教では,あらゆる因縁に応じて五蘊がかりに集って,すべての事物が成立しているから,五蘊仮和合,五蘊皆空と説かれる。 (→五大 ) >>322
直接の説明にはならないけど 同じ中論の中で大覚と小智という言葉で仏と俗人の心の状態の違いを表されてるよ
https://zapo.exblog.jp/3917561/
仏の境地(大覚)は広く照らされた(曠照)ものであるが,小智のものは狭い心(隘心)が,まとわり(纏)ついていることを知るのである。
これ(隘心)を照らして,広げなければ,すなわち、存在が有るとか無いとか(有無)の偏見を退治して,出家者と在家者(道俗)を同一の見識にすることはできない。
これを知り尽くさなければ、すなわち、いまだ途中で悟りきれず、生死と涅槃の二つの状態(二際)をなくすことはできない。
道俗の偏見を無くし、二際なくすことができないということが、菩薩の憂いである。 >>329
>煩悩を滅し尽くした如来に衆生と同じ喜怒哀楽の作用が有るという考えが受け入れ難いのですよ
成る程ですねぇ。
ここら辺は天台教学に絡んでまいりますが、如来にも衆生の心を理解するために喜怒哀楽がありその作用を示されるって考えもあるそうです。 >>331
日蓮教学と五時八教説のイメージから天台教学に余り関心が向かないんですよね
漢訳阿含経よりもアーガマ 漢訳大乗経典よりもサンスクリット語からの原典訳が解りやすいのでそっちに意識が向いてるというのもあります
原語から漢語 漢語から古文の読み下しを経て現代語訳になった二次訳 三次訳でピンと来なくて 原典訳を探してやっとしっくり来る事もしばしばです >>330
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ
>存在が有るとか無いとか(有無)の偏見を退治して,
出家者と在家者(道俗)を同一の見識にすることはできない。
ここがポイントの様な気がしますwww
お話変わって
曼荼羅の世界にも如来・沢山の菩薩・五大明王がいると思うんですけど
詳しくは分かりませんが
沢山の菩薩様は衆生を救うんですよね?
五大明王様も衆生を救うんですよね?
五大明王様のイメージとして喜怒哀楽の怒る姿かなぁと
怒る仏様っていませんか?w
ウィキペディアより
>「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、
仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、
外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、
極めて積極的な介入を行う姿である。
不動明王は大日如来の教令輪身とされる。
煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。 不動明王・・・ヤンキーのボス格 実は元シバ神という噂も
降三世明王・・・シバ神ボコッたことのあるヤンキー
軍荼利明王・・・小物のヤンキー軍団を率いる愚連隊長
大威徳明王・・・狂暴なヤンキーで、死神もボコる
金剛夜叉明王・・・元人食いヤンキー >>336
∞ノノハ∞
川^〇^ハレワロタwww(≧m≦) >>334
「存在」についての話ね
内面の喜怒哀楽がどうかについてなら 例えば蓮華色比丘尼は凌辱された事を自ら長老達の前で何も感じなかったと告白して 長老達は禁じられた快楽を感じたのではないかと問うた訳だけど ブッダはそれを否定してるのね
快楽は特に苦痛の反対だから 同時に苦痛も感じないか又は小さかったのではないかな?
明王は通常悟りの度合いで如来や菩薩よりも下位で天部よりは上だから まだ仏ではないよ
憤怒尊が恐ろしい姿をしてるのは悪魔でさえ改心させる為にであって内面の怒りではないんだよね
恐がる心に問題が有るんだよ
で教令輪身の役目が所謂折伏と呼ばれる強制入信 ね
某宗教団体のは偽物
原則的に処罰は明王部や天部の行いだから 菩薩より上は処罰感情すら無いのね おめーら台風でバタバタ死んでるようだけど元気だなwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なりwww
笑っちゃ魚www >>339
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ菩薩様はお釈迦様のように如来ではありませんでしたね
では喜怒哀楽は仏では無いので有ると考えて良いと思いますけど?
菩薩より上は如来の他にもあるんですか?
喜怒哀楽なんですけど
悲しい場面見たダケで涙が出たり
逆に悲しい場面なのに意に反してお腹がなって誰かが笑うとつられて笑ったりw
種の貯蔵の阿頼耶識によるものか?なんて思った事あります
から >>340
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ千曲川氾濫して被害出たね
魚ちゃん家大丈夫?
麦っ家の方ちょっと停電になった おらはもうちょいで救われたのじゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なりwww
笑っちゃ魚www 間違えた、もうちょいで水に漬かるところだったwww
笑っちゃ魚ww >>345
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ麦っち方の川も氾濫寸前だったみたい
3個隣りの町内の5軒屋根飛んだ こじ君が心配だなwww
広島からレスキュー来てたぞ栄進www
山口も来てたwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なりwww
笑っちゃ魚www >>341
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ貴方も人格否定されるんですねwww
でおーたんの事言えないでございますよwww
オホホホホホwww ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ先輩っち川の傍で台風になると寝られないって言ってた
川の傍は怖そう >>342
如来より上は今のところ無いよ
一口に菩薩と言っても大乗には52の階位が有って一つ違えば天と地の差が有るとされてるよね
原始仏教では単に悟りを開く手前の状態だけど 苦を無くすには欲望と快楽を捨てるという手法で不死の境地を得た現世の如来が居るけど
始めから悟ってる法身の如来やゴータマよりも遥かな昔に涅槃入りした報身の如来とでは教えが違うというのが大乗だとして喜怒哀楽を持ったままどうやって苦を無くしましょう?という問いにはどう答えたら良いのかな?
大乗派生時には大欲得清浄は無いから どうやって議論巧者揃いのインドの仏教徒を説得出来たのかに鍵が有りそうだね? >>348
時にはね
尊格を冒涜したら仏教徒じゃ無くない? >>350
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ四諦ですもんね
当時はどう論破したんですか?
論破は出来ないかもですけど思い浮かんだのは
>喫茶喫飯
>空手把鋤頭歩行騎水牛 >>351
∞ノノハ∞
川^〇^ハレそうでございますねwww ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ2時間程席を外します失礼致します >>352
大乗派生後も三百年位は両方混在してたんだよね?
大衆部と別れた事で上座部はより専門化して言って在家は単なるスポンサー状態で教義もちんぷんかんぷんだったんじゃない?
其処にバラモン出身の龍樹登場
当時最大部派だった説一切有部と大論争の果てに それこそ破折屈伏させたのよ
相手の論法だとこうで自分の論法ではこうだと対比させて悉く粉砕
内容見ても高度過ぎて頭痛をこらえながら何度も読み返さなくちゃだから 確実な事は言えない 笑
ただ説一切有部の文章を読んでもそれなりの説得力は有ったから やっぱり龍樹が天才だったんだと思う
元々バラモンの法力が使えた上に当時有った仏典全てを九十日で読破したっていう有る意味モンスターだからね
ただその後のインド仏教の衰退を考えると良かったのかどうか…
先にスリランカに普及してた分別説部が東南アジアに布教したおかげで釈迦の時代の仏典も残ってて ある程度元々の仏教がどうだったのかをかろうじて知る事が出来てる
現在にまで至る上座部と大乗の議論は龍樹抜きには語れないだろうね >>355
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ貴殿はどのように論破出来ますか? >>358
∞ノノハ∞
川^〇^ハレカムイたん♪♪♪o(^o^ )oo( ^o^)o
朝出勤する時は呼吸に意識して歩いています
意識にあげるか意識にあげないかの差ダケって思う様になりました >>356
基本的に上座部とは論争にならないよ
彼等は未だに日本の大乗仏教全体が上座部を小乗と蔑視してるという認識だから「一部のカルトがすんません」っていうスタンス 笑
自分の宗派を学んでく過程で元はどうでどういう経緯で今に至ったのかに興味が湧いて来た所だし 基本からおさらいして初期大乗 中期大乗 後期大乗(密教を含む)と通って核心部分を掴まえたいんだよね
特定の部派宗派から見たら中途半端に映るだろうけど 全部を網羅するには時間が足りないから 核心部分を探しあてて其処だけに集中したいかな >>360
∞ノノハ∞
川^〇^ハレカムイたんに教えて貰って初めての時の方が今を感じました また誰でも朝鮮人に見える病人が湧いて来たか?
両親とも地方の武士の家系だから有り得んのだけどな
妄想には早期入院がお勧め
っていうか息するだけで日本の迷惑だから ウリスト教徒はさっさと半島に帰れば? >>364
そう、消えちゃうんだよ。
かと言って、過去の感覚を握りしめてもダメ
もう、今じゃないからね。
螺旋階段のようにくるくる回ってる気がするんだけど、少し上に上がってくる感じだよね。 >>361
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ麦はまだ大乗仏教さえおぼつきませんwww
龍樹の中論は空を説いていると思うのですけど?
如来は中道との事でしたが如来は喋ったり思考が出来ますか?? >>366
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ以前と違うのは妄想だって思う事ある >>367
中道って過去も未来でもなく今
もしくは、好き、嫌いの分別のない所
こんな所ですかね。 >>368
今、部屋を見回してあるもの以外は全部頭の中
つまり妄想。 すみません ('A`)
朝鮮の戦争が朝鮮学校で学んだ日帝からの解放戦争は嘘で
只の内輪もめだと知って吐いた
日本人在日コリアン社会でどうやら嘘をついているのは
我々と我々の前の世代だったのか >>369
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ喋る事も出来ないですよね? >>367
まず上座部仏教と大乗仏教で如来のニュアンスに違いが有るよね
上座部以前の仏教では現世の釈尊だけが唯一の天人師にして如来だけど 大乗の如来は実在したかどうかも確認が取れないのが殆ど
互いに別次元なのに争う意味は有るのか?ってなるよね >>372
理屈になりますが、即今を語れない。
ですが、今あなたはスマホなりキーボードに触れてそれ打ってますよね。
つまり、その指で今に直接触れてるんです。
指で触れる感覚が今です。 座ってるのなら、お尻の感覚、足の裏の感覚
これ、今に直接触れてるんです。 >>374
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ思想になっちゃいますね >>375
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ麦はまだ大乗仏教さえおぼつきませんwww
龍樹の中論は空を説いていると思うのですけど?
如来は中道との事でしたが如来は喋ったり思考が出来ますか?? >>376
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ麦は南無妙法蓮華経を唱えながらはスマホから書き込みは不可能でした
南無妙法蓮華経を唱えながら手足は動かせました >>371
人間は誰しも嘘を吐くよ
ただそれが嘘や間違いだと確定した時にどういう振る舞いをするかで自国民の評価に影響する事を日本人は知っている
半島人や中国人が世界的に低評価なのはすぐ隣に自分の非は潔く認める民族がいるからだ
見習うか足を引っ張るかも国民性 民族性の評価になり得る
ラグビーじゃないけど日本人はずっと昔からワン フォア オール オール フォア ワンの精神が息づいてるんだよ
帰属集団の名誉の為なら 自分の命さえも投げ出す
君達が同じ精神を身に付けたら評価はガラッと変わる >>378
>>>375
>∞ノノハ∞
>川^〇^ハレ麦はまだ大乗仏教さえおぼつきませんwww
>
大乗仏教の要は衆生本来仏なり
>龍樹の中論は空を説いていると思うのですけど?
龍樹って俺知らないんだよね、禅で龍樹の名前出ないんで。
俺が思うに空って今じゃないかな。
永遠の今って言うし
>如来は中道との事でしたが如来は喋ったり思考が出来ますか??
まぁ、この辺も周り見回しても、如来も中道もないよね。なんで方便か理屈くらいに思えばいいよ。
一つ大事な事、仏教で言う迷いとは、分別している状態を言います。
好き嫌い、正邪、迷悟
元々同じものを分別しちゃって迷ってる。
元々同じって所を空って呼んでんじゃないかな。 >>380
俺が言いたいのは、頭でなく視覚、聴覚、感覚から今を感じなさいと言ってる。
思考で今を感じられないんだわさ。 >>383
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ好きは好きで分別しなければ好きなのかなぁって思うんですけど? >>385
俺がやってるのはね、好きな相手、嫌いな相手どちらも同じ態度を取る。
要するに、どんな相手でも油断しない、隙を見せない。
そうするとさ、好き嫌いの以前の感覚がわかるんだよね。 この一輪の花を見るのにもまるで幻を見てるようだって話しがあったなぁ。
どう言ったもんかなぁ。違うんだよな〜。ズレてるんだよなぁ。 >>387
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ仕事でやってるけどw
麦は顔に出てると思うwww >>389
いや、間髪入れずに顔に出すんだよ。
それが隙を見せない、油断しないってこと。
ただ、仕事となると、顔に出したらまずい所もあるんで、ケイスバイケースですね。 むかしむかし あるスレに 反吐が出るコテが居た。
気取って トーマス と言う ふざけた コテだった。
世の中には こういう輩も居ると言う事を知る。
これが 地獄だろう。 >>390
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ感覚はダイレクトに分かりますね 手ぶらのジェットストリ〜〜〜ム!!!
あなたは何十年と旅を続けて来た。
物心付いた頃から色んな出来事が起こっては消えて行き、あなたは大人になったと言うかもしれない。
しかし、その何十年という月日は本当にあったのだろうか?
身体にとっては長旅だったし、大変な思いもした事だろう。
しかし、その体験の奥にある意識はじっとしたまま今も昔も変わらずそこにある。
あなたが訳も分からず泣いていた頃から内奥で黙ったまま、ひっそりとしている。
喜怒哀楽の向こう側で、或いは喜怒哀楽の只中で沈黙している何か。
そこでは時間は経っていない。
あなたが生まれる以前の太古の昔から…………
トムウエイツ「タイム」パチン☆!!
see-you⌒☆
https://youtu.be/3_eR0IVSOhY >>393
あなたは胸の奥にある意識が太古の昔から存在していた
このように感嘆しているわけだが
胸の奥にある意識はあなたに現れてきたのではなかろうか
よく目を凝らして見れば
その胸の奥にある意識は、あなたが沈黙した時
あなたに意識される対象として現れているだろう
これを沈黙の感覚と呼ぼう
それを見て、あなたは、これが真の私だという
そして、これは、いつも存在していたと繋げている
果たしてそうだろうか?
あなたが沈黙した時だけ、それはあるのである
この世の一切のものは無常であると佛が言ったと聞いた
太古の昔から永続するあなたは一切のものでない
一切のものでないものはあなたには知られない
沈黙の感覚は永続するものではなく
あなたが沈黙した時だけ現れているのではなかろうか
まあ、わからんけどなあ、笑 >>383
>龍樹って俺知らないんだよね、禅で龍樹の名前出ないんで。
性懲りも無くいつのまにかカムイが涌いて出てきてるw
禅宗では西天第十四祖、迦毘摩羅尊者の法嗣にて伽那提婆尊者の師だよ。
一度でも専門道場の門をくぐった奴なら、仏祖名号を称えてるはずだから知ってて常識だけどな。 >>393
手ぶらは、柿猫が変なスレたてたから、そっちに行った方が良いよ。
ここは仏教スレだからなw >>383
>大乗仏教の要は衆生本来仏なり
宗派によって違うよw >>383
なんだか知らねーが、適当にデタラメ抜かすなよw 今にいる
いまここに生きる人たち
等と言われているが
今にいようとする必要性、これがハジにはイマイチ理解不能なのである
今というのは、もちろん、思念で把握不能である
今と思った時には、今はもうすでに、やってきて、過ぎ去っていった
動きの中にあるわけで
感覚を感じるというのは、わかるが、今ここにいるというのは、まあ比喩なんだろうが
しかし、今にいないものなど、何処におるのよ
と思わんでもないわけで、、、 >>384
>俺が言いたいのは、頭でなく視覚、聴覚、感覚から今を感じなさいと言ってる。
>思考で今を感じられないんだわさ。
デタラメ抜かすなよw
今を感じるのは前五識に併起する意識だよw
眼耳鼻舌身意がそのまま色声香味触法である事(現量)を意識が認識(比量)するんだよ。
そうした即今而真っていうのも元を辿れば法華経の諸法実相に由来する考えな。 少し妄想を言わせて貰おうかなぁw
なんだか即今教徒やありのまま教徒の馬鹿さ加減が目に余るのでなぁwww
そういうのは法華経の諸法実相に由来し、その諸法実相って言うのは鳩摩羅什の意訳だからねーw
今があるだけとかありのままとか、鳩摩羅什の意訳の延長線上にある雑魚向けのチープな思想をそれとなく盲信して、鼻息を荒くして踊らされてる馬鹿は、ほんと、カルト宗教に騙されてり馬鹿と同じだわww 訂正
×カルト宗教に騙されてり馬鹿と同じだわww
◯ カルト宗教に騙されてる馬鹿と同じだわww 本当に即今なの?
本当にありのままなの?
そこら辺の仏教書を読んで生半可な知識を身につけてそう妄想してるだけじゃないの?
即今って仏典の根拠あるの?
ありのままって仏典の根拠あるの?
根拠を求められてパッと出てくる?
応用が効く? 口先だけのゴミカス馬鹿のレスは要らねーw
そういう奴は柿猫スレに行って、違いに馬鹿の傷を舐めあってオナニーしてろやwww カムイがいませんな?どうした?
神戸の教員いじめは隠蔽の疑いからすでに私は掴んでいた。
課外教員は全員ポアしろ。
全身の骨を折って肉をそぎ取って
八つ裂きにしてゴミ箱に捨てておけばよい。
教員が特定されないのは、情報を公開する前に
事前工作が行われていたからだろう。
そんなものは私の前では通用しないのだ、ばかめ。 真理内在論と真理顕在論があるとして、真理顕在論に夢想してオナニーボケしてんじゃねーよ、猿w
坐禅しろ、坐禅!
坐禅だよ、坐禅!
坐禅!坐禅!坐禅! 平和ボケみたいなもんだな。
ありのままだの即今教徒は。 なにが「みんな仏」だw
ただの堕落の極みじゃないかw 410.坐禅=バカ坐り、をするバカ大山である。
大爆笑である。 >>378
> >>375
> ∞ノノハ∞
> 川^〇^ハレ麦はまだ大乗仏教さえおぼつきませんwww
>
> 龍樹の中論は空を説いていると思うのですけど?
> 如来は中道との事でしたが如来は喋ったり思考が出来ますか??
応身の釈迦如来はご存知の通り
過去七仏は時間間隔が有り得ない程の昔なのにインドの地名と人名が出てくるから保留
大乗の如来は瞑想中に複数の修行者を通じて現れて教えを説き始めたっていう話だから思考は出来るんじゃない?
居るとも居ないとも断定出来ない空性の存在だから信仰の域を出ないんだよね
面白いのは最初に涅槃の釈迦が瞑想中に現れて語りだした頃に上座部にも似たような話が有って 何かの経典に残したっていう不思議話を何処かで読んだよ
だから初期の仏典にもニカーヤとかのこの世ならぬ話が有るのかとも思うけど 目に見えない世界の存在は全否定も全肯定も出来ないね
強いて言えば是諸法空相としか… カムイが来ているw
ハジさんの疑団の方が面白い。
見るを止めるに疑問を呈する。
締めくくりの頌として悉斷一切見 と竜樹はいっているが https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/40471515.html?__ysp=5oKJ5pa35LiA5YiH6KaL
一切法空故 一切の法は空なるが故に
世間常等見 世間は常なり等の見は
何処於何時 何れの処、何れの時に於いて
誰起是諸見 誰かこの諸見を起こさん
グ曇大聖主 グ曇大聖主(ブッダ)は
憐愍説是法 憐愍(れんみん)して是の法を説き
悉断一切見 悉く一切の見を断ず
我今稽首礼 我れ今稽首(けいしゅ)して礼す
あらゆる存在は空であるから
世界は常住であるか等の諸見は、
何処に、誰に、何故に、生じるのであろうか。
一切の邪険を断じるために
慈悲によって正法を説いたブッダに
私は敬意をささげる >>399
そもそも時間には始まりも終わりも無いんだから 今だけを切り取る意味は無いし 次々過去に流れてくんだから今に止まる事なんて出来ないでしょ? >>418
坐禅とか続けてると、永遠の空間にポツーンといるように感じるよ。 幻を現実とみる人にとっては
何だってあるでしょう
私にとって何かしらの方法で
感じられるものなら
何でも接することのできる
対象になるんだし >>419
感覚的にそうだという事と物理的に今に止まる事が出来るか?という事は別でしょ?
意識だけ今に止まったとしても体はそうはいかないんだから
その感覚が肉体の安全に依ってなされてるのなら 果たしてその永遠は真実か?というのも疑問
そのままだと餓死するけど 大抵の人はその手前で引き返すでしょ? >>422
頭で思い描いたところでなーんも始まらん >>418
永遠と流れ続けるのだが
われわれがいる場所は、いつも今ですよ
過去にも未来にもおれない。思うことはできても。
留まっているわけではなくて、流れるままに今です >>423
論理を捨てろなんて釈迦が言ったか?
瞑想が悪いとは言わんけど 基礎を無視した所に果報は期待出来ん >>424
だから過去現在未来を切り取るのは人間の主観だって >>425
今から離れたりくっついたり出来んの? 笑
普通は意識しようとしまいと今から離れるなんて有り得ないけどな >>428
それを、理屈なしに自覚する事が悟りですよ。 >>427
ものごとが生じ滅して現象し続けていることを論理的にアナライズしたのが
佛教ですよ。
客観的に「ものごとが生じ滅して現象し続けていること」があれば
そこには過去・現在・未来は論理的には現象しています。
主観ではないですね >>429
それは詭弁
仏典から離れた座禅なら別の宗教として見るしかないね で、「やったしまったこと」が種となり、
タイムラグを経て
結実してくるので、
今、できるだけ良い種を蒔きましょう
と仏教は説くのですよ >>430
自覚した事を論理化出来ないの?
ならブッダじゃないじゃん? ま、わたしは悟ってないんでね。
俺の話は適当に流してたらいいよ。 >>430
うん 仏教でもなんでもいいから 半島に帰ってやって。 >>394
やぁ、ハジくんおはよう。
釈迦は「財も自分のものではない、子も自分のものではない、ましてやその身体がどうして自分のものであろうか」と言った。
「身体は色々なものが集まって出来ただけのものである」と。
つまりこれは、あなたの本質は意識であると言う意味だ。
あなたに意識が起こるのではない。
分割不可能な純粋意識にあなたという個の意識が生じる。
それは精神的な死によって感じ取る事が出来る。
あなたには名前も形もない。
この世界にあなたのものはないのだよ。
個人的なあなたは幻想だ。
そのあなたの見ている夢、それはあなたのものだ。
何故ならその夢を見ているのはあなたでありあなたしかいない。
そういう意味で言うなら世界はあなたのものであり、全部あなただよ。
最高じゃないか!!
ごきげんよう!!! >>431
一瞬足りとも寝たり気絶したりしなければだね?
遠い過去の記憶に入って過去を今として観る事も有れば まだ見ぬ未来が夢として現れる事も有るけど どれも感覚に於いては今だし物理的にはそれぞれの時間だよ
今を強調する事に意味は無いね >>433
それ以上何の種も蒔かなければ迷いの花は咲かないというのも仏教だが? 達磨さんは中国までわざわざきて、なんで8年坐禅しかしなかったかわかる人いるかな? >>439
気絶して意識をなくしても今は今ですよ
「過去を今として観る事」「まだ見ぬ未来が夢として現れる事」は
それを映像として見ている今であって、過去と未来が今ではないです。
百年前の映画の映像を今見ていても、百年前が今にはなりません
あなたは今を理解できてないようです
>>441
生きている限り良しにつけ悪しきにつけ種を蒔くのでは?
覚りの花の種だってあるんです。佛種ですね >>442
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ本人じゃないからねwww
想像するしかwww
皇帝が布施をした見返りあるか?と尋ねた
達磨さんの答え“無い”
皇帝が悟りとは?って聞いたんだっけ?
達磨さんカラッと晴れてる
皇帝貴方は誰か?
達磨さん“不識”
弟子になろうとした人片腕切り落として凄過ぎ
麦の想像
達磨さんは“背中を見せて語っていた” >>444
そうですね。
達磨さんは言葉でなく坐禅で示して、弟子を待ち続けた。 >>443
単なる映像じゃなくて肉体の感覚も有るけど 他人の経験まで知ったかぶりする様じゃ話にならん
今と今でないものを分ける明快な基準も無いんだから 一考に値しない
アンタのは単なるいちゃもんでしかないからもう下がって良いよ
耳学問を他人に講釈する程じゃない
げんに誰も興味を示して無いだろ?
つまんないんだよ 達磨さんは毒殺されたと言うか、もう逃げ切れないと自分から毒を飲んだ。
このスレもそう言う悪因縁を持つやからばかりなので気をつけて。 >>446
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ貴方も目糞鼻糞フヒヒwww >>447
∞ノノハ∞
川^〇^ハレお釈迦様だってカースト否定するような事を説いてヤバかったんじゃない?
仏教団体になった時に年功序列などルールをお釈迦様は作ったけど
争いが起きない為なんでしょうけど世俗諦だとルールが必要になるねwww >>449
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ何を枯らすの?? >>442
9年でしょ。最高の説法じゃない。真実を世界に大宣伝。 >>451
なんか、覚者は大変だよ。
道元さんもかなーり嫌がらせされてるし。 >>453
じゃ聞くね。
道元さんはなんで、あんな大層な書物書いたの? >>455
本人じゃないので何ともw
まぁ、当時の日本の現状に嘆いて敢えて檀度となったと言うことでしょうか。
て言うか私は昔、勉強したことはほとんど忘れましたw 覚者は違う形で同じものを示しているんで、こちらが悟りに近づくと実はわかる。 まぁゆっくりいきましょう。
コーヒーでも飲んでほっと一息。
こっちはめっちゃいい天気だよ。日射しがあったかいねー。 共通項以外で話せば分裂するしかないかな
https://budda.exblog.jp/3842321/
ブッダは何を悟ったのか?
これまで、ブッダ研究者の見解を、仏教学者とインド思想研究者に分けて紹介してきたが、それぞれの側でも立場や主張はさまざまなようである。
当然、もっとも先鋭に対立するのが、前者のなかの仏教原理主義者とでもいうべき仏教信者のグループと、彼らから「外道」呼ばわりされてきた怨念に燃えるラジカルな後者のグループである。
ところが、ことごとに対立する両者の見解が、「結論において」見事に一致するケースがただひとつある。それは「ブッダは、成道において、何を悟ったのか」という問題である。
要するに、いずれもが「それは十二支縁起(因縁)である」と強く主張している。というのは、これまでの大勢は「これあるとき、かれあり」にはじまる簡にして要をえた「縁起の法則」だからからである。 思想の話してるからじゃない?
少なくとも私は思想の話はしてないなぁw
思想や仏教学を否定してる訳じゃないですよ。
今の日本の社会にとっては必要とされるんでしょうね。
私には難しすぎて無理だから頭の良い方々にお願いしますw
私は何の話してるかな? そもそも話なんかしてるか?w
こうやって対話不可能だけど通ずるものの話かなぁ。
個人的には伝えたい気持ちはあるけど、言葉にできないなぁ。
昔の人スゲーってなってるw >>462
宗派も背景も違う人間同士が話そうと思えば 共通部分で話すしか無いでしょ?
専門用語並べ立てて自宗の話をすればお互いにちんぷんかんぷんな言い合いにしかならないよ
お互いに戒も依経も宗義も違うんだし
有る宗派の宗教体験が別の有る宗派の捉え方では魔境とされてたりするのが日本仏教のややこしさだから 結局共通部分を定義してその範疇で話すのが一番良いんじゃない? >>458
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ暇人たんは反面教師の役割として生を受けたとかwww
色んな役割がありますねwww
でも暇人たんの畑を見ると几帳面なんですよねwww 世間一般の仏教で娑婆って言うんですか。
普通ならそれでいいと思うよw
でもこれ仏教だからねぇ〜。 玉石混交なのね。
色んな人が色んな思いに基づいて投稿してるよね。
だからこうなったら好きなように書くのが一番だと思うよw
まぁ私は少なくとも専門用語はほぼ使ってないですけど。
修行とさてる方と、思想とされてる方に共通することなんてあるのかな。
いかに精査したとて戯論にしかならないと思うけど。
龍樹菩薩が何と仰ってるか正確には知りませんが、
一切の見を断じようとされてるんじゃない。
私の場合、早々に降伏した口なんでw 目、耳、鼻、舌、体、想いの活動に、気をつけている
ということを、今にいるとか、いまここに生きるという風に言ってるんじゃないん?
静かに整えられた心で、六根と対象の次々と移り変わる様
つまり自己の全活動を観る
頭で認めたことには用はない、か
この、心を落ち着けて、止めて、が肝心で
それから、現れてきた目線で、己の活動を見る
それに釈迦は、過去現在未来の何れにも、心を留めないみたいなことを言ってたような
過去にあったものを枯渇せしめよ
未来には何もないようにせよ
現在においても取ることのないならば 要するに瞑想してることの話
いまに生きる=瞑想してる
いまにいない=妄想してる
今というとしかし、今に誰でもいるやんとなるから
瞑想するの方が断然、わかりやすい 本来は佛であるけども
修せざるには現れず、証せざるには得ることなし
本来の己の活動は佛が活動してるのに
我という想いがくっついて、頭の中の、というか
脳裏の暗闇の中で
今とは、なんじゃ、かんじゃ
嫌だ好きだ
快感味わいたいなどと
考えすぎてるから、その脳裏の暗闇の世界から
この目の前の世界へ飛びだして来なさいよーと
佛の世界へと 「兵隊やくざ」面白かった
勝新サイコー(´・ω・`) >>464
例え話の種だから
実際の農作業が丁寧かどうかの話じゃないんだよね?
奴さんのは学者が仏教を外側から見ただけの印象で言ってるのとあんまり変わらないよ
データは有ってるけど感想がショボいみたいな 笑 昔、スナックで飲んでた時に
こわいオジサンがいて、まあ、ちょっとヤバめの人だけど
酒が回ってるから、よく話すし、機嫌良い
破天荒人生
この人がハジの暗そうな顔を見て
陰に籠ったらあかんに前を向いて進んでかんとなあ
みたいなことを言っていた >>466
教相事相は二輪の車っていう言葉が有ってね
学問だけでも修行だけでも車が曲がって右往左往するのよ
真ん中の道を進まないとね
一切の見を断じた所で原点からリスタートするというのが主意じゃない? >>467
経典には修行法も含まれるのね
ただ闇雲に瞑想するのは迷走の元
始めにやり方を知ってからじゃないと 何処に行くか判ったもんじゃない
https://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/hotoke.html
<見所断の煩悩>は四諦などの真理を理知的に理解することで断ち切ることができるので簡単である。
しかし、<修所断の煩悩>は四諦などの真理を単に理知的に理解することでは断ち切ることができない。
理知的な修行だけでは取り除くことが困難な根深い煩悩とされる。
三昧(禅定)を修行して真理の観知を繰り返し行うことによって、初めて断ち切ることができるとされる。 465
歌を忘れたカナリヤは焼き鳥にもならんから 出てこんでよろし >>467
それだとちと私が言ってるのとは違うなぁw
だから瞑想ってのも違うなぁ。ゼロ距離、ゼロ時間w
>>473
そこがやっぱり違うよね〜w
一切の見を断じてそこから見えるものを見せたかったんじゃないかな〜。
私が出会った人は大抵がお勉強の方ばっかりよ。ここでもそうじゃないかな。
ちなみに私が言ってるのも修行でもなんでもないかな。
じゃあ一体なんの話なんだよ〜!ってw
何でもない話ですのでお気になさらず。 >>419
>坐禅とか続けてると、永遠の空間にポツーンといるように感じるよ。
心療内科に行きなさいw >>421
>頭で思い描いたところでなーんも始まらん
仏教の基本は聞思修だよ。 >>423
>>>422
>頭で思い描いたところでなーんも始まらん
仏教の基本は聞思修だよ。 >>425
>頭使うから今から離れるんだよ
使ってるうちも今だよ。
そうやって分別してるだけだろw >>474
素晴らしい!
正に、根深い想いは、すぐに消えない
でも、このポイントを発見することを一種の悟りと言っても問題ないのではなかろうか
明らかに普通の人間には理解不能なことである
もちろん釈迦とかブッダと同じだとか言い出したら、勘違いも甚だしいが、笑笑
よちよち歩きの赤ちゃんと、大人の男も、同じであるというような感じで
しかし、よちよち歩きの赤ちゃんも、生きて練習するなら、歩けるようになる
そのようにして練習するなら、段々とあやふやだった、何となくのポイントが明確になり
さらに、それを練習することで確かなものになり
自分の苦手なことも判明したりと、いろんな事が
そうして、頻繁に瞑想していくことで、根の深い業に絡め取られることの少なくなり
絡め取られることのなくなれば、あとは、業の尽きるまでの時間の人による、人の抱えたものによる多少のみと
しかし、まず、よちよち歩きの赤ちゃんとして、生まれることには、これは大変な意味があるわけで
(˶⌒ワ⌒˶)〜なんちゃって♪ >>430
>それを、理屈なしに自覚する事が悟りですよ。
wwwwwwwwwwwwwww
心療内科に行きなさいw
外道は他スレ、柿猫スレに行けやw >>442
>達磨さんは中国までわざわざきて、なんで8年坐禅しかしなかったかわかる人いるかな?
一回坐禅会に行った程度で生意気な口きくな。 >>476
一切の見が断ぜられた時に見えるのは重力の無い無限の暗黒空間 他者もいなければ自己も無い
肉体も無いから自分が何で有るかすら解らないよ
見える物も聞こえる音も嗅げる匂いも味わいも呼吸も 想えるものも何にもない
だから理解するべき事もない >>459
>覚者は違う形で同じものを示しているんで、こちらが悟りに近づくと実はわかる。
だから、心療内科を受診行きなさい。
それから、そういうのは柿猫スレでやれ。
ここは仏教スレ。 >>485
あ、見てそう言う意味なの?
てっきり見解かと思ってた。
私が言ってるのは一切を対象としなかったらどうなのか、ですね。
一切だから作為的にそのような状態を作り出すのもペケですね。
仏教だとか、経典だとか、修行だとかもそっちのけですw
ま、会話にならんと言われたらそれまでです。
会話にはなりませんねw その引用サイトの話だと
初めて法の流れにはいった人が預流果とある
これもひとつの悟りとハジは思う >>442
それはな達磨の法を聞く準備のできた者をを只管待ってたんだよ だからそういう仏教とか、経典とか、修行を否定してるわけじゃないですよ。
わたしには無理なんで賢い人が大いにやられたら結構かと思います。
対象としないからって何もないわけじゃないんですよね。
私が説明してしまうともう違うものになってしまうので、
興味ある人だけご自分でやってみたらいいんじゃない、くらいのスタンスですw 即今だのいうのは唯識仏教でいう現量だけど、その程度の認識に鼻息荒くしてW俺様悟ったんだぞーWとか、余りにも程度が低すぎてお笑いなんだよ。
もちろんそれは大事な認識だけど。
意識は三世(過去・現在・未来)に亘って思量が及ぶけど、その思量が坐禅等で一時的に休まった時、一刹那でも現量に触れた時、それだけ感覚が研ぎ澄まされているって事になるんだろうけど、そうした体験は誰でもする。
でも、そんなのは単なる通過点で、その程度の体験で鼻息を荒くしてるのは、アホ。
また、そこにとどまるとそうした体験が澱んでしまい魔境と化す。
カムイはそうなってる。
だから、思い切って叩くしかない。 >>488
作為的じゃないよ
問題の原因を遡って行ったらいきなりその場面に行ったというだけ
どうやって戻ったら良いのかはまだ判らないけどね >>490
四向四果と言って預流果の手前に預流向が有るけどね
正規の教師の判断が無いと判らない段階じゃないかなと思う バカムイよ?
木刀背負って原付乗って村を徘徊するキチガイは、柿猫スレでオナニーしてろ。
お前に禅は勿体ない。 >>470
勝新は最高だ。
是非とも彼の演じる影武者を観てみたかったものだ。
残念ながら主役の座を降ろされたがね。
黒澤は一喝した「監督は二人も要らん!!」と。 >>442
>達磨さんは中国までわざわざきて、なんで8年坐禅しかしなかったかわかる人いるかな?
それが日課だからだろ、バカw >>499
>今してることを只する
wwwwwwwwwwwwwwwwwww
吹いたw
それ自体がもう既にアッパラパーでおかしいんだよ。
竜樹尊者の中論でも読め、バカw
W行く者は行かないWんだよw
分かるか?
してるものはしないんだよ、既にしてるかなら。 502.仏教知識で悟れないバカ大山が言う、ことである。
大爆笑である。 >>496
ネットで見たら
有身見と疑と禁戒取が無くなるってあるね
こりゃハジは違うけども
けっこうすごいことやんね さる山流小我宗君とユニークなメンツが増殖してんなあ笑。 有身見(巴: sakkāya-diṭṭhi)とは、sak (存在する) + kāya (身体) + diṭṭhi (ディッティ) であり、五悪見のひとつとされている
一般的には「各個人の信条」や、単純に「自己視点」とされ、「恒久的な存在、魂(attā)が存在するという、蘊の信条」である
仏教では魂(attā)が存在しないという、無我(アナッター)の立場を取るためである
パーリ経典では、釈迦は以下のように有身見を記載している
人々の持つ悪見は、どのように不適切に形成されるのか
...人々はこのように不適切に考える
私は過去に存在したのか?
昔の私は誰だったのか?
私は将来も存在するのか?
将来の私はどうなっているのか?
これは私であるのか?
これは私ではないのか?
私は何なのか?
私はどうなっているのか?
私はどこへ行くのか?
このような間違った方法で考えるものは、これら6つの見(ディッティ)に至る
私は自己を持っている
私は自己を持っていない
私の自己と知覚しているものは、それが自己である
私の自己と知覚しているものは、それは自己ではない
自己がないので、私の自己は分からない
これこそが私であり、私の自己は一貫している
比丘たちよ、これらは見の棘、見の荒野、見の湾曲、見の束縛、見の足枷と呼ばれている。
―パーリ仏典, 中部 2.Sabbāsava Sutta, Sri Lanka Tripitaka Project >>506
Wikipediaの引用ね
書くの忘れちゃってた、、、 ID:hcYUXuLNが
さる山流小我宗君を指摘する。
小我宗ぶりが露わになるか注目! まず、行くものは行かない。行かない者は決して行
かない。行くものとも行かない者とも異なった、ど
んな第三者が、実際、行くのだろうか。
まず、行くものが行くということは、いったい、
どのようにして成立するだろうか。
行くことを欠いたならば、行くものはまさに
成立しないのであるから。
行くものが行くと主張するならば、その主張には、
行くことがなくても行くものがある、という結果
が生じる。行くものにとって行くことがあると主
張しているからである。
さらに、もし、行くものが行くというならば、
二つの行くことがある、という結果が生じる。
それ(行くこと)によって行くものであるといわれる(行くこと)と、
現に行くものであるそれ(行くもの)
が行くという(行くこと)である。
二つの行くことがある、という結果が生じている
ところでは、二つの行くものがある、という結果
が生じる。なぜならば、行くものを除外しては、
行くことは成り立たないからである。
↑
竜樹の詭弁。
行くものが行くのではなくて、
あるものが行く んです。 いまだに竜樹の詭弁を見抜けない人がいるとは
驚き。。。 >>509
>竜樹の詭弁。
>行くものが行くのではなくて、
>あるものが行く んです。
wwwwwwwwwwwwwwww
吹いたw
おい、珍!
命題を変更すれば答えは全て真になるわなwwww まず、行くものは行かない。←現に行っている最中だから行くもの、だ。
行くものにとって
行くことがあると主張しているからである←そう主張しても行くことは一つしかない
さらに、もし、行くものが行くというならば、
二つの行くことがある、という結果が生じる。
←行く主体と行くという行為とは、二つの行くがあるのではなくて
一つの行くの中に「能」(行為者)と「所(行為)」とがあるだけの話
竜樹はそれを分けて「二つの行為」があるかのようにマヤカシを論じている
竜樹を論破するのは簡単 詭弁だから >>511
サル山流小我宗君に関してだが、君は高野山修験の用語に関心があったかもしれんが、
俺は、サル山流小我宗君の高野山真言宗の視点からの歴史認知が議論以前の、暇人並みの「バカなんだ笑」扱いだったんだけどね。
サル山流小我宗君の呆れてしまったレス
30神も仏も名無しさん2019/10/10(木) 20:26:49.76ID:N5cibEQq>>33
>禅定優位タイプなので、読んだ本の内容を忘れて探す気がない、まず。
ま、修験道研究の山岳仏教研究の本でも読んで探してね。
要するに自分で言い出した事の証明責任も果たさず相手に丸投げするだけの卑怯者だって事だな?
議論する資格無いよ
高野山修験なんて高野山真言宗が知らない事を言うから訊いてみたら案の定過ぎて 失笑するわ >>512
wwww
少しは本を読めw
たとえば、「私は(〜を)見る」と言ったとしよう。
では、見る「私」とは、何であろうか。
それは、「私は(〜を)見る」というのだから、その見る前に存在している何ものかということになる。
それは見る以前だけではない、聞くよりも、読むよりも、歩くよりも、走るよりも前に存在している何ものか、つまりあらゆる作用以前に存在している何ものか、ということになってしまう。
すなわち、作用を持たない基体(サブスタンス)としての私だ。だがいったい、そういう現象に関わらない私という存在を、どうやって知ることができようか。
第一、その私って、いったい何なのだろう?
もしそういう私があるとしたら、それが見るとは、どういうことになろうか。
もとより作用を持たないのであるから、どこかにあらかじめある「見る作用」と結びついはじめて見るということもできるということになるほかない。
しかしながら、、いったい、見る作用のみが、どこにあると考えられようか。
これはおかしな話である。
ある意味では、そんなものがあるとすれば、ありもしない幽霊より怖いことだ。
したがって見る作用とは別に私があるということは、どうも成立しそうもない。
竹村牧男.入門哲学としての仏教(講談社現代新書) より引用 >>514
wwww
命題を変更すれば答えは全て真になるって理屈は分かるか?
バカ珍w >>516
命題は「行く」だよ 変更されていない。
一つの行為を「行為者」と「行為」との二つに分けて
二つの行為があると竜樹が詭弁しているということは
わかってないでしょ、ぼくちゃん >>513
高野山修験では、高野山での修験道(活動)なのか、後の高野山真言宗の母体となる集団の活動か分からないからなぁ?
でおーは前者として、その方は後者として解釈してるから揉めてるんだろ、多分。
であれば、W前者の意味で言ってた"ってでおーが言えば、この論争は終結でしょ。 >>518
サル山君は珍さんに似ていて、一度出した空想持論を引っ込めないのです。
屁理屈でゾンビ復活しますので、全部相手する元気がありましぇん笑。 468 名前:学術 2019/10/16(水) 14:49:42.94 0
病気を丸暗記してだれも病気じゃないのに病気の性質が見えるぐらいの偽目で
金を稼いでる詐欺だな。前科者ブラックリストカテゴリー入り決定。 >>517
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
W行くものは行かないWって命題をWあるものが行くWって勝手に変えてるじゃんw
いつものバカ珍らしねぇw
スタートポイントを勝手に変えりゃやりたい放題だわなwwww >>521
情報量少ない珍さんが、大山に議論走るように、
高野山の仏教史の情報少ないサル山君が議論できるという過信、
両者、発想がとても似ているのです笑。 バカ珍や?
竜樹の見解は、二つ以上の項に分裂している言葉は空の立場では成立し得ないという事だろ?
行くものは行かない、つまり、既に行ってるものは行くという事はない、って事であって、別に詭弁でもなんでもない。
ひいては、バカムイの
>今してることを只する(>>499)
という、してる事をするという、二つ以上の項に分裂している言葉は空の立場では成立し得ないという事を非難してるんだよ。
言ってる意味が分かりますか? >>512
>竜樹を論破するのは簡単 詭弁だから
命題を勝手に変更すれば、そりゃ無双だよなぁwwww >>508
いえいえ。そんなつもりはありませんよ。
私なんかよりはるかに勉強なさってると思いますよ。
むしろ小我宗なのは私の方なんで。仏教のことなんてほとんど忘れましたw
勉強するつもりもありません。
私はこれで充分ですので。 >>510
記憶が確かじゃないので保証はできませんが、途中まで読んでなるほど論理的だなと思いましたよ。
確か最初の方に結論を記されてたかと記憶してます。
長いので私は途中で降参しましたがw
当時最も賢い人の一人なんじゃないかな。 >>526
俺もめんどくせえ笑、
やはり俺は邪流?天台本覚論! >>527
八万四千通りあるらしいですね。
行き着く処は同じかな?と思います。
何でも自己責任だからお好きにされるのが良いかと思いますよ。
私はマダガスカルの原住民の様に朝目が覚めると嬉しいというのが理想ですかねー。
TVでやってましたけど本当に笑顔なんですよねー。
貨幣の無い、社会だそうです。 >>518
高野山に修験の本流が有ったっていう一般の認識に無い事を言って於いて藤原道長と三井寺の僧侶が儀式をやったからっていう貧弱な説明をしたからですよ
主流という程の上級僧が関わっていない事は本人が行人方を引き合いに出して証明してますからね
醍醐派は理源大師を立ててるから 公式の場で言ったら紛糾しかねない程の事なんだけど 幾ら5ちゃんとは言えね…
今回も有効な反論無いし アホらしくてレスする気にもなれません >>529
サル山流小我宗君、おこしだな笑。
もう、
>高野山修験なんて高野山真言宗が知らない事を言うから
のレスの時点で閉口なんですけどね。
高野山に修験の本流といえる材料は、サル山流小我君の知らない歴史的事実をたくさん持っていますが、
ソースを出しても、小我的、暇人的ゾンビレスの繰り返しは目に見えてますし、
大山君ほどのサービスしないので笑。 472学術2019/10/16(水) 15:48:33.890
医者や医師は低級性犯罪者。一斉検挙処刑。 サル山流小我宗君は基本、現在教団上解釈定義至上主義で、
古文書文献における事実の分析、検証否定主義ですからね。
古い時代の現在教団上解釈定義至上主義で、空虚に自信満々笑 サル山流小我宗君はサル山ボス気取り自慢で、シコシコできる面白い人ですね笑。 暇人ゾンビレスって当日俺の倍近いレスしといて半分以上罵倒と煽りに終始してたのは誰だ?って話なんだけど 自分が見えないって恐ろしいな‥と独り言を言ってみる その高野山修験の高野山が、
1.field(場)なのか?
2.system(システム)なのか?
3.organization(組織)なのか?
って事が明示されないとねぇ。 >>525
フォローありがとうございます
粘着されるとアレなんで ほっといて良いですよ >>523
八不がそもそもの詭弁ですよ。ぼくちゃん。
釈尊は、すべてのものは生じ滅すると主張
詭弁家の竜樹は、生ぜず、滅せずと八不で主張。
そんなことも見抜けないとは。。。 >>534
負けず嫌いのわんわん。
>>535
サル山流小我宗君のいう、醍醐派は理源大師が本流はありえないのです、古文書研究の修験道学者によると、江戸期以降なのです、教学による管理は、
三井寺系修験ですら、熊野信仰ですら、上皇参りで三井寺の修験教義で権威づけただけなので、
上皇の時代の子供が、仁和寺のトップ座り、高野山奥の院に関与、ここが重要。
そこから、高野山から生まれてくる神仏習合教義があります。 >>535
要するに、サル山君は、常に、こうなのです。
532神も仏も名無しさん2019/10/16(水) 15:52:06.06ID:i88YQ8HS
サル山流小我宗君は基本、現在教団上解釈定義至上主義で、
古文書文献における事実の分析、検証否定主義ですからね。
古い時代の現在教団上解釈定義至上主義で、空虚に自信満々笑 >>535
古文書検証の歴史ブームですしね、
古文書検証で、歴史の常識ひっくり返るのは常ですし。
基本サル山君は暇人程度の知識で議論しているつもりなのです。 >>537
>釈尊は、すべてのものは生じ滅すると主張
>詭弁家の竜樹は、生ぜず、滅せずと八不で主張。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
相依性や言語に依って仮構された世界を空性によって否定(八不)してるのであって、現象そのものまでは否定はしてないだろ?
…なんで入門書レベルの話からしなきゃならないの? >>535
要するに、白河に始まる上皇の子供が仁和寺トップに入り、その時代、仁和寺は真言宗の事実上の権威化します。
のちに衰退しますが。
当然、現在の仁和寺は、高野山で生み出された神仏習合の教義があります。
片や醍醐寺は権威を持ち出すのは、室町時代、足利将軍をくじ引きで決めたあたりの僧侶と、
秀吉の醍醐の花見ぐらいの時期でしょうね、。 当然、現在の仁和寺は、高野山で生み出された神仏習合の教義の遺産の社が残っています。
に修正。 >>541
高野山修験が主流かどうかは、俺も勉強不足だから分からないけど、3.は無いというのはでおーも認めてるよね。
で、3が消去されたとなると、高野山での修験が主流かどうかって争点になるのかな? 仁和寺は図象図形が碁盤の目の山城によく、素晴らしい境内でした。 訂正
×
相依性や言語に依って仮構された世界を空性によって否定(八不)してるのであって、現象そのものまでは否定はしてないだろ?
◯
相依性や言語に依って仮構された世界の説明、つまり空性によって否定(八不)してるのであって、現象そのものまでは否定はしてないだろ? 宗教は宗教の対兵ではありません。個師団まかされてない宗教家は散るだろう。 >>545
3は仁和寺、真言宗の上皇による権威中心の奥の院における空海と神仏習合の御流神道。鎌倉期に教義完成、両部神道、これが後の時代の修験道教義の土台とみている、
高野山の行人方の葛城の修験修行と、大峰の修験修行の活発化したので。
大山だから、マジレスしたんだぞ。 上皇の時代の高野山は、子供を仁和寺に放り込んだので、
権威化して、高野山で勢力を誇り、覚鑁など、高野山学問方が嫌がる勢力増大。 山に入れるのは選ばれた選民エリートだけだよ。今後。分裂病統合失調症関連とか。 >>545
もう一度レスるぞ、
要するに、サル山君は、常に、こうなのです。
532神も仏も名無しさん2019/10/16(水) 15:52:06.06ID:i88YQ8HS
サル山流小我宗君は基本、現在教団上解釈定義至上主義で、
古文書文献における事実の分析、検証否定主義ですからね。
古い時代の現在教団上解釈定義至上主義で、空虚に自信満々笑 >>545
大峰の修験道は、権現という神を、両部曼荼羅い充てるので。 仏僧には狂王ヘロデのような狂気の感情たちまわりがない、他者自己の感情殺しの罪は破門。禅僧は使えん。 シードの点数も読めてきてないとな。アフォにはわからん。 宗教なんてよく宗派ごと抹殺されて消されてるから気を付けなされ。 古文書云々はおいといて 高野山が修験の本流だったと言うからには それなりの高層の関与が有ったという裏付けが必要だと言ってるのが何で解らんのかねぇ
理源大師を立てたのが後からだったにせよ 十八本山の一門が真言宗の修験の始まりを謳ってる事を否定するからには まず学界でそれが有力な説となる事 次にその情報が在家の俺でもググったら判るレベルにまでは浸透してる事
最低このぐらいの条件はクリアしてないと 証明しきれたとは言えないんじゃないか?って事なんだけどね
一般社会での証明って誰が見てもそうだろレベルまでやらないと 通らないんだけど 知らないのかな?
高野山の修験なんて早くから僧侶が個人で他山に合流とかしてたってどっかに有ったけど 本流なら何で其処まで萎んで大峰山修験が本流というイメージが定着したのかとか その辺の説明も足りてないし 今の時点ではグレー判定だわ
最初のニレスぐらいで自分で調べろぐらいの事を言って 後は殆ど嫌がらせと煽りだけだし あんまり興味湧かないね
プライド傷つけられて意趣返ししたいのか知らんけど ちっさ の一言だわ なるほど 本地垂迹説辺りを神仏習合と修験道再興の起点に見てる訳だ?
奈良時代以降の私度僧の山行とかもすっ飛ばしだな…
https://shinto-bukkyo.net/shinto/%E7%A5%9E%E9%81%93%E3%81%AE%E7%9F%A5%E8%AD%98%E3%83%BB%E4%BD%9C%E6%B3%95/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88-%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E6%B7%B7%E6%B7%86/
神仏習合の歴史上重要な神様である八幡神を祀る総本宮の宇佐八幡宮では526年(継体天皇20年)に猛覚魔ト仙という僧によって、求菩提山が開山されます。
略
〜しかし、時代を経ると神仏習合を理論的に解釈するためにたくさんの説が生まれてきます。
その中で神仏習合を理解する上で重要になるのが「本地垂迹説」です。 >>564
逆 書物で有れ伝聞で有れ 重要な言葉は言った本人よりも長く残る
後世の人達に受け継がれ続けるのが書物の命 ゴータマシシッタールダも山育ち。弟子馬鹿の漢字の意味対象見て書き込みなさい。 >>565
ま、俺も老師から紹介して頂いた一冊の本だけ読んでる。
それ以外読んでない。
知欲も悟りを妨げるんでな。 >>568
それはそれでいいけど
遠い過去のインドから現代の日本まで仏教が伝わってるのも文字情報の恩恵だからね >>556
真言密教自体は空海により完成度が高く、そこに日本土着宗教の思想を取る入れる必要性は無かったけど、神仏習合に連なる宗教の思想の形成において、真言密教や高野山等で行われていた修験道がその形成に役割を果たしたというのなら理解出来る。
ただ、W高野山Wが主流かどうかは俺にはなんともね。 >>568
>知欲も悟りを妨げるんでな。
根拠は?
www >>571
多分既成概念を対立概念で打ち消して第三の言語化出来ない領域を抽出する論法が解らないんじゃないですか? >>564
>書物は死物
お前が死物にしてるだけ。 「相依性に依って仮りに和合して立ち現れている世界」が「現象する世界」だからですよ
不生不滅なる縁起を釈尊が説いたち竜樹は主張しますが
釈尊が説いたのは生じ滅し現象する縁起です。 >>536
いえいえ本当のことなんで。
私は特に何も思いませんのでいいですよ。 >>575
有でも無でもない事を説明するのに空が適してたんだよ
http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%A1%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%A9%E3%81%86
非有非無の中道
すべてのものは存在するという有見、存在しないという無見の極端な考え方から離れた修行道。これらは「有無の二見」といわれている。
これらは、初期仏教から言われていた中道である。
これに対して、大乗仏教の中道は、龍樹のまとめた方法論がある。
龍樹の中道
中観派の祖である龍樹は『中論』の第二十四品第十八偈において、縁起と空性を中道とをほぼ同義語として扱っている。これによって、龍樹は釈迦の中道への回帰を宣言している。450偈中ただ一回のみ使われているこの偈に基づいて、『中論』と名付けられている。
後、龍樹の教えをついだ中観派では、いっさいの法(存在)は世俗においては無ではなく有であり、勝義においては有ではなく無であるということが中道であるとも説いている。 >>575
>「相依性に依って仮りに和合して立ち現れている世界」が「現象する世界」だからですよ
だから、八不なんじゃないんですか?
法有を説かれる立場の方ならともかく。 釈迦に於いて
わが作るところにも非ず、また余人の作るところにも非ず。
如来(釈迦)の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。
如来(釈迦)は、この法を自ら覚し、
等正覚(とうしょうがく)を成じ、
諸の衆生のために分別し演説し開発(かいほつ)顕示するのみなり
『自説経』では、
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。
此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
竜樹において、
觀作作者品第八
業に因りて作者有り、
作者に因りて業有り、
業を成ずる義は是の如し、
更に余事有ること無し。
作と作者を破したるが如く、
受と受者も亦た爾り、
及び一切の諸法も、
亦た応に是の如く破すべし。
私取っては同じ読める。
>如来(釈迦)の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。
これにいたっては、法華経かって 書物は月を指す指。
それが分っていても、
なお、知識を弄びたくなるのは、
食欲と性欲と並ぶ人間のヒツコイ欲望だなあ。
度し難し (._. )( ・_・)(・_・ )( ・_・)アレ? 荒らしが集まってきて無内容のコピペ合戦やってるなぁ、外道は去れ!? 100`きった!
でも右膝に違和感が…
あと20`捨てる >>585
阿字観を水面に映った月と評した道元さんの至言の安っぽいバクリじゃん?笑
アンタ 他人は皆自分より馬鹿だと思ってるの? >>590 ポンプー さん
> 100`きった! でも右膝に違和感が… あと20`捨てる 』
(*´з`)コソッ・・・・・炭水化物ダイエットが最も効果的だよ。
それに目標が甘い。
身長がどれくらいかが、わからないが、70`は切る。
天才は努力する。
努力する人を天才と呼ぶ。
頑張れ。 >>557狂気の感情たちまわり
いくらでもあるだろ ? 長嶋の役の陥落の時 最後に全裸で脱出した十数名は その後どうなったのだろうか ?
真宗は あれ以来 ただの一度もその時の犠牲者を供養していない。
皆成仏するという教義に反するから。 真宗は あれ以来 五百年間ずっと妻帯と世襲を繰り返し続けている。
今では 他の宗派もそれに倣うような形となっている。
女を抱き、酒を飲み、子供に法を継がせ、金銭に触る。
世界中で 戒律をまもらないのは 日本の仏僧だけ。
十戒をまもらないクリスチャンは クリスチャンと言えるか ? その他 権力者の妻と不倫をして 影から政治を操る僧侶とか、宗派同士の水面下での攻防による殺し合いとか、
少し探せばいくらでも出て来る。
最近の僧侶の精神病もある。
チベットの死者の書には 「自分の職業の本来的な義務に失敗すると地獄に落ちる」とある。 我が国は 豊かで何不自由なく 仏教寺院も沢山あるが、本当の仏の教えは無い。 あなたがたは 戒律を破ったまま改めようとしないのだから、このままその議論を続けていけば良いのである。
ちなみに、タルムード形成後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教は アブラハムの宗教ではない。
全く質を異にする者である。
自分の教えを最上とするあなた方は せいぜい我々をバカにし続けるがよい。
あなた方の殆どには さまざまな物事の本質を見抜くことは出来ないだろうから これらの事を理解することは 一生できないだろう。
真言密教自体は、空海の天才性故か、完成度が高くそこに日本土着の(宗教)思想が入り込む余地はほとんどなかったけど、天台宗は、最澄においては、空海程の完成度は見られなかったので、後の天台本覚思想に連なる思想も日本土着の(宗教)思想が入り込む余地はあったとされている。
また、日本土着宗教の思想も仏教と比較すれば体系化がされてなかったので、仏教思想が取り込まれている。 ガンジス河の流れを一人の人の手の平で止めることが出来ないように
この宇宙の真理の湧き出る流れも いまだただの一度も尽きたことは無いという。
我々が救われないのは すべて法則の通り順調である。 >>596 名無しは荒らし さん
> 真宗は あれ以来 五百年間ずっと妻帯と世襲を繰り返し続けている。 今では 他の宗派もそれに倣うような形となっている。 女を抱き、酒を飲み、子供に法を継がせ、金銭に触る。
世界中で 戒律をまもらないのは 日本の仏僧だけ。 十戒をまもらないクリスチャンは クリスチャンと言えるか ? 』
親鸞は浄土宗とは別に 分派を作ろうとしたのではない。
彼の死後何代目か知らないが、その人が別の浄土教を立てた。
妻帯が悪いとは言えない。
きちんと妻帯を宣言し、実践しているのだから。
その事は法然にも相談済み。
其れでしか生きられないのなら、そうするしかないよな、と。法然は言う。
また、ヨシュアも厳然としてユダヤ教である。
死後、50年ぐらい後、ローマのための徴税人サウロがヨシュアの声を聞く。
矢田屋の解放、自由、主体を勝ち取れ、と。
「サウロよ、あなたはなぜ、迫害するのか」
キリスト教とは、パウロ教である。
浄土真宗とは、蓮如教である。 >>603
訂正
死後、50年ぐらい後、ローマのための徴税人サウロがヨシュアの声を聞く。矢田屋の解放、自由、主体を勝ち取れ、と。「サウロよ、あなたはなぜ、迫害するのか」
↓
死後、50年ぐらい後、ローマのための徴税人サウロがヨシュアの声を聞く。ユダヤの解放、自由、主体を勝ち取れ、と。「サウロよ、あなたはなぜ、迫害するのか」 >>407
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ教典ではありませんがありのままだと思いますけど?
>喫茶喫飯
>空手把鋤頭歩行騎水牛 >>542
あ、そうなんだw てっきり、行くものは行かないの論理化と思ってたw
生じるものは生じない 滅するものは滅しない
面白いですね〜。 入門サイトでも見ようかなw
>>575
分かんないんだけど、
さっきの行く行かないの論理だと現象するものは現象しないんじゃないの?w >>605
>空手把鋤頭歩行騎水牛
これってどういう意味ですか? >>607
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ麦も教えて頂いたんですけど
意味は麦よりお寺さんの説明が良いと思いましたのでw
URLが長すぎでしたのでコピペです
>「空手把鋤頭 歩行騎水牛」 『五燈会元』
「空手というのは「何も持っていない」ということですから、「手を使わずに」ということです。
空手というと、『碧巌録第九十六則』の「空手にして鋤頭を把り、歩行して水牛に騎る」(「素手でありながらすきをにぎり、
歩いていながら水牛にのっている。
有無の自在な操縦ぶり」『禅語辞典』入矢義高監修)という有名な語がありますが、この語もその類語です。
一見すると「手を使わずに鐵牛を牽く」という意味に思いますが、この「空手」は禅語で使われる場合、単に「手を使わずに」という意味ではありません。
「空手にして鋤頭を把り」が、すきと自分とが一つになっている心の様子を表現したものである様に、この場合は徹牛と自分が一つになっていることを意味します。」
つまり「空手にして鋤頭を把り、歩行して水牛に騎る」というのはどちらも
「三昧(さんまい)」ということが言われている訳ですね。
畑を耕す時は畑を耕す三昧、牛に騎乗する時は牛に騎乗三昧です。
かつて天才F1レーサーだった故アイルトン・セナは、レース中に神様を見たとか何とか言ってたように記憶していますが、例えば超一流のレーサーは人馬一体ならぬ、
人車一体の感覚を身に付けているのかも知れません。
自己と他者の間に介在するモノが何も無く、ピターッと一つになった世界。
それを禅では「三昧」とか、「不二(ふに)」と言います。 >>608
あ〜なるほど! それはどうもわざわざありがとうございました。
なるほどうまいこと言いますね。
心の様子ってのが引っかかりますけどねw
仏心ならそうでしょうけど、その後の説明でん? てなりましたw
なんにせよ。上手な説明で分かりやすかったです。 >>609
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ一体になってる時って無意識ですねw >>610
誰が言ったか存じ上げませんが、
おそらく「一」でないときはないとでも言いたかったんじゃないでしょうか。
言葉を借りるとすればいつでも誰でもそうでしょって。
頭の方がおかしいですからね人間ってw あ〜それと、「一」でもないと言わねばならんのですね。
めんどくせーな言葉ってw
ま〜単に畑か田んぼを耕してるってだけのことですね。 零じゃなくて一なの?
空はゼロだとすると一はゼロです
ゼロは一です
なんかなあ
よくわかんないけど一なんね >>613
ゼロは今風に言っただけですよw
前に今風にわかりやすくいってほしいっておっしゃってたので。
あーゼロ距離ゼロ時間の話じゃないのね。
さぁ〜 空って理解しないほうが空の実践になっていいんじゃないw >>614
そうなの?
でも中村先生とかは空とはゼロの事ですとか
大昔の学者もゆーとるよ
空とは一体のことですは、あんまし聞いたことない 何かが抜け落ちた空と
現象そのものになってるのと
チョットちゃうイメージある
空があるから通り抜けてくわけで、空でなければ、一ってのは、単に没頭しちゃってる時ちゃう?
ゲームに夢中で我がないとかwwww
これは我はないけど、理解もないやつ >>615
あ〜かの有名なハジメちゃんですかw
怒られるなこんなこと言ってたら バカボンの弟の名前は中村先生に
ちなんでつけられたそうですよ。
一体だとゼロじゃないですか。切り口の違いですよ。
禅だと一如って言うんですか。 一つになってるからゼロでしょ。
こっから自己は諸仏なりと覚知することをもちいずになるんですけどねw
私が推し進めてるのは対象としないことです。一切を(宣伝) >>617
それは法が空になってなくなるんちゃうん??
現象だけになってる世界だから
一になってるってことで、対象のみの世界
あれ?
対象にしないのか????
ってことは、自分だけの一の世界?
よー、わからんw
ハジメちゃんって、そーなんや
天才バカボンって仏教の話しやったんかwwwww
レレレノレ〜 >>618
そうそうレレレがシュリハンドクでパパがお釈迦さまでねw
あれ?けっこう有名な話だと思ってた。
うんうん対象にしない。しないってこともしない。
しないっていうと主体的なイメージあるよねw まーめんどくさいからしないでいいかw
だから世間一般の見方だと実体があるからね〜。 ありませんよ〜ってのが仏教じゃない。
思い出した。おんりーいっさいてんどー。顛倒してるんじゃない。
仏的な見方をするとw 実体ないし無常だしって。それで空ってことにしといてw
自分ってのも上記のとおり有るとは言えないんでしょ。でもなんにもないわけじゃない。
これなーんだ? >>619
ええええ??
なんのことやら、さっぱりやw
1つになってるとか、そーなってても、あるものはあるやん
ただ、なんちゅーか、透き通ってくわけで
だから、そこに、空っぽい感覚が芽生えてないの?
流れてくわけで
顛倒してるって世界と自分が逆になってることちゃうんかなあ
今の一の話って
自分→世界が
世界→自分になることで自分を世界にしちゃってるから
自分が消えてる
それで世界が、あるだけになるけど
その世界も空、無常なわけで、うーーー
だから、うーーーーー
それも見てないのかなあ、(・~・) >>618
空は無じゃないって説明したじゃん?
説一切有部vs中観派の一切皆空が小乗と大乗の大論争だったのね
前者が法有(法とは実在する)の立場で後者は法空(法は実在しない)の立場ね
大辞林 第三版の解説
ほうくう【法空】
⇒ ほっくう(法空)
ほっくう【法空】
?仏? 〔「ほうくう」とも〕 すべての事物は、因縁によって生じたものであって、実体性をもたないということ。小乗仏教が人空のみを説くのに対し、大乗で強調される。二空の一。法無我。 → 我空 ・人空にんくう >>620
なんで一つになってるって知ってるの?
知ってたら一つじゃないじゃんw
そこに空っぽい感覚があったらその空って「有る」よねw
顛倒ってのは見方じゃないかな。
消えるわけじゃない。有るとも無いとも言えないってだけじゃん。
まーいくら理屈詰めても実感湧かないでしょ。
頭おかしくなるからほどほどにしとかないとw
流れるってのはやっぱり対象化して眺めてるよ。
え?なに?あんたの言うとおりにするなんて言ってない?w
最近目がかすんでのう・・・ >>622
うーーーーーむ
やっぱり眺めてる問題が出てくるのか、、、
頭の認めたことに用はないとして
ひとつになってて眺めてないとして
それじゃあ、悟りみたいなんが、ないやん?
ただやってるだけみたいになるし、、、 >>623
眺めてるねー 眺めようとしてるのか。
自覚ね〜。 それはその人に仏縁があるかどうか次第だからねなんともw
まー眺めちゃうよどうしたって。思考先行で生きてるんだから。私もそうだった。
眺めてもいいのよ。何してたってw いいけどそれを自分で許してると、
元の木阿弥になっちゃうね。 あって、気づいたら本当はもう眺め終わってんのね。
本当の意味で一切なにも気にしない時間作るといいな。
スマホや携帯置いてねw わりとね時間ができるよ。 どうせだからって、
家事やってたらけっこうガンガン家事できるw
まーゆっくり行こう。人生さほど長くないから(キリッ)
箒(ほうき)を捨ててバットを握るレレレのおじさん
でおー!
++++++ | |
| ● ● | | |
◎=| ─── |=◎ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ ─── \ | クリスチャン救援3号ホームランになるかも
| | ̄ ̄□ ̄ ̄| | < 今回は、俺様の修行の成果一本だ笑。
| \□_□/ | \__________________
\_____/ | |
|\| |/| | |
/ ̄ ソ  ̄\ | |
| / | | |
| / __ ̄|=( )
|/  ̄|=( )
|  ̄ ̄| ̄ | |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  ̄
>>623
それと前も言ったけど、あなたの中でこれはって人いない?実際に。
あなたの書き込み見てて、あ〜懐かしいなって思えたことあったよw
その人に教えてもらった方がいいよ。 私のは遊びみたいなもんだからw
間違うと大変なことになるからね。せっかく仏教に出会えたんだから勿体ないよ。 >>626
マジっすかあ、、、
なんか書いちゃったかな、、、
もしかして会ったことあった人なんかな
チョットビビってきたw
うーーーーーん
誰かに教わりに行った方がいいんかなあ
そういうの超絶苦手なんで、、、 兵庫県教職員組合を滅ぼせ。
これはきっかけとなって他の
ボロがでまくるぞ!!!!
マジでおもしろくなるぞ!!! 私に情報提供した奴は本当に神だな。
兵庫は死んだな。
観る者は観られる者とは
こういう意味でも使い得るのだな。 連中を始末仕様。
だがまだ待ったがかかてる。
これは調整ができとらん。
またくおじゃんるーとか。 >>627
あれ?覚えてないの自分で書いてたのにw
まぁ私と似たようなこと言ってる方いたでしょ。
迷惑になるから実名は出さないけどね。
もちろん自由だけどせっかくそこまで来ててもったいないと思うなー。
そう言う人がいたら道を間違わないように導いてくれるからね。
一番は自分で実践することだよ。実践しなきゃ自覚は決して生まれないから。
論理が好きならそれも勉強すればいいじゃないw 神戸の件については、片付けるしかない。
これが総本部の遺構である。 加害教員自身および親族も
皆殺しにするかもしれないとの
脅迫的投稿が相次いでいることは
正義を実行する者として称賛に値するが、
些か加熱しすぎている。
その小学校を取材したマスコミを直ちに買収しろ。
情報は本部へ。
裏ば取れたら即刻実行する。 週刊誌と影響力の多大なユーチューバーに情報を流せ。
あとは適当に流れる。
私に逆らう者は皆死ぬしかない。 >>627
>老師は胸に指で円相を描いて
>「ここを空にして坐りなさい。そして自分を動かさないのです
>自坊に帰って掃除やなにやら忙しいであろう。何を云われても
>ハイっと言って、シャッシャと終わらせて、そして坐りなさい
>ああ言われた、こう言いやがったと自分を余計なことに疲れさせないようにしなさい
>五感をみんなそのままにして、でも決して(胸を指して)ここまで入れないのです
>そうすると、ものを見ても(目の前に手をかざして)ここから入ってこないのです
>聞いても(耳に手をかざして)こっちに入ってこないのです
>まわりのもので自分をまどわさないのです
>そうして坐るんです
>必ずあなたを動かす根源が自覚されるときが来ます
>やれば必ず出来ます」
この方は故人です。
この方の会下の方ですかね
昔、一ミリも違わないと言った方いました。
よくわからないが、心に残りましたね。
一ミリも違わないのに心に残ったw
この語源がものすごく気になっていたんですね。
觀涅槃品第二十五 二十四偈
25・21
涅槃と実際と、世間と際と、
是の如き二際は、毫釐の差別無し。
これを始めてみた時はびっくりした。
無為をよくここまで言葉にした。
竜樹は天才だねw ポッタン師よ、バカだからここにいるんだw
そう言えば、ハジさんのスレで、
ポッタン師も、わかったとか叫んでいたな。 これから三代目四代目になると どういう面白いことが起きるか 楽しみだな。 墓地の仏さんたちも そろそろコイツラが僧侶だというのは 嘘だというのに 気付いてもいいころだな。
嘘は いつか必ずバレる。
バレた時が 恐い。 >>645
感謝、
本位において大乗にも引き継がれいるということでしょうか?
その視点において、わたしは大乗を眺めています。 / /
/ /
(( ,, - === - ィ / また奥様方に負けたの?
,,-´-- ー-y / . 悔しいねー悔しいねー
/ ⊂二___ ィ´ )) もう泣かなくていいからねー
:/ _ , 、_ :::|:
:| o●) 三 (●o ::::|:
:| /// し /// ::::|: ←名無しこと夕
:| -ー―- ::::/:
, ― \ ` ̄´ /ー 、
/  ̄  ̄ :::ヽ
:| :::|:
:| | | ::::|:
:| | | ::::|:>>646 >>646
正法五百年 像法五百年と言われていて仏像礼拝が無かった初期の大乗迄がギリギリじゃないかと… >>649
昔、竜樹までは何とか釈迦も首をかしげながら納得したかもしれないとパーピマンが言っていたんです。
これがきっかけで、大乗を眺めているわけです。
どうもこういう事が好きなもんで。
いや、パーピマンが言っていることはあっているのかもしれない。いや違うのかもしれない。
本位において自分で確かめているわけです。
Wikipedia、縁起より
>わが作るところにも非ず、また余人の作るところにも非ず。
>如来(釈迦)の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。
>如来(釈迦)は、この法を自ら覚し、等正覚(とうしょうがく)を成じ、
>諸の衆生のために分別し演説し開発(かいほつ)顕示するのみなり
如来(釈迦)の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。
この文章がすごく気になります。 空手把鋤頭歩行騎水牛
↑
斉の東陽のボケ老人の在家の善慧(497〜569)さんの言葉ですね
出典は『五灯会元』
空手にして鋤頭をとり、歩行して水牛にのる。
人、橋上より過ぎれば、橋は流れて水は流れず。
手には何も持たずに鋤を取って田を耕し、←ボケている
歩きながら水牛に乗る。←ボケている
そんな人が橋の上を過ぎれば、
橋は流れて水は流れない。←狂ってしまった
菩提達磨に出会ってしまったのでボケたそうです。。。 >>651
知識と論理にがんじがらめになっている人間に、
矛盾したことを言って、追い込むんだよ。 >>649
仏像は、ガンダーラのギリシア彫刻風仏像と
それを真似つつも純インド風仏像を作ったマツラーが
紀元1cに成立しているので初期大乗と同時代だし
南伝分別説部も仏像崇拝を普通にしているので
仏滅五百年頃に佛教全体で信仰されていた文化です。
カニシカ王時代に保護されて発展した文化です >>650
>昔、竜樹までは何とか釈迦も首をかしげながら納得したかもしれないとパーピマンが言っていたんです。
私も般若心経の空から龍樹菩薩を辿って原始仏典の重要性に気付いた口ですから言わんとする所はなんとなく判ります
首を傾げたかどうか迄は言えませんが
>わが作るところにも非ず、また余人の作るところにも非ず。
法についてですかね?
>如来(釈迦)の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。
この場合の法界とは空の事で世に出ていようといまいと空で有るという意味でしょうね ただ釈迦は常住も断滅も邪見であるとして質問に答えなかったので 解釈にひねりが要るかも知れませんが
>如来(釈迦)は、この法を自ら覚し、等正覚(とうしょうがく)を成じ、
>諸の衆生のために分別し演説し開発(かいほつ)顕示するのみなり
等正覚(無分別智)を達成した釈迦が分別を説くのは衆生の為に‥方便の事でしょうね
>如来(釈迦)の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。
>この文章がすごく気になります。
迷いの生存に戻らない為にあらゆる思いを滅したという解釈で行くと法(空)と一体化したままでその精神活動は停止してるのではないかと考えています 思いが無いから無漏となって死の王に見られない‥次の転生の原因が無くなったという事ではないかと
仏教の説く六つ(五つ)の生死有る世界に戻らなかったとして生前に説かれなかった更に別の世界が無いものと考えれば 死と再生の間でどちらにも行かずに止まるというのが 今考えられる最適の結論です >>653
仏像が造られたのはガンダーラでギリシャ人仏教徒によって
すぐすぐインド国内のインド人が受け入れたのかどうか
正確な大乗成立年代が起源前か紀元後かも微妙
従って証明不十分
https://www.kosaiji.org/Buddhism/maha.htm
〜初期大乗とは、大乗仏教の興起の西暦紀元前後から龍樹(150-250頃)までをいいます。 >>651
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ四料簡に当てはめますと
>手には何も持たずに鋤を取って田を耕し、
>歩きながら水牛に乗る。
一如を比喩しているので
人境両倶奪 主観もなく客観もない
>そんな人が橋の上を過ぎれば、
橋は流れて水は流れない。
奪人不奪境 客観的な対象があるだけで,それ以外の心とか自己などはない。 >>655
https://www.y-history.net/appendix/wh0201-053.html
マウリヤ朝のアショーカ王と並んで仏教に深く帰依し、保護政策をとったことで有名であるが、
カニシカ王が保護した仏教はアショカ王時代と異なり、大乗仏教といわれる新しい仏教であった。
王はインド各地に多くの仏塔や寺院を建て、第四回の仏典結集を行った。
またカニシカ王の時代には、ヘレニズムの影響が北西インドに及び、
ガンダーラ様式にみられる仏像彫刻が盛んに造られた。
2c半ば、つまり150年頃のカニシカ王が仏像崇拝者であつたのは史実です。
実際に2cの金貨には、仏像が刻まれているのもあります。 >>656
善慧さんがボケ老人ではなくて、わたし並だと仮定して私の体験談から読み解きますと
1.私は市民農園を40坪ほど拝借して十年ほど家庭菜園をしています。
最初の数年は土は固く、鍬を通さずスコップで耕しのに丸二日かかりました。
そして堆肥40Lを十数袋 腐葉土20Lを30袋などを春秋に入れ続けようやく
ふかふかな土になり、一時間ほどでさくさく鍬で耕せるようになりました。
さくさくなので鍬がなくても手を鍬にしても耕すのも可能です。
とすると達人にとって「空手にして鋤頭をとり」とは、手で畑を耕すほど
土がふかふかであるという意味となります。
2.私は散歩を趣味としますが最初の1か月は2kmもきつかった。へろへろです。
しかし半年も経てば3kmでも物足りなくなり、5km歩くのに1時間かからず
車で移動するより歩いていく方が好きになったりしました。
すると達人的には「歩行して水牛にのる」とは歩いているけど、水牛に乗っている
ようにすいすい楽に軽やかに進んでいるという意味となります。
3.しかし「橋上より過ぎれば、橋は流れて水は流れず」
酔っぱらって、目が回り橋がゆらゆら流れているに錯誤し
反対に絶えず流れる水はまるで流れてないかのように見えたと言う
酔っ払いのたわごとにしか思えません。あるいは狂ったかです >>657
二世紀半ばなら起源前後成立の初期大乗とは百年以上の空白期間がでて更に差が開く
オウンゴール
初期大乗とは、大乗仏教の興起の西暦紀元前後から龍樹(150-250頃)までをいいます。 >>659
2c半ばって150年頃のことよw
龍樹(150-250頃)の生まれた頃www あほやw
で最初期の仏像は紀元後1C
2c半ばにははっきりと仏像信仰が確認できる。
更に『増一阿含経』には
「釈尊は三十三天に昇り、母摩耶夫人のために説法し滞在していたため、地上の人々は如来
の姿を見ることができなかった。如来を思慕して思い悩んでいた優填王は群臣の勧めから、
国内の巧師匠を集めて牛頭栴檀を用いて、高さ五尺の如来像を造らせた。これを聞いた波斯
匿王も国中の巧匠を使わして、金色で高さ五尺の如来像を造らせた。それによってインドに
は初めて2体の如来像が存在することになった。 」
という伝説が記載されている 史実ではないが。 wwwwwwwwwwwwwwww
例えば、風になれば風は吹かないし、川になれば川は流れないだろ?
自他の区別がなければ一如だし、坐禅すりゃ忘我してそう詠めるわけだ。 『増一阿含経』は大衆部所伝と言われていて4cの僧伽提婆の訳で
パーリ増支部と異なっている点が多く信頼度が欠けるという問題点はあるが
大乗ではない、部派の大衆部が仏像押しだったとは言える >>661
大山ちんは、坐って瞑想し
風になったり川になったりするのかねww
そしてオレって忘我しているぜーと思ったわけね
ある意味幸せだねw
でもそんなの無意味だぞ 「空手にして鋤頭をとり、歩行して水牛にのる。」
は、体感的にわかる。
手を鍬にしたらいいのだし、歩く鍛錬をすればすいすい水牛に乗るかの
ごとく楽ちんに行ける。
しかーし
「人、橋上より過ぎれば、橋は流れて水は流れず。」
は酔っ払いか狂人のたわごとだ。
橋が流れれば大参事で、水死体だ。
水が流れていないかのように見えるのは錯覚にすぎない >>660
こうすれば意味判るか?
紀元前後って事は西暦一年前後にはって事だぞ?
初期大乗の発生起点に於いて仏像が無かったと裏付けてくれて有り難う
オウンゴール
> 初期大乗とは、大乗仏教の興起の西暦紀元前後から
>龍樹(150-250頃)までをいいます。 >>666
1.紀元1C頃に仏像はガンダーラとマツラーで生まれた。(考古学的事実)
2.紀元2c半ばには王朝に保護されて仏像信仰が文化として花咲いていた(文化的事実)
というのが私の論なので、キミの見解は成り立たない。 >>660
もう一つ教えとくと炭素年代測定法は無機物は測定出来ないから一緒に出土した動植物の市外で測定するんだぞ
という事は後から出来たのを古い地層に埋めたら誤差が出るって事だからな
正確に測定してるのは周囲の動植物の死んだ年代だよ >>664
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
バカ珍w
意味不明w >>666
>紀元前後って事は西暦一年前後にはって事だぞ?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
馬鹿? >>667
その時点でインド全体に行き渡って全ての大乗教団が仏像礼拝を行なってたとはならんだろ?
大乗成立は紀元前後でまだ特定されてないから 成立が紀元前だった場合にお前の主張は成立しないんだよ
証明不十分だって言っただろ? しかーも
1も2も初期大乗仏教の時代内だ。
紀元前後に初期大乗を限定するのであれば、大乗仏典も完成していない。
例えば
1.般若経は、小品『八千頌般若経』だけ 大品は、7Cだ
2法華経は、紀元前後だと序品〜授学無学人記品および随喜功徳品の計10品のみ
3.華厳経は、古層の「十地品」「入法界品」で2c 全体化されるのは5C(60華厳)だ 80華厳は7C
4.大無量寿経は、浄土信仰は1Cとされるが、漢訳された最古は2C半ばしかわかっていない 西暦には0年があるけど、紀元は1年から始まりその前の年は紀元前1年となる(紀元0年はない)。
即ち、西暦0年が紀元前1年となり、西暦-1年が紀元前2年となり、また、西暦1年が紀元1年となり、西暦2年が紀元2年となる。
これ、マメなw >>673
初期の大乗でも仏像礼拝が始まる前の空白期間が有るんだよ
龍樹の時代迄像法じゃなかったとは言ってないぞ?
649(2):神も仏も名無しさん[sage] 2019/10/17(木) 07:30:40.83 iWYW4Pui(3/6)引1NG
>>646
正法五百年 像法五百年と言われていて仏像礼拝が無かった初期の大乗迄がギリギリじゃないかと… わりーけど、コテ付けてくれない?
ただでさえ馬鹿のデタラメが横行して、糾すのが大変なんで。 >>673
するとこの期間は大乗じゃないのか?
https://www.y-history.net/appendix/wh0201-056.html
大乗仏教の運動
紀元前後に、インドの北西部で新しい仏教の信仰のあり方が求められるようになった。それは部派仏教が出家による自己救済を主眼とし、民衆の信仰から離れてしまったことを批判し、広く大衆(衆生)の救済をめざす運動であった。
そこでは、他者のために苦しい修行をするする修行者を菩薩として信仰する菩薩信仰が広がり、また出家せずに在家のままで信仰することも認められた。 >>677
>>>674
>だから紀元一年と言ったんですよ
どこで?
>>666
>紀元前後って事は西暦一年前後にはって事だぞ?
って言ってませんか? >>665
橋を歩いてるだけじゃない。
ごくごく当たり前のことなんだけどやっぱ分かんないのかー。不思議だなw
何らかの体験とかそういうのんでなくてね。 >>676
これで良いですか?
西暦一年が紀元元年だと間違いなんですか?
確か二千年前の西洋には0が無かったなと思ってでしたが?
>西暦(キリスト紀元)には、通常は、グレゴリオ暦においてもユリウス暦においても、0年を設けない。すなわち、紀元1年の前年は、紀元前1年であり、0年や紀元0年という年は存在しない。
しかし、ISO 8601:2004や天文学における暦(天文学的紀年法)では西暦0年(注:「紀元0年」ではない)を設定している。具体的には西暦1年(元年)の前年である紀元前1年を「西暦0年」とし、紀元前2年を負数で「西暦 -1年」(マイナスいちねん)
、紀元前3年を負数で「西暦 -2年」(マイナスにねん)、……と紀元前の年を1年ずつずらして用いる(紀元前100年は「西暦 -99年」となる)。
0年(ゼロねん、れいねん)とは、ある時間枠の中で基点となる年、またはその前年を「0」で表した年数である。 >>681
ありがとうございます。
真言宗の方なんですね。
お差し支えなければ何派ですか?
また、灌頂は受けられましたか? >>683
高野山真言宗の在家信徒です
菩薩戒は受けたけど未灌頂です >>685
おおやま氏は、臨済宗の何派でしたっけ? >>686
菩提寺は曹洞宗ですが、今参じている師家は臨済宗妙心寺派ですね。 なんだか寅さんの的屋の集まりで
口上述べる感じでかっこいいね >>687
大山の師家が本物なら、
大山を叩いて叩いて叩きのめさないと知識馬鹿から脱出出来ないことが分かっているはず。
それをせず、野放しみたい?
偽もんじゃな。 >>687
曹洞宗が真言や陀羅尼を用いるのには何か理由が有るのですか?
神秘主義的な理由ではない様に思えるのですが? >>687
臨済宗妙心寺派・・・でしたね。過去に尋ねたような記憶があって、
臨済宗・・・までは覚えていたのですが、2度聞きになってしまいました。
すいません。
曹洞宗から改宗した経緯は、過去ログにありますよね。
でも、過去ログを見れない人のために、もう1度、お聞かせ願えますか? 公案の答えを出せないバカ大山である。
大爆笑である。 >>689
なんか未だに知識が仏道の妨げになるとか誤解してる馬鹿がいるけと、無知になれって事ではなく、単に知に偏重しないって事だろw >>691
教線拡大の為に密教や白山信仰や稲荷信仰等を取り入れたって話は聞いたことがあります。
賛否両論あるところですが、純粋に道元禅を保持していたら今の曹洞宗は無いと思います。 >>692
改宗って訳じゃ無いんですが、あくまでも個人の好みで、臨済のテンポの方が親しかったので。 いままでこのスレに覚者は何人くらい訪れたの? 誰か知ってる人いる? >>696
テンポですか・・・
私は、11月から3月まで、インターネット契約を休止する予定なので、
その間に禅宗のことを勉強して、4月にまた、お邪魔します。 >>678
高校の教科書的歴史観では大乗仏教運動があつたことになっているが
そんなものはなかった。実証的な証拠がない。
実証的にはインドに旅した中国僧の日記によって大小兼修寺が知られている。
大乗経典を編纂したのはお坊さんたちだよ
>>675
それ以前に大乗経典が成立するのにもタイムラグがある
仏像崇拝は1Cに考古学的証拠があり、2c半ばには信仰されていた文化的証拠がある
初期大乗経典の成立と軌を一にしている。
>>691
曹洞宗は室町時代に密教と習合してから庶民化してブレイクしたんですよ >>680
橋の上を歩いて水の音が聞こえている。
そして水の音と自分がひとつになってしまうと
水が流れているのではなくて、橋が流れてしまったように感じた
という酔っ払いのポエムでしょ。
正常な感覚ではにまったく理解できませんよ。
流れる水が絶えず流れているので、恰も流れてないように見えるというのは
体感的にわかりますけど
橋が流れるというのはさっぱり想像もできません。
橋が流れたら大参事です。濁流、激流の被害に遭ったしかないでしょう。
しかしそうではない。本人は水と一体になった気分でいるのです。
酔っ払いか狂ったのかボケたかです 車が走っているのに世界が走っていると感じたり
水が流れているのに橋が流れていると感じたり
私が生きているのに世界が生きていると感じたり
止まっている方が動いており
動いている方が止まっていると感じたり
したんかなあ
そーゆーの、よくあるやん ないない。
新幹線に乗って、流れゆく景色を見て、
景色が200kmで走っているように見えたとして、
橋を歩いている自分がどーして
水になった気持ちになって、
流れる水が、新幹線に乗った乗客のように
景色としての橋を流れるように感ずることができるのか。
想像力が豊かすぎだろ。 >>705
こういう事はないかい?
見ているのが自分なのか見られているものが自分なのか分からなくなる。
何が自分で何が自分でないか、自分が何なのか分からなくなるという事は。 >>706
ある。
しかし、それは一瞬だよ。
24時間続けたら、借金取りにどつかれるだけの話。
仕事も解雇されて当然じゃのう。
阿保らしい! >>706
ある。
しかし、それは一瞬だよ。
24時間続けたら、借金取りにどつかれるだけの話。
仕事も解雇されて当然じゃのう。
阿保らしい! >>705
まあふっささんみたいなタイプは、精神病みにくいと思うわw >>708
解雇されたのかね?
それで、どうしようと? >>665
橋を歩いてるだけじゃない。
ごくごく当たり前のことなんだけどやっぱ分かんないのかー。不思議だなw
何らかの体験とかそういうのんでなくてね。 あら?すいません前のコピペが残ってましたw
>>703
いえいえごく普段のありきたりの様子ですよ。
>>707
借金したら計画的に返済して仕事もちゃんとできますよ。
あまり仏教用語使いたくないですが妙というやつです。 外で生きることをやってみれば
実感できることが沢山あるよ
しなくてはいけないことは
なにもなく
何処にも行かなくてはいけない
ところもなく
なおかつ不安も焦りもなく
ただ生きていると言うだけなとき
目にみえるものや触れられるもの
何もかもに
心を重ね合わせることが
自然なことになる
自分の用事がなにもないと
自然なこととなるとは思うよ >人、橋上より過ぎれば、橋は流れて水は流れず
こういう話が出るとこのスレは支離滅裂になって仏教的な根拠が示される事は先ず無いんですねw
敢えて憎まれ口を叩かせて頂きますが、偉そうな講釈を垂れたり、大山が〜って非難・中傷しても、所詮は口先だけで、ろくすっぽ仏教の消化が進んでないって証拠です。
(続く) >>715(続き)
そういう奴は、このスレの落ちこぼれスレの柿猫スレに消えて下さいw
自他の区別がなければ一如ですし、坐禅をすれば忘我してそう詠めるって事です。
先に竜樹の話をした際に、言語によって仮構された世界、即ち空性の話をしましたけど、坐禅等の禅定が深まると脳内の言語野の活動や自他の隔てを司る活動がともに低下するそうです。
いわゆる非思量ってやつです。
(続く) >>716(続き)
唯識仏教でいうところの真如挟帯、無為との接触、無漏の種子への養分です。
そうした非思量の体験を言語化した時、即ち、後得智として世俗諦で表現したときどうなるでしょうか?
>人、橋上より過ぎれば、橋は流れて水は流れず
こうなるんです。 Wいいかね?あなたは河とひとつなのだよ?Wとか、根拠もなしに分かりもせずにいうバカは、落ちこぼれスレに行って下さい。
W酔ってるか狂ってるかWとか、仏教的な深い洞察も無しに断定するバカも落ちこぼれスレに行って下さい。 折角頂いた不生不滅の智慧の宝剣を磨かない馬鹿は、どうぞ落ちこぼれスレに行って下さい。 河って本当に流れてますか?
流れてるっていう事はどういう事ですか?
言語化しないで注意深く考察してみて下さい。
それをゲシュタルト崩壊というか意味飽和というか、適当な表現が見つかりませんが、そういう体験も大事だと思いますがね。 仏教全くわからない私が言うのもなんだけど、
仏教の修行ってそういうことするんだね
なんとなく思うのは、実際それで悟りに近づく人もいるんだろうけど、
一歩間違うと妄想を拗らせて精神を病むのではという懸念もある
(特に統合失調症の人は悪化してしまうのでは…)
悟りに近づく人というのは、やっぱり地に足がついた上で、心も澄んでいくような、精神の健やかさと静けさを得るような感じなのかなぁと勝手に思ってみる 公案の答えを出せないバカ大山である。
大爆笑である。 >>723
>(特に統合失調症の人は悪化してしまうのでは…)
仰る通りです。
そういう方は坐禅とかしない方が良いです。
河はなぜ流れるとか公案とか持っての他です。
仏教の修行は身心ともに絶好調の時にするもんですw
箒(ほうき)を捨ててバットを握るレレレのおじさん
でおー!
++++++ | |
| ● ● | | |
◎=| ─── |=◎ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ ─── \ | クリスチャン救援3号ホームランになるかも
| | ̄ ̄□ ̄ ̄| | < 今回は、俺様の修行の成果一本だ笑。
| \□_□/ | \__________________
\_____/ | |
|\| |/| | |
/ ̄ ソ  ̄\ | |
| / | | |
| / __ ̄|=( )
|/  ̄|=( )
|  ̄ ̄| ̄ | |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  ̄
赤信号、皆で渡れば怖くない、世を小ばかにして売り出した浅草ストリップ劇場の前説漫才師は毎年、10億円を稼ぐ。
わたしは必ず、左右、前後をよく見て、横断歩道は渡りましょう。である。
その前後
禅語に
空手(くうしゅ)にして鋤頭(じょとう、すきがしら)を把(と)り、
歩行して水牛に騎(の)る。
人(ひと)橋上(はしのうえ)より過(す)ぐれば、橋は流れて水は流れず。
あるいはまた、
「空手(くうしゅ)にして鋤頭(じょとう)を把(と)れ」
「隻手(せきしゅ)の声を聞け」
「無絃の琴を弾(だん、かきならす)ぜよ」
が、ある。
マブダチ道元ちゃんは国費留学生でありながら、20=30年の中国留学を2年ほどで痔り上げて帰国した。
空手(くうしゅ)にて帰国したので、幕府は彼を遠ざけた。
経巻、仏像、なにひとrつ持ち帰らなったためである。
留学生の中には、生涯帰らない人も、また、真で変えられなかった人も多い。 >>729
訂正
マブダチ道元ちゃんは国費留学生でありながら、20=30年の中国留学を2年ほどで痔り上げて帰国した。
↓
マブダチ道元ちゃんは国費留学生でありながら、20〜30年の中国留学を2年ほどで繰り上げて帰国した。 >>725
お答えありがとうございます
宗教って精神を病んだ時に入門しがちだけど、薬にならず毒になる可能性も秘めているなぁと思ってます
健やかかつ明朗な悟りというのは、どんなものか興味がありますね 日本の正法は それを管理運営していく側に 間違いがあったということだ。
これは オラたち教授する側の立場としては お手上げ万歳だ。
好事魔多しと言うが 最大の魔だ。 道が開けるまでは そこに留まって何十年でも待つしかない。
それで死ぬなら 仕方がない。おち >>733
× 教授
〇 享受
何回転生しても それ以上落ちて行かないように努力して 道が開けるのを待つしかない。 日本仏教が 妻帯と世襲をしたという事は 真理が商い化したという事だ。
人々の救済や仏の意志よりも 自分たちの飲み食い体裁を優先させたということ。
世襲を行った場合は 世襲した者を追放しなければ 正法は戻らないかもしれない。おち 731 名前:仏教棄民の大山 ◆JBP.OYid8g [] 投稿日:2019/10/17(木) 17:43:21.31 ID:iHl0csxC [11/11]
あいむキチガイ w(笑い) >>732
多分、「下り坂」を認知する・・・というのも、悟りの一種かもね?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/3665/1559997677/70
「これから」さんが20代の人に説明するのと、50代では分けているということだが、それは正解。
人間もピークに向かっている時は、下りになることは考えられないし、その状態が理解できない。
厄年(男42歳)を境に開化する人は多いが、下りに入ったからである。
そうすると、無限に繰り返される営みが見えてくる(感じられる・閃きのように頭に入ってくる)
私らの意識が元は一つであったこと。欲により分裂したことや、
また一つに戻ろうとする時期が来ること。登りでは見えなかった下りの先が見えてくる。 相変わらず、江戸期の統制修験道教義体系が昔からあると思う妄想、やはりバカだな笑。
561神も仏も名無しさん2019/10/16(水) 16:51:06.42ID:RCJrTlUb
古文書云々はおいといて 高野山が修験の本流だったと言うからには それなりの高層の関与が有ったという裏付けが必要だと言ってるのが何で解らんのかねぇ 大山ちんが釣れたww
>人、橋上より過ぎれば、橋は流れて水は流れず
大山ちん曰く
1.自他の区別がなければ一如
2.坐禅をすれば忘我してそう詠める
3.坐禅等の禅定が深まると脳内の言語野の活動や
自他の隔てを司る活動がともに低下するそうです。
4.いわゆる非思量ってやつです。
疑問A
「橋は流れて水は流れず」とは、何が何と一如なのか。
橋の上の私が水と一如となったとすれば、なぜ橋とは一如になれずじまいなのか。
疑問B
忘我って意味がわかっています?
忘我すると、なぜ「橋が流れるのか?」
疑問C
「脳内の言語野の活動や自他の隔てを司る活動がともに低下する」ことが
忘我状態なのですか?
つまり意識水準が低下して主体的な意志による行動の自由を失った心神喪失状態ですか?
疑問D
非思量と忘我とはいっしょのことですか?
「橋は流れて水は流れず」と思量されてますが、これは非思量なのですか?
疑問E
非思量とは、綺麗だとか汚いとかなんら判断せずありのままに見る事なのでは?
あるものをありのままに見れば、橋が流れてたりしませんよ
「橋は流れて水は流れず」は誤思量なのでは? >>695
ああ そうなんですね?
曹洞宗では密教の様な不思議な話は有りますか?
何て言うか 端から見て意図的に密教の不思議現象が起こらない様な工夫がされてるから在家が陀羅尼を読んでも危険が無いのかなと 真言密教は天台密教をハイブリッドさせた仁和寺から日本土着化は加速、
600仏教棄民の大山 ◆JBP.OYid8g 2019/10/16(水) 23:19:28.49ID:YfEjetiv
真言密教自体は、空海の天才性故か、完成度が高くそこに日本土着の(宗教)思想が入り込む余地はほとんどなかったけど、天台宗は、最澄においては、
空海程の完成度は見られなかったので、後の天台本覚思想に連なる思想も日本土着の(宗教)思想が入り込む余地はあったとされている。
また、日本土着宗教の思想も仏教と比較すれば体系化がされてなかったので、仏教思想が取り込まれている。 >>698
そもそも完全に悟りきったらネットをやるかどうかじゃない
タイムマシンと時間を飛び越えてネットが繋がるスマホが有ったとして お釈迦様の前に差し出したら 私の方が完全フリーアクセスだからどっちも要らないよって返されそうだし 笑
或いは遠い過去から このスレのやり取り観られてるかも知れない訳で
あ〜こりゃ法滅尽だから弟子達に教えとくかってね… サル山君が空想する真言系修験の中心と妄想する醍醐寺の聖宝のほうが、リアルでは精緻な学問僧。
幕府統制による江戸期以降の真言系修験の中心となる醍醐寺の修験は、基本、大峰修験オンリー。
だが、その範囲外の高野山の修験、行人方は三井寺系修験が行う、葛城山修験を修行する、根来寺も。
ここに、サル山君の空虚な妄想の根拠があるし、
高野山の優勢な修験の地要素がある。
570仏教棄民の大山 ◆JBP.OYid8g 2019/10/16(水) 17:45:15.13ID:YfEjetiv
>>556
真言密教自体は空海により完成度が高く、そこに日本土着宗教の思想を取る入れる必要性は無かったけど、神仏習合に連なる宗教の思想の形成において、真言密教や高野山等で行われていた修験道がその形成に役割を果たしたというのなら理解出来る。
ただ、W高野山Wが主流かどうかは俺にはなんともね。 >>740
大山ちんがぐぐってきた論文によると
1.もともと病気治療者が験者と呼ばれていて、密教のすそ野部分の者が担っていた
2.天台座主などの仏教の中枢がかかわるようになると1の雑蜜ではなく本格密教化され
3.天台園城寺(三井寺)が修験の中心となった(数十人)。真言宗は1人だけ
4.時代が下って山岳信仰と習合した
という流れで高野山が修験の本流というより初期は本山派みたいよ
そして役小角を祀っているが、当時は修験者ではなくて聖者という
違うカテゴリー扱いみたいね
勝手に後代が祀っているだけのようだ >>742
サル山君は小我と我執に満ちた不思議さがありますね笑。 >>746
暇人、サル山流君の議論は、天台系修験の議論ではなく、
真言系修験の中心は、との話。
三井寺系修験は、修験の王道ですよ。
高野山も巻き込みますから、俺の三昧感では、高野山行人方の多数¥は三井寺系修験の影響下とみている。
高野山の三井寺系の濃い場所から、日蓮が出てくる。 >>702
> >>678
> 高校の教科書的歴史観では大乗仏教運動があつたことになっているが
> そんなものはなかった。実証的な証拠がない。
大衆からの働きかけ無しに誰にでも悟りを説きましょうなんて僧侶がやるかだね
学ぶ事も教える事も困難の極みなのに
> 実証的にはインドに旅した中国僧の日記によって大小兼修寺が知られている。
> 大乗経典を編纂したのはお坊さんたちだよ
>
「大衆の悟り」という理念が無ければ大乗は生まれなかったと言ってる
つまり経典よりも「大乗」が先に有ったんだよ
> >>675
> それ以前に大乗経典が成立するのにもタイムラグがある
> 仏像崇拝は1Cに考古学的証拠があり、2c半ばには信仰されていた文化的証拠がある
その仏像崇拝を生み出したのがストゥーバに始まる信仰としての仏教
僧侶の本来目的は信仰を捨て去り向こう岸に渡る事
つまり僧侶の仏教と信者の仏教には最初から区別が有ったという事じゃないか? >だが、その範囲外の高野山の修験、行人方は三井寺系修験が行う、葛城山修験を修行する、根来寺も。
三井寺系修験が行う、葛城山修験を修行する根来寺、高野山の修験は、グループでは、醍醐寺の聖宝を担ぐ(担いでいるだけ)
当山派となっているが、
修験研究者によれば、江戸期以降と以前の当山派修験は意味が異なる、
江戸期以降は、醍醐寺の修験の教義の統制の当山派、葛城山修験を修行しない(戦国期の宗教反乱、比叡山山伏の反抗などあったし) >>704
判るけど そんなによくは起こらない
凄いセンスしてるね?
良い意味で
自分が死ぬんじゃなくて 目の前から世界が消える的な逆転感覚が有るんだ? 江戸期以前のちゃんぽん、兼学混ぜ合わせ志向の修験道を、
幼稚なサル山君は高僧のイメージで空想し、明治以降の教義のちゃんぽんを許さない仏教の教義観先行で、
江戸期以降の幕府の統制の修験道の当山派が昔から存在するという。
議論以前のバカな発想で、
俺に議論しかけている、
サル山君の強烈な小我に、あきれて・・・・もう笑。 >>752
俺のサル山君へrの気分が少し解ってくれたかな笑。 >>706
書いてる自分と書かれた言葉のどちらが自分かなんて普通は区別しないからね >>740
何事も論より証拠
証明し尽くしてなお理解出来ない領域を捉えるのが仏教じゃないの? >>767
現在の教団教義世界からの論か笑。
バカだな笑、
修験本来のちゃんぽん性に気づけ、バカ笑。 >>758
ハッタリバカの坊や風駄々こねる抵抗可愛いということで笑、 >>757
現在の教団教義世界からの論か笑。
バカだな笑、
修験本来のちゃんぽん性に気づけ、バカ笑。 752 名前:仏教棄民の大山 ◆JBP.OYid8g [] 投稿日:2019/10/17(木) 20:02:38.41 ID:iHl0csxC [13/13]
>>741
> お前と話す気ねーわ 』
なんだ、こいつ、、、去るは去れ、去るさ。(^^♪ >>745
んー、俺の勉強不足かもしれないけど、やっぱり以下の見解を超えるものがでてこないなぁ・・・
>言密教自体は空海により完成度が高く、そこに日本土着宗教の思想を取る入れる必要性は無かったけど、
>神仏習合に連なる宗教の思想の形成において、真言密教や高野山等で行われていた修験道がその形成に役割を果たしたというのなら理解出来る。
>ただ、W高野山Wが主流かどうかは俺にはなんともね。
ちなみに岩波の仏教辞典の修験道の項には”高野山”って文字さえなかったw >>746
鎌倉以前から有った流れを無かったと言い 後から出来たのが本流だ言われてもね
元々の修験の源流は役行者に有って関係の有った三論宗は醍醐派に合流したから醍醐派には高野山開創よりも古い三論宗由来の寺院が有るという説も有る
Wikipediaからね
三宝院
当山派(とうざんは)は、平安時代から江戸時代にかけて存在した真言宗系の修験道の一派。金峯山を拠点とし、三宝院(醍醐寺)を本寺とした。
平安時代、9世紀に聖宝が金峯山を山岳修行の拠点として以降、金峯山及び大峯山での山岳修行は真言宗の修験者によって行われるようになった。
鎌倉時代に入ると、畿内周辺にいた、金剛峯寺や興福寺・法隆寺などの真言宗系の修験者が大峯山中の小笹(おざさ、現在の奈良県天川村洞川(どろがわ)地区)を拠点に結衆し、
「当山方大峯正大先達衆(とうざんがたおおみねしょうだいせんだつしゅう)」と称し、毎年日本各地から集まる修験者たちの先達を務め、様々な行事を行った。
室町時代には36の寺院がこの組織に属していたことから、「当山三十六正大先達衆」とも称されたが、中世後期になると天台宗系の本山派との確執が深刻化し、聖宝ゆかりの三宝院との関係を強めることになる。
慶長年間に袈裟を巡って当山派と本山派が対立を起こすと、当山派は政界にも大きな影響力があった三宝院の義演を頭領に擁して争った。
義演から徳川家康への働きかけもあり、慶長18年(1613年)に江戸幕府から三宝院と本山派が本寺と仰ぐ聖護院に対して修験道法度が出され、一派による独占は否定され、両派間のルールが定められた。
これは劣勢にあった当山派には有利なものであり、以後同派は三宝院を法頭として擁することになるとともに、組織としての整備を図り、以後、結衆集団であった当山派は宗派として確立されることとなった。
↑歴史は勝った方に優位に記されるからね >>765
江戸期以前、と以降を混ぜる、修験のちゃんぽん性が理解できないマヌケのボケ老人レス、
がんばれ笑。 「当山方大峯正大先達衆(とうざんがたおおみねしょうだいせんだつしゅう)」の根来寺は
三井寺系修験が修行する葛城修験の修行を行う意味が、
サル山流小我君には理解不能のようだ笑。
シコシコやってろ!ぼうや、 >>754
此処をどうやって崩すの?
途中経過がどうあれ当時の最高位の僧の名前が出てきてるのだが ただ後世の誰かが担ぎ出しただけじゃねえ
空海の四国修行が役行者の修行場跡巡りだったと言う説が有るけど 事実なら聖法や醍醐天皇が修験に関わったとするのも無理の無い話とも取れるがね?
三宝院
当山派(とうざんは)は、平安時代から江戸時代にかけて存在した真言宗系の修験道の一派。金峯山を拠点とし、三宝院(醍醐寺)を本寺とした。
平安時代、9世紀に聖宝が金峯山を山岳修行の拠点として以降、金峯山及び大峯山での山岳修行は真言宗の修験者によって行われるようになった。 >>759
ちゃんぽんなら何が本流とか必要無いだろう?
奈良時代に始まって 平安 鎌倉 それぞれの時代で違う具材が追加されたって言うだけなんだから ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ爽快だなお♪
>水清うして地に徹す、魚行いて魚に似たり
>空闊うして天に透る、鳥飛んで鳥の如し >>767
それを奈良・平安時代からの記録で証明してくれ
宗派内の記録は参考程度にね >>755
いくら5chでも、何度も出鱈目を吹聴してれば、当然にレスに対する信用度は落ちるからね。
単なる記憶違いとか数値の勘違いレベルの間違いならともかく、仏教の要となる部分について何度も出鱈目を言う奴は相手にしたくなくなるよ。
…でおーも例外じゃないからな。 766 返信:仏教棄民の大山 ◆JBP.OYid8g [sage] 投稿日:2019/10/17(木) 20:48:42.74 ID:iHl0csxC [15/15]
>>763
> (笑い)お前もオレが居る落ちこぼれスレに逝けばぁ〜? 』
ホウホウ...φ(◎◎ヘ) ホォホォ...イヌヤマもゴクロウパチッ☆-(^ー'*)bナルホドー >>765
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/239630/1/shirin_084_1_97.pdf
鎌倉中期の百科事典『二中歴』は平安末期の知識人の資料を編集した資料だが
そこで挙げられている「名人歴」の中の「験者」の項は9c後半から11cの16名で
真言宗は1人で、他は三井寺。ちなみに役小角は「名人歴」の中の「聖者」の中の
「奇異行者」7人の一人で挙げられている。この7人の中には「験者」も3人含まれている
そうだが、役小角は平安・鎌倉時代には「験者」には分類されていない。
加持祈祷による病治療に特化すると
833年に天皇の病気治療の加持祈祷したのが空海、850年には天台の円珍が加持祈祷
していてこのころから純密が参加するようになったが、それ以前は、833年の加持祈祷
した中心人物は法相宗の仙樹で831年に天皇の看病担当に就任しているが、法相宗僧が
772年設置の十禅師(治癒能力があるとされる)に任命されているそうだ
(興福寺永興 元興寺広達) 彼らは山林修行者でもあって、西山の仙樹もこの流れと
推測されているらしい。
だけども、これらの人たちは同時代と直後の時代に「修験者」と認識されていない。
「十禅師」といういわば公職の僧。
>安時代、9世紀に聖宝が金峯山を山岳修行の拠点として以降
註14で、真言・三論宗を修めた聖宝は、祈雨・日食の修法に能力を発揮し、また
吉野で修行したとされ、後に修験道再興の祖に仮託されており、従来の研究では
しばしば平安期の代表的験者にあげられてきた人物であるが、少なくとも鎌倉
以前の記録では彼を験者と呼ぶ事例は確認できない >>777
それはいいから 聖宝の記録をどうやって否定するのかと聞いてるんだよ
解らなかったら下がって良いから
三宝院
当山派(とうざんは)は、平安時代から江戸時代にかけて存在した真言宗系の修験道の一派。金峯山を拠点とし、三宝院(醍醐寺)を本寺とした。
平安時代、9世紀に聖宝が金峯山を山岳修行の拠点として以降、金峯山及び大峯山での山岳修行は真言宗の修験者によって行われるようになった。
鎌倉時代に入ると、畿内周辺にいた、金剛峯寺や興福寺・法隆寺などの真言宗系の修験者が大峯山中の小笹(おざさ、現在の奈良県天川村洞川(どろがわ)地区)を拠点に結衆し、
「当山方大峯正大先達衆(とうざんがたおおみねしょうだいせんだつしゅう)」と称し、毎年日本各地から集まる修験者たちの先達を務め、様々な行事を行った。
室町時代には36の寺院がこの組織に属していたことから、「当山三十六正大先達衆」とも称されたが、中世後期になると天台宗系の本山派との確執が深刻化し、聖宝ゆかりの三宝院との関係を強めることになる。 https://www.daigoji.or.jp/archives/special_article/sp_vol_8.html
〜さらに聖宝が後世に与えた影響のもう一つに、修験道が挙げられます。醍醐寺は真言密教・三論宗を兼学する寺院として成立しましたが、江戸時代からは、修験道の二大勢力の一つである当山派の本拠を兼ねることになりました。
これは聖宝が修験すなわち山岳修行を行ったことに由来しています。
そもそも修験道は、奈良時代に大和国葛城山、吉野の金峯山を開き、山林修行を行ったとされる役行者(えんのぎょうじゃ)を開祖とする修行方法のことですが、その後、それらの修行方法を実践する行者の集団が生まれました。
しかし聖宝の頃、修験道は衰退していたため、聖宝は「金峯山において堂を建立し」、如意輪観音・多聞天王・金剛蔵王菩薩像を造り、「金峯山の要路の吉野川辺に船を設け、渡子に徭丁六人を申し置」いたと伝えられています(史料3「醍醐寺根本僧正略伝」)。
このような活動によって、後に聖宝は修験道再興の祖として仰がれるようになりました。
山林修行はその後も聖宝の弟子に継承され、前述した第四世座主貞崇は、三十余年間、金峯山に草堂を構えて籠もったとされています(『扶桑略記』天慶六年条)。
しかし醍醐寺内の院家に止住し、法流を継承することが重視される中で、次第に山林修行は軽視されていきました。
そうした中で慶長八年(1603)第八十世座主義演は、修験道の二大勢力である当山・本山派の対立を終始させるため、当山派の棟梁となり、聖宝以来、途絶えていた修験の「再興」を宣言したのです(「義演准后日記」慶長八年十月八日条)。
宝永四年(1707)聖宝の八百年忌に、第八十二世座主高賢の尽力もあり、聖宝に「理源大師」号が勅諡されました(史料4)。
聖宝が遺した多くの功績が後世に語り継がれ、広く評価されたことが知られます。
−参考文献−
大隅和雄氏『聖宝理源大師』醍醐寺寺務所、1979年
佐伯有清氏『聖宝』吉川弘文館、1991年… 禅語に
空手(くうしゅ)にして鋤頭(じょとう、すきがしら)を把(と)り、歩行して水牛に騎(の)る。人(ひと)橋上(はしのうえ)より過(す)ぐれば、橋は流れて水は流れず。
「隻手(せきしゅ)の声を聞け」
「無絃(むげん)の琴(こと)を弾(だん、かきならす)ぜよ」
知識、常識、に反する言い分だ。
ワケワカメ である、と多くの人が言う。
常識、知識は、
親が子を連れ森の奥へ分け入り、草や木の実を手に取り、これは食べられる、これは毒だと教える。
お勉強とは、生存をかけた生きる知恵である。
同じように、自己の生存に直接にかかわる知識だけではなく、自分と相対である他の存在の分ける事が出来ない在りよう、真理(さとり)を求める者に答える禅である。
真理(さとり)とは、一の如し、である。
如しとは、如(にょ)、助辞をつけて 如来である。
如来とは佛である。
佛とは、真理(さとり) である。
教典は、いわば、蝉の抜け殻、無用物である。不要物である。何の役にも立たない。
しいて言えば、さとりを求めず、千年でも万年でも論争して見せて、おまんまにありつく餓鬼道のやからである。 >>778
聖宝は、鎌倉以前の記録では修験者ではない、ということですよ
>当山派
1.室町期の作と推測される「大峯当山本寺興福寺東金堂先達記録」で聖宝が祖とされた。
2.南北朝時代末、南都諸大寺堂衆が修験者集団の指導的立場を失うと、
先達衆を中枢とする自治組織となり、「当山先達衆中」「諸先達」「当山諸先達中」と自称した。
先達衆は後に「三十六正大先達」と呼ばれた。
これが当山派の前進なので、室町期にしか遡れないようですよ 大隅和雄は、御用学者 当山派の伝承を書いているだけ
佐伯有清は、古代史の専門家で優れた学者だが
耄碌した段階で通説に依拠して一般向けに人物叢書を書いただけでしょ >>782
> 大隅和雄は、御用学者 当山派の伝承を書いているだけ
>
証明されたい
> 佐伯有清は、古代史の専門家で優れた学者だが
> 耄碌した段階で通説に依拠して一般向けに人物叢書を書いただけでしょ
医師の診断を添えて証明されたい 伝えられています(史料3「醍醐寺根本僧正略伝」)。
↑
「醍醐寺根本僧正略伝」は重文。平安時代
承平7年(937)、紀済人が朱雀天皇(923〜952)の宣旨をうけ、
聖宝の事績を記した注進状の案文が「醍醐根本僧正略伝」で、
醍醐寺に「雑文」として伝来していたものを定海(1074〜1149・
醍醐寺座主、東大寺別当、東寺長者をつとめる)が発見し、
観賢による「尊師伝」として伝えられた。ただし、観賢は案文作
成前の延長3年(925)に示寂しているので、「略伝」末尾に貼り付
けられた断簡にある「書主中臣真金」が書写した可能性があるという。
https://buddhist-study.jimdo.com/4-高僧来訪譚/
聖宝はまた、金峯山との関わりも多く伝えられているが、佐伯氏は信憑性があるのは「醍醐根本僧正略伝」の
「金峯山に堂を建て、並びに居高六尺の金色如意輪観音、並びに彩色一丈の多門天王、
金剛蔵王菩薩像を造る。・・・・金峯山の要路、吉野河の辺に船を設け、渡子(とし)、
傜丁(ようてい)六人を申し置けり」であるとし、これ以外の諸書が伝えるのはすべて
伝説であることを指摘。大隅和雄氏の著作「聖宝理源大師」を引用しながら、聖宝が
金峯山に堂舎を建て、仏像を造り、金峯山への要路である吉野川の渡船の設置と船頭
・人夫を配備したのは、若き日の南都修学時代ではなく、彼の宗教的活動がかなり熟
していた時期のことである、とされている
金峯山に堂を建てただけで、修験者であった証拠にはならない
十禅師であることは確認されているが >>780
>空手(くうしゅ)にして鋤頭(じょとう、すきがしら)を把(と)り、
>歩行して水牛に騎(の)る。人(ひと)橋上(はしのうえ)より過(す)ぐれば、
>橋は流れて水は流れず。
貴方の答えはなんですか?
どなたかこれが分かる方おられますか?
おられるなら無手で書けw このような活動によって、
後に聖宝は修験道再興の祖として仰がれるようになりました。
↑
堂を建てたりした功績によって
後の時代に「修験道再興の祖」と仰がれただけで
本人は修験道者ではなくて、いわば公職の十禅師なんですよ >>785
つまり国の重要文化財の内容は嘘で佐伯氏を耄碌呼ばわりしといて認知症の証拠は出せない代わりに別の事実を持ってきて更に中傷したって事か?
醍醐寺に対する信用毀損と個人に対する名誉毀損か?
それ 犯罪ですよ >>787
自分で醍醐寺に電話して話し合ってくれ
公式HPに書いてる事まで否定するならこそこそしないで 其処までやれよ
それで醍醐寺が表記を変えたら教えてくれ
ご苦労だった >>786
分かっちゃいけませんよ、分別ですからね。
自分で答える以外に手はありません。 そのまんまのこと書いてるだけちゃうのw
もしかして >>753
逆転感覚、
目の前から世界が消える?
なんにもなってないw
単に感覚が変になってるだけw 修験道の聖地は友達が行ったりしてたけど
めちゃんこ危ないらしい
ハジは行ったことないけど
超絶危険な感じの話をしてたよーな微かな記憶 >>791
わたしはすでに答えてますよw
>>792
そのまんまっていうと・・・? >>795
恥ずかしいから答えたくないww
たぶん間違えてるし
まあ、もしかしてと思っただけw
それに、その歩きながら水牛に乗ったり
空っぽの手でなんかもったり
橋の上を過ぎて、橋が流れて、水が流れてないのが
一体何なのかwwww
どーでもいい気もする、笑笑 リアルワールド
リアルアイアム
これが正師なら、それに教えてもらえばよいと
世紀の大発見
如来は、すでに、ここにいた
(˶⌒ワ⌒˶)〜なんちゃって♪ >>793
いやいや 結構大事な事だよ
地球中心に天体が動いてるのか 地球も動いているのか 互いに動き合っているのかで昔 大論争が有ったぐらいだから 自分の感覚を絶対視しないっていう意味では貴重な経験だと思う >>796
別に点検してるわけじゃないよ
最近見かけなくなった人が釣れるかとおもって言っただけだよw
あ〜書いてあるそのまんまのことが起こったってこと?
たとえば本当に橋が流れて水が本当に止まってる とか?
ネットでも調べてみたけどほぼズレてるねw
>>797
考えは人を惑わすからね〜。 あれから伝え方を考えてみたけど無理だったw
一切を対象としない ってことなんだけど、しないってことをするとか、
あ、いま対象化したんじゃないかとかチェックしたりね。 これも対象化なわけで。
まーありていだけど自分発でなんかしなければいい感じかな。
もちろん生活してるんだからすべきことはしてね。
意外に普段から大して対象化せずに生活してるって分かるよ。
そうなったらしめたもんでその通りにしてたらいいだけの話だからね。 >>741
馬鹿珍や?
ひと段落付いたから答えてやるw
A.橋から眺めていたからだろ、アホかw
B.>>717見ろ、ボケw
C.忘我状態でも意識はっきりとしてるよ、タコw
D.非思量中に”我意識”はねーだろ、後得智(思量)として表現だ、マヌケw
E.上に同じだ、バカw 自分が頭に持ってきて対象化せずに済ませてるところをお見掛けしないとわかんないかも。
ヘタしたら生活の九割、そうかも。 あ、私がそうなんかなw 頭使ってない。
たとえば今、キーボード打つにしてもスマホで打つにしてもほぼ意識せずにやってる動作
あると思うよ。いちいち対象化なんかしてたら何にも進まないよw
南伝の仏教がそんな感じだけどね 一年半くらい狂ったみたいにしたことあるけどw >>798
ハジは昔、集会で、まあある集会で
壁が自分になってると発言して、神妙な空気を作り出した経験が有り
それと、世界が動いて自分は止まっているは、よく似ているw
そーゆーのは、感覚か変になってるって感じ
あれ、動いてるのに、動いてないみたいなのも、たまにある >人、橋上より過ぎれば、水は流れる
↓
>人、橋上より過ぎれば、橋は流れて水は流れず
↓
>人、橋上より過ぎれば、水は流れる
思想的に表すと、言語によって構築された世界の解体と再構成という、円環的な認識の回帰って事となる。
実体験的には、禅定体験による言語機能の止滅と智慧の発現って事になる。 賢いなぁ〜。 昨日から中論の入門サイト見てるけど、
初心者にやさしい!みたいなこと最初に書いてるくせに難しくてすぐリタしちゃうw
大抵読みにく〜いサイトだし・・・ またリタしそうw >>799
ネットはレベルが低すぎる
聖人の言葉、そのものが、書かれている
とか
昔の芸術家の、仏像や、建築物などは、例外
それに対する解釈を、偉い先生が書いてたりするが、、、
それにハジの瞑想体験で、出てきたものとかも、まったくどこにもない
まあハジの妄想だからという可能性が99%だがw
世界→自己
自己→世界
の違いが、そのまんまではない?
のかなあ
それを勉強しても悟れない気がめちゃくちゃするんだがw
悟った奴というか、悟ってないけど、チョット要諦がわかった人が、自慢が抜けてないから書いてみたんちゃうのか
うーん、いや、この話のこと知らんから偉い人の話やったらホンモノかも >>795 名無しは荒らし さん
> >>791
> わたしはすでに答えてますよw(笑い)
空手(くうしゅ)にして鋤頭(じょとう、すきがしら)を把(と)り、歩行して水牛に騎(の)る。人(ひと)橋上(はしのうえ)より過(す)ぐれば、橋は流れて水は流れず。
> 貴方の答えはなんですか?どなたかこれが分かる方おられますか?おられるなら無手で書けw(笑い) 』
笑いながら、あなたが言う答えを言ってみたそうですが、また、お出なさい、です。無手であなたは何を書いたのか、をお尋ねします。 >>802
それも一つの見方 見え方として 大事なヒント
仏教でいうありのままってそういうの全部含んでるからね
視点の変化は貴重な経験だと思うよ >>805
まー達磨大師のお弟子さんらしいけどね。
上手いこと言うなーって思ったよw
>>806
え?w めんどくさいけど自分のログひろってきたよw
>680神も仏も名無しさん2019/10/17(木) 11:25:54.81ID:vAqPlEVV>>703
>>665
橋を歩いてるだけじゃない。
>ま〜単に畑か田んぼを耕してるってだけのことですね。 >>806
いいからお前は心療内科に行けってw
それと認知症の治療なwwwwwwwww >>807
神秘体験に関してなら、仏教よりも、以前に、少しなら経験しているし、おそらく、僧の修行では、でないものもある
天空の歌や、円鏡の世界や、体が自分で動いている等は、仏教では無さそう
仏教で感動したのは、というか、仏教にはまったのは
それらが以前にあるという視点
それ以前なら、頭のベールを脱ぐ体験について、この、まあ以前の2チャンネルで教わったから
頭のベールを脱ぐ体験
あれ、仏教って、結構すごかったの?
マジダサいと思ってたのにからの、
体験以前に関する指摘で、ドハマリしたけど、あんまり読んでないから、ここで情報収集 >>801
塵を払い 垢を落とすと唱える作業と掃除をするという二つの作業を同時にやるとどちらか一方に偏る事は出来ませんからね
けれどやって行く内にどちらもこなせる様になる
脳が作業をマスターして自動化の流れに乗るから今度はそこへ思考が入り込むけど それも薄れて没頭します 没頭してる間は自意識が無いから細かい記憶も消えています
終わったら アレ? 掃除をしてる間の自分は 心は何処に?と… >>810
俺らも僧の修行は認められて無いから今出来る事は日々のお勤めとお勉強だけ
神秘体験も論理的に考えて行ったら ヒントになってたりするから 判る迄は保留
人と話してて ああそうか ってなる事も有るから 何処に答えが落ちてるかは前もって判らないよ
ただ閃いた時のスッキリ感は気持いいね >>811
人間の機能は素晴らしい出来栄えですからね。
そういうのってほとんどの人間が経験してることなんですけどね〜。
それこそ私の推し進める、一切を対象化しないなんですけどね(きりっ
内と外を仮定したら内のことばっかりだから大抵が。
ご先祖様もだからモノの方からだとあれほど口酸っぱく・・って、
草葉の陰から泣いてますよw >>812
そうですねーw
いつどこで宝と出逢うか、わかんない
ハジはお寺も学校も通ったわけじゃないから、な
まあ親鸞に関してはチョットだけ知ってたけど、、、
ここの、超絶達人たちの話は、自分目線じゃないから、いいんだよねえ
へぇー、こんな人もいるんだなあ
そこに、そこまで詳しい人が世の中にはおるんかあとかw
とか、キャラ濃いしwwww
なんとなあーく、この辺、勉強しとかんとなんかとかあるし >>814
あら? じゃあ南無阿弥陀仏唱えてたらいいじゃない。
それが嫌なのかな。確かにしんどいけどw
私からみて完全に行き切ってますよ親鸞。 >>813
内と外の使い分けも伝統文化
何処かで仏教と繋がってると思います
先祖は何時までも此方にばっかり構っていません
それぞれの課題が有る事でしょう >>815
親鸞って結構すごかったの?
如来の世に現れたのも、ひとえに親鸞一人が為なり
みたいなんは、スゲーなと思ったけどw >>814
俺だって五年前は何にも解らなかったよ
仏教が有る事は知ってても宗派間でこんなにも違うのかとか全く知らなかったしね
鎌倉以降の仏教は殆ど知らないけど 法然さんと道元さんはチラッと読んで頭良いなと思ったよ >>808 名無しは荒らし さん
空手(くうしゅ)にして鋤頭(じょとう、すきがしら)を把(と)り、歩行して水牛に騎(の)る。人(ひと)橋上(はしのうえ)より過(す)ぐれば、橋は流れて水は流れず。
> 貴方の答えはなんですか?どなたかこれが分かる方おられますか?おられるなら無手で書けw(笑い) 』
笑いながら、あなたが言う答えを言ってみたそうですが、また、お出なさい、です。無手であなたは何を書いたのか、をお尋ねします。
> わたしはすでに答えてますよw(笑い) 』
>>806
> え?w(笑い) めんどくさいけど自分のログひろってきたよw(笑い) 』
(。_゜)〃ドテッ!
..・ヘ(。≧O≦)ノ ワァ〜 ヤバイひとだったんだぁ〜愉快犯だったねφ(.. )メモシテオコウ
>>816
まぁ人に伝えるのには便利ですけどね。
自分の言葉で伝える縛りしてるんですよいまw
>>817
たぶんあなたの方が詳しいんじゃないw
話を多少読んで、あっこれは達してるなーと思ったよ。
もうね、仏教のこと大分、忘れちゃったんだよね。
本もまったく読まなくなったしね。 >>820
そーゆーのわかるんだ
達してる人って死んだらどうなるか知ってるの?
もう死ぬのが怖くないの? >>822
多分それ以上何度も死ぬ事が無いと確信出来たら怖がる事は無いんじゃない?
これで最期だ〜ってなったらワクワクするかも
次は天界だよって報せが来ただけでも小躍り状態じゃないかな?
多分‥笑 >>822
だから私からみて だよ。
達してるから知ってるでしょー。
簡単な理屈として死後、自分の死は見届けらんないよね。
産まれたわ!オレ!て、自覚あった?
結論、我が人生において私の生死は無いw えーッ
まあ、そうなんやけど
手切ったりしたらめちゃんこ痛いわけやん
それ以上の超絶苦しみを通過せんとあかんわけやから
普通、小躍りとか、せんよな、笑 お釈迦様が感官の抑制しなさいとか
歓喜は束縛だとか
輪廻から解脱して彼岸へ行きなさいとか
言ってるのは
生老病死の苦を滅尽させる為ってことで
どーみても体が問題になってきて、まあ、身心か
悟った人はどないしたわけか生死のない安楽にいるらしいから、それって全人類、だれもが学ぶべきものやんね >>825
それを何千何万回?と繰り返してるから死ぬのが怖い訳じゃない?
微かにその時の記憶が有るから怖いんだよ
解らないままに苦痛と共に別の世界に逝く感覚だけ残ってるから
過去の記憶が戻って死ぬ前と死んだ後と生まれる前に何処で何してたかが判って 六道を知り尽くして 未来を見て来世が見えなくなったら上がり
つまり最期の苦痛を過ぎたら それ以上苦しむ事は無いと解れば 俺なら喜ぶよ >>826
日本仏教の解釈だと草木に至る迄 命有るものは皆いつか必ず成仏するらしいけどね
輪廻が有ると知り それが苦で有ると知り 其処から脱け出す方法が有ると解れば 後はその為に何をすべきか 何をすべきでないかを学んで身に付けて行くだけじゃない?
そう意識するだけでも死後に差が出るかも 犬には仏性がない。人間にも仏性がない。
なんでか。
無字の公案である。
バカ大山には理解できない。
大爆笑である。 833.絶対無を前提に置く、が宗教である。
そんなことが出来る、か。
普通は、それで終わり、である。
大爆笑である。 >古典物理学において、物理的に何も無い空間を真空と呼び、真空は完全な無であると考えられてきたが、現代物理学においては、真空のゆらぎによって、何も無いはずの真空から電子と陽電子のペアが、突然出現することが認められている。
このことによって、現代物理学では完全な無(絶対無)というものは物理的に存在しないとされている。 いじめ被害過去最高を更新するも 世襲仏教は 優越感と支配欲を求めるのみ。
こういうものに盲目的に供養し続ける信心深い人たちは 畜生道だから、
死ぬ前に餓鬼道の様相を示す。 餓鬼道に堕して なをもこの世に執着する。
日本人に見られる畜生道的特性は 世襲仏教が原因の一つと思惟されるので ヨロシクお願いいたします。 キリスト教では 十戒を破ると信者とは見なされない。
最低限守らなくてはならない事だ。
外国の仏僧は みな戒律を守っているのに どうして日本だけ守らないの ?
あ、そういう扮装をしたヒツジを食らうオオカミね。 聖なる火で焼けばいいじゃん。
あ、それで妨害するのね 了解。 修験道まとめ
1.鎌倉期資料『二中歴』では9c後半から11cに活躍した験者は、16名で 真言宗1人で、他は天台系。
2.修験道の祖される役小角は、験者ではなくて聖者の「奇異行者」7人の一人
3.天台本山派は、平安時代から主流であった。
4.対して真言当山派は、聖宝を修験道の祖として平安時代からあったように主張するが
5.874年に醍醐寺を開いた聖宝は、終身の公職の十禅師であり、験者ではなかった。
6.十禅師は加持祈祷によって天皇の病気平癒や国家鎮護を呪術的に祈るもので
後の修験的な要素はあったのだろうが別カテゴリーであった。
7.しかし室町期になると「大峯当山本寺興福寺東金堂先達記録」で聖宝が祖とされた
8.江戸期になると本山派と当山派が幕府から修験道の二大拠点とされた。 醍醐寺HP曰く
「本派成立の起源は、弘法大師の実弟・真雅僧正の弟子である理源大師・聖宝が874年
笠取山に自ら彫った准胝観音と如意輪観音を庵に安置し、醍醐天皇の帰依を受け、勅令
によって薬師堂、五大堂などの諸堂を建立しながら醍醐寺を開創したことに始まる。以
降、醍醐寺は小野流と呼ばれる法流を中心とした法流本山として、祈りの伝承を現在
に受け継いでいる。
傍ら修験道の曩祖・神変大菩薩の霊異秘訣を相承し、永らく途絶えていた大峯山入峰
修行を再開して修験道を再興し、山岳修行とともに諸仏教を納めて、修験道と密教法
流を確立した。現在でも醍醐寺、真言宗醍醐派の寺院・教会は、聖宝の残した「実修
実証〜入りて学び出でて行なう」を教えのもととして、真言宗本宗と修験道を学び、
実践している。
↑曩祖・神変大菩薩(役小角)の霊異秘訣とはなんぞや 醍醐寺HP曰く↓
長らく途絶えていた大峯山入峰修行の道を再び開いたのは、
醍醐寺の開山・聖宝僧正であり、
「霊異相承」(目に見えない心の中での伝承)の祈りを大切にする
醍醐寺三宝院の流れを当山派修験道と呼んでおります。
↑
霊異秘訣とは「目に見えない心の中での伝承」つまり
勝手にそう唱えているだけと醍醐寺が認めているということだ >>842
霊位相承というのは神秘体験の事だよ
理解出来るセンス無いなら仏教辞めたら?
理屈だけの学者擬きとの言い合いから学ぶ事なんて此方には無いから 一人で耽ってれば良いよ
アンタの千擦りに付き合わされる筋合いは無いね 以後ハゲはあぼんね
他人の時間を盗むだけの輩に用は無いから 醍醐寺は、面識のない昔の人である役小角から
神秘体験で相承を受けたと主張しているわけだが
ただのイカサマぢゃん。
君はわたしが役小角から霊異秘訣を相承したと主張しても信じないだろ
私は醍醐寺と違ってそんな馬鹿な主張をせんが
君は俺に反論できないからアボンしたらよいが、史実としては
聖宝を、役小角以降途絶えていた修験道の再興の祖とする伝承が生まれた。
聖宝の著作と伝えられる修験道関係の書は、
今日では、すべて聖宝に仮託して後世に書かれたものとみられている。
ということらしいよ。 聖宝が「役小角に私淑して吉野の金峰山(きんぷせん)で山岳修行した」というのは
作られた伝承であって史実では無いので、聖宝の年表に記載されていない
天長9年(832年)2月15日、讃岐国(現・香川県)・塩飽諸島の本島で生まれる[。
承和14年(847年)、16歳のとき真雅(当時、東大寺別当)に随い出家。東大寺に入る。
はじめ元興寺の円宗、願暁から三論宗を学び、次いで東大寺の平仁に法相宗、玄永に華厳宗を学ぶ。
諸宗を学んだが、三論を本宗とした。
貞観11年(869年)、興福寺維摩会の竪義を勤める。
貞観13年(872年)、真雅に無量寿法を受ける。
貞観16年(875年)6月、山城国宇治郡の笠取山(醍醐山)の山頂に醍醐寺(上醍醐)を開創したと伝えられる。
元慶3年(879年)2月、弘福寺(川原寺)別当に任ぜられる。
元慶4年(880年)、真然に両部大法を受ける。
元慶8年(884年)、源仁から伝法灌頂を授けられる。
仁和3年(887年)3月、朝廷から正式に伝法灌頂職位を授けられる。
寛平2年(890年)8月、貞観寺座主に任ぜられる。
寛平6年(894年)12月、権律師、権法務に任ぜられる。弘福寺検校に任ぜられる。
寛平7年(895年)2月、東寺二長者となる。
寛平8年(896年)、東寺別当を兼ねる。
寛平9年(897年)12月、少僧都に任ぜられる。
昌泰2年(899年)、一説に宇多法皇が東大寺で受戒したとき戒和尚を務める。
延喜元年(901年)1月、大僧都に任ぜられる。
延喜2年(903年)3月、権僧正に任ぜられる。
延喜5年(905年)7月、佐伯氏の氏人から東大寺東南院を付属され、院主となる[5]。東南院は聖宝の門流によって代々継承され、三論教学の拠点として発展。
延喜6年(906年)10月、僧正に任ぜられる。法務となる。東寺一長者となる。
延喜7年(907年)、醍醐寺が醍醐天皇御願寺となる。以後、山麓の下醍醐を中心に飛躍的に発展。醍醐天皇のため准胝堂で朱雀・村上両帝の誕生を祈ったと伝えられる。
延喜9年(909年)4月、病床に就く。宇多法皇、陽成上皇が普明寺に病気を見舞う。6月、上表して僧正を辞する。7月6日、入滅。享年78。
宝永4年(1707年)1月、理源大師の諡号を賜る。 修験道 本山派と当山派
1.平安時代から修験の中心の天台本山派
2.真言系修験者は、南北朝時代から室町期にかけてゴロツキの修験者どもが
大寺院の支配を脱し自治組織をつくり当山衆などと称した。
3.江戸時代になると修験道の本山派の一派独占に対抗して醍醐寺の塔頭の三宝院の
義演を頼り家康に働きかけ、当山派有利となる修験道法度を制定させ、二派分立となった
4.三宝院の義演を頼ったため、これ以降再び当山衆は醍醐寺の支配下となった >>841
一応でおーの反証を待ってからまとめたら? >>845
お前が言っても誰も信じないけど空海や聖宝がそうだと言ったら信じる人は多数
密教そのものに神秘体験をする仕掛けが含まれてるからな
在家は顕教しか赦されないけど それでも某かの神秘体験をする者はいるし した者同士で互いに認証し合うから千二百年以上も続くんだよ
仏教二千六百年の内約半分は密教なんだから どれほどのものかは 自分で経験しなくても想像出来ると思うがな
まあそれをキャッチするアンテナが無いんじゃ幾ら言っても無駄だから 以後話し掛けるなよ 知識と論理で、やっとこさ大悟の池の周りまで達しても、
なお、知識と論理で、池の中を見極めようとするのが多い。
あたかも、竹竿で池の中を探るが如し。
後は飛び込むしかないにもかかわらずである。
まあ、飛び込むのは危険だから、身は安全な池の周囲置いたまま、
池の正体を把握したい気持ちはわかるが。
それは不可能。
大悟には大勇猛心が要る。
だから難しい。 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
聖宝
しょうぼう
(832―909)
平安時代の真言(しんごん)宗の僧。醍醐寺(だいごじ)の開祖。京都の人。空海の高弟真雅(しんが)の下で出家し、諸寺に三論(さんろん)宗、法相(ほっそう)宗、華厳(けごん)宗を学び、ふたたび真雅の室(むろ)に戻って真言宗を学ぶ。
880年(元慶4)高野山(こうやさん)の真然(しんぜん)(804/812―891)に学び、887年(仁和3)には東寺(とうじ)の源仁(げんにん)(818―887)につき阿闍梨(あじゃり)となる。
役小角(えんのおづぬ)の故事を慕って、日ごろ山に登り川を渡り山野に苦行修練して、修験道(しゅげんどう)の基礎を築いたので、「修験道の醍醐寺」といわれる。
真言宗の法流には大きく分けて小野(おの)流と広沢(ひろさわ)流があるが、小野流は、彼の弟子観賢(かんげん)から広まったので、聖宝はその祖師と仰がれる。
のちに理源大師(りげんだいし)の号を賜る。[平井宥慶] 世界大百科事典 第2版の解説
しょうぼう【聖宝】
832‐909(天長9‐延喜9)
平安前期の僧。天智天皇6世の孫。恒蔭王といったが,16歳で東大寺に入り,空海の実弟の真雅を師として出家し,願暁,円宗に三論を,平仁に法相を,玄栄に華厳を学んだ。
869年(貞観11)に興福寺維摩会の竪義(りゆうぎ)に出て,三論宗の立場で論を立ててその名を知られるようになった。
その間真言の修学に励んでいたが,
860年ころから山林修行に心を傾け,各地の霊山を巡るうち,874年に京都の東南の笠取山頂に道場を開き,それが醍醐寺の起源となった。 >>845
>君はわたしが役小角から霊異秘訣を相承したと主張しても信じないだろ
>私は醍醐寺と違ってそんな馬鹿な主張をせんが
でおーから聞いたけど、どっかのスレで精霊のスペルマンだかなんだか知らねーが、それを受けたとか自称してるキチガイがいるらしいねw
あんた、知ってる?
wwww >>850
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
で? https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/220280/9
神仏習合思潮のなかで誕生した日本独自の尊格である蔵王権現(ざおうごんげん)の彫像。修験道(しゅげんどう)の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が感得したと伝承されるが、
文献上では、京都・醍醐寺(だいごじ)の開山である聖宝(しょうぼう)(832−909)が金峯山(きんぷせん)において造立した三?(く)の像のなかに「金剛蔵王菩薩」が含まれているのが注意され、史実としてはこの頃に成立を求めるのが穏当だろう。
本像は岩座まで同材から彫り出す一木彫像(いちぼくちょうぞう)。忿怒(ふんぬ)の相のなかにも平安後期風の典雅さが感じられる。失われた右腕は上方に振り上げ、金剛杵(こんごうしょ)を握っていたものか。 >>848
だいおうはただの荒らしなので、反論を期待できない。
>>849
つまりあなたは権威づけにはころりと騙されるということですね
醍醐寺は江戸幕府より真言系修験者の監督を命じられたので
本山派に対抗するための権威づけとして役小角と聖宝をアイドルとして利用している
だけですよ。証拠 当山派では
「南無遍照金剛、南無聖宝尊師、南無神変大菩薩」
空海さんと聖宝さんと役小角さんに南無しているわけです。
>>851
>役小角(えんのおづぬ)の故事を慕って、日ごろ山に登り川を渡り山野に苦行修練して、
>修験道(しゅげんどう)の基礎を築いたので、「修験道の醍醐寺」といわれる。
史実ではなくて、醍醐寺がイカサマしてでつたあげた伝承なので「いわれる」と書かれている
>>852
>860年ころから山林修行に心を傾け,各地の霊山を巡るうち,
これが伝承で史実ではない。
>874年に京都の東南の笠取山頂に道場を開き
史実では875年6月に笠取山で醍醐寺を開く >>857
>だいおうはただの荒らしなので、反論を期待できない。
反論が出来なければそりゃそれで、でおーの仮説が検証されないし、本人の信用が損なわれるだけですから。 >>856
HPでは、蔵王権現立像は平安時代12Cとされているが、
12Cの偶像を
10C初めの909年に死んだ聖宝がなぜ安置できるのか。
10C初めに死んだ聖宝が造立した「金剛蔵王菩薩」の中に
蔵王権現立像が含まれていたのであれば、
蔵王権現立像は、考古学的に9Cあるいは10Cものと証明されないと
整合性がないのではないか。
つまりよくて、10Cの「金剛蔵王菩薩」の12Cに作られたレプリカ。
しかし「金剛蔵王菩薩」三体の中に蔵王権現立像があったとは証明されていない
ので、実際は類似品だろ >>857
>つまりあなたは権威づけにはころりと騙されるということですね
違うわ 笑
自分の体験と多くの逸話から信じられると言ってるだけだ
0感のアンタには解らんよ
>>修験道(しゅげんどう)の基礎を築いたので、「修験道の醍醐寺」といわれる。
>史実ではなくて、醍醐寺がイカサマしてでつたあげた伝承なので「いわれる」と書かれている
国立博物館でさえ聖宝の金峯山寺入山を史実として扱ってるのだから 専門の研究者が見て信憑性が有ると言うことだよ
もう一つは認めない >>859
その文章は蔵王権現という尊格の成立年代を言ってるんだよ
日本語の読み書き大丈夫かね? >>777
験者
・玄昭…846−917天台 奈良の勢範を論破し醍醐寺の聖宝に因明王とよばれた
・相応…821-918天台 千日回峰行の祖
・朗善…「聖者の奇異行者」 滝行者 那智滝の熊野那智大社 仙良院—弁義仙然〈朗善(和尚)〉か?
・勧修…945-1008天台
・勝算…939−1011天台
・深覚…955−1043真言宗 寛朝に灌頂をうけ,京都禅林寺にはいる。
東大寺別当,東寺長者をへて,石山寺にうつり,治安3年(1023)大僧正。
晩年,高野山に無量寿院をひらく
平安時代の真言の験者は、深覚だけ。
この系統は
寳壽院は、もとは無量壽院と称されていた。無量壽院は、1016年(長和5年)に
深覚僧正が開基となり創建された。
室町時代には、長覚尊師は不二門教学、寳性院の宥快法印は而二門教学を確立した。
このことが南山教学がさらに発展していく契機となり、無量壽院と寳性院は高野山山
内の塔頭寺院の中では、高い格式が与えられた。ともに門主寺と呼ばれて、江戸時代
に全盛を迎えた。
1913年(大正2年)6月、高野山内に大師教会本部を設立するために、大師教会本部が
建設される土地にあった寳性院を無量壽院に合併し、寺号を寳壽院とした。高岡隆心
大僧正が初代の門主に就任した。
1839年(天保10年)に本堂は焼失してからは再建されなかったが、1970年(昭和4
5年)には本堂が新築された。
1973年(昭和48年)、大本山に昇格。
今は高野山専修学院が置かれているそうで、修験道とはかかりはない >>860
おやさま教さんですね。
ちなみに、モラロジー研究所の廣池千九郎はご存知ですか? http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index227.htm
平安時代になりますと最澄・空海の山籠修行の提唱もあり、両宗の密教僧たちの山岳信仰が興隆します。同じ山林修行であっても最澄は山林寂居といわれ、空海は山林苦行といわれます。
この違いは空海が山林優婆塞としての生活を、入唐まで続けていたことにあるといいます。(井上光貞著『日本古代の国家と仏教』一〇七頁)。
比叡山では回峯行をはじめた相応、真言宗では金峯山で修行した小野流の聖宝、大峰山の道賢(日蔵)、浄蔵は有名です。
このような山岳で修行し験力を身につけた者を修験者と呼ぶようになったのです。
また、行基や道鏡も同じように山林・山岳修行者であり、多数の修行者はそれぞれ記憶力を増進するために「如意輪求聞持法」、罪障消滅の「如意輪観自在菩薩念誦法」、「如意輪陀羅尼法」などを修したといいます。
修験者はそれぞれが信仰する仏典に依拠して山林修行をしますが、とくに、宗派に偏せずに自己の身心を鍛えるために修行をすることが多いのが特徴です。
ゆえに、修験宗とはいわずに修験道といわれました。
教義としては修験者の衣体・法具・修法に関するものが大半で、その多くは密教理論をもって意味づけられています。 >>861
>国立博物館でさえ聖宝の金峯山寺入山を史実として扱ってる
「醍醐根本僧正略伝」の「金峯山に堂を建て、並びに居高六尺の金色如意輪観音、
並びに彩色一丈の多門天王、金剛蔵王菩薩像を造る。・・・・金峯山の要路、
吉野河の辺に船を設け、渡子(とし)、傜丁(ようてい)六人を申し置けり」は史実。
但し聖宝が金峯山に堂舎を建て、仏像を造り、金峯山への要路である吉野川の渡船の
設置と船頭・人夫を配備したのは、若き日の南都修学時代ではなく、
彼の宗教的活動がかなり熟していた時期のこと。
なので、聖宝は単なる尊格ではなくて像としての
「金剛蔵王菩薩像」を10C造立して安置している。
ところが奈良国立博の蔵王権現立像は12Cのものだがら
聖宝のものとは別物
>>862
10C初めに死んだ聖宝は「金剛蔵王菩薩」を造立したんです。 >>864
知らないですねー。
私はなに教てのは無いですねー。
無宗教でもないです。 >簡単な理屈として死後、自分の死は見届けらんないよね。
>産まれたわ!オレ!て、自覚あった?
>結論、我が人生において私の生死は無いw
觀本際品第十一
11・4
若し先に生有らしめ、
後に老死有らしめば、
老死なざる生有り、
生ならざる老死有らん。
たいしたもんだ。
安穏あれ >>866
像名に蔵王権現立像と書いて 年代も後
文中には金剛蔵王菩薩と有るんだから別物は当たり前
最初から像を証明にしてるんじゃなくて文章なんだけど意味判らない?
仏像の製作年代じゃなくて蔵王権現の成立年代が聖宝の頃じゃないかと筆者は言ってるのね
日本語は通じてるみたいだけど話が通じない人なのかな? >>867
私の家は、代々、浄土真宗なので、私は浄土真宗を勉強していますが、
親鸞聖人の教えとは、違った経典解釈をしています。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/3665/1560853114/1-14
↑
突き詰めて行くと、別に無宗教でもいいんじゃね?
・・・と言ってる私の妄想なんですが、
これと似た感じですかね? http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-walk/cat50/post-218.html
聖宝の大峯再開は、入峯修行の復興のみならず、修験道に明確な「密教化」をもたらした。例えば、昌泰二年(八九九)四月、大和鳥栖真言院鳳閣寺において「秘密灌頂」の法儀が盛大に行われている。
大祇師は聖宝、中祇師は観賢、小祇師は貞崇で、「結縁灌頂」も開壇され、皇族・公家・庶人三百四十余人が受者となったと記録されている。
そしてまた、昌泰三年(九〇〇)の鳥羽上皇の大峯行幸の際に、
聖宝の弟子である助憲が大峯の検校職に任ぜられたことを機に、聖宝の法嫡が代々の検校職を務めるようになり、やがて三宝院門跡となると、代々の門主が検校職を兼ねるようになり、大峯と當山派修験の関係が堅固なものとなっていく。
平安中期から後期にかけて、大峯には當山派修験の継承者だけでなく、全国から衆徒が入峯し隆盛する。その衆徒の指導にあたった先達は、三十六ケ所に三十六人が定められていたようである。三十六所とは、
大和国金剛山・安部・三輪・釜口・菩提山・鳴川・桃尾・信貴・高天・茅原・松尾・矢田・法隆寺・中ノ川・西小田原・超昇寺・多武峯・吉野桜本・内山・初瀬、摂津国霊山寺
・丹生寺、近江国飯道寺、伊勢国世儀寺、紀伊国高野・根来西・寺東・粉河寺、和泉国槇尾・神尾・高蔵・和田・中川牛瀧、山城国伏見・海重山などである。
今日の真言宗総大本山と重なることに注目しておきたい。
(三)鎌倉期〜室町期
源義経が頼朝の邪推と勘気を受け、奥州平泉に落ち行く際に、関所にて役人の査問を受け、弁慶が山伏姿にて勧進帳を読み上げて嫌疑を晴らす「安宅の関」の物語がある。
これは、山伏という階級が社会的信用を得ていたことの証左といえるが、この当時、三宝院門主が大峯の入峯修行者に大宿・二ノ宿・三ノ宿・正大先達などの官位を与えていたこととも関係しているようである。
またこの時代には、大峯に入峯して柴燈護摩供を修して天下泰平を祈念するということが、国主(守)・城主に至るまで行われていた。 >>866
本文の意味が解ってないみたいだから Wikipediaチェックしてね
それと文章読みこなす力も無いのに挑まないでください
凄く邪魔
役小角自体が伝説的な人物であり、蔵王権現像の製作が実際にいつ頃から始まったのかは判然としない。滋賀・石山寺には、本尊・如意輪観音の両脇侍として「金剛蔵王像」と「執金剛神像」が安置されていた。
これらの像は、正倉院文書によれば天平宝字6年(762年)制作されたものであるが、正倉院文書には両脇侍の名称を「神王」としており、「金剛蔵王」の名称は平安時代の記録に初めて現れる。
これらの像のオリジナルは現存していないが、「金剛蔵王像」の塑像の心木が現存しており、右手と右脚を高く上げた姿は、後世の蔵王権現像と似ている。 >>869
奈良博は、蔵王権現は役小角が作ったと伝承されているが信用できん。
文献的に遡れるのはせいぜい聖宝の「金剛蔵王菩薩像」までだ。
としているわけだが、
修験道の11c「蔵王権現立像」と、聖宝の9c末の「金剛蔵王菩薩像」とは
「蔵王」という名称は同じだが、「権現」と「菩薩」という違いがある上、
聖宝は「金色如意輪観音・多門天王・金剛蔵王菩薩像」をワンセットで造立したが
修験道の蔵王権現像は「本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、
弥勒菩薩(未来世)が三体が権化されている」と見るが、見た目は三体とも一緒の像だ
つまりまつたくの別物だ。聖宝は修験とは無関係だが、
後代が関係づけたがっているだけ >>870
むきになっていないか?
彼に師がいるのかいないのか知らないが、
わたし大したもんだと思う。
己を中々許せないものです。 >>865
どこを読んでいるのだ そのHPには
聖宝を派祖とし醍醐寺三宝院門跡を頂点とする真言宗当山派に分かれます。
聖宝(八三二〜九〇九年)は諡号を理源大師といい醍醐寺の開祖で、真言宗小野流の祖、
のちに、当山派修験道の祖とされます。俗名は恒蔭王といいます。
天智天皇の六世孫にあたり、父は葛声王(かどなおう)です。
一三世紀後半頃から、聖宝を山伏の祖とする信仰が醍醐寺内に起こり、
熊野長床衆にも受容されていたようです(「醍醐寺新要録」「山伏帳」)。
醍醐寺座主義演(1558‐1626)の『醍醐寺新要録』など信頼のできない資料でも
平安時代の聖宝を修験道の祖とする信仰は鎌倉末の13C後半から起こったそうだ。
実際は早くて14Cの南北朝時代に聖宝をゴロツキの当山衆が担いだのだが
醍醐寺座主義演が擁護しても13C後半だ >>871
そのHPですら、明確に
伝説では「聖宝尊師が五十八歳の時、(宇多天皇の)勅を奉じて金峯山の毒蛇を退治し、
入峯の道を開き、退廃していた修行の道を再興し修験道を復興させた。金峯山を踏破
しつつ大法螺を吹くと、忽然と役行者が現われた。歓喜の表情の役行者は聖宝を道場
に導き、親しく龍樹から直授された秘奥の理智不二の秘密灌頂を受けさせた」とある。
別伝では「金峯山中で役行者の霊に導かれ、龍樹の浄土にて恵印の法流を伝承された」
としている。
伝説とわかっているようだよ。史実と混同しないでね >>876
ミスはしてません。
解釈の相違があったのかもしれませね。
今朝、ハジさんと名無しさんのやり取り見て
そう思っただけす。
エロ和尚殿の突っ込みが今一わからないです。
余計なことをして、申し訳ない。 >>878
そうですか。
下記のレスを見て、私を釣っているように見えたので、レスしてみました。
どうやら、別の人を釣ってるみたいですね。
799 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2019/10/18(金) 01:26:21.51 ID:8Xlyts0b [2/13]
>>796
別に点検してるわけじゃないよ
最近見かけなくなった人が釣れるかとおもって言っただけだよw
815 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2019/10/18(金) 02:44:07.58 ID:8Xlyts0b [7/13]
>>814
あら? じゃあ南無阿弥陀仏唱えてたらいいじゃない。
それが嫌なのかな。確かにしんどいけどw
私からみて完全に行き切ってますよ親鸞。 >>868
簡単な理屈なんで、大したことではないですよ。
自分で実際に確かめるのが一番ですからね。
>>870
1ー14まで読んでみたけどどれのことですか?
まー、違うと言っておきます。
信ずる用も疑う用もないので無宗教でもないですね。
だからと言って信じることや疑うことを否定してるわけでもありません。 >>880
レス番号12番は、あなたと似たようなことが書いてある
・・・・と感じています。
要するに、宗教に対してどんなスタンスを取っても、救われる
・・・・という意味です。
あなたにとっての「救われる」の定義を確認したい
・・・と思って、レスしました。 >>881
あ〜じゃあ全然違いますね。
行き切るからおまかせするんです。
南無阿弥陀仏と言うのはおまかせすると言う意味だと思いますよ。
私は一切を対象化しなかった場合、どうですか?と、ハジさんに投げ掛けてます。
そう言う時間を設けてはどうですか?って投げかけてるんですけどねー。
もちろんここでの会話や普段の社会生活では対象化しまくりです。
そう言うことも出来る力をみんな持ってるんですねー。
私の思う、救われるは一般とは全く違うかもしれませんね〜。
救われるという定義がないことなんで。 なにも相手にしてないんちゃう?
なにも留めてないんなら
なにも心残りがないわけで
その結論から何かが出てくると
それもまたほったらかしみたいな?
これはハジの想像だから違うかもやけども >>875
あのな 修験の名称が後からだとしてもその元になった山林修行自体は奈良時代にはされてるのも文献に有るのを理解してからものを言おうね
元々の話は修験の本流が何処かだから 役小角−空海−聖宝と山林修行の流れは有ったんだよ
修験道という言葉の本流の話なんて此方は最初からしちゃいないし 本流というからには高僧の直接関与と その後の脈が無いとおかしいだろ?っていう話をしてるのに何を言ってるんだよ?
聖宝の弟子が検校を務めたという話も出てるんだから崩すならそっからだろ?
後代が関連付けたがってるんじゃなくて反対したがってる勢力が有るだけじゃんか?笑 対象にしない
普通は外と内がある
まあ世界と自己がある
自己の対象が、まあ、頭と体に現れる
ん?
まあ頭の中も対象だから、内外に対して自己なんか?
その世界と自己がひと連なりになってるってことかな?
いや、ハジの感じだと
内外と自己というか
内外の活動だけの世界になるわけで
それは、要するに眺めてないんでしょ、たぶん >>877
それって伝説は伝説 記録は記録として併記されてるって事だよな?
文頭に伝説では〜って敢えて着けてる文節に於いては この部分は伝説ですよって言ってるだけで全文が伝説ではないという意味で「伝説では〜」と文中で前置きしてるんだけど 文章の構造が理解出来ないのか?
読めてるフリするなよ >>882
>>私の思う、救われるは一般とは全く違うかもしれませんね〜。
>>救われるという定義がないことなんで。
https://www.bttp.info/pickup/penrose-ccc/
↑私の場合、こんな仮説を見ると、救われた感じになりますね。
だから、一般とは全く違うし、「仮説の段階」なので、定義でもない。
>>867
特定の宗派を信仰していないけれど、
宗教のことは かなり勉強したと自負している人。
・・・・という解釈でよろしいですか?
私も似たような人間だと自負しています。 対象にしてないってことは
相手にしてないってことやんね?
他人がいる
対象にしてるってことは
他人を相手にしているってことと同じ
相手にしてないってことは
その他人が、自己と同列の扱いになってると
でも、例えば、松の樹、とか、猫、とかなら、その存在の内面が静かだから1つになってやすいけど
人間は、元オーム先生の遺伝子支配からの、快楽と自己保存の法則から、知性的に、損得勘定で動いているから
ここで他人と同列になってる
上でも下でも右でも左でもなく、真ん中でもなく
同じになってるには、こりゃ、超絶ムズいとwwww >>883
だって何も留められることなんて無いじゃない。
理屈でも不可能て分かるじゃん。
何らかの結論は出るかもね。でもイカダのたとえじゃないけど乗り捨てなきゃいけないものだからね。
捨てるとこまで行かないとペケかなぁ。
まー私は導師ではないんでこれだと思う師匠を見つけて下さい。 >>884
したらいいじゃんw
相手がいない?じゃあエロサイトだ!w >>886
対象化しまくりだねw
まぁ対象化してない時を見つけてみて。楽だよホント。 >>892
対象化から逃れるには、私をスルーしたほうがいいですよ。 まあ、ハジさんの導師は、元オームさんかもね。
とにかく、師匠のマネをすることが肝心らしいよ?
独り言だから、このレスは、スルーしてください。
レスされても、返レスしませんので、お許しを (ー人ー) >>888
まぁ私のとは違いますねw
今、外に出てみたんだけど天気悪くてどんよりしてました。
でも所々空気が澄んでるところもあって幾重にも層を成してる感じですかね。
いくら言葉を尽くしてもあの感じは表現し尽くせないですね。ありきたりの風景ですが。
これが救いかな〜。
自負してませんよ私はw ここの方々の方がよっぽどお勉強されてるんじゃないですか。 >>896
>>いくら言葉を尽くしてもあの感じは表現し尽くせないですね。
お釈迦様も、悟った内容を、表現し尽くせなかったでしょうね。
ただし、私は、親鸞聖人とは、違った経典解釈をしています。
私からみて完全に変な解釈してますよ、親鸞。
・・・・なのですが、釣られて貰えます? 自然やものと1つになってる
彼らがハジに襲いかかってきても
無意志だから
だけど生物の場合、意志をもってる度合によって、お前の意志で被害受けたぞ妄想が発生ww
この辺りの問題
意志の度合によって、怒りの度合も増してくる
猫が魚を盗んだり、ライオンが人間を襲ったりしても
まあしゃーないかあ
となるが、人間だと、心底、あかんやつと怒るとか 空の風景に溶けてるのは、難しくないだろうけど
怒り散らしてる他人と同じになってるのは、これは、難しことやないかなあ
つまり、そこには対象化が起こりやすいというか
元々、自然に対して、心を開いてるのは、皆、そうであって
キリストや釈迦などの、凄いのは
人に対する愛や慈悲があるところじゃない?
まあ虎に食われた話とかも、皆が、マジかあとなる
まあ作り話の可能性もあるが
要するに他人との関係性でも一如でなければ、あらゆるものと一如ではないはず >>889
対象化しないって言葉が分かりづらいかもね。ごめんなさい。
えー、例えば実際にやってみて欲しいけど、
携帯電話にしようか。スマホかな?
それを見てスマホって頭で判断するのが対象化ですね。
でもスマホって分かる前に見えてるでしょ。
その見える原風景のまんまで居ることかな。
実は生活のほとんど対象化せずに生きてる。
頭にあることばかり気にしてるから気付かないのよ。
無視するわけじゃないよ。
ブーンて家の前を車が通る音がするけど、
ニャーて、鳴いて猫の声だって判断するじゃない。
ニャーだけのはずだよ。
対象化してない自分の様子を見つけてみたら?
意図して対象化しない!てのはペケだよ。それしちゃってるからw
要するにこっちにいる自分に用が無いのよ。 >>900
ああ、そっち系の人ですか。
じゃあ、私は「釣り」の対象じゃないよね。
では、このスレでごゆっくりお楽しみください。 >>897
あーそうなんだ?変な解釈してる?w
まぁなら、仕方ないですね〜。
私も別に門徒ではないですし、正直、浄土系の概念もほぼ知りません。
何を読んだか覚えてませんがなるほどこの方はお釈迦さまが見られた景色を見たんだなと感じただけですから。
>>898-899
なんか一つになるとか、同じになるとかしてない?w
そんなこと言ってないよ。
じゃあこれでどうだ! いちいちのことがらを頭に持ってきて判断しない。
または判断してない時を見つける。
実際にやってみてねー。実践第一だから。
右から左を見回してみて。
そこにあるものすべて一々判断した?
してないはずだよ。出来るわけがない。
ここにティッシュがある。ティッシュて判断する前にもうあるのが見える。
当たり前なはずなんだけどなw >>901
釣りってのは、なんか以前に来てた人がいない気がして、もしかして台風でやられたかなーて、気になって言っただけですよw 900.心理学をやっているバカである。
大爆笑である。 >>885
>元々の話は修験の本流が何処かだから
そんな話は知らん。俺は単に事実を指摘しているだけ。
すると元々の修験の本流は天台本山派であったことがわかる
9c-11cの験者15/16名が天台。1人いる真言の験者の深覚の系統は修験道としての
発展を見せず、学僧系統の而二門教学から南山教学を発展させ今は高野山専修学院
となっている。つまり平安期に遡る真言宗系修験の正系は絶えている。
>役小角−空海−聖宝と山林修行の流れは有ったんだよ
三人とも修験と無関係だ。後代になって、本流の天台本山派に対等に対抗するために
でっちあげたイカサマ。
・役小角は、聖者の奇行行者
・空海は、833年に天皇の病気平癒の加持祈祷をしただけ
・聖宝は十禅師
呪術的な加持祈祷をする能力があったとされるので後代の修験道が名前を利用しただけ
>本流というからには高僧の直接関与と その後の脈が無いとおかしいだろ?
本山派では、850年に天皇の病気平癒の加持祈祷しただけの円珍を祖として権威づけて
いるが実際この系統は9c後半から11cに15名が験者として世から評価されている。
法脈がちゃんと確認できる。
対して、空海の側は、1人深覚だけだが、深覚の系統は法統が学僧として続いて
いるが修験は絶えている。
平安期に真言系あるいは周辺の修験者がいなかったかというと、12cの蔵王権現像が
あるのでいたのであろうが、この人たちは独立自尊の気風があって、自治組織として
南北朝時代に当山衆を組織していた。江戸期になると正系の本山派の一派支配圧力に
対抗できなくなり、醍醐寺の塔頭の三宝院の義演を頼りその支配下にはいった。
かくしてメインラインの本山派の一派支配を脱し、本山派/当山派二派鼎立となった。
そしてその義演本人が『醍醐寺新要録』で、
「一三世紀後半頃から、聖宝を山伏の祖とする信仰が醍醐寺内に起こった」と記している >>906
>そんな話は知らん。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
吹いたw
暇人さん?
これ、でおーのW高野山修験道Wという仮説を巡っての論証が事の発端ですよ?
あなた、今までそれも知らないでずっと無駄レスしてたの? こじ君はなんか金目の物を拾って歩いているのかも知れんwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なりwww
笑っちゃ魚www >>906
>>役小角−空海−聖宝と山林修行の流れは有ったんだよ
>三人とも修験と無関係だ。後代になって、本流の天台本山派に対等に対抗するために
でっちあげたイカサマ。
>・役小角は、聖者の奇行行者
三論宗寺院で得度受戒した説も有るがな
・空海は、833年に天皇の病気平癒の加持祈祷をしただけ
入唐以前に山林修行をしている
四国修行も無視か?
>・聖宝は十禅師
呪術的な加持祈祷をする能力があったとされるので後代の修験道が名前を利用しただけ
加持祈祷の力は通常山林修行で身に付くものだろ?
街中だけで生活して大成した法力者なんて聞いた事が無い 4サル山流真言君の珍説アーカイブ、2019/10/13(日) 19:14:56.93ID:3ntWDiUR
サル山流真言君の珍説は結論ありきで、そういう話がないと決めつけるのが特徴笑。
呆れるのが先、次はバカで可愛いと思うのが来る笑。
272神も仏も名無しさん2019/10/11(金) 14:51:05.57ID:sQUieJD8
お前の認識だと修験=木喰行なのか?
だったら湯殿の即身仏もみんな修験という事になるな?( ̄∀ ̄)
285神も仏も名無しさん2019/10/11(金) 15:03:01.90ID:sQUieJD8
木喰応朞の略歴見ても木喰行以外に修験を示唆するものは無かったからな
それとも鈴掛着けて山行やってたとか具体的な記録でも有るのか?
610神も仏も名無しさん2019/10/12(土) 17:20:09.29ID:L4ngqjV2
>>583
確認したけど修験道との関係を示す内容は無いですね
普通に考えたら禅と修験は両立しないかと 790神も仏も名無しさん2019/10/18(金) 00:30:46.58ID:nysTmbgS
>>787
自分で醍醐寺に電話して話し合ってくれ
公式HPに書いてる事まで否定するならこそこそしないで 其処までやれよ
それで醍醐寺が表記を変えたら教えてくれ
ご苦労だった 暇人は冴えているなあ、修験道レスに関して、
昔の中国仏教汚名挽回できているな笑。 醍醐寺において修験の勢力が伸びたのは明治以降、
それ以前は、学問僧優位で、新義系真言を支配、教育機関の役目があったからね。
845ふさふさ2019/10/18(金) 08:06:09.65ID:dIXMmQ+R>>849>>854
醍醐寺は、面識のない昔の人である役小角から
神秘体験で相承を受けたと主張しているわけだが
ただのイカサマぢゃん。 大山、ちゃんぽんな修験道に、それを期待しちゃあ笑。
修験は基本「験を現わす」それをもって他人を救うのが狙いで、
中心に悟りの修行ではないんですけどね、
そういうちゃんぽんな流れを仏教辞典レベルで検索?
大山も鈴木大拙風、教義至上主義仏教世界観で、修験を見過ぎ、
サル山君も歴史的事実に無関心、
あきれる、の一言だ笑。 サル山君が醍醐寺で確認してという視点は、
高野山真言宗の奥の院で弘法大師が生きている状態の姿のままである、という事実が昔からあると否定しますか?
という質問してというレベルで、
教団上、教義上、否定できないのを真に受けて、
サル山君、て、ほんとバカですね笑。 一般に知れ渡っていない 一部の学説を事実認定しろと言う方がアホだろ?
どっちの説が有力か他の学識者の見解とかも全部出して偏りが無い様にするならまだしも
まあ別に高野山が修験本流だと証明された所で高野山信徒の俺に損は無いんだけど 証明するなら世間一般の誰もが判る様に奈良時代からの文献史料も添えてやってくれよって話だわ
役小角から真言密教成立迄の空白期間も有る事だし 円珍が復興させたでも 理源がでも空海との関わりは打ち消せないから 結局無限ループするだけ
高野山が修験本流というなら高僧の関与を裏付けるしかないけど そうなれば空海しか出せない 空海を出せば 真言宗は修験の支流かとどっかからツッコミ入るから無理だ
高僧のいない行人方が真言宗修験の本流だ〜言われても 看板にはならんし 何より山内に修験寺院も無ければ蔵王権現像も役行者像も無い状態で何をか況んやだわ… >>919
御流神道の成立とその時期、文献はきちんとある、サル山君には理解できないようだが、
聖宝の修験の教義の文献の成立は江戸期、
江戸期教義の聖宝の修験は大峰山オンリーなので、
当山派の「三十六正大先達」の多くは三井寺系修験の葛城修験を敢行。
サル並み過ぎて頭に入力できないのか? >>919
古文書研究の仏教民俗学以前の教団教義至上主義のサル山君
>一般に知れ渡っていない 一部の学説を事実認定しろと言う方がアホだろ?
そりゃ、教団教義至上主義しか関心がないサル山君にとって、一部の学説を事実認定のいう説ですよね。
まけたくない、サル山縄張り根性が、それを貫かせるのでしょうけどもね笑。 サル山君、君は修験道の歴史事実に無関心であることを謙虚に認めるべきだと思うぞ、まず笑。 >>920
空海の天照大日同体説は?
本地垂迹説のルーツは其処だし 当時釈迦族の祖先について情報を知ってる人物を他に想定出来るのか? 暇人はたまに横暴解釈が目に余るが。
まだ、サル山君よりも、暇人は、修験道の歴史事実認識に努めようとする姿勢があるのは評価できる。
暇人がニヒリストゆえに、そういう発見ができるんだろうけども笑。 >>923
御流神道は鎌倉期成立だし、
江戸時代の名所図絵には、奥の院に、仁和寺の親王が籠った寺院がある、
当然、御流神道、
高野山の宿坊には、そいう説の文献が翻訳されていないが、たくさんある。
同じく、御流神道分派の三輪神道、こちらは事相、教相の現在語訳文献を高野山で見つけたが、
その流派の開祖は霊の「覚鑁」から、色々伝授されたとある。 >>921
その説は有力なのか否か?
今後有力説となるのか?
ここ十年位で出てきた新説だし 仮に将来 学説全部塗り変わるにしても 現時点で断定的まだ時期尚早じゃないか?
高野山に修験の本流が有ったという説は 三井寺系のという意味でなら 真言修験は当初から実在しなかったとならないか?
だとすれば結局高野山に有った行人方の修験は真言宗のではなく本山派の修験という事になって 高野山に修験の本流が有ったではなく 本山派修験の支流が有ったとしかならんから 高野山に独自の修験体系は存在しなかったという事でよろしいか? あと、仁和寺に関していえば、明治以前に後に高野山の宿坊寺院となり、高野山真言宗傘下となる宿坊が一つある、
学僧、行人、聖に該当しない、客坊の門跡系、光台院
がある、
ということは、江戸期に領主化した高野山でも仁和寺の独立系寺院があり、江戸期には仁和寺は衰退していたが、
院政期、鎌倉期は、仁和寺は絶頂を誇る、仁和寺は天台密教を混ぜ始めて、
完全に混ぜた覚鑁、伝法院流ができる。
天台が混ざっているので、根来寺修験は(根来寺の学問僧も修験を行う)
江戸期成立の聖宝の醍醐寺中心の当山修験道と別物。 >>927
院政期、鎌倉期は、仁和寺は絶頂を誇る、仁和寺は天台密教を混ぜ始めて、
完全に混ぜた覚鑁、伝法院流ができる。
天台が混ざっているので、根来寺修験は(根来寺の学問僧も修験を行う)
江戸期成立の聖宝の醍醐寺中心の当山修験道と別物。 >>925
空海ルーツの本地垂迹説ではなく 覚鑁からの霊異相承なのね?
そういう説は面白いから興味涌くよ
密厳院発露懺悔文を初めて読んだ時には感動したな… >天台が混ざっているので、根来寺修験は(根来寺の学問僧も修験を行う)
江戸期成立の聖宝の醍醐寺中心の当山修験道と別物。
とはいっても、醍醐寺は、根来寺系豊山、智山、両派を学問研究で支配下に置いたらしいけどね、
当然、その当時の醍醐寺は根来寺系豊山、智山、両派を学問研究で支配下に置くので、
修験よりも学問僧の方が力がある。
明治期に、根来寺系豊山、智山、両派が醍醐寺から独立したので、
財政上困り、修験道の割合が高まり、修験禁止を解かれてから、醍醐寺は修験道の割合が増えた、
その醍醐寺が、聖宝昔からの修験道と主張するのは当たり前、
高野山真言宗が、明治以前、学問僧を支配していない奥の院を否定するぐらい、できないのは当たり前、 >>927
ああ 比叡山と高野山の僧侶同士の相互研鑽の時に修験も混ざったって事?
それなら有り得るね ちゃんと、智山勧学院の論文や、高野山大学の密教研究の論文を見て、主張しているからな、 >>928
覚鑁が命を狙われたのはその辺の事情も相まってって事?
それも有り得るね >>932
ああ それで自分で調べろと?
それは悪かった 自己愛性人格障害の朝鮮人は、他の団体を自分の思想心情と切り離して利用する。
だから、創価にも、大谷派にも、四国のお遍路にも、熊本の末社にも、アイヌにも、沖縄にも、彼等は入り込む。
入り込んだら、必ず乗っ取り工作を仕掛け成り済ます。
上手くいけば自分の道具に、失敗したらその団体をあしざまに言い、自分の身代わりにする。
そうして、自己愛性人格障害の特色のまま、自己正当化と他者からの収奪を始める。 >>931
比叡山よりも三井寺だろよ、葛城修験は。
鎌倉期の上皇の熊野参りブームがあるんだから、
あと、源平合戦で有名な、和歌山熊野水軍、当然、山伏修験だが、別当湛増は、
高野山の常喜院心覚の住居を建てる布施をした(五来重は別当湛増の別荘を常喜院心覚に与えたとある)
常喜院心覚自体が、元三井寺で興福寺僧、珍海?と議論して論破されて、真言宗に改修。
とはいえ、三井寺臭さは残るだろう。当然、聖宝とは無関係、
常喜院心覚が、別当湛増に作ってもらった、遍照光院(現存宿坊)は
高野参りの町石道を作り、滅罪清浄の修験行風の意味があるだろう。
高野山の手前の不動堂で身を清めるとか。
これは本流の学問僧と無関係だからな。
覚鑁系の影響大の分派の学問僧、無量寿院の道範は関係大だけど。 創価を盾にした統一が、日本人信者たてにした教祖が、日本人社員をたてに朝鮮人社員が
逃げおおせるぞ !
あ、在日含有率が100%に近い統一とウリスト教は別格だよ。 朝鮮人はテキ屋民族で日本人は農耕民族だから合わないよ、注意しなさい。
決して↓にみて油断する連中ではないということを 心に留めておいてください。 >>936
それだけの史料が殆ど公開もされずにまだ埋もれてるって事?
それで覚鑁系の修験は拠点を根来に移さなかったの?
確かに覚鑁の名前が有ったら高野山からは名前が出にくいし 出したら出したで何で今頃出すんだと既得権益からクレーム出そうだね まぁ、でおーの仮説である ”高野山修験道” というのは却下って結論でいいね。
反証がなかったし。 聖霊のバプテスマを求めて異言の霊(偽の異言を言わせている悪霊)に憑りつかれ、異言の霊が仲間の
嘘つきの霊、飲酒の霊、狂信の霊、病気の妄想の霊、姦淫の霊を呼び寄せてしまったのだ。 もうじき冬が来るね。
その寒さの中にあなたは居ない。
あれは何度目のクリスマスだったろうか。
私がまだ小学生だった頃、両親は共働きでね。
兄弟3人でポテトチップスを皿に盛りポッキーをグラスに飾った。
部屋の灯りを消してロウソクに火を灯すと妹の笑顔が浮かんだ。
もう何処にもない笑顔。
二度と見ることのない光景は今この瞬間の光景も同じことだ。
あなたは触れることが出来ない光景を目にしている。
今年のクリスマスもきっと懐かしいに違いない。
ちょっと早いが今は亡き私から諸君らへ
メリィィ〜〜〜クリスマァ〜ス!!!
モグワイ「クリスマスソング」パチン☆!!
https://youtu.be/DJpn4oLiwlE >>934
∞ノノハ∞
川^〇^ハレでおーたんが宿坊などで文献を読んだと言うのらな本当なんでしょうけど
でおーたんにも読む事の出来る文献を仏教学者さん達が読んでいない事ってあるんでしょうか? 量子コンピューターは「量子力学」という物理法則に従って動く。
従来のコンピューターは「0」か「1」で情報を表すが、量子力学の世界は「0であり、かつ1でもある」という特殊な状態が起こりえる。
この仕組みを利用した「量子ビット」と呼ぶ計算単位を使うことで、膨大な情報もまとめて処理できる。
計算の回数が大幅に減り、時間が劇的に短くなる。
グーグルは今回、53個の量子ビットを実現し、乱数をつくる計算でスパコン超えの性能を実証した。
〇 菊花賞の勝ち馬は?
答え、そりゃー 走って見ないと分かりませーん。要は 結果論で シッタカの 評論家と同じでーす。それはまた、悟ってwも居ないのに、さとりを語ってメシを喰う仏教僧や仏教学者と同じでーす。 >>943
高野山の閉鎖体質なら有り得なくは無いよ
山内寺院同士で対立し合ってたりとかも割りと耳にする話だったり無かったり
ただ客僧に其処まで見せるかどうかには?がつくけどね
何しろ山内相互不可侵体制だからね… >>945
∞ノノハ∞
川^〇^ハレそんなに確執があるんですか
ザ!密教ですねおwww >>946
政治的にも支那贔屓 チベット贔屓 朝鮮人僧侶の寺院とかもうぐちゃぐちゃ状態
宗務総長なんか寺社板で京大卒の赤ハゲ呼ばわりされてるし 笑
なもんで宗教法人としての高野山真言宗には帰依心無し
師はただ奥の院に有りってとこ >>947
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ空海さんは今も瞑想中ですね >>948
肉体はとっくに無いけど 気配だけは怖いぐらいビンビンだから
前に行った時なんか遥か手前の御所の交差点から大門までずっと 四方八方から得たいの知れない厳しい視線で大歓迎
でもまた行きたい >>949
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ霊感あるんですか?
以前山形のお寺さんの即身仏を調べていましたら空海さんに辿り着きました
入定される時のマニアルは空海さんの書だそうで
即身仏になるには過酷な修行と最後の方は木の皮や木の実そしてヒ素の入った温泉でしたか?
空海さんが入定された時も過酷な修行をされたのかなぁ?と
修験に近いというより想像を絶する過酷な修行かと >>949
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ霊感あるんですか?
以前山形のお寺さんの即身仏を調べていましたら空海さんに辿り着きました
入定される時のマニアルは空海さんの書だそうで
即身仏になるには過酷な修行と最後の方は木の皮や木の実そしてヒ素の入った温泉でしたか?
空海さんが入定された時も過酷な修行をされたのかなぁ?と
修験に近いというより想像を絶する過酷な修行かと 『仏説ぶっせつ摩訶般若波羅蜜多心経まかはんにゃはらみったしんぎょう』
観自在菩薩かんじざいぼさつ、深般若波羅蜜多じんはんにゃはらみったを行ぎょうじし時とき、五蘊ごうんは皆みな空くうなりと照見しょうけんして、一切の苦厄くやくを度どしたまえり。
舎利子しゃりしよ、色は空に異ことならず、空は色に異ことならず、色は即ち是れ空、空は即ち是れ色なり。
受じゅ・想そう・行ぎょう・識しきも亦復また是かくの如し。
舎利子しゃりしよ、是の諸法は空なる相そうのものにして、生しょうぜず、滅めっせず、垢あかつかず、浄きよからず、増まさず、減へらず。
是この故ゆえに、空くうの中なかには色しきも無なく、受じゅも想そうも行ぎょうも識しきも無なく、眼げん、耳に、鼻び、舌ぜつ、身しん、意いもなく、色しき、声しょう、香こう、味み、触そく、法ほうも無し。
眼界げんかいも無く、乃至ないし、意識界いしきかいも無し。
無明むみょうも無く、亦また無明むみょうの尽つくる事も無し。
乃至ないし、老も死も無く、亦また老死ろうしの尽つくることも無し。
苦くも集じゅうも滅めつも道どうも無く、智ちも無く、亦また得とくも無し、得うる所ところ無きを以もっての故ゆえに。
菩提薩?ぼだいさったは、般若波羅蜜多はんにゃはらみったに依るが故ゆえに、心こころに?礙けいげ無し?礙けいげ無なきが故ゆえに恐怖くうふ有あること無く、一切の顛倒てんどうせる夢想を遠離おんりして涅槃ねはんを究竟くぎょうす。
三世さんぜの諸仏しょぶつも般若波羅蜜多はんにゃはらみったに依よるが故ゆえに、阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいを得えたまえり。
故ゆえに知しるべし、般若波羅蜜多はんにゃはらみったは是これ大神咒だいじんしゅなり。
是これ大明咒だいみょうしゅなり。
是これ無上咒むじょうしゅなり。是これ無等等咒むとうどうしゅなり。
能よく一切いっさいの苦を除のぞき、真実にして虚むなしかず。故ゆえに般若波羅蜜多はんにゃはらみったの咒しゅを説く。
即ち咒しゅに説といて曰いわく、 羯諦ぎゃてい羯諦ぎゃてい 波羅羯諦はらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい 菩提娑婆訶ぼじそわか
般若心経
〇 この長い教典も、空の一字で語り終わる。 >>902
ティッシュは識別される前には存在しないでしょうw
識別されたから、
あ、ティッシュがあると本人気がついてるわけで
スマホと認識される前にはスマホは存在しないでしょう
識別されたから、
あ、スマホあったわーと本人気がつくわけで
音がなってても、注意を向けなきゃ聞こえないのとよく似てる
スマホと認識される前の、そのもの、というのは、識別作用が止まったというより、見方が、変わってるんちゃう?
ハズレかもだけどw 今日試して見たけど
二段階あるもん
スマホという形を想定する以前の、そのものみたいな視点
直にふれてる感
でも、ものすごい認識は冴えてる
スマホを認識する以前、、、
なんもない
笑笑 たとえば天空でオーケストラが
爆音でジングルベルを延々と奏でていたとします
ところがハジにはまったく聞こえません
ある人が、音のある場所にふれる機会を与えました
ハジには聞こえなかった音楽が聞こえてきました
なぜでしょう?
それは、ハジが、その天空のオーケストラを識別する回路に気がついて、そこにある音を歌として聞いたから
このように聞こえるものは、ハジの能力によって変わる
爆音でなってても、識別されなければ無音としか感じることのない
生まれてこの方、体と共にあるが
呼吸ですら、意識され識別されなければ、それは、呼吸されてるに決まっているが、本人にとっては、それが識別されてなければ、あるのにない
あるのにない >>954
なんでよw あるじゃん。
スマホやティッシュが現れたり消えたりしてるの?
あるものを他と分けて識別してるんでしょ。実際の話だよ。
例えば四葉のクローバーを探すのにも一様に眼前に景色が広がってる中で四葉を三葉と分けて識別するんでしょ?違う?
見ようとしなくてもまなこに映ってるはずだよ。
すぐ頭に持って来ちゃうから事実なのか思考なのか区別がつかなくなっちゃってるんだよ。
こちら(自分)がね、静かにならないと見えてこないものがある。
家に帰って鍵開けるとき、いきなり鍵穴が分からないでしょ。
これが鍵穴だ、と見分けてはじめて鍵を差し込めるでしょ。
現実の実際に起こり得る話ししかしてないよ。 >>957
スマホを識別する以前にスマホがあるわけなかろうww
何を言ってるwwww
テッシュを識別する以前にティッシュがあるわけない
そりゃ実際はあるよ
実際はあるけれども、こちらが識別せん限りありません
三つ葉のクローバーの中に四葉のクローバーがあると識別する以前から、四葉のクローバーは実際はあるが
識別されない限り、それは、本人にはありません
目の前にスマホがあっても、識別されなければ、ありません >>955と>>956
いまスマホかな?PCかな?
今そこで見てみて。スマホしか見えない?
スマホ以外のものもまなこに映ってるはずだよ。
それを現実というの。世間でもね。
今まなこに映ってるもの全部、対象化してここに書き出してみて。絶対に無理だから。
人間の考えなんて及ばないものがこの現実にあるのよ。
今は対象化してるからこうやって話しができてるけど一口に現実と言っても人間の認識では捉え切れないほどのものがあるのね。
でもまなこは一瞬にして全部映し出すのよ。
それほどに素晴らしい出来栄えなんだけど、
人間は普段から分別を起こして頭の中のことばっかり気にかけて生きてる。大抵がそうなのよ。
いま雨が降ってるけど一粒ひとつぶ識別してないから。でもザーーって雨が降ってるて分かる。無いんじゃない。
有るとも無いとも言えないの。
ザーーーーザーー!!ザーー。
「雨が降ってる」と、思う。←対象化してる。
ザーーーーーーー……←対象化してない。
有るとか無いとかも頭ですることなの。
現実はそう言った人間の考えを飛び越えてる。 >>958
あら、そう。
じゃあそれでいいんじゃない。
おそらく言葉の認識の違いだと思うけど。
本人がそれでいいなら他人が口出しすることは何もありませんからねぇ〜。
私も別にそう思うなら構いませんよ。私も別に何も困らないので。
ちょっと雨に濡れたのでお風呂行って寝るねー。
おやすみ〜! スマホに夢中になってたら
スマホの中の文字に見入ってるから
他の視野が開けてない
全体的に見ようとすれば
全体的に見える
雨がザーっと降ってても注意を向けなきゃ聞こえない
識別されなきゃ
実際あっても、見えないし、聞こえもしない
直の現実はグチャグチャになったとしても
それならそれでグチャグチャとして識別されてる
識別されてなかったら
ザーっの雨も存在しないでしょう
何処に注意を向けたかだけの違い >>961
なんかね、話してることがズレてる。
私はそんなことが言いたいんじゃないの。
有るとか無いとかのそんな話しじゃないの。
でもまぁ、あなたがそれで満足されてるならそれでいいんじゃない。 台風で大変なのかな・・・。
「ろん」と「こじ」には生きてて欲しい。
信仰は大切だ。 あるものを、あるままに見る
識別作用は確実に働いている
ただ、それに頭で色付けしてないだけ
スマホとか雨とかを識別できなきゃ
存在するわけない
実際あっても、わからない人になってるわけだし
スマホがあると見えるんなら、識別してる
識別の仕方が、変わってるだけ >>967
うん
まあ、自分にとってはの話
識別されてなくても、雨が降ってることには変わりない
呼吸してても呼吸してると認識されなければ、あるんだけど、それが見えてない >>969
そうなんかなあ
自分が無くなるって、よく考えたら怖すぎる話やんねw
でも、お釈迦様も、慧能さんも、道元さんも、悟ってからも活動してたから
自分が無くなっても、ほかの人から見ると
そこにお釈迦様たちがいるように見えたのかな
謎 なんかハジが悪もんみたいになってるけど
だって
スマホを認識するが、まずあって
その認識した上で想いの中で、これはスマホだとかの、想いの世界で弄るっていうのは、わかるよ
その想いを外してもスマホはあるやんと
そりゃあ、ある
別に想いの中で考えてスマホを認識してるわけじゃなくて、元々、知ってるから自動的にスマホって、わざわざ考えなくても認識してるわけだから
だけど、想いの世界の前のスマホは、一応、それもスマホとして一旦識別されなきゃ存在するわけないやん
だから二段階あるやん
元々識別してるのと、ザーっとかの直感的に識別してるのと
その識別に対して想いで、弄るのと
そやけど、識別自体がなかったら、本人にとっては、手に持って目の前にあるスマホですら
ないのと同じ >>950
知ってるのは役行者も天に上がる前に木喰行をしてた事ぐらい
で予告した日に全員で読経し終えたら亡くなってたと
即身仏はおそらく湯殿で生まれた信仰で 空海のミイラは存在しない
最初の金剛峯寺は落雷で焼けて無人になって凡そ百年の空白期間が有るから そのままの姿で現れたというのもおそらく実体じゃない‥御伴には見えなかったらしいよ >>970
自分にとっての自分と他者との壁が無くなって 全部が自分になったんじゃない?
同じ元素で構成された別の自分的な
完全に同一でも完全に別でも無い独特の感覚だと思う >>976
そうなのかな?
ハジは、まだ悟ってないから
どんなんなのかは分かんないな
ハジのイメージでは、ものすごい安らぎの中にある >>977
エゴが消えたらそうなるだろうね
生存欲求が無いから死への恐れが無くなり 再生の原因が無いから二度と肉体の苦痛を味わう事も無い としたら後は虚空で何者にも煩わされずに深く安らげる
考えただけでも幸せだろうと思うよ >>978
渇愛ってやつ?
元オーム先生の遺伝子支配も、これを言いたいわけでしょ
妻子もって、高級車乗り回してる批判は、的を得てるのかどうかは分かんないけど
生への欲求
その話になってくると、ハジは無理だよおとなってしまうw
想像すると、スゲー安楽なんやろなってのは、わかる でも、快楽を追求していくのも、快楽を拒否していくのも
どっちも、うまくいかなくて
琴の調べを聞いて
うまく調律されてないと良い音色はでない
贅沢も断食も、どっちもアカンと
悟りの樹の下で座って、考えて、そうか、心を整えることで苦しみは消えるとか悟ったんちゃう
その整え方が、まあ、よくわからんわけだがw その喋り方、カムイか?
童天だったら、あるがまま教にあきてるしw
さるものはさらず。
流れるものは流れず
止まるものた止まらず
安穏あれ >>977
苦痛の原因を突き詰めてくと外的要因と内的要因が有るでしょ? 外的要因は判るけど内的要因はなかなか目が向かない どんな苦痛も感受と想いがもたらすのだとすれば それを持つ自分というイメージが消えれば良いと彼は考えたんだよ
例えば物は叩こうが壊そうが苦痛を訴えたりしないでしょ?
何故かと言えば感覚器官と心を持たない つまり自分というものが無いから
この自分を消す為のイメージ・トレーニングが瞑想でその状態を日常でもキープ出来れば他人に何を言われようが腹も立たないし 傷付きもしない
だって相手が攻撃してるのは既に存在しない自分というイメージだからね
話したおかげで釈迦様が怒らなかった理由がやっと解けたよ
有り難う
「この身体は空で有る」から初めて 「この心もまた空で有る」に展開して「この心の主もまた空で有る」を達成出来れば 理論上は苦痛が全て消える
うわ‥すげーな これ?
ハジ氏 ご協力有り難う
ちょっと感動 >>979
ちょっとややこしいのは生への欲求を断つというのが自殺願望ではないって事
自分が消える恐怖を自分が消える事によって得られる安らぎで打ち消せるって事だから
つまり自分を満たそうと物やお金に執着すると 今度はそれを失う恐れが出て来て 更に苦しみが増して行く訳で それは結局自分に苦痛を与えるだけだと…
お釈迦様に感謝します
ブッダナン サラナン ガッチャーミ (ー人ー) >>982
体の痛みを消すとか麻酔でもしない限りムリだよ
心の怒ったりも自然反応なんだから消えないよ
お釈迦様だって、起こったものを広げるなって言ってるんだから起こること自体は批判されることちゃうはず
痛みが起こる、怒りが起こる
これを受けてないし、なんとも思ってないとか、第二弾の対応の話
ハジのイメージだけだけどw >>984
瞑想の達人は瞑想中は痛みを感じない見たいです。 >>985
ええええええええええええええええええええええええええええええ
マジで?
心頭滅却すれば火も自ずから涼しですか
じゃあ、マジで痛みなく、怒りなくやったのかなあ
超人すぎるw >>986
マジw
ヨガの達人です
動画あったよな。
結構有名なおっちゃんみたいですけど。 >>984
自己暗示だけで麻酔無しの手術をする映像を昔観た事が有るよ
神経が苦痛を伝えても心が受け取らなかったら 苦痛は消えるかもよ
スポーツなんかでもやってる最中は気付かないけど終わったら痛みが出たり怪我してたりとか有るでしょ? >>986
つまり痛みが消えないというのも絶対じゃない
苦痛がなかなか消えないという経験が刷り込まれて痛いに違いないという思いを生み出して苦痛を強化してしまうって事も有れば継続的な自傷で其処だけ苦痛を感じなくなる事も有ると思われる
リストカッターが手首に沢山傷を着けてるのもそうじゃないかな >>987
顔色一つ変えずにほっぺたを太い釘で貫く人とか昔よくテレビで出てたよね? >>990
>顔色一つ変えずにほっぺたを太い釘で貫く人とか昔よくテレビで出てたよね?
懐かしいね。確かにそういうのあったね。
瞑想で痛みを感じない!世界的なヨガの達人川上光正先生FBSテレビバリはや出演
https://www.youtube.com/watch?v=0Dmr77b-ZBc >>980
見落としスマソ
中道の事だね?
快楽が得られないからと言って苦痛を求めるのも極端だと
それで快楽を得られると思われる対象と欲求を捨てなさいって事じゃないかな
欲求を捨てる事で得られるのが真の快楽だよと言ってると思われ >>991
ごめ‥ガラケーなんで二年前からYouTubeはGoogle先生が変換サービス終了してて視れない(T_T) >>993
>ミー?
ミーじゃありませんw
>>994
>視れない(T_T)
それは残念
しかし、ガラケーで能くこれだけの文章が書けると感心しています。
ハジさんは面白でしょうW
彼は見るを止める、聞くを止めるということを発見して、
今は否定してますからね。
また、どうのように変化するか楽しみですw >>996
すまなさー… 笑
ガラケーはメールの無かった時代からかれこれ二十年は使ってるからね
面白いというか説明してる内に此方に気付きが現れるから 自分の悟りを犠牲にして 他人を悟らせる菩薩の本性が有るのかも知れないね
言葉も凄い素直で嫌味が無い愛されキャラだし うらやましいよ このスレッドは1000を超えました。
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