大智度論では、”諸法(実相)とは空性であり、空性故に(諸法の)実相を知る” とあったらしい。
それが吉蔵あたりになると ”諸法は実相であり、実相は諸法である” となったみたいだ。
此縁から相依的な解釈になってしまったってことだな。