0206神も仏も名無しさん
2020/02/08(土) 00:22:53.03ID:Ra10RZh6預流果に達しても涅槃を見る(見た)のは一瞬だけだから、普段の
日常生活で苦しい気持ちが抜けないのはあり得ると思う。
仏典に登場する比丘たちのなかには、なかなか阿羅漢になれなくて
もう自殺しようと思って、死のうとしたまさにその瞬間に阿羅漢果に
悟ったというエピソードも残ってる。
世尊の入滅に際しては、平静でいられたのは不還果以上の聖者
だけで、預流果の弟子衆は泣いていたという話も遺ってる。
教学的にも、欲と怒りが大幅に軽減されるのが一来果だから
預流果だとまだ怒りも欲もある。
従って苦しみもあるのでしょう。