>>155

>諸法無我→諸法実相→道元禅

おおやまと麦の京都学派風創作で、天台、華厳、真言解釈は間違いなんだが、上部構造と下部構造があるのを無視。(八宗綱要は、きちっと説明しています)
禅になると、修行をプロセスを減らし、直観性に行くので。北宗禅はプロセス重視漸悟で、南宗禅は頓悟。
天台、華厳は、漸悟でしょう。
真言は頓悟ぽい。けど、儀式や印で形式手順を含む
臨済宗や、道元は南宗禅で頓悟、ということは、上部構造と下部構造を細かく建てない、(意味は直観的把握でこれらは(真言風認知、華厳風認知天台風認知、含まれるが、大山的哲学的解釈は無理だろう。)

おおやまと麦は鈴木大拙の京都学派風で、哲学的定義を好み、禅風な、単一的で、一義的に、唯識、中論、哲学を混ぜて、天台のテキストの忠実解釈を放棄して天台の創作解釈したりして、ほぼ言葉遊び状態。