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預流果に達しても涅槃を見る(見た)のは一瞬だけだから、普段の
日常生活で苦しい気持ちが抜けないのはあり得ると思う。

仏典に登場する比丘たちのなかには、なかなか阿羅漢になれなくて
もう自殺しようと思って、死のうとしたまさにその瞬間に阿羅漢果に
悟ったというエピソードも残ってる。

世尊の入滅に際しては、平静でいられたのは不還果以上の聖者
だけで、預流果の弟子衆は泣いていたという話も遺ってる。

教学的にも、欲と怒りが大幅に軽減されるのが一来果だから
預流果だとまだ怒りも欲もある。
従って苦しみもあるのでしょう。