>>271
いさなさん、こんばんは。
分かりました、少しだけパンドラを開けます。

突然ですが、例えば痴呆になってしまった方がいたとしましょう。
その人が間違ったことをした、それを非難することは正当ですか?

そうではないですね、なぜならその方は
正しいとされる判断、行動をすることが難しいからです。

またその人は自ら選んで痴呆になったわけではないので
根本的な原因は非個人的なものです。

同じように考えましょう。
あるクリスチャンに間違った言動があったとき
あるいは自分の態度を改める意欲がなかったり
間違いを正そうとする意図が皆無であったとき
その原因が非個人的なものならどうですか?
やはりそれを非難すること、他者が正そうとすることは間違いでしょう。

しかしこの単純な事実は簡単に見ることができません。
エゴは常に言動を人に紐付けしようとする傾向があり
コントロールされた世界、安定した世界を望むので
自分の周りにそういう存在がいること、不安定さ、不条理を
許容することが難しいからです。

このような結論を無理強いするつもりはまったくありません。
しかしイエスに従い、自分を改めようとするなら
愛をもって隣人を赦すか、このような結論を受け入れて生きるしか道はありません。

まとめましょう。
いさなさんは、私やサティさんのしていることは間違いですか?
と言いたいかもしれません。

もし求道という観点で答えるなら、それは道を間違えています。
自分のしたいようにしながら、イエスの教えを守ることはできません。

いさなさんの人生です、それに口出しはしません。
私はあなたが自分のしたいことをしてもその選択を尊重しますが
結果的にイエスの戒めを破ることになる事実をご理解ください。