【仏教】悟りを開いた人のスレ453【天空寺】
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罵倒、批判だけのレスはスルー。
悟ったと思う者は、体験、技術、見解などを書く事。
否定されても発狂しない。
修行もする事。(任意)
>>970が次スレを立てる。無理なら以降の有志にお願いする
※前スレ
【仏教】悟りを開いた人のスレ---【天空寺】
※前スレ
https://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1569409497/ 433.バカチャントが出て来て、不完全性定理に違反しとる、という。
大爆笑である。 >>432
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ創作真言の様な気もしますねwww
提婆達多品で竜女が変成男子を経て成仏するとかもそうですけど
ウィキペディアでも時代背景を色々取り上げていましたけど
インドはカースト制ですしお釈迦様自体命を狙われたのでは?とか
仏教徒に対する圧力もあったのでは?とか推論も以前なにかで読んだ事があります
法華経も含めて他の経典も時代背景によってお釈迦様の教えを変える必要があったとかないでしょうか?? >>435
題目を梵語として「幻想の苦しみを取り去る一切皆空に帰依する」と読めば悟りの本質そのものだから意味は通る
釈迦が命を狙われたり様々な嫌疑をかけられた話も原始仏典に複数有るよ
法華経はカーストの弱いインド周辺の地域で編纂されたんじゃないかというのが研究者の通説だね
経典の内容よりも唱題を重視したのが梵語としての意味に有ったとすれば それを説明しなかった日蓮の落ち度としか言い様がないよ
サンスクリット語の解る人にしか真意が解らないんだからね >>424
ええ。。。
大山ちゃんwww
諸法が「現象」と訳されているがwwww
この項、おわりw >>436
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ即答出来ないんですけど
日蓮さんは妙を如来として捉えたのでは?と思うんです
日蓮さんなのか?さだかではないんですけど経典全て妙と捉えたとか?何かで読んだんです
探して来ます
>「幻想の苦しみを取り去る一切皆空に帰依する」 >>286
二元論とは何か?わかってないバカである
二元論を乗り越えないと悟れない
善と悪、精神と肉体と捉えるのは二元論
仏教は、二元論を乗り越えるのに全生涯を費やす考え方が多い
悟れるわけがない
仏教は玉石混淆的で、ああ言えばこう言う状態で語るから善悪二元論に陥る
因果論と位相論
さらに精神と物資、微視と巨視、客観と主観
相反する捉え方、偏った捉え方が視界を遮る
因みに矛盾原理、排中原理は二元論ではない
言説が多岐に渡るのは、論点の相違
定義が定まる事は無い
仏教の存在論は古き考え方で解釈手段に過ぎない
次元の捉え方が入り混じり矛盾だらけ
物理学の様に条件を変換したり、揃えれば答えが一致する理屈もない
それがわからないなら無我にもなれず、悟れない
本質を見るとは、条件を変えたり、様々な定義で捉える事
善悪、正誤にこだわる必要はなく、本質を捉えるのが大事 >>438
題目がサンスクリット語だった場合 妙は幻想を意味するマーヤだから それだと梵語の意味合いを無視してた事になるよ?
妙法蓮華経という漢語にMaya(幻想の) hari(苦しみを取り去る) om'(聖なる) kaah(一切の) ya(空) という梵語が意図的に隠されていたという前提で行くとだけど 其処まで読んで鳩摩羅什を絶賛したのなら筋は通るね 三元論者www
表と裏と観察するものがあるのじゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なりwww
笑っちゃ魚www きょうは歯医者に行くのじゃwww
こじ君は勇気があるな、歯医者は子供の時から一番怖い所じゃwww
最近は敗者はさほど痛くないけどなwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なりwww
笑っちゃ魚www >>436
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ善無畏三蔵を日蓮正宗が批判していたのも目にしましたので真意を突き止めるのにかなり時間掛かりそうです
かなりですwww >>443
インド人僧侶の善無畏三蔵が天台の教えを盗み取ったとか言う馬鹿馬鹿しい話なら一考の余地も無いよ
インドに天台教学やその亜流は普及してない処か知られてもいなかったんだから
正宗系は善無畏に盗まれた これは空海に盗まれたみたいな事を言って笑われるのが好きなんだよ
全部釈尊の教えが元なら同じ結論になって当たり前なのに 笑 >>445
歴史的な事実確認の出来ない妄想を騙られても笑うしか出来ない 笑
>次に、善無畏三蔵がなぜ地獄に堕ち閻魔王の責めを受けたのか、その原因について教示され、地獄に堕ちたのは世間の軽罪によるのではなく、ひとえに法華経誹謗(ひぼう)の罪によると喝破(かっぱ)されます。
>続いて、伝教大師は顕教・密教をともに極めた人であり、その伝教大師は著書の中で、善無畏・金剛智(こんごうち)・不空(ふくう)という真言宗の祖師たちが、かつて天台大師を本師と仰ぎ天台宗に帰依していたと記していると述べられています。 >>437
>>>424
>ええ。。。
>大山ちゃんwww
>諸法が「現象」と訳されているがwwww
>この項、おわりw
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
おい、珍!珍!珍!!!
お前はガチもんの馬鹿か?
究極のアホか?
お前は一体何者なんだ!?
お前の引用した文それ自体に
>如来こそ如来の教えを教示しよう。(>>421)
って書いてあるんだが?
これが教法でなくて何だというのだ?
わざとだろ?
わざとだよな? >>446
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ開目抄上・第三十四章 妙法蓮華経を釈すに善無畏三蔵の法華経が載っていますね
「開目抄」は、文永9年(1272年)2月、佐渡流罪中の日蓮大聖人が、四条金吾に託して門下一同に与えられた書である。
だそうです
う〜〜んwww >>439
っていう二元論に堕ちてるアホラフキンw
豚に真珠、アホラフキンに仏教w やぁ、諸君らおはよう。
あなたがたは同じ景色を見る事は決してない。
しかしあなたのその意識はどうだろうか?思考や感情が起こる前の純粋な意識。
そこには何の変化もない。
その背景に留まった時、あなたは何者でもない。
それが俯瞰して見るという事だ。
煙突が吐き出す煙りの様に物事は起こっては消えて行く。
あなたの身体でさえね。
https://i.imgur.com/VdzVrtt.jpg >>447
仏の成就(じょうじゅ)せる所は、第一の希有(けう)なる難解(なんげ)の法にして、
唯(ただ)、仏と仏のみ、乃(すなわ)ち能(よ)く諸法の実相を究(きわ)め尽くせばなり。
謂(い)う所は、諸法の是の如き相と、是の如き性、是の如き体、是の如き力、
是の如き作、是の如き因、是の如き縁、是の如き果、是の如き報、是の如き本末究竟等なり
難解(なんげ)の法が、如来の教えだよ
大山ちゃんwwww >>451
wwwwwwwwwwwwwwww
あのなぁ、珍?
そもそも羅什がサンスクリット原典の諸法を真理群の教法ではなく存在軍として意訳したのを問題にしてるのに、何で羅什訳を出して云々始めるんだよ?
頓珍漢というか、根本的なところで致命的な勘違いをしてるんだが?
でお前自体、
>難解(なんげ)の法が、如来の教えだよ
って言ってることは、教法って理解できたんだな? >>452
根拠?
私が根拠だ。
あなたが根拠を欲しがらなければ
あなたが根拠となるだろう。
想い落ち着けて行きなさい。
では、ごきげんよう!! >>448
インドのナーランダ寺院で密教僧になった人が天台大師を本師と仰ぎ〜とか妄想が酷すぎてもうね 笑 大山ちゃん。
植木君は、バカだから諸法はすべて教法という意味なのに
羅什が拡大解釈した考えたのだが
羅什もプロも俺もダルマが多義的で教えの場合もあれば現象の場合も
あるのを知っている。
それで単数のダルマを羅什は法と訳し、プロは教えと訳し
複数のダルマを羅什は諸法と訳しプロは「現象」と訳しているのだ。
大山ちゃんは、ちゃんと考えないコピペマンだからダメなんですよ ハゲ珍って、多分、親戚のツテで大谷(または龍谷)大学(偏差値35未満)に入って中退して、大谷(又は東本願寺)派の別院で、これもまた、ツテで雑用のバイトになって、そこでも使い道がないから、図書目録でも作らされて、んで、それを読破したとか吹聴してるんだろ?
どう見てもその程度なんだが? >>458
>植木君は、バカだから諸法はすべて教法という意味なのに
???
法華経研究については権威ある方だし、100分で名著にも法華経を出してたけどなぁ?
また、岩本先生のそれは素晴らしい訳だけど、法華経 研究は日進月歩で進んでるし、文法上の間違いも結構指摘されてるけどなぁ?
…つーかお前、そもそも法の分類準拠自体知らないんだろ?
でなければこんなチグハグなレスをしてこないし。
せめてそこを学んでからレスをしてこいよ。
話にならない。 >>449
バカの屁理屈
解釈の分かれる言葉を使い延々と不毛の議論をする切れ痔犬山w
見つめるべきは本質
定義に正しさを求めるバカ
様々な角度から、様々な定義で本質を見ようというのが落とし所を得る共有作業
条件が違えど変換して答えが一致する議論は、仏教ではあり得ない
だから結論は出ない
課題解決にもならない
移り行く心を見つめろとかバカ語る
次元さえごちゃ混ぜに語り、見えない、経験出来ない事を現実の中で語るアホ状態
結局、何もするな、考えるなの廃人への道
悟りではない
ただの現実逃避、廃人化の教えw >>453
悟れないバカが語る落とし所のない話w
30年座り続けても気付かないバカw
得たのは切れ痔w
アタマもプッツン切れて切れまくりw
在家という矛盾した状態で正論語るバカw 言説が多岐に渡る理由は論点の相違に求められる。
古くは存在論の解釈手段であり、論の一部であったと言える。
存在論は古くから客観的(今日的には科学的)態度で記述するか、主観的態度で記述するかの違いがあった。
前者はさらに通時的に原因論(因果論)で捉える場合と、共時的に位相論(位相空間論)的に捉える場合とに分かれる。
後者も精神と物質のような微視的な視点と、自己と宇宙のような巨視的な視点に分かれる。
それらが玉石混淆で論議されてきたため、時代が下るにつれて善悪二元論のような人間社会的な二元論に陥ってしまったと言える。
論点が一致する事のない議論に結論はない。 >>461
だから、豚に真珠、アホラフキンに仏教w アホラフキン発狂w
言葉のサラダボール状態w
心療内科に行きなさい。 経典を身にまとい、アタシ綺麗?
の理屈しかないアホ犬山w 言葉のサラダボール状態でok
見方を変え、言葉を変え、説明するのが本質を見つめた説明 >>469
そうかそうか、心療内科にlet's go! 仏教は、存在を解釈で説明する昔の論法
論点の一致はなく、言説は多岐になる
ああ言えばこう言う
オマイがそう思うならそれでイイと一致した答えはない
移ろい、変化する
視点が違えば結果も違う
価値観違えば見え方も違う
言葉に真理、本質はない
論説は多岐になるのが仏教
だから宗派がわかれる
科学は、様々な次元で様々な角度で条件を変えたりして本質を得る
大きなポイントは、条件が違えど変換により同じ結果を得る結論に導ける手法を持つ
それがわからない犬山w >>470
行くのはオマイw
無我と言いながら自我剥き出しのプッツン行動の醜さが増すだけw
捉え方が煩悩増すだけに気付かないw
病院行け!としか言えない
誰が行くべきか?判断すら出来ないw お釈迦様は、真理を言葉で表せないとハッキリ言ってる
書物を残してない
悟れない人が書いたのが経典
玉石混淆で論議されるから、時代が下るにつれて善悪二元論のような人間社会的な二元論に陥る
戒律を必要とする
戒律を守れば悟る理屈もないし、無我になれる理屈もない
自発的でないからな
さらに、一生涯かけて悟りを得る理屈
生きてる間は悟れない
犬山は、座っても得る事はない
一生切れ痔に悩むだけw >>472
うんうんw
豚に真珠、アホラフキンに仏教だねw >>474
はいはい、心療内科に行きなさいw
豚に真珠、アホラフキンに仏教w アホラフキンが発狂したなw
ま、似非覚者の末路なんてこんなもんだw 大山ちゃん 反論できずwww
293神も仏も名無しさん2019/10/07(月) 14:47:49.03ID:vJIv3FUX>>297
大山君曰く
「諸法実相ですが、サンスクリット原典に尋ねると、
本来は諸法というのは教法として限定されたものだったのです」
↑
法と言うことば多義的で「教え」という意味もありましたが
諸法無我とか諸法実相という場合の諸法は、
「すべての現象するもの」という意味ですよ
二点目、
諸法実相の梵語は、いくつもあります。
代表的なのがダルマター(法性)、Dharma-Svabhava(法-自性)などなど 大山「諸法実相の諸法はサンスリット本では教法という意味だった」
ふさ「法に教えという意味もあつたが、諸法実相の諸法は現象だよ」
大山「偉い先生がそう書いていたもん!」
ふさ「もっと偉い先生だって、現象と訳しているぢゃん」
大山「おまえ、偏差値低いだろ」と逃亡をはかる
いつもの大山ちゃんのパターン >>478
ねえよw
オマイ自身観察しろ
全方位病院行け!だ
行くのはオマイw
不毛の議論に誘うだけのアホw >>479
しつこい馬鹿だなぁ?
法華経の方便品の諸法については、教法的用法からから鳩摩羅什が拡大解釈してる説明は前に論文も含めてレスしただろ?
第一、お前自身が>如来の教え(>>451)って言ってるじゃないか?
また、重ねていうが、お前は法という言葉の用法について、その分類準拠自体を知らないんだろ?
だからレスの内容が支離滅裂なんだよ?
シチェルバツコイ、法で検索して来い。
お前はレベルが低すぎて話にならない。
出直して来い。 >>481
うんうん、心療内科に行きなさいw
豚に真珠、アホラフキンに仏教w ハゲ珍って、多分、親戚のツテで大谷(または龍谷)大学(偏差値35未満)に入って中退して、大谷(又は東本願寺)派の別院で、これもまた、ツテで雑用のバイトになって、そこでも使い道がないから、図書目録でも作らされて、んで、それを読破したとか吹聴してるんだろ?
どう見てもその程度なんだが? >>482
理解していないのは大山ちゃんだって
大山ちゃんは、wikiで検索しただけのにわかぢやん
俺は最初から>>293で
1.法は多義である ということを押さえた上で
中村元「佛教語大辞典」には多義的な用法が出展明記で紹介されてる
2.シチェルバツコイと同様、大山ちゃんには二義を示した
A教え
B現象
シチェルバツコイは
Aを真理
Bを存在
と分類するわけだが
その私の指摘を受けた上で大山ちゃんは
3.諸法実相の諸法はすべて教法という論は、植木雅俊のパクリだったと自白した。
4.それに対し私はその極端な解釈を批判するために法華の権威の岩本さんの
「現象」と言う訳をしめした。
これで終わり
>>482
オマイがバカ
解釈が分かれる言葉をガチガチ固めてるだけ
仏教はただの解釈、正しい解釈は無い
正しく固め様とすれば、矛盾が起きる
それすら、わからないバカw まあ大山ちゃん的には、
角川ソフィア文庫を読んで、法華経がわかった気になって
専門家ぶったんだろうけど、身の丈に全然合ってないので
反省しなさい >>484
座って暗記してるだけのバカの屁理屈
言葉に本質はない
言葉はコミュニケーションに用いるもの
言い足りない、誤解を生むのが言葉
角度を変え、言葉を変え、本質を説明するだけの事
その為に言葉を作る事さえある
科学の様に変換出来る定義を持たない仏教は、論説が多岐になり、増殖し、ああ言えばこう言う状態になってるわけで
仏教の言葉に正しさの理屈はない
だから、釈迦は真理は言葉で表せないと説く まあ共有ちゃん的には、
Wikipediaを読んで、二元論がわかった気になって
専門家ぶったんだろうけど、身の丈に全然合ってないので
反省してね >>489
理屈は簡単だ
wikiにかいてある理屈で語る方が納得出来るわけだろ?
更に高い視点も付け加えたり、具体化もしとる >>490
くだらん
こんな匿名便所板に恥もプライドもねえだろw
ただ、みんなウンコしてるだけだろうにw >>485
>俺は最初から>>293で
だから、その最初が法華経方便品の諸法実相の解釈の件(>>102、>>139等)だろうがw
法の多義的な用法・語義の話一切してないだろ?
2.についても、サンスクリット原典の諸法は(真理法中の)教法であるのを鳩摩羅什が存在法に意訳したって話だ。
お前、あたまボケてるだろ?
心療内科に行ったついでに認知症も検査してもらえ。 >>486
ホイホイ、心療内科に行きなさい、let's go!
豚に真珠、アホラフキンに仏教w >>487
悔し紛れの捨て台詞を言う暇があるなら、本をめくれってw
お前、ほぼ全てデタラメ言ってるじゃないか?
wwww >>488
そうですか、心療内科を受診行きなさいw
豚に真珠、アホラフキンに仏教だもんねーw >>491
だから本質とその他に分けること自体二元論的だって指摘してるんだけどwww
お前は二元論を全く分かってないんだよwww
言った矢先から本質云々言ってるんだからwww
アホラフキンw
まさにアホラフキンw これ、図星だろ?
ハゲ珍って、多分、親戚のツテで大谷(または龍谷)大学(偏差値35未満)に入って中退して、大谷(又は東本願寺)派の別院で、これもまた、ツテで雑用のバイトになって、そこでも使い道がないから、図書目録でも作らされて、んで、それを読破したとか吹聴してるんだろ?
どう見てもその程度なんだが? バカ大山に仏教知識、か。
バカ丸出し、である。
大爆笑である。 >>492
そ野ウンコにさえ瞬殺されてるアホラフキンw
つまり、アホラフキンはウンコ未満。
ま、豚に真珠、アホラフキンに仏教だもんねーw おおやま京都学派に汚染され、八宗綱要にある、唯識でもあるが、
天台、華厳、真言、上部構造と下部構造を理解していない。
夕は、空海著作で気づき始めていると思うが。
http://www.daigo.or.jp/documents/8shuKoyo.pdf#search=%27%E5%85%AB%E5%AE%97%E7%B6%B1%E8%A6%81%27
天台の上部構造と下部構造の例
諦観の『天台四教儀』では次のように説明している。
次に大涅槃を説くは、二義有り。一に、未熟者の為に、更に四教(蔵・通・別・円)を説
いて具さに仏性を談じ、真常を具して大涅槃に入らしむ。
だから、総合学派志向の仏教宗派の、下部構造と上部構造の関係を見ないで、
大山は 諸法実相≒諸法無我
とやる。
相変わらず、テキストを忠実に精読せず、京都学派風色眼鏡解釈が激しいのお。
108仏教棄民の大山 ◆JBP.OYid8g 2019/10/06(日) 16:07:51.78ID:OfH6hQ+W
でおーは、多分、いろいろと学んでるんだろう。
ただ、その学んで蓄積された知識の紐付けが荒いので、 まったく、麦といい、大山といい
テキスト忠実理解より、京都学派風に創作解釈で笑。
諸法実相≒諸法無我 >>155
>諸法無我→諸法実相→道元禅
おおやまと麦の京都学派風創作で、天台、華厳、真言解釈は間違いなんだが、上部構造と下部構造があるのを無視。(八宗綱要は、きちっと説明しています)
禅になると、修行をプロセスを減らし、直観性に行くので。北宗禅はプロセス重視漸悟で、南宗禅は頓悟。
天台、華厳は、漸悟でしょう。
真言は頓悟ぽい。けど、儀式や印で形式手順を含む
臨済宗や、道元は南宗禅で頓悟、ということは、上部構造と下部構造を細かく建てない、(意味は直観的把握でこれらは(真言風認知、華厳風認知天台風認知、含まれるが、大山的哲学的解釈は無理だろう。)
おおやまと麦は鈴木大拙の京都学派風で、哲学的定義を好み、禅風な、単一的で、一義的に、唯識、中論、哲学を混ぜて、天台のテキストの忠実解釈を放棄して天台の創作解釈したりして、ほぼ言葉遊び状態。 >>501
…でおー。
八宗綱要とか、鎌田先生のだけど、その手合いの本はもう三十年も前に読んでるよ。 おおやま、京都学派かぶれなんだろうな。
天台に関してテキストを忠実に読まず、
立川武蔵みたい、上滑りで創作する。
大山は京都学派風「仏教」を単一的定義で、哲学的解釈で、単一定義に創作するんだろうな。
テキストを忠実に読むよりも、大山側の単一的定義で、仏教用語をもっていく・・・・・・。
暇人のいい加減な偏り知識よりも少しはマシかもしれんが・・・・・・。 >>504
お前が読んだといっても。お前側の単一的定義に利用する部分でしか読んでいない、
テキストを忠実にまったく読まず。
諸法実相≒諸法無我
こういう風に西欧哲学的、単一的定義で解釈しているのが証拠。
大山の読んだのはあてにならん。
要するに大山の京都学派風西欧哲学的、単一的定義に読んだだけ。
テキストを忠実に理解して、読んでいるようには見えない。
または、ハッタリかもな。 おおやまが、暇人に姑息につっこまれるのは、
大山に、都学派風西欧哲学的、単一的定義の趣味が濃すぎるから。 俺的には暇人には幼稚な野良擁護レスが欲しい。
暇人の狂気的感性が見たい。 >>503
悪いけど、何を言ってるのか分からないな。
また、なんで話がそこに飛躍するのかも分からない。
先にバカ珍にも説明したけど、(鳩摩羅什の意訳の範疇での)諸法実相は、法では存在法に分類され、諸法無我は真理法に分類される(先に話したシチェルバツコイ博士の分類法による)。
ここら辺は解釈が微妙だけど、存在≧真理(存在=真理)の視座において、諸法実相≒諸法無我っていう見解なんだよ。
真理は存在に包括されるのか、それとも存在そのままに真理なのかって意見が分かれるからな。 >>505
>天台に関してテキストを忠実に読まず、
ちゃんと読んでるだろ?
(法華経方便品の)鳩摩羅什訳とサンスクリット原典訳の両方を。 >>509
>ここら辺は解釈が微妙だけど、存在≧真理(存在=真理)の視座において、諸法実相≒諸法無我っていう見解なんだよ。
その大山の京都学派風西欧哲学的、単一的定義は、俺には大山の言うところが解らない。
テキスト忠実に読むよりも、哲学的創作に走るのが。 >>506
なら、でおーに尋ねるけど、法華経方便品の諸法実相について、鳩摩羅什訳とサンスクリット原典訳の違いをどう解釈してる?
俺はやっぱり定説通りだと思うがな?
とどのつまり、鳩摩羅什が教法を拡大解釈して存在法に意訳した事が、中世天台本覚思想の源流やこのスレ等のありのまま教徒のバックボーンに連なってると思うんだが?
どうよ? 大山は京都学派風西欧哲学的、単一的定義で、テキストをテキスト忠実に読むよりも、哲学的創作に走っているのは良く理解できる。 >>512
あのな、天台宗と既存に悟り体験を持った存在するテキスト理解を放棄して、
大山の京都学派風西欧哲学的、単一的定義みたいな
戯論に関心がない。
スレタイみろ笑。 >>511
いや、だから、テキストは鳩摩羅什訳とサンスクリット原典訳の両方を読んでるってw 中世天台本覚思想は、雑密と末法思想が無いと成立しない。
中国経典じゃない。 中世天台本覚思想は、神仏習合と関係があるので、
口伝とか、密教が関与する
密教は、天台は忠実な諸法実相であっても、
中世天台本覚思想は神仏習合の、法華経の滅罪清浄と、神道の穢れを清めるが合体した上で
変化していきついたものに近い。
日光東照宮が中世天台本覚思想がゴールなのだから。
神仏習合、修験は、天台系が本来メインで主流で、藤原道長が高野山奥の院で、三井寺天台の坊主と共に儀式したので、
天台修験から、高野山の修験へ、南都系修験、長谷寺、室生寺など、さらに、根来寺覚鑁系修験へ、
展開。
日光も元は修験、日吉神社も修験、中世天台本覚思想の活動拠点も千日回峰行の寺院近辺にもあり。 大山は京都学派風西欧哲学的、単一的定義に走りすぎるから、
中世天台本覚思想を中国経典に求めたり、創作的発想ができる。
中世天台本覚思想の史的事実とテキスト忠実理解を軽視しているんだよ、
おおやまのいつものことだけど。 一応、参考まで。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/48/1/48_1_153/_pdf/-char/en
>智の思想的基盤は竜樹の空思想にあり、直接的には羅什の諸法実相の思想を承けているので、如来蔵思想の用語も諸法実相の立場から改変して用いている。
>(中略)
>このように智は、如来蔵を実相の異名と言っているが、空思想に立脚した諸法実相の思想と如来蔵思想 は、本来全く別の思想構造をしている 中世天台本覚思想に関する資料がある本、天台宗史で古い本を高野山大学で借りたのをコピーして保存しているが、
恵・檀流の違いやら、どっちで、どうなのか、昔の漢字だし、読みずらい笑。 悟れないバカ大山には理解できない。
大爆笑である。 >>520
中国仏教を日本土着仏教に無理やり、くっつけようとするのは、
やはり、京都学派風西欧哲学的、単一的定義、創作だと思うぞ。
暇人は極論的本覚論批判論文を見て信じ込んで創作して仏教宗派判定している節があるけどな笑。
その辺の偏り知識が、とても香ばしく保存させてもらったけど。 >>518
それは、五来先生の、中世天台本覚思想と神仏習合についての関わりの論考だろ。
中世天台本覚思想の源流は、如来蔵思想と(鳩摩羅什訳の)法華経の諸法実相の解釈を看過してはならないと思うんだけどな。 >>523
>中国仏教を日本土着仏教に無理やり、くっつけようとするのは、
そんな話はしてないけど? >>524
ほら、史的事実軽視、テキスト忠実読解放棄の固執。
大山の京都学派風西欧哲学的、単一的定義注釈信仰激し過ぎだぞ。 >>526
なんでそうなる?
>>520でその根拠を示したけど、それのどこがおかしいと思う? バカ大山と仏教知識、か。豚に真珠、である。
大爆笑である。
公案の答え、を出せ。
バカ大山には理解できない。
大爆笑である。 答えを欲しがるカンニングもまた彼岸を渡ってない。俗物だらけの魔窟だなここは 仏性内在論から仏性顕在論への変化と、法華経方便品の(真理法中の)教法から存在法への転換って、何かしら関係あるんじゃないのかなぁ? >>518
>神仏習合、修験は、天台系が本来メインで主流で、藤原道長が高野山奥の院で、三井寺天台の坊主と共に儀式したので、
天台修験から、高野山の修験へ、南都系修験、長谷寺、室生寺など、さらに、根来寺覚鑁系修験へ…
初耳だけど 当山派修験の流祖聖宝との関係は?
本山派の流祖は増誉とされてるけど 時系列と関連が判る詳しいソース有る? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています